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【長編・完結済】ツインスピカ  作者: 遠堂 沙弥
序章~現代編 1~
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第1話−2 「青い髪と、瞳の少年」

 始業のチャイムが鳴ると全員が席に着き、教師による決まり事のような挨拶が始まる。

 本来ならば出席を取り、そのまま始業式が始まる時間までに全員が体育館に集合する為の説明を行なうのだが、このクラスだけは他と少し違っていた。


「えー、体育館に集合する前にまずみんなに紹介する友達がいます。新学期に合わせて、今日からみんなとこのクラスで一緒に勉強をすることになった転入生を紹介します。みんなの中で何人かは前と同じクラスだった友達がいたりすると思いますが、彼は今日初めてこの学校に来たので顔見知りが誰もいないことになります。だからみんな、仲良くしてあげてください。……さぁ、入ってきなさい六郷(りくごう)


 どこか用意されたセリフをそのまま読んだかのような口調で教師が告げると、教室の教壇の横にあるドアが開き、一人の少年が入って来る。

 転入生として紹介される少年が姿を現した瞬間、――クラス全員が息を飲んだ。

 中には思わず声を漏らす者さえいた。

 いつも物事への関心や動揺を表に出さない青髪の少年でさえ、目を見張った程である。

 それもそのはず……。

 驚くのも無理はない……、転入生として紹介されて教室に入って来た少年の髪は、ずっと忌み嫌ってきた――自分以外には有り得ないとさえ信じ続けてきた「青髪」だったからだ。

 恐らくは自分と同じであろう青い地毛、教室の窓から射し込む光がその色素を更に青々しく鮮やかに照らし出す。

 しかし驚くのはそれだけではなかった……。

 髪の色が青いのも同じ、瞳の色が青いのも同じ、そしてどこか……、まるで生き別れの双子のように顔の造形すら自分と酷似していたのだ。

 だが……この転入生の少年と、青髪を嫌う少年とでは決定的に異なる所があった。

 転入生の少年は教師が挨拶をするように促すのを見て、軽く自己紹介をする。


「オレの名前は六郷アギトだ。趣味はテレビゲームで、自慢なのはこの青髪だ。よろしくな!」


 強気な笑顔でそう言い放つ「六郷アギト」の言葉に、少年は耳を疑った。

 青髪が自慢……!? これだけ自分の人生を狂わせた青髪を、どうして好きになれるって言うんだ!?

 全く理解出来ないと言わんばかりに少年は、文字通り開いた口が塞がらなかった。

 そして少年の動揺が決して間違ってはいないとでもいうように、クラス中がザワザワと騒がしくなる。


(なんで青髪が他にもいるんだ……!?)

(あれ……、染めてるんじゃないんだよ、ね?)

(なんだか気持ち悪い……っ!)

(このクラス、呪われてるんじゃないのか……?)


 不安がるクラスメイトを他所に、とりあえず静かにするよう教師が適当に注意すると、六郷アギトの席を指定してそのまま本題(始業式の段取り)の説明に入った。

 どうやら教師自身もこれ以上のゴタゴタは避けたかったようだ、少なくとも少年にはそうとしか思えなかった。

 しかも偶然なのかそうでないのか……、六郷アギトが指定された席は少年の真横の位置に決まってしまう。

 当然六郷アギトは少年の存在……、つまり自分以外のもう一人の青髪の存在にすぐ気付くことになる。

 光がそんなに当たっていなければ、青い色素は黒味を帯び紺色に近い濃さになる。

 よって廊下側の一番隅っこにある一番後ろの席では、窓からの光があまり射さないので多少なりとも近くに寄らなければ、ハッキリと「青い」と判断しにくかったことだろう。

 それでも、六郷アギトは意識的に少年の青髪に興味を示した。


「なんだ、ココにもいるじゃん!! 青髪!!」


 満面の笑みを浮かべて六郷アギトは少年に歩み寄る、他人との距離を取る癖がついている少年は「え……?」と、思わず身を引いてしまう。

 少し意外だったから……、というのもあった。

 彼がこの世で希少な青髪を自慢しているということはつまり、他にも青い髪をした人間が居れば当然自分が目立たなくなってしまう。そうすれば当然自分以外に青い髪をしている人間が居ればその人物のことを気に入らないと思うだろう……、と判断したからだ。


「ほれ、見ての通りオレもお前と同じだぜ!! これからヨロシクな!! 席も隣同士だしよ」


 ……と言って六郷アギトはニカッと無垢な微笑みを浮かべた。

 青い髪の少年にとって、こんな経験は今までにない……皆無といって等しかった。

 だからか、どう対応していいのかがわからない。

 無視するべきか……?

