第239話 「不安な感情」
「―――――――う、ん・・・。」
全身が重くてだるい。
ザナハが目を覚ますと近くで誰かが叫んでいる声が聞こえて来た。
「―――――――――いっ、おいってば!」
・・・アギトの声? どうして・・・?
「ザナハっ! ここで何があった、リュートはどうしたんだよっ!?」
「―――――――――ハッ!」
リュートの名を聞いた途端、ザナハは即座に起き上がり辺りを見回した。
そこはイゾラドの丘に立っている大木の側で、アギトやチェス達・・・数人の兵士がザナハを囲うようにして周囲を見渡している。
すぐさまリュートの姿を探すが・・・アギトの言葉通り、やはりどこにも見当たらない。
必死に記憶をたぐろうとするが何も思い出せない。
ザナハがイゾラドの丘に辿り着いた時には確かにリュートがいて、・・・そしてこの手で元気づけようとしていたはずだ。
「・・・あ。」
ザナハは右手に何かを握っていることに気付き、折りたたまれている紙切れを広げた。
紙切れには何かの文字が書かれているようだがザナハには何て書いてあるのか全くわからなかった、紙切れを見つめながら首を傾げているとアギトが覗きこんで大声を張り上げる。
「これ・・・っ、リュートの字じゃねぇかっ!!」
「・・・え!?」
「ちょっと貸してみろ!」
アギトにとってはリュートは依然行方不明のままの状態なので、リュートの姿が見えないことに余程不安を感じているのか・・・殆どザナハから紙切れを奪い取るように手にすると書いてある文字を声に出して読んだ。
「アギト達へ・・・、僕はやるべきことを果たす為に出かけます。
すぐに戻るから心配いりません・・・リュートより!? 何だよこれ・・・、一体何のこと言ってんだ!?
―――――――やるべきことって、おいザナハ!
お前リュートが何をするつもりなのか・・・どこかに行くとか、何か言ってなかったのかよ!?」
アギトが早口で手紙を読み上げたので、短い文章にも関わらずザナハはよく聞き取ることが出来ずに戸惑っていた。
目を覚ましたばかりで頭が少しぼんやりとしているせいかもしれないが、そんなことはお構いなしに座り込んだザナハの両肩を掴んで揺さぶるように問い詰めるアギト。
「おいアギト、ちょっとは落ち着け!」
チェスがアギトを止めに入る、しかしアギトは気が治まらない様子でイライラとしていた。
周囲の兵士たちがイゾラドの丘から下を覗きこんだり、すぐ近くの林の中を探し回ったりしているが結局リュートの姿を発見することが出来ずにいる。
そんな中、ザナハは必死に・・・ゆっくりとリュートを見つけた時の記憶を思い出させようとするが、どうしても突然に・・・ぷっつりと記憶が途切れていて思い出すことが出来なかった。
「ごめん・・・、確かにリュートはここにいたんだけど・・・どこに行ったのか、全然思い出せないわ。
まるで突然意識を失ったみたいに記憶が途切れてて、必死で思い出そうとしてるんだけど・・・わからないのっ!」
ザナハが震える声で告げる、悔しそうに地面を見つめているザナハを見て・・・アギトはそれ以上何も言わなかった。
もう暴れたりしないとチェスに言って掴まれていた腕を放してもらい、そして丘の上からゼグナ地方周辺を見渡す。
唇を噛み締めて、リュートが一体何を考えているのか全くわからない自分に腹が立っているアギトは、行き場のない怒りを必死で堪えて頭を冷やそうと懸命に努めた。
すると突然後ろでザナハが大声を張り上げた。
「―――――――――なんでよっ!!」
その声に驚いたアギトはすぐさま振り向いて、大木の側で地面を何度も激しく叩きつけるザナハを見つけた。
悔しそうに・・・今にも泣き出しそうに、ザナハは肩を震わせて怒りをぶつけている。
「どうして何も言ってくれないの・・・っ、なんで全部一人で抱え込もうとするのよっ!!
やっと気持ちが通じたのかと思った・・・っ。
せっかくみんなで一緒に頑張って行こうって言ったのに・・・っ!
なんでなの・・・!? あんなに近くに・・・側にいたのに、どうしてあたしの手は大切な人を放してしまうの!?
どうしてみんなあたしからすり抜けて行ってしまうのよっ!!
近くに感じても、側にいても・・・、やっと手が届いたって思ったら・・・また遠くへ離れて行ってしまうっ。
あたしじゃ・・・リュートの痛みや苦しみを和らげることなんて、出来ないのっ!?
