第218話 「リヒターの覚醒」
作業は静かに行われていた。
リヒターが横たわるベッドの横にカトルが寄り添い、それを見守るアギト達・・・。
『ストラ』に関しての説明は大体ミラから聞いたが・・・、それでも具体的に
どういったものなのかよくわからないアギト達は、ただ黙ってカトルとリヒターを
交互に見つめながら・・・いつ異変が起きるのか様子を窺っていた。
やがてカトルに動きが現れると、ごくん・・・と唾を飲み込んで何をするのか
一部始終注目する。
カトルがぴくりと反応すると、おもむろに片手をリヒターの額にそっと触れて
・・・触れた手からやわらかい光が宿っていった。
穏やかな表情のリヒターに、ミラは拒絶反応が現れていないことを察する。
カトルの手から光が宿り続けて約10分、ようやく光が収束し・・・カトルは
微かに息を切らしながらその場にへたり込んでしまった。
まるで体力を激しく消耗したように、肩で息をしているカトルに手を貸すザナハ。
「大丈夫・・・カトルっ!?」
「だい・・・、じょうぶっ!
ちょっと疲れただけだよ・・・、ストラは・・・神経を使うから・・・っ!」
ザナハがカトルを看ている間、ミラは足早にリヒターの側に駆け寄ると状態を
確認し始めた。
まるで医者が患者の容体をみるように・・・。
「自然治癒力が高まって、容体はずっと安定しているはず・・・。
アギト君、ヴォルトを召喚してくれますか!?」
突然自分の出番が回って来て虚を突かれたアギトだったが、すぐさまミラの
言葉に応じてヴォルトを召喚する。
「出て来い、ヴォルトっ!!」
アギトは精霊の紋様が刻まれた右手を掲げて声を張り上げると、バチバチと
音を立てながら・・・黒く丸い物体が姿を現す。
ヴォルトは回りを見渡し、目の前で横たわるリヒターを目にすると現状を
把握し・・・語りかけて来た。
「・・・ドウヤラ自然治癒力を高メテ、脳内汚染ヲ完全ニ排除シタヨウダナ。
良イ判断ダ・・・。」
「ヴォルト、貴方ならば彼を目覚めさせる方法がわかっていたんじゃないですか?
脳内汚染から彼を直接救ったのは、あなたのマナ・・・。
ならばこんなに長い間、昏睡状態に陥らせることもなかったはず・・・!
どうしてマスターであるアギト君に、直接覚醒方法を教えなかったんです!?」
「・・・え? ・・・えっ!?」
敬意を払ってはいるが、ミラの口調はどこかヴォルトを威嚇しているようにも
聞こえる。
不穏な空気に、アギトは少し戸惑っていた。
「確カニ・・・、ダガ・・・リヒターヲ守ッタ『力』ハ私の『力』デアッテ・・・
直接的ナ『力』ニアラズ・・・。
私ガ直接リヒターヲ覚醒サセル術ハ、持チ合ワセテイナカッタ・・・。
長イ時間ヲカケテ、汚染サレタ部分ヲ治癒サセル必要ガアッタノダ。
コレ以上、私ノ『マナ』デ彼ノ脳内ヲ刺激スルコトハ・・・望マシクナカッタ。
シカシ・・・脳内汚染ガ完全ニ治癒サレタ今ナラバ、多少ノ刺激ニモ耐エウルダロウ。
・・・マスターヨ、今コソリヒターヲ目覚メサセルノダ・・・!」
全員の視線が一斉に、アギト一人に向けられる。
「め・・・、目覚めさせるのだ! ・・・って。
どうやって!?」
寝耳に水、思いがけないところで自分に大役が回って来て・・・何の準備もして
いなかったアギトは当然、自分が何をどうすればいいのか見当もつかない。
そしてなぜかヴォルト自身も、ただただアギトを見据えるだけで・・・何を
どうすればいいのか、そういった指示を一切してこなかった。
見かねたザナハがアギトに尋ねる。
「ねぇ、ヴォルトから何か教わったりとか・・・してないの?