 とりあえず一応、挨拶だけはしておくべきか……?

 でも言葉を交わしたら、彼も自分と同じようにいじめの標的にされるかもしれない……。

 色んな考えが頭の中を交差する。

 ぐるぐると考えを巡らしていたら、隣の席に座った六郷アギトが興味津々になって少年に向かって更に話しかけてきた。


「お前、名前は?」と、六郷アギトが問う。

「……(かがり)リュート」


 戸惑いながら、青髪を忌み嫌う少年「篝リュート」が質問に答える。


「それ、地毛だよな? 当然オレのは地毛だぜ、本物! ……OK?」


 始業式の説明をする教師に聞こえないよう、アギトは小声でリュートに話しかけ続ける。

 リュートはちらりと教壇に立って始業式に関する説明をしている担任の姿を見ると、まるでリュート達の席の方だけはなるべく視界に入らないようにしているように窺えた。

 そんな所作を目で追いながら、リュートはふと心の中で呟く。


(多分先生は僕等のことなんてとっくに気付いてるんだろうな。ただ関与したくないだけだ……)


 ……と、リュートはそう勘繰った。

 このままアギトと会話を続けても、きっと担任が自分達を注意することなんてないだろうと踏んだリュートは、消え入りそうな声でアギトの質問に答える。


「これ、生まれつき……なんだ」


 家族以外とまともに会話をしたことがないリュートはしどろもどろになりながらも、なんとか一言一言……短い返事だったが応答することができた。

 リュートは担任の視線にハラハラしながら何度も自分に向かって話しかけて来るアギトのことを、きっと他人に対して生まれて初めて「好感」という感情を持った。


 最初は、戸惑い。

 次に、好感。

 そして、期待。


 もしかして……。

 本当にもしかしたら……、自分と同じ青髪のこの少年なら自分のことを対等の人間として扱ってくれるのかもしれない。

 いや、現に今こうして対等に話しかけてきてくれているではないか。

 彼は転入生、恐らくはリュートの回りにある現実問題を知らないだろう。

 つまりは余計な先入観すらないということになる、だって彼も自分と同じなのだから……。

 彼なら……、きっと六郷アギトなら……。

 自分の「友達」になってくれるのかもしれない……。

 物心ついた時からずっと欲しくてたまらなかった……、願っても願っても決して叶うことのなかった、得ることの出来なかった本当の「友達」に……!

 自分のことを理解してくれるかもしれない。

 自分と一緒になって、泣いたり、笑ったり、怒ったり、色んな感情を分かち合ってくれるのかもしれない。

 そんなひしひしとした思いがリュートの中に溢れ出して、弾けそうになる。


 そして……、一気に弾けた。

 そう……、無残にも弾けて――砕けてしまった。


 ちらりとリュートの瞳に映し出されたもの、それは自分の席からずっと先の席に居るガキ大将や回りの何人かのクラスメイト達が、深い憎しみを込めた目でこちらを睨みつけている。

 その瞳はまるで「お前に友達なんかできやしない」、「お前を理解する者などこの世に一人として存在するはずがない」、「いたとしても、異端者として潰すだけ」だと、そう言っているように見えた。

