第231話 「新たな報告」
首都ヒルゼンの宮中内にある客室で、オルフェは少ない荷物をまとめてレムグランドへ帰還しようとしていた。
元々数日程度滞在するつもりでいたのでそれ程時間がかかることもなく、サイロンに手配してもらった馬車へと向かう。
扉を閉めて通路を歩いて行こうとした時、遠くから誰かが叫んでいるのが聞こえて来た。
「待ってくださーい!」
声は少女のものであり、ふとオルフェは足を止める。
一瞬沈黙になったと思いきや、屋根裏から突然逆さ吊りの状態で茶髪の少女が目の前に現れた。
しかし悲鳴ひとつ上げることなくオルフェは静かな表情でメガネのブリッジに中指を押し当てながら、にっこり微笑む。
思っていた以上のスベリ具合に、多少の不満を感じながら少女はどこか寂しげに屋根裏から優雅な物腰で着地した。
「・・・さすがです、普通いきなり目の前に現れたら腰を抜かすものなんですけど。」
「おや、驚かせるつもりだったんですか?
それは失礼、次からは『きゃー』とか『いやー』とか叫ぶようにしますね。」
なんかちょっと違う・・・と言いたげに、少女は悩ましげに首を傾げた。
少しクセのある茶髪は肩まであり、里でよく見かける独特の着物、しかし丈はかなり短く動きやすさ重視で統一されている。
少女の身なりをまじまじと見つめながら、オルフェは服装や身のこなしから隠密活動に関係のある何者か・・・と推測していた。
「それで? 私に何か用ですか?
失礼ですが先を急いでいますので、手短にお願いしたいのですが。」
オルフェの方から手早く切り出すと、少女は短い悲鳴を上げてからぼんやりとした瞳が大きく見開いた。
「あっ! そうです、あたしレムグランド国の大佐さんにご用があるんです!
背中位の長さまである金髪に、メガネをかけてて、端正な顔立ちをした陰険腹黒って特徴の大佐さんに伝言を
預かってるんです。」
「・・・一体誰からの伝言ですか?
事と次第によってはお礼を言いに向かわなければ。」
前半までの特徴はまだしも、どうしても後半辺りで引っ掛かる所があったオルフェは満面の笑みを浮かべながら、特徴を教えた人物に心当たりがないか模索した。
笑顔の裏でとてつもなく恐ろしいお礼を考えているオルフェには全く気にかけず、茶髪の少女は淡々と仕事を続ける。
「えと、まずは初めまして。
あたしはミズキの里の伊綱さんからの使いで、リンって言います。
実は伊綱さんからレムグランドの状況を逐一報告するように言われてるんですけど、今レムグランドで大変なことが
起きてるんです!」
オルフェは右手に携えた木箱を持つ手に一瞬だけ力が入り、それからすぐに平静を取り戻す。
『伊綱』という名に覚えがなかったオルフェは、なぜその人物が自分の特徴をここまでズバリと言い当てたのか疑問に思った。
しかし今のオルフェは先を急ぐ身、いつまでも『小さなこと』で時間を引き延ばすわけにもいかなかったオルフェは、リンに言われた言葉に対して首を傾げながら、わざとらしい態度を取った。
「大変なこと、ですか?
それならば先程アビスグランドから来た使いの者が、ルイドに関して情報を持ってきたのですが。
もしかしてそのことでしょうか?」
しかしリンは首を大きく横に振ると、一歩オルフェに近付いてまるで耳打ちするような小声になった。
「あ・・・、それについてはホントご愁傷様でした。
お悔やみ申し上げます。」
リンがどこまで情報を得て、どこまで事情を把握しているのか。
オルフェには知り得なかったがリンはとても悲しそうな表情になり、ぺこりと頭を下げた。
「えと・・・一応あたしが持ってきた情報は、それとは違うんです。
実はレムグランドにあるセレスティア教会から、光の戦士達に通達があったそうなんです。
それによるとアンデューロ付近で、行方不明になっていた魔獣の軍団長フィアナが見つかったみたいなんですよ。」
オルフェの顔から、笑みが消えた。
以前光の塔でまみえた際、毒による重症をフィアナに負わせたが目を離した隙に忽然と姿を消していたのだ。
それ以来全く音沙汰がなかったので、オルフェも特に追跡することもなく放置していた。
リンから聞かされた瞬間、大きな溜め息をついて悩ましげに頭を抱える。
「はぁ~~・・・、全くこの忙しい時になんてタイミングでしょうね。
昔から余計なタイミングで余計なことをしでかしていましたが、そういう気質も引き継いでしまったようですね。」
「セレスティア教会の大司祭が言うには、様子が少しおかしいということで光の戦士達を呼びつけたようです。
今は数人がアンデューロの方へ向かっててフィアナと対面してる頃合いです。」
「まぁアンデューロへは元々、光の精霊ルナとの契約の為に立ち寄る必要がありましたし。
・・・ちょうどいいんじゃないですか? 話と言うのはそれだけですか?」
余裕の表情で聞き返すオルフェに、リンは少し面食らったようになって慌てて言葉を付け足す。
「えと、タツミさんからはフィアナって娘が大佐さんの命を狙ってるから十分気をつけるようにって
言ってたんですけど!
