第210話 「100人斬りの結果」
1週間ぶりに洋館へ戻って来たオルフェは、目の前の現状に唖然とするしかなかった。
馬車で到着した直後、大きくて立派だった洋館の約半分が軽くなくなっていることに
言葉を失っている。
洋館に滞在している使用人のみならず、本来ならば警備の任務にあたっているはずの
兵士までもが駆り出されて・・・なくなった部分の建築作業を進めていた。
当然この中に、大工はいない・・・。
間に合わせ程度といわんばかりの、木造建てを作っている最中である。
オルフェは片手で額を押さえるとしばらく考え込んだ、気のせいか頭痛までしてくる。
そんな時、ようやく建築作業をしていた兵士の一人がオルフェの存在に気付き、
急いで駆け寄って敬礼した。
「お疲れ様でした、大佐!」
特に疲れているわけではなかったが、洋館の現状を見た途端にどっと疲れを感じた。
テンションの下がった口調でオルフェが一応問いただす。
「何があったのかはよくわかっているつもりですが・・・、まず。
この有様に関する報告をしてくれないか?」
開口一番の台詞がわかっていたのか、兵士は苦い笑みを浮かべながら報告する。
「はい、3日前アギト様との100人斬りの修行の際にトラブルが発生いたしました。
トルディス閣下の話によると、アギト様のマナが暴発。
訓練場には特に強力な結界を施してあったのですが、それすら超える威力によって
・・・この有様です。
死者は出なかったものの、修行に参加した兵士の約半数が怪我を負い・・・
すぐに姫様や中尉による回復魔法にて全快いたしました。
アギト様はマナの暴発後、意識を失い・・・現在も自室にて静養しています。
洋館の修復に関してですが・・・、破損箇所があまりに多過ぎてミア様による
修復魔法では、完全に修繕出来ないとのことです。
すでに専門家の要請をしておりますが、出来る限りの修繕は現在も行なっています。
・・・以上です!」
「・・・わかった。
ところで、トルディス閣下は今どこに?」
「調べ物があると仰っていたので、恐らく図書室におられるかと・・・。」
それだけ聞くとオルフェは、報告した兵士にそのまま修繕工事に戻るように
指示すると、自分はアギトの様子を見に行かず・・・真っ直ぐに図書室の方へと
向かった。
アギトが吹き飛ばした部分は軍の詰め所や、兵士の部屋があった部分である。
とりあえず日常生活にさほど支障はない箇所だったので、それだけが幸いだった。
(ともかく兵士達には可哀想ですが、しばらくの間は別の場所で就寝してもらう
ことになりますね。
吹き飛ばしたのが食堂や大浴場でなくて良かったですよ・・・、ホント。)
オルフェがそんな他愛のないことを考えながら洋館の玄関のドアを開けて、中に
入るとちょうど目の前をミラが通り過ぎようとしていた。
すぐさま目が合い、ミラはオルフェを出迎える。
「大佐、お出迎えもせず失礼いたしました。」
「いえ、それは構いません。
ところでアギトの容体はどんな感じですか?」
にっこりと微笑みながら、オルフェが尋ねる。
「はい、今は静かに寝ています。
アギト君が初めてマナを放出した日と状況が似ていましたので、また前のように
微量にマナを放出し続けているのかと気にかけていたんですが・・・。
トルディス閣下によると、その点は心配いらないとのことでした・・・。」
「閣下はこの手の状況に慣れていますからね、あの方の指示に従って正解でしょう。
それと、私はこれから閣下の元へ向かいます。」
オルフェが平然とした顔で口にしたので、ミラは少しだけ動揺を見せるが・・・
すぐさまいつもの凛とした・・・厳しい表情に戻る。
「・・・アギト君の様子は、ご覧にならないので?」
「どうせ寝ているだけでしょう?
なら私が見に行ったところで、どうせ状態が回復するわけでもありませんからね。
時間の無駄です。」
「そうですか、・・・随分と冷たいんですね。」
ミラが微かに軽蔑を込めた眼差しでオルフェを見据える。
しかし他人からそういった視線で見られることにすっかり慣れてしまっているせいか、
その程度でオルフェの心を動かすことは出来なかった。
当然、そういった反応が返って来ることもミラにはわかっていたことだが・・・。
「今に始まったことじゃないでしょう。
他に用件がなければ、もう行きますよ。」
オルフェの随分な態度に、少しばかり怪訝に感じたミラは・・・特に何か口にする
こともなく会釈すると、図書室へ向かって歩いて行くオルフェの背中を見送った。
(・・・大佐にしては随分と興味のなさそうな態度ね、珍しい。
いえ、むしろ・・・こうなることがわかってたみたいな・・・?)