 リュートに向かって話しかけてくるアギトの声が小さくなる……、だんだんと小さくなり、次第に聞こえなくなってくる。

 ドボンと深い深いプールの底へ沈んでいくように頭の中が重みを増し、回りのあらゆる物音が遠ざかっていくようだ。

 ぐらぐらと重みを増していく頭を支えるのに精一杯で、目の前までぐらぐらしてくる。

 もう自分の視点がどこを指しているのか、自分でもわからない。

 ただひとつだけ、ハッキリと理解出来た。


 ……六郷アギトを巻き込んでまで友達が欲しいとは思わない、――ただそれだけだった。

 そんなリュートの思いも知らず、担任の話が終わるまでずっと話しかけてくるアギトに対し、リュートは再び伏し目になり……ぼそりと小さく囁いた。


「……悪いけど、もう僕に話しかけない方が……いいよ」


 リュートに向かって話し続けていたアギトの言葉を遮る。

 明らかにリュートの声の方が小さかったのに、それでもアギトは遮られた。

 思いも寄らなかったリュートの言葉にアギトはきょとんとなり、目をぱちくりさせた。


「……?」


 リュートはバツが悪そうに、下を向いてうつむいた。

 今までこんな気持ちで相手を無視したのは初めてだった、せっかくこんな自分に話しかけてくれている相手に、こんな冷たい言葉を放った自分。

 自分がいじめられて悔しい思いをした時よりも、ずっと心が苦しかった。

 このたった一言で、相手を傷付けてしまったのかもしれない。

 いや、その相手がアギトだったからこそかもしれない。

 自分と同じ「青髪」だったからこそ……。

 「友達」になれるかもしれないと、思った相手を。

 リュートは今感じている胸の痛みを必死でこらえる為に、唇を噛みしめた。

 そして黙ってこちらを見つめたままのアギトと目が合わないように、リュートはずっと何もない(といっても、うっすらと「化け物」や「青髪」とか「死ね」など、消しゴムで消したはずの文字は読み取れたが)自分の机を眺めた。

 ……数秒経って、アギトがこそっと話しかけてきたのが聞こえた。


「そうだな、一応今授業中だしな。んじゃ、また後で!」


 ニカッと笑って右手をひらりとリュートに振るとアギトはそのまま教壇の方へと向き直り、すでに終わった教師の話を聞いてるフリをした。

 ……えぇっ!? となるリュート、――それもそのはず。

 「授業中だから話しかけない方がいい」という意味で言ったワケではなかった。

 そういう意味じゃない。

 言葉が足りなかったのだろうか?

 他人とマトモに会話をしたことがなかったから、話し方がおかしかったのだろうか?

 ……と、リュートは必死になって何が悪かったのか、どんな風に説明すれば良いのかを考えた。

 何て言えばよかったのだろうか?

 「自分と一緒に居ると、君も僕と同じようにいじめられるよ」とでも言えばよかったのだろうか?

 なぜだかわからないが、リュートは必死になってアギトに理解してもらえるような言葉を必死で考えて、探した。

 あれだけ「友達」になれるかもしれないと思っていた相手を突き放さなければいけないという、そんな理不尽な苦しみを味わったばかりなのに。

 なぜこんなにも必死になって突き放す言葉を探さなければいけないのだろう??

 ワケがわからなくなってきた。

 そして、ある変化にリュートは気付く。


(あれ……? なんで僕、こんなに六郷君のことが気になるんだろう? 今まで他人に対して無関心を決め込んでいたし、これまでだってこんなに動揺したことなんてなかったはずだ。だっていつも自分と他人は「無関係」だって思うことで、距離を置いていたから……)


 相手が「反応」するから、自分も「反応」するというのは……この事なのだろうか?

 殆ど一方的だったけどアギトがリュートに話しかけてきたことによって、リュート自身も心を揺れ動かされているということなのだろうか?


 ――わからない。



 あれこれ考えてる間に、クラス全員が席を立ち、定められた順番に並んで列を作り、クラス委員長の指示通り教室を出て始業式の始まる体育館へと向かう。

 そんな状態でもリュートの頭の中は、アギトへの言葉選びに必死だった。

 頭の中は今まで経験したことのない出来事に動揺しているが、体だけはいつも通り機械的に、回りの流れに逆らうことなく、忠実に従って行動を起こしていた。



始業式は毎年つまらないものだった。

 長い校長先生の話を聞いたり、ほとんどの者は話を聞いていないしリュート自身もほとんど記憶に残っていなかった。

 なぜならアギトへの言葉選びを考えたり、アギトが何かと自分に話しかけるタイミングを計っているのを見て見ぬフリをして必死に視線を逸らしたり、アギトとリュートの行動をめざとく睨みつけるガキ大将の視線を気にしないようにと、始業式どころではない忙しさだったからだ。