フィアナが見つかったから、大佐さん・・・興味とかないです?」
「ありませんねぇ~、それに今のフィアナは特に脅威でもありませんし。
フィアナが姿を消す前に与えた毒には後遺症と言うか副作用と言うか、魔力が極端に弱まるようになってるんですよ。
ですから今更抵抗しようとしても、以前のような強力な傀儡の能力は使えませんし・・・。
魔物を召喚しようとしてもどうせプチスライム程度しか召喚出来ないでしょう。
ですからどうなろうと知ったこっちゃないです。
願わくばアンデューロで洗礼し直して、そのままシスターとかしてくれたら助かるんですけどね。」
全く興味がないという素振りで、オルフェは用事がそれだけならこのまま先を急ぐ・・・とでも言いたげにリンを見据えた。
リンに至っては懸命に情報収集にあたっていたのに、ぞんざいな扱いを受けてショックを受けている様子である。
「あう・・・、それじゃあフィアナの体が退化してしまってることも、どうでもいいんでしょうか?」
「・・・退化?」
ぴくりと反応したオルフェに、リンは「よっしゃ!」とガッツポーズを取ると勇んで説明し始めた。
「あたしも詳しい事情とかはわかんないんですけど、元々アンデューロの司祭さん達は数か月前に襲撃してきたフィアナを
目撃して知っていたんですよね。
でも最近発見したフィアナは、年齢が大体6~8歳位まで幼くなってて・・・とても不思議に思ったそうです。
言動や態度から見て、フィアナ本人だって言う人もいたみたいですけど。
だけど人間が若返る・・・なんて例は見たことも聞いたこともなかったから、もしかしたらフィアナに似てるだけで全くの
別人なんじゃないかって話になったみたいなんです。
そこでフィアナと関わりの深い光の戦士達を呼んで、フィアナ本人かどうか判断してもらおうとしたみたいです。
なんだかそれで手一杯になっちゃって、ルナとの契約はまだ全然進んでないみたいですよ。」
更にオルフェはがっかりとした仕草をして、大きな溜め息をつく。
とりあえず報告を済ませたリンはにこにこと微笑みながら、黙ってオルフェの返事を待っている様子だ。
「・・・光の戦士一行は、今もアンデューロにいるんですね?」
「はい! でも里とレムグランドじゃ時間軸がちょっと違うんで、状況が少しばかり変わっている可能性はありますけど。」
「時間軸が異なると言っても、せいぜい数時間程度でしょう。
それならば問題ありませんよ。
リン・・・と言いましたか、報告ありがとうございます。
貴女のような情報収集に特化した能力は私の部下に欲しい位ですね、助かりましたよ。」
冷たい印象を抱いていたオルフェから褒められ、まんざらでもないリンは嬉しそうに微笑んだ。
「それでは大佐さんへのご報告、確かにお伝えしました!」
それだけ言い残すと、リンはそのままいずこかへと走って行ってしまった。
リンの行き先に特に興味のなかったオルフェは、どこへともなく走って行く姿にツッコミを入れることなく、レムグランド行きの馬車が停まっている場所へと足早に急ぐ。
< レムグランド アンデューロにて >
レムグランドの北西に位置する大聖堂、ここには光の精霊ルナを祀る祭壇、光の塔がある。
ルナを信仰する宗教の総本山であり毎年聖職者を希望する者が多数訪れ、皆それぞれが自給自足の生活をしていた。
巡礼の旅で訪れる旅人の為の施設もいくつかあり、アギト達は旅人用の宿屋を訪れている。
そこには質素な宿屋には似つかわしくない格好をした司祭が、困った表情でたたずんでいた。
かくいうアギトも算数のテストとにらめっこしている時と全く同じ顔で、悩ましげに首を傾げている。
一人部屋としてあてがわれた個室の中には、大人が二人と子供が4人。
部屋の約半分をベッドが占めているので更に狭く感じられた、ベッドには金髪の少女が横たわりアギト達を睨みつけている。
「く・・・っ! 魔力さえ弱まっていなければお前達なんか、あたしの奴隷として操ってやってたのに!