オルフェの思考回路を読もうとした所で、どうせ途方もないことを考えているのだと
思い・・・読むのを諦めたミラは、そのまま仕事に戻った。
オルフェが私室も同然に使用している図書室のドアを開け、中を覗きこむとそこには
トルディスが大量の本に囲まれた状態で何かを読み漁っていた。
小柄な体に大きな本、何ともアンバランスな状態にオルフェは思わず苦笑してしまう。
「閣下、ただいま戻りました。」
そうオルフェが声をかけると、トルディスは老眼鏡を外してオルフェを見据える。
しょぼしょぼした瞳でオルフェを捉えると、トルディスは微かに震えながら手を振った。
「お~、グリオか。」
トルディスの側まで歩み寄りながら、オルフェは敷き詰められた本のタイトルを
目ざとく確認しながら声をかける。
「どうやら随分と大変なことが起きたようですが、閣下にお怪我などはありませんか?
レムグランド随一の知将と謳われた閣下に怪我をさせたとあっては、私の立場が
ありませんからね。」
「ほっほっほっ、抜け抜けと・・・。
こうなることすら全てお前さんの計算の内なんじゃろうが・・・。
ワシを甘く見るでないわ、グリオよ。」
「・・・では、やはりアギトは人格形成タイプの・・・!?」
オルフェの言葉に、トルディスの顔色が変わった。
それまではボケた老人を装っていたかのようなヨボヨボぶりであったが、突然
瞳の奥に炎がちらついて・・・かつての面影を垣間見せる。
「そんな生易しいモンじゃったら苦労はせんわい。
アギオは特に強烈じゃ、・・・かつてのエウレカをも超える程にな。
そもそもアギオは双つ星の戦士、800台のマナ指数を有する者じゃからマナの
絶対量もエウレカとは比べ物になりゃせんのう・・・。
人格形成というよりも、恐らくアギオの怒りや憎悪・・・そういった感情が形と
なって表現されたのが、・・・あの化け物じゃろう。」
「化け物・・・。」
オルフェは小さく呟き、アギトが初めてマナを放出した日のことを思い出す。
クレハの滝に沈んだアギトが体内のマナを解放させた時、湖の水を殆ど全て
干上がらせてしまった。
元々この地は水の精霊ウンディーネの土地、特に水の気が強い地域では火属性は
弱体化してしまうという・・・、そんな相性の悪い場所でもあったのだ。
・・・にも関わらず、アギトはそれをも上回るマナを解放した・・・。
いくらマナ指数が800台の、双つ星の力を有しているとはいえ・・・あそこまでの
力の解放をオルフェは予想していなかった。
まさに、化け物並の力である。
「グリオよ・・・、本当にこのまま続けるつもりかの!?
お前ならワシの研究結果報告書をその目で見たはずじゃ、この研究は実ることの
ない・・・人類の叡智すら凌駕するものじゃぞ・・・!?
アギオは実に興味深い対象であったが、ワシはもうエウレカのような被験者を
作りたくないんじゃ・・・。
トランス状態は人間の常識を超えた代物、決してコントロールなど出来はせん。
そのような状態に持ち込まないようにするべきなのじゃ・・・!」
トルディスの瞳から、炎が消え失せ・・・今は悲しみだけが宿っていた。
かつて失くした娘を憐れむように、悼むように・・・。
しかしオルフェはそういった感情を表に出すこともなく、いつものポーカーフェイスで
言葉を返す。
その口調には、憐れみや同情など・・・そういった感情は一切含まれていなかった。
「それでもアギトには克服してもらわなければいけません。
彼は・・・双つ星の、オリジナルですからね。
やがて来る運命の日に備える為にも、・・・アギトにはせめて任意にトランス状態に
持ち込ませる方法を学んでもらう・・・いや、持ち込む鍵を・・・私は得なければ
いけないのです。」
「それが・・・、己を破滅に導く結果をもたらせようとも・・・か!?」
「・・・・・・・・・。」
オルフェは、口を閉ざした。
目の前の老人には・・・、オルフェの思惑など全て見透かされていたのだ。
ここに来て初めて感情を隠す仕草をするオルフェに、トルディスは優しく宥めるように
・・・開いていた本を閉じて、オルフェをたしなめる。
「グリオ・・・、それが双つ星の運命だとして・・・それがアギオの為になるのか?