 始業式が終盤に差し掛かる頃には、アギトへの言葉選びもすでに準備万端だった。

 やっぱり単刀直入に話した方がいいだろうとリュートは思った。

 結局はそれしかなかったわけだが……。



 始業式のある第一日目は午前中で終わるため、学校が終わるのは恐ろしく早く感じられた。

 最も、今日は色々とハプニングの連続だったせい……というのもあるが。

 いつもなら早く学校を終えて帰りたい、というのがリュートの毎日の願いであったが、今日だけは下校時間がこんなにも心苦しいものだとは思わなかった。

 教室で先生が「それではまた明日、気をつけて帰るように」と儀礼的に言って教室を出て行った瞬間だった。

 リュートの心臓は早鐘を打ち、唇にきゅっと力が入る。

 まるで絞首台に上る順番が回ってきた死刑囚になったような気分だった。

 真横で慌てて席を立つ音が聞こえて、リュートは心の中で「来たっ!」と叫んだ。

 ――と、その時だった。


「おい六郷、ちょっと来いよ」


 野太い声が真横で聞こえて、リュートの血液が一瞬でサァーッと凍りついた。

 頭の中は真っ白になり、伏し目だった視線の先はどことなくただ一点から逸らせない。

 まばたきひとつ出来ず、まさに石の如く硬直した。


(何……? 何で……? まさか最初に話しかけられた時から目をつけられていたってこと!?)


 さっきまでの動揺とは違った緊張が走る。


「あん? どこに? オレ今忙しいんだよ、ワリーな」と、アギト。

(ダメーーーっ! それマズイって!! ただでさえ目をつけられてるのに、敵を作ってどうするのさ! 謝って……、今すぐ謝るんだよ!!)


 リュートの心の叫びがアギトに聞こえるはずもないのに、リュートは必死で懇願した。

 腰巾着の一人がアギトに詰め寄る。


「そんなの関係ないんだよ、来いって」


 声変わりしていない少し間抜けで甲高い声を、何とかドスのきいたような声に聞こえるように彼なりに必死に演じているのが、リュートにもわかった。

 少し間を置いてから、アギトは大きな溜め息をワザと聞こえるように大袈裟に吐いた。

 そんなアギトの一挙一動、そのすべてにハラハラするリュート。

 それでも……、一センチすら体を動かすことさえ出来ない自分の意気地の無さが何よりも腹立たしかった。


(お願いだからそれ以上逆らわない方が身のためなんだって!! 他の生徒ならともかく、そのガキ大将は僕が小学校に入学した瞬間からずっといじめをやめない位の年季の入った青髪嫌いなんだから!!)


 リュートの拳に力が入り、そんなに伸びてないはずの爪が食い込み、汗で染みる。

 そんなリュートの必死の懇願もむなしく、アギトは面倒くさそうに言い放った。


「チッ、わかったよ。でも早くしろよな、忙しいのはマジなんだし」


 アギトの態度がいちいち腹が立つのか、ガキ大将の怒りのバロメーターが徐々に上昇しているのが、周囲の張りつめた空気で理解できた。

 ……にも関わらず、アギトは相変わらず(相手にしていないのか、鈍いのか)ガキ大将達には用がないと全面的に訴えるように、大きな欠伸をしたり、右手で頭をかきむしったりしながら、面倒くさそうについていく。

 そして四人はガラガラッ……と、教室の扉を開けて出て行ってしまった。

 それを呆然としながら見送るリュート。

 さっきまでの緊張感は引いて、落ち着きを取り戻し、冷静な思考力が戻ってくる。


 ……正直、リュートは迷っていた。


 自分もついて行った方がよかったのだろうか? ……呼ばれてもいないのに。

 放っといてよかったのだろうか? ……自分には関係ないわけだし。

 むしろ好都合なんじゃないだろうか? ……リュートに関わることがどういうことなのか

 これで身を持って知ることになるわけなのだから……。

 ……短気なガキ大将のことだ、殴られるのは間違いないだろう。

 見た感じ、アギトはそんなに喧嘩に強そうには見えなかった。

 身長だってリュートより少しだけ小さかったし……(態度は大きかったが)