だから・・・っ、あたしの前から姿を消してしまうのっ!?」
悲鳴に近い・・・、号泣するようにザナハは何度も何度も叫びながら地面を殴り付けた。
やがてザナハの手は傷付き、血を流しても・・・それでもザナハはリュートを引き止められなかった悔しさを、地面を殴りつけることでしかぶつけることが出来ない。
チェスも兵士も、ザナハの苦しみを目の当たりにして胸が痛んだ。
ザナハ以外の全員が、本当にここにリュートがいたのかどうか確認していない。 唯一リュートを見つけて、話して、連れ戻そうとしていたザナハ本人の苦しみなど、本当の意味で理解することなど出来ない。
嗚咽しながらズキズキと痛む右腕をもう一度地面に叩き付けようとした時、アギトが瞬時に右腕を掴んでそれを止めた。
ただ黙って・・・、力強く腕を掴んで阻止する。
見るとザナハの綺麗な白い手は傷付き、血が滲んでいた。
「―――――――――もう、いい。」
たった一言、アギトは小さな声でザナハに言った。
嗚咽を漏らしながらザナハはただ黙って、地面を見つめたまま・・・何の反応も示さない。
ぽたぽたと涙が地面を濡らす。
「・・・悪かったよ、みっともなく取り乱してさ。
リュートを連れ戻しにここまで来たお前のこと、何も考えてなかった。
だからお前がそこまで責任感じることはねぇんだ・・・、お前がこんな風に傷付く必要だってねぇ。」
「・・・・・・・・・。」
「手紙には肝心なことは何も書かれてなかったけど、すぐに戻るって書いてあるんだ。
だから大丈夫だって、オレ達があいつのことを信じてやんなくてどうすんだよ。」
アギトは無理をしていた、本当は不安でたまらない。
リュートが今、一体どんな思いで何を考えていて、どこへ何しに行ったのか何ひとつわかっていない。
それでも今のザナハに言ってやれることは、これ位だと・・・そう思ってアギトは胸の奥が苦しくてもそれを必死で我慢した。
「でも・・・っ。」
涙声でザナハが言葉を返す。
「でも・・・っ、ジャックだってすぐに戻るって言って・・・結局戻って来なかったじゃないっ!!」
「―――――――――っっ!!」
アギトは心臓が潰れそうな位の痛みが走って、息を飲んだ。
涙を流したザナハの真っ直ぐな瞳がアギトの青い瞳を捉えて、そしてザナハが放った残酷な言葉でアギトが必死で抑え込もうとしていた不安な感情が一気に弾けてしまう。
「リュートは死なねぇっ! オレが絶対死なせねぇよっ!!
何があってもオレが守るから・・・、相手がルイドだろうがディアヴォロだろうが関係ねぇっ!!
だからそんな不吉なこと言ってんじゃねぇよ、お前はリュートのことが信じられねぇのかよ!」
「うぅ・・・っ、うわぁあああぁぁっっ!!」
ザナハが声を上げて泣いた、アギトの胸の中で思い切り涙を流す。
無意識に・・・突然の出来事に驚き戸惑っていたアギトであったが、こんな時にどうしたらいいのか少し位なら理解出来た。
不器用な手つきでアギトはザナハの背中をさする。
そんな様子を遠くで見ていたチェスは兵士に指示を出して、静かにその場を後にした。
ジャックの死を聞かされた時、アギトを励ました時、・・・そして葬儀の時。
ザナハは涙を見せなかった。
恐らくそれは・・・この戦いの中心でもある光の神子が、希望の象徴でもある姫神子が・・・、守るべき国民の前で涙を見せるわけにはいかないから。
どんなに辛くても、どんなに苦しくても、ザナハは簡単に涙を見せたりはしなかった。
それが今・・・。
ザナハは大声を張り上げるように、今まで必死に潜めていた感情を爆発させたかのように・・・号泣している。
リュートの為に・・・、自分の無力さに。
(ザナハ・・・お前、ずっと我慢してたんだな。
本当は自分だって死ぬ程辛かったはずなのに・・・、苦しくてたまらなかったはずなのに。
それでもそんな素振りはこれっぽっちも見せないでオレのことも元気づけようとしてた・・・、オレはそれに気付けなかった。
でも・・・今は我慢すら出来ない位に、リュートのことが心配でたまらねぇんだよな?
そんだけ・・・お前にとってリュートの存在ってのが、すげぇ大事なものになってるってことなんだよな。)
「・・・お前、もしかしてリュートのこと・・・。」
言いかけて、アギトはそれ以上言葉に出さなかった。
今この場でそれを口にすることがとてもいけないことのように思えて、アギトは言葉を飲み込んだ代わりにザナハをこのまま抱き締めるわけにはいかないと察して、背中に回しかけた手を止めて・・・再び背中をさすってやった。
それは自分の役目ではない。
リュートが無事に戻って来たら、きちんと本人に責任を取らせよう。
ザナハを励まし、慰める役目が一体誰なのか・・・。
そして、ザナハの思いに応えて抱き締める役目が一体誰なのか・・・。
友が帰って来たら、また前みたいに一発殴った後・・・それをわからせてやろう。