例えば契約を交わした時点で、精霊特有の魔法を習得してるとか・・・。」
「いや・・・、イフリートん時は頭ん中に自然と魔術の名前とか・・・そういうのが
浮かんだりしたんだけど、今は全然・・・。」
アギトはもう一度、ベッドで横たわるリヒターの真上に浮かんでいるヴォルトに
視線を走らせてアドバイスを聞こうとする。
しかしヴォルトから返って来た言葉は、全く意味不明なものだった・・・。
「・・・マスターノ思ウママニ、行動スレバイイダケダ。
私ト契約ヲ交ワシテイルマスタート、口伝継承者デアルリヒターニハ・・・
私ノ『マナ』ガ同調スルヨウニナッテイル・・・。」
「うがぁーーーっっ! 意味わかるかぁーーっっ!!」
全くヒントになっていないヴォルトの言葉に、短気を起こしたアギトは完全に
ブチ切れて・・・リヒターの側へズカズカと乱暴に歩み寄ると、ギッと睨みつけた。
穏やかな表情ですーすーっと静かな寝息を立てているリヒターの寝顔を見て、アギトは
そんなリヒターのことがますます憎らしく見えてならない。
・・・全員の視線が痛い。
依然、ヴォルトの言った意味が理解出来ず・・・アギトは自分が一体どのように
すれば覚醒させる呪文を詠唱出来るのか、悩んでいた。
『アギトなら出来る! 大丈夫!』と、期待に満ちた眼差しで・・・過剰にアギトに
対してプレッシャーを与えるリュートの視線・・・。
そして同じく、全ての希望をアギトに託すような・・・そんな眼差しで見つめ続ける
カトル・・・。
期待半分、諦め半分でアギトの奇行を黙ったまま見つめるザナハとレイヴン・・・。
まるで自分の能力を試すような、そんな試験官のような視線でアギトの動向を
探るように見据えるミラ・・・。
そんな全員からの無言のプレッシャーに、アギトはだんだん腹が立ってきた。
的確な指示を与えないヴォルトに対してもそうだが、何をすればいいのかわからない
自分自身に対して・・・苛立ちを感じているのだ。
それに加えて、全ての原因であるこの男・・・っ!
いけ好かない男の為に、自分が追い込まれていることがムカついてきた。
やがて・・・、アギトは怒りをぐっと抑えて・・・微かに笑みをこぼす。
「ふっ、そうか・・・わかったぜ。
・・・オレの思うままに、か。」
後方で自分のことを見守るギャラリーに向かって、アギトはわざとらしい・・・
爽やかな笑顔を作って振り向くと、親指をおっ立ててキラリと光るナイスガイポーズを
みんなに披露してみせた。
全員の顔に光が宿る・・・、アギトに全ての期待を込めて・・・見守る!
「おらぁーーーっ、さっさと起きんかこんボケがぁーーーっ!!」
ばしこーーーんっ!
アギトは力の限り、右手でリヒターの頭を思い切り殴り付けた!
「何やってんだぁーーーっ!!」
アギトの暴挙に、カトルが後ろからゲンコツをかました。
当然リュートもザナハも・・・、絶句したように固まっている。
ミラは呆れてものが言えないのか・・・、片手で頭を押さえて溜め息を漏らした。
「この大事な場面でリヒター殴るって、どういう神経してんだよっ!?
お前、リヒターのこと覚醒させるつもりあるのかっ!?」
「こいつの安らかな寝顔見てたら、その気も失せるわっ!
つか何でオレがこいつ目覚めさせるのに、みんなから白い目で見られなくちゃ
いけねぇんだっつーんだよ!
こいつもぐっすり眠れて気持ちよさげじゃん!? 幸せそうじゃん!!」
「失望した・・・っ、お前がそんな薄情なヤツだとは思わなかったっ!」
「なんだよっ、ヴォルトはオレの思うままでいいって言ったじゃねぇかっ!」
「・・・・・・痛い。」
「ほらっ、リヒターだって痛がってるじゃないか!
大体お前がマナを込めてリヒターの頭を殴るから・・・っ!」
異変に全く気付かないアギトとカトルを遮るように、リュートが二人の間に
割って入って・・・喧嘩を仲裁する。
「ちょっと二人とも待ってよ、そこまでっ!
今の・・・、聞こえなかったの!?」
「うっさい! 今はそれどころじゃねぇんだよっ!」
「お前には関係ない、これはオレとアギトの問題だっ!」
二人の声が同時にハモり・・・、リュートの仲裁にすら聞く耳を持とうとしない。
そんな二人にザナハの制裁が下る。
「いい加減にしなさいっての!」
がごんっ!