どうしてうまくマナが練れないのよ・・・っ、なんであたしがこんな目に遭わないといけないのっ!?」
憎まれ口を叩きながら金髪の少女が苛立ちをぶつけるように、枕を鷲掴みにするとアギトに向かって投げつけた!
清潔な白いカバーにふんわりとした感触の枕を見事にキャッチしたアギトは、ひくひくと怒りを抑えながらにっこりと微笑む。
「この態度に、暴言の数々・・・っ! 間違いねぇって、こいつはフィアナだ!
確かに若干縮んでっけど、ドルチェそっくりじゃねぇかよ。
金髪に水色の憎たらしい目、白い肌に兄貴譲りの腹黒さ! 誰がどう見てもフィアナだって!」
そう断言したアギトは右手に枕を掴むと思い切りフィアナめがけて投げつける、勢いよく飛んできた枕をよけることが出来ずにフィアナは短い悲鳴を上げながら、やんわりと顔面に直撃した。
ザナハはアギトの言葉に頷きながらも、隣に立っているドルチェとベッドに座っているフィアナとを見比べる。
「どういう理屈かはわかんないけど・・・、アギトの言う通り間違いなさそうよね。
こんな時オルフェがいたらどうしたらいいのか的確に教えてくれるんだけど・・・、いないものはしょうがないし。
・・・この子、どうするミラ?」
「ここに置き去りにするわけにもいかないでしょう、いくら魔力が極端に弱まっているとはいえ仮にも4軍団の一人。
いつどんな方法を使って大佐の命を狙いに来るとも限りませんし、教団に預けるわけにもいきませんしね。」
ミラは短い溜め息をつき、渋々ながらフィアナを洋館へと連れ帰るという決断を下そうとした時だった。
「いやよっ、やめてっ!! そこの出来損ないと同じ場所に存在するなんて、あたしはお断りよっ!!」
殆ど悲鳴に近い金切り声を上げながら、フィアナは枕を両手で抱き締めると力一杯拒絶した。
その態度をワガママと捉えたアギトは我慢の限界なのか、表情から笑みが消えると低い声でフィアナを威嚇する。
「おいテメー・・・、いい加減にしろよ!?
ルイドん所ではどうだったか知らねぇけどな、ここじゃそんなワガママは通用しねぇんだよ・・・!