お前は合理的に物事を捉え、結果だけを求めておるだけじゃろう。
何も完璧ばかりを求めずとも・・・、他に方法がないわけでもない。
もっとよく考えれば、最悪の運命を回避することだって・・・。」
「すでに采は投げられたんですよ、他の方法を探っている暇はありません。
・・・私の師は言ってました。
『双つ星の戦士が、本当の意味で1つとなった時・・・奇跡が起きる』と・・・。
私はその奇跡を実現する為ならば、・・・鬼にでも何でもなりますよ。
鬼畜と蔑まされようと、それが世界を救う唯一の方法ならば・・・私は後悔など
しません。
例えアギトに憎まれ、殺されようと・・・私は自分の決断を覆したりはしない。
・・・ま、殺されるどころか返り討ちにしてやりますけどね。」
そう冗談を交えるも、今のトルディスには通用しない。
オルフェの揺るぎない言葉に、どこか物憂げな感情を見せるが・・・すぐさま
老眼鏡をかけると本を開き・・・調べ物をするフリをした。
「・・・お前のそういう残酷なところは、変わらんようじゃのう・・・。」
「おや、トルディス閣下程ではありませんよ。」
にっこりと返す。
さすがにトルディスは苦笑すると、小さく溜め息を漏らしながら震える手で
ページをめくる。
「話はそれだけか?」
そう問われ、頷こうとした時・・・聞きそびれていたことがあったのを思い出して
オルフェはメガネのブリッジに指をかけながら、尋ねた。
「そうそう・・・、100人斬りの結果はどうなりました?
洋館がああいう状態ならば、100人斬り30分以内を達成する前に暴走してたと
思いますが・・・、一応聞いておこうかと思いまして。」
にこやかに尋ねると、トルディスはページをめくる手が止まり・・・再び老眼鏡を
下にずらしながらオルフェを見据える。
その顔はどこか悪巧みを考えていそうな、そんな含みのある笑みだった。
「喜べ、グリオ・・・。
トランス状態とはいえ、アギオの奴・・・100人斬りを18分で達成しよった。
それまではせいぜい8~10人がいいところだったんじゃがのう。
今回は肉体的な負荷が原因で、ぷっつりとキレよった。
・・・ん? どうしたんじゃ!?」
トルディスから聞いた100人斬りの結果に、オルフェは嫌悪感を露わにした表情を
浮かべ・・・がっくりと肩を落としていた。
「はぁ・・・、『空白の一年間』は左うちわで過ごそうと思っていたのに。
これで私の野望がひとつ、潰えてしまいました・・・。」
「ざまぁないわい、せいぜいアギオの修行・・・キバれよ!?」
トルディスは「かっかっかっ!」とオルフェに向かって笑い飛ばしてやった。
その瞬間・・・、トルディスの入れ歯が勢いよく飛んで行くのをオルフェが捉える。
しかし本で埋もれた図書室の中、どこに落ちたかわからなくなってしまい・・・
結局入れ歯を求めて、二人で探す羽目となってしまう。
オルフェは当初の約束通り・・・、『空白の一年間』に有給希望している兵士達の
休暇の日程を段取りすることとなった。
そして二日後に目覚めたアギトにも、約束通り秘奥義習得の為の修行を開始させる。
アギトの属性が火属性ということもあり、オルフェとアギトは二人だけでグレイズ
火山に長期滞在し・・・過酷な修行に取り組んだ。
毎日毎日死と隣り合わせかと思える位の厳しい修行に、曜日感覚だけではなく日数の
感覚までなくなってしまい・・・修行を開始してから半年経つまで、本当に
あっという間であった。
火山地帯であるこの地だけでなく、元々レムグランドに『冬』の季節は存在しない。
1月というのにアギトは毎日汗だくの修行に励んでいた為、すでに年を越している
ことも・・・リ=ヴァースが冬を迎えていることすらも気付いていなかった。
ただ思うことは・・・、修行の合間に思い出されるリュートの存在である。
今この瞬間にも・・・、リュートは自分と同じように過酷な修行に励んでいる
ことだろう。
そう思うと、余計に負けられなくなってくる。
考えてみれば、アギトよりも先に秘奥義の修行に取り組んでいるのだ。
いつまでも自分と対等だとは思えない、・・・そう考えると余計修行が楽しく
なってくる。
アギトはいつの間にか・・・、リュートをライバルだと認識し修行に励んでいた。