ザナハのゲンコツが、アギトとカトル・・・二人の脳天に直撃し床に崩れ落ちた。
「・・・・・・ここは!?」
再び声がした。
ゆっくりと両目を開き、視線だけで部屋の中を探る。
見たことのない天井・・・、柔らかいベッド・・・。
しかし体が重くてダルイせいか、思うように動かせない。
ミラが歩み寄って、声をかける。
「リヒター君、今は無理に体を起こそうとしない方がいいです。
君は半年以上もの間、ずっとベッドで眠り続けていたのですから筋肉が
衰えてしまってるんです。
大丈夫・・・、カトルもレイヴンも・・・ここにいますから。」
左側には金髪の美しい女性が目に入り、リヒターはぼやけた視界で右側にいる
人物に視線を移した。
「リヒターっ、よかった・・・よかったよ!」
「レイ・・・、ヴン?」
泣きながら自分の顔を覗きこむレイヴンの姿に、リヒターは安心したのか・・・
微かに口の端に笑みをこぼした。
「一体・・・、何が・・・?」
よく思い出せない、長い間眠り続けたせい・・・というわけでもない。
リヒターはぼんやりとした頭を懸命に働かせようとするが、うまく考えが
まとまらなかった。
「ともかく・・・、リヒター君の覚醒には成功しました。
もう少し安静にさせた方がいいので、私達は一旦部屋を出ましょう。
メイドに看護させますので・・・。」
「あ・・・、オレ達が残ります! 残らせてください、お願い・・・っ!」
床から這い上がったカトルが申し出た。
ゆっくりと立ち上がり、久しぶりにリヒターと対面する。
「カトル・・・か?」
「そう・・・、そうだよ・・・リヒター・・・っ!」
涙声で、リヒターに話しかける。
どれだけ心配したか・・・、どれだけ待ち望んだか・・・っ!
リヒターの手が、カトルの頭に触れると・・・優しく撫でる。
その手はゆっくりとカトルの目元に触れ、雫を拭い・・・そして頬に触れた。
カトルは優しく触れて来るリヒターの手を取り、その温もりを感じる。
愛でるようにカトルはリヒターの手を握って・・・、溢れて来る喜びの涙を
止められなかった。
「リヒター・・・っ、よかった・・・っ!」
そう繰り返すカトルをうっすらと開けた瞳から見つめて、リヒターは安堵に
満ちた表情のまま微笑んだ。
「・・・早く、出ましょ。」
ザナハが小声でリュートに囁く。
その言葉に従って、床に倒れているアギトを回収すると・・・3人は黙って
部屋を後にした。
ぱたん・・・。
音を立てないようにゆっくりとドアを閉めると、リヒターの部屋から少し離れた
場所まで移動する。
「でも・・・、一体どういうことかしら!?
カトルの『ストラ』で、リヒターって人の脳内汚染を完全に治癒出来たってのは
ヴォルトの話でわかったけど・・・。
こいつが殴って目覚めるって、わけわかんないんだけど・・・。」
納得いかないという口調で、ザナハがミラに問いかけた。
ヴォルトは・・・アギトがザナハに殴られた時点で、精神世界面へと
強制的に還されたようなので、疑問に答えられる人物はミラしかいない。
ミラはしばらく考え込むと・・・、ゆっくりと答えた。
「ヴォルトが言ってました・・・。
契約を交わしたアギト君と、口伝継承者であるリヒター君の二人にはヴォルトの
マナが同調出来るようになってると・・・。
恐らく、ヴォルトのマナによって二人の間に・・・何らかの『絆』のような
繋がりが出来てる・・・ということではないでしょうか?
リヒター君を殴る時、アギト君の右手には・・・恐らく無意識でしょうが
ヴォルトのマナが込められており・・・、それがリヒター君の頭に直接触れた。
そのマナがリヒター君の脳内をわずかに刺激して、覚醒を促した・・・。」
こじつけのように聞こえなくもないが、事の顛末を考えるとその流れが一番
妥当だろうとリュートは納得した。
「なんだか・・・、それ聞いたらアギトが怒りそうな内容だけど。
でもそれならもっと早くにこうしていれば、リヒターって人が目覚めさせることが
出来たんじゃ・・・?」
「それはダメよ、まずリヒターとの繋がりが深いカトルが『ストラ』を習得
してなきゃいけないし・・・、それにヴォルトも言ってたでしょ?
自分のマナだけじゃリヒターを目覚めさせることが出来なかったって。
全ての条件がそろわないと、覚醒は望めなかったのよ。
ま・・・、こいつが殴って目覚めさせたのはただの偶然のように感じるけどね。」
ザナハに殴られた時、完全な無防備状態だったせいか・・・アギトは未だに
殴られたダメージがしっかりと残ったまま、ふらふらしている。
「とにかくこれでリヒター君が覚醒して、重要な情報を聞き出すことが出来る
状態になったということです。」
ミラが突然軍人の顔になったので・・・、リュートにある疑問が生まれた。
確かにザナハが言ったように、リヒターを目覚めさせる条件がそろうまで・・・
ここまで時間がかかったとして・・・。
なぜこのタイミングなんだろう? と、ふと思う。
確かにあのままにしておくには生命の危険とか、色々と不都合なこともあるだろう。
リュートの中でどうしても引っ掛かる部分があったので、試しにミラに聞いてみた。
「あの・・・、中尉。 ちょっと聞いてもいいですか?」
神妙な面持ちで、リュートが恐る恐る話しかける。
リュートが何を聞きたいのかミラにはわかっていたのか、真剣な顔のまま頷く。
「リヒターって人を覚醒させて、・・・重要な情報を聞き出すって?」
少しだけ間を置くと、ミラは周囲に視線を走らせてから・・・目の前にある
空き部屋へ移動するように促した。
誰かに聞かれると都合の悪い内容なのか?