お前等兄妹の間で過去に何があったかなんてオレにはどうだっていいことだ、・・・だけどな。
そろそろドルチェに対する態度を改めねぇと、痛い目にあわすぞコラ!?」
ドルチェを蔑む態度に堪忍袋の緒が切れたアギトは、相手が幼い少女といえど手加減しなかった。
そんなアギトにドルチェは、ぽかんとした表情で見上げている。
まるで・・・なぜアギトがこれ程までに怒っているのか理解出来ない、とでも言いたげな表情で。
そしてどこか、そんなアギトに対してなぜか悪い気がしないと・・・自分の中に芽生えた不思議な感情に、ドルチェは少しだけ
戸惑っていた。
わずかに険悪な空気が漂ってきて、フィアナを保護していた司祭が申し訳なさそうに割って入る。
「あの・・・、それではこの子は姫様の方で保護してくださると・・・それでようございますね?」
「そうね・・・仕方ないでしょ、フィアナはこっちで連れて帰るわ。」
「ちょっ! 勝手に話を進めないでよ・・・あたしはダメだって言って・・・っ!!」
しかしフィアナの言葉には誰一人耳を傾けることなく、話は進められていった。
そんな時ドアをノックする音が聞こえて来て、近くに立っていたドルチェがドアを開ける。
「どうやら間に合ったようですね。」
「―――――――――大佐っ!?」
龍神族の里へ行っていたオルフェが突然現れ全員が・・・いや、ミラとザナハだけが驚いていた。
アギトは嫌悪感の入り混じった顔で出迎え、フィアナは凍りついた表情になり、ドルチェはいつもの通り無表情のままである。
珍しく急いで戻って来たのか、オルフェは少しだけ息を切らしながらその場に立ち尽くした。
室内はすでに満員状態だったので中へ入ろうとはしなかったが、ベッドに座っている幼いフィアナの姿を見て何かを確信したようにじっと見据える。
「フィアナを洋館へ連れ帰るわけにはいきません。
ここはアビスグランド・・・と言いたいところですが、向こうは今状況が一変してるので望ましくありません。
他を考えるとなると、龍神族の里しかないでしょう。
ちょうど表に飛馬を待たせていますから、フィアナはこのまま若君の方に任せるしかありません。」
オルフェの方の状況がいまいち把握出来ていないミラであったが、追求するのはひとまず後にした。
いつもマイペースであるオルフェが早急に指示する以上、時間をかけてはいけない何かがあるのだと瞬時に察したからである。
「わかりました、飛馬・・・というものがよくわかりませんのでここは大佐にお任せしてもよろしいですか?
ここで起きたことは後で報告しますので、私達は当初の予定通りルナとの契約へ・・・。」
そう言いかけるミラの言葉を遮るような形で、オルフェは少しだけ表情を曇らせると静かな口調で予定変更を告げた。
「いえ、ルナとの契約は後回しにします。
中尉達も・・・私と共に洋館へ帰るんです、・・・事情は洋館に到着してから全て話します。」
いつもと様子が違うことに気付いたミラは、怪訝な表情を浮かべながらオルフェの指示に従った。
アギト達はミラと共に個室を出て行き、大聖堂にあるトランスポーターへと向かう。
司祭も会釈をしてから出て行くと、中にはフィアナとオルフェだけとなる。
オルフェは笑みのない表情でフィアナに近付く、びくっと怯えたようにフィアナは壁際の方へと後ずさりした。
「フィアナ、死にたくなければ私に従いなさい。
このままドルチェと同じ次元に存在していれば、お前の成長は確実に搾取され続けるだろうからな。」
枕を抱き締めながら、フィアナは値踏みするような眼差しでオルフェを見据え・・・口を開いた。
「それは、あたしがあの子の影だから・・・?」
「・・・そうだ。
ゲダックがどんな方法でお前を作り出したかは知らないが、少なくとも今のお前の姿を見れば理由は一目瞭然だ。
このまま搾取され続けると、お前の体の退化は進んで行き・・・やがて胎児にまで逆行するだろう。
それが嫌なら里へ帰る馬車に乗って、サイロンに助けを求めるんだ。」
オルフェの顔、そして口調は拒絶する言葉を受け付けない強い言い方であった。
先程までアギトに逆らい続けた態度とは全く異なり、今では水を打ったように静かになり・・・黙ってオルフェの指示に従う。
「お兄様・・・、あたしは死ぬの?」
ベッドから下りてドアへと向かう途中、オルフェとすれ違う寸前にフィアナが漏らした言葉。
小さく・・・怯えたように、死を恐れるように尋ねた。
「このまま同じ次元に居続けるか、マナを大量消費しない限りは。」
たった一言、それだけ答えて・・・オルフェは口を閉ざす。
小さな肩を震わせて泣き崩れるフィアナの姿を見て、オルフェは言葉を押し殺した。
「あたしは・・・っ、ただ・・・ひっく、うぅ・・・っ。
お兄様にまた会いたかっただけ、なのに・・・っ! うぇぇ~~~っ!!」
むせび泣くフィアナに、オルフェは慰めるどころか優しく触れてやることすらしない・・・。
ほんの少し触れただけでも壊れてしまいそうな、そんな壊れ物を扱うような態度で、オルフェはただ黙って・・・唇を強く
噛み締めるだけであった。