 アギトの態度や口調からして、ガキ大将を更に怒らせる可能性大だ。

 それにしても、アギトに対しては疑問だらけだ。

 どう見比べても、アギトよりガキ大将の方が図体は大きいし、力も強いし、手下も従えて多勢に無勢、取っ組み合いの喧嘩になって勝てるワケがない。

 ガキ大将の態度、口の悪さ……どうひいき目に見ても「良い人」なワケがない。

 ついていけばどうなるか位、誰にでもわかることだ……一目瞭然だ。

 だからこそ、クラス全員が暗黙に理解していること、それは「ガキ大将には逆らわない」

 ……それがガキ大将と同じクラスになった生徒が、安全に、無事に生き残る手段。

 アギトがガキ大将に連れ出されるのを、クラスの何人かは目撃しているはずだ。

 なのに、誰も止めようとも、忠告しようとも、先生に報告するでもない。


 ……「無視」だ。


 理不尽な世の中で生き残るには、「無視」が一番安全な方法なのだ。


 ……そう、リュートが正しい。


 正しいはず……、なのにアギトはそうしなかった。

 「なぜ?」……という疑問が残る。

 「なぜ逆らうの?」「なぜわざわざ怒らせるの?」「なぜついていくの?」

 そうした疑問に対する答え、……推測をしてみた。


「もしかして実はああ見えて、アギトは強かったりする?」……いや、それはない。

 自分と似たりよったりの痩躯な体つき、とても「柔道」とか「空手」とかいった武道の心得があるようには到底見えない。


「よくしゃべるのでイコール、実は口がうまくて口八丁で切り抜ける?」

 例えそうでも、ガキ大将は短気で結構バカだ……。

 うまい口を最後まで聞くとは思えない。

 それどころか有無も言わさず手や足が先に出ていそうだ。


 やっぱり、ガキ大将に連れ出されて無傷で帰還する方法なんて、ないに等しい。

 やっぱりただの無謀だったんだ。

 アギトはガキ大将について何も知らなかった、ただそれだけのことだ。

 無知は愚か、勇気は無謀でしかない。

 やはりアギトに待ち受けているのは、ガキ大将による制裁……。

 だから言ったのだ、自分に話しかけない方がいいと。

 それが身のため、このクラスで無傷で安全にやり過ごすには、自らの保身を第一としなければいけない。

 アギトもこれでようやく理解することだろう。

 自分が間違っていたことに。

 リュートは一呼吸置くと、机の横にかけてあった通学用のカバンを手に取り、ゆっくりと席を立った。

「これでいいんだ」と、自分に言い聞かせて、そして教室を静かに出て行った。



 全校生徒が授業を終え帰宅する。中には部活動の集まりが行われていたり、久々に会う友達と雑談する為にまだ残っていたり、学校内にはまだ複数の生徒で溢れていた。

 そんな中、ピリピリとした空気を発しながら人気のない校舎裏へと歩いて行く生徒がいた。

 校舎裏に入っていくと、青い髪の小柄な少年が行き止まりになっている場所へと誘い込まれた。

 唯一通り抜けられる空間は、三人の生徒が囲んで青髪の少年……六郷アギトが勝手に出ていけないようにしていた。

 そして、四人とはかなり離れた場所で物陰に隠れ、様子を窺う少年が一人……。

 そう、篝リュートであった。

 リュートはやはりアギトの行く末が気になったのか、散々悩んだ挙げ句に後をつけていたのだった。


(なんでついてきちゃったんだろ……。僕が来た所でこの展開に対して、大きな打開策があるわけでもないのに……!)


 やはりまだかなりの後悔があるのは否めなかった。

 それでも、やっぱり自分と同じ青髪を持つ少年のことが気になったのである。

 それともうひとつ、アギトが一体どんな思惑でこの誘いを受けたのか、どんな作戦があるのか、それを見てみたい……、という気持ちもあった。


(それにしても、あのポジションはまずいよね。アギトの後ろは大木と二メートルはある塀で囲まれて、唯一この袋小路から出られる道はガキ大将達が占拠してる……。全員倒すのには無理がある……、ことになるけど……)