そんな風に一瞬不安がよぎったが、ミラがすぐに誤魔化そうとせず・・・話す
場所を指定したところを見て、自分達にだけは話してもいいような内容なんだと
思った。
恐らくそれは・・・、自分達にも関わりが深い内容なのだろうか?
客室に入って行き、ドアをしっかりと閉めてから・・・改めて向き合う。
「教会の惨劇については・・・、リュート君はその場にいなかったのですから
詳細を知らなくて当然ですが。
それでも・・・、事件の中心人物であるフィアナをこのレムグランドへ送り
届けてしまったリュート君ならば・・・、知る権利があると思います。」
そう切り出され、リュートは胸が痛んだ。
カトルから許しを得たことで、・・・決して罪を忘れていたわけではない。
それでも改めてあの時の過ちを指摘されると、心穏やかではいられなかった。
「フィアナは最初から、ある目的をもって教会を襲撃した様子でした。
何も知らない子供達は全て殺したにも関わらず、ヴォルトの口伝を継承している
人物だけは・・・確実に手中に収めています。
その中でも特に正当な継承者であるリヒター君一人を、狙っていたようですね。
覚醒措置の前にも説明しましたが、フィアナは禁術を使ってリヒター君から
何かの情報を得ようとしていました。
結局はヴォルトの妨害にあってその場は退散しましたが・・・。
大佐は・・・、フィアナが得ようとした情報に興味があるようでした。
・・・というより、フィアナが何を得ようとしたのか。
そしてどれだけの情報を奪われてしまったのか。
まずはそれを知ることが重要だと・・・そう判断したので、カトルにはストラ習得を
優先させました。
現在も行方不明となっているフィアナの足取りを掴む為にも、リヒター君自身の
口から直接・・・聞き出す必要があったのです。
フィアナが得た情報が何なのか、それを知るのはフィアナ本人と・・・奪われた
リヒター君だけでしょうから。
ちなみに・・・ルイドは何も聞いていないそうです。
それが事実かどうか、確認しようがありませんが・・・。」
「ヴォルトが口伝したものって・・・、確か。
創世時代の伝承とか、フロンティアに関する情報・・・だったわよね!?
それをフィアナが欲しがるって、一体どういうことなのかしら。」
「わかりません、もしかしたらフィアナ自身が欲しがったわけではなく・・・
何者かがフィアナに依頼した、とも考えられるかと・・・。」
「何者か・・・って、一体誰が・・・!?」
リュートは頭を抱えながら、話の内容に置いてけぼりにされないように必死で
ついて行こうとした。
しかし話の先が見えないこの状態では、全員がリュートのように頭を抱えるばかりである。
「つまり・・・っ、それを知る為にあのヤローを復活させたんだから・・・。
今ここで悩んでたって始まんねぇだろ・・・。」
呻くように声を絞り出しながら、ようやくアギトが復活した。
リュートの支えから離れ、アギトは自分の足で立ち・・・殴られた頭をさする。
「そうですね・・・、アギト君の言う通りです。
リヒター君から情報を得るのは、もう少し先になると思いますが・・・。
今はまず・・・、リハビリから始めないといけませんからね。」
ミラは3人に礼を言うと・・・、そのまま解散するように言葉を締めくくった。
後に残されたアギト達も、このまま空き部屋を出て行こうとしたが・・・。
・・・その時だった。
部屋の前を慌てるようにメイドが一旦通り過ぎて・・・、視界の端に青い髪が目に
入ったのを確認すると・・・再び戻って来る。
「あ・・・、リュート様!
大変でございます、ただいま玄関先に龍神族の方がリュート様をお迎えに
来られていますが・・・。
その方の話によるとリュート様をアビスグランドへお連れすると、こう仰って
いるのです・・・っ!」
「・・・・・・!」
遂に来た・・・。
精霊との契約を交わす為に、アビスグランドへリュートを連れて行く使者が・・・。
リュートは息を飲んだ。
それはつまり・・・、三国同盟が正式に成立したという証だった。