 リュートは頭の中で状況分析をした。

 これもリュートの今までのいじめられ人生の中で得た、能力のひとつでもあった。

 リュートが散々暴行されている間も、自分が無関心を装い現実逃避することで、頭の芯が冴えわたり、同時に今の状況を打開する分析ができるようになったのだ。

 そして、今の状況を見て何とか考え得るだけの打開策を頭の中で張り巡らしている間にもアギト達の展開は進んでいた。


「んで? オレに何か用なワケ?」


 両手を頭の後ろに組み、つまらなさそうにアギトは聞いた。

 次第にガキ大将の顔に血が昇って、真っ赤になっていった。


「ざけんじゃねぇ! お前が生意気だからに決まってんだろうがっ!!」


 握り拳を前に突き出して、ガキ大将の代わりに腰巾着の一人がそう叫んだ。

「へぇ~」と、何かを軽く考えるような表情になると、続けてアギトはこう言った。


「オレが生意気って言うなら、お前らだって相当生意気なんじゃねぇの?」


 さらりと言い放つ、その口調にイヤミは全く含まれていなかった……。

 純粋な子供が、何の悪気も悪意もなく、心の中で思ったことを素直に言ったように。

 しかし、ガキ大将達にとっては怒りのボルテージを上げる材料にしかならなかった。


「んだとぉっ!? オレ達のことはどうでもいいんだよ!! 青い髪をしている化け物がいい気になってんのが生意気だって言ってんだよっ!!」


 出た、殺し文句……とリュートは心の中で呟いた。

 リュートも何度、この「青い髪をしているくせに」という言葉で絡まれたことか。

 ようするに彼らにとって「青い髪」をしている……というだけで、何をしようが……。

 例えば新しいカバンで登校してきたり、テストで平均より少し上の成績を取ったり、ガキ大将達に対して何の関わりがなくても、全く実害がなくても、結局は気に食わないのだ。

 こじつける「理由」さえあれば、それで十分だった。

 アギトにとって「青い髪」をしていることに加え、クラスで触れてはならない存在……「リュート」に話しかけることで、その大義名分がたってしまったのである。

 これは間違いなく標的にされる……、冷や汗が出てきた時……アギトが笑ったのが、リュートの目に映った。

 その笑いは、教室や始業式の間にリュートに向けられた「笑顔」とは全く異なった。

 さっきまでの無垢な表情とは全く逆の、相手を嘲るような邪悪な微笑みが満面に浮かぶ。


「へっ、そうかよ……。やっぱそうゆうことか。おかしいと思ったんだよなぁ……、最初は気のせいかもって思ってたんだけど。まさかクラス全員がオレ達みたいな青髪を軽蔑してるなんてな」


 両手をズボンのポケットに突っ込み、まるで仁王立ちしてるように堂々と構えた。

 体格は確かに小柄なのにも関わらず、その姿を見ていると自分より大きく感じられた。


「だからなんだってんだよ、お前が普通じゃないから化け物扱いされるんじゃないか」


 腰巾着の一人が言い放つ。

 それを遠くから聞いたリュートは顔を伏せ、表情が曇る。

 普通じゃない……。

 どれ程普通でいたかったか……、それこそあいつらにわかるわけがない……。

 反論できない自分が更に腹立たしかった。


「普通とか、普通じゃないとか、んなの誰が決めんだよ」


 ……!!

 アギトの邪悪な微笑が消え失せ、燃えたぎるような視線がガキ大将達を突き刺す。

 その視線にリュートも突き刺された……。

 視線と……、言葉に。


「んだと……? 青い髪が普通だとでも言うつもりかよ!!」


 アギトの言葉に反論するガキ大将、しかしその言葉にはさっきまでの威勢が欠けていた。


「そういうコト言ってんじゃねぇよ。普通とか普通じゃないとか、自分の狭い物差しで測ってんじゃねぇって言ってんだ! 肌の白い奴や、黒い奴。金髪や茶髪。青い瞳とか緑の瞳……。身体能力だって人間の数の分だけ、それぞれ違うってことだろ。自分の回りにいないから、珍しいから、自分が持ってないからって差別してんじゃねぇよ!! オレは青い髪、青い瞳を持って生まれてきて、誰にも迷惑かけた覚えはねぇし、むしろオレはこの色で生まれてきて、すごく感謝してんだ!! それを何の根拠もなしに、何も知らねぇくせに批判して、差別して、悪く言う奴なんざこのオレが許さねぇからなっ!!」


 アギトの怒声が自分達の回りの空気を振動させるように、ビリビリとその迫力に飲まれていく……。

 腰巾着の二人なんかは、そのあまりの迫力にやせ細った足がガクガクと震えて今にも腰を抜かしそうになっている。

 かくいうガキ大将も何も言えないでいる、アギトの迫力もそうだが……むしろ彼の言葉に対して反論の言葉が出てこないようにも見える。

 ギリギリと奥歯を噛みしめて、こめかみには血管が浮き出てドクドクと脈打っている。

 ……価値観の違い、リュートはそう感じた。

 数年間……リュートはガキ大将にいじめられ続け、散々罵声を浴びせられてきて、ガキ大将がどれだけリュートのことを、「青髪」のことを憎んできていたかよくわかっていた。

 だからこそ、よくわかる。

 アギトとガキ大将とでは、価値観があまりにも違いすぎたのだ。

 人間とは、自分たちと違うものには徹底的という程に嫌悪感を抱くものだ。

 恐ろしさから……、「自分たちとは異なる」という恐怖感……、それが差別意識を生み出すのだ。

 ガキ大将は、まさにこのタイプだった。

 しかしアギトは全くその逆だ。

 全ての可能性を、全てを受け入れるという器を持っていた。

 他人と違ってたっていい、この世に全く「同じ」ものなんてない……、そんな心が。


(僕は……、僕はどうなんだろう……)


 リュートは他人と同じでありたかった……。

 そうすれば必要以上に目立たなくて済むし、それを理由にいじめられることもない。

 でも本当にそうなのだろうか?

 青い髪じゃなくたっていじめられる人間はたくさん存在する。

 中には、実際自分が他人を傷つけていることにも気付かずに、自分勝手に被害妄想をかきたてて「いじめられてる」と思いこむ人間だって、いないとも言えない。

 だとしたら、自分は「青い髪」だということを理由にしていただけなのかもしれない。

 自分に全く非がないと、自信を持って断言できるのだろうか?

 自分の知らないところで、ガキ大将達の癇に障ることをしていたとしたら?

 それを自分はただ「青い髪」のせいにして、被害者ぶっていたのだとしたら?

 それこそ自分は卑怯者ではないか。

 もし自分が「青い髪」を持っていても、堂々としていたら……、それで何か変わっていたのだろうか?

 アギトみたいに、自分に自信を持って……、「青い髪」を好きになれただろうか?


(僕の価値観は……、どっちなんだろう……)


 アギトの言葉を反芻して、自分の価値観を考えていると……ガキ大将が狂ったように絶叫した。


「うるさいうるさいうるさいっ!!! それがどうした!!それが何だっていうんだよ!!! そんなことはどうだっていいんだ、どうだっていいんだよっ!!」


 ガキ大将の怒声に、後ろにいた腰巾着がかろうじて立っていたところで驚き、転倒した。

 ガキ大将の放つ殺気……とでもいうのだろうか、さっきまでの怒りとはケタ違いに激昂した様を見て、アギトの表情に途端に緊張が走った。

 リュートもそれを見て驚いた、こんなにガキ大将がキレた姿を今まで見たことがない。


「なんでそんなに堂々としてんだ、青い髪なんて普通じゃない……人間じゃない!! 人間じゃないヤツに化け物って言って何が悪いって言うんだよっ!! オレは間違ってなんかない、オレは普通だ……お前達とは違うっ!!」


 怒鳴り散らすガキ大将に対して、負けじとアギトの声も張りあがる。


「そうやってアイツのことも否定してきたのかよっ! 一方的に批判して、アイツの可能性全部を否定してきたのかよっ!!」

「……っ!!」


 ズキン……ッ!!

 心臓に強い痛みが走った……、思わぬ所で自分の存在が出てきたからだ。


「アイツの態度を見てわかったんだよ、何かに怯えて……、ビクビクして……。……お前達が邪魔してきたんだろっ!? アイツのやりたいこと……、アイツの自由……、アイツの望み……。全部潰してきたんだろうっ!?」


 胸が痛い……、喉の奥が痛くて……、鼻の奥がツンとして、うまく呼吸が出来ない。

 いまだかつて、家族以外の他人が……自分のことをこんな風に言ってくれたことがあっただろうか……!?

 わかってた……、全部わかってたんだ……。

 自分がクラス全員から敬遠されていたことに……。

 ガキ大将達から強い圧力をかけられていたことに……。

 自分の可能性を……、全部否定されていたことに……。

 知ってて……、全部わかっててずっとアギトは自分に話しかけようと……っ!

 それなのに自分は……、一度はアギトを見捨てようとしてた……!!

 何も知らない、何もわかってないと決めつけて……っ!!


「あんなヤツ、潰されて当然なんだよぉおおっ!!」


 激昂したガキ大将が遂にアギトに向かって突進していった。

 拳を強く、大きく振りかぶり重たいパンチを繰り出そうと勢いをつけて。

 それを察したアギトは腰を低くかがめて、右か、左か……、回避の態勢に入る。


 ガッ……!!


「うが……っ!」


 後頭部に強い衝撃と鈍い音がして、ガキ大将の足元がふらつき、勢いをつけたままアギトの右側によろよろと体勢を崩して校舎の壁に激突した。


「……へ?」


 アギトは口をぽかんと開けて、崩れ落ちたガキ大将を見つめ……、そして袋小路の出口を見るとそこには、真っ青に青ざめたリュートが念のためさっき投げた石と同じ位の大きさの拳大の石を持って、呼吸荒く立ちすくんでいた。

 リュートの決死の攻撃に、アギトは安堵した笑みを浮かべた。


「へ……へへっ、やれば出来るじゃねぇか……」


 そう言うと、ガキ大将の体がぴくんっと跳ねる。

 それを見てようやく状況を把握した腰巾着二人組が、慌ててガキ大将に駆け寄る。

 駆け寄って、完全にガキ大将が伸びていることを確認するとアギトとリュートの方を睨みつけて、悔しそうに叫んだ。


「よくも……、よくもマコっちゃんをぉっ!!」

「ま……っ、マコっちゃん!?」


 ガキ大将の意外なニックネームに、アギトはさっきまでの緊張感が抜けて、ぶっと思わず吹き出した。

 緊張感の抜けたアギトを見て、リュートは素早く駆け寄りアギトの右腕を引っ張った。


「吹き出してる場合じゃない……、逃げるんだよっ!!」


 自分の右腕を掴んだリュートの左手を見て、アギトははにかむ。


「ははっ、それもそうか!!」


 いつもの、最初に見せた無垢な微笑がアギトの顔一杯に広がる。


「それぇーっ、逃っげろぉっっ!!」


 ガキ大将に明らかに大怪我をさせてしまったリュートにとっては本気で……、とにかく必死で逃げてるのを他所に、アギトはどこか嬉しそうに、実に楽しそうに走っているように見えた。

 そんなアギトの様子を見ていると、呆れるような、おかしいような……。

 そう思うとリュートもなんだか心が晴々として、何かから解放されたような、そんな解放感に包まれたような気がした。



 どれ位走ったのだろうか、とにかく二人共帰り支度は出来ていたので、そのまま学校を出てどこへともなく走り続けて、気がつけばかなり遠くの公園まで逃げてきていた。

 ガキ大将が伸びていたので、追いかけてくることはなかっただろうが、もしあの場面を教師や誰かが目撃していたら正当防衛にも関わらず、間違いなく自分達だけが悪者にされていたことだろう。

 とにかくリュートとアギトは呼吸を整えた。

 かなり必死になって全力疾走したから、息が苦しい。

 ぜぇぜぇはぁはぁ……と、両手を膝について、なんとか心拍数は下がってきた。


「はぁ~っ、危なかったぁ~!」


 まだ息が上がっていたが、アギトはそれでもニコニコしながら第一声を発した。


「全く……だよ……っ、無茶過ぎる……っ」


 アギトの能天気な第一声に答えながら、リュートも顔のほころびを隠せない。


「でもマジ助かったぜ、お前やるじゃん!」


 ほめられて、リュートはなんだか気恥ずかしくなった。

 誰かにこんな風に褒められることなんて、家族以外では本当に初めてだったからだ。


「そんなことないよ……、アギト……六郷君が勇気をくれたからだよ」


 一呼吸置いて、地面にへたり込んだアギトがリュートを見上げる。


「アギトでいいって! オレもリュートって呼び捨てするし、いいだろ?」

「う……うん、勿論……」


 人懐っこいアギトとは逆に、リュートはどうにも照れくささが消えない。

 再び少し間を置いてから、アギトは確かめるようにリュートに聞く。


「あのさ……、学校での続きなんだけどさ……」

「うん……、何……?」と、リュート。

「え~っと……、なんだか改めてこんなこと言うのも変なんだけどさ。オレ達ってさ……、結構……友達に、なれるんじゃねぇか……って思うんだけど?」


 ドキっとした。


 ……一瞬、時が止まったのを確かに感じた。

 自分でも全くの無意識だった……、大粒の涙が勝手にこぼれ落ちる……。


 なんてみっともない……!

 子供じゃあるまいし……、泣くなんて……。

 そう思っても、こぼれ落ちる涙が止まらない……、必死で拭っても次から次へと……。

 その涙を見て、アギトはとっさにうろたえた。


「な……っ、何も泣くことないじゃんか……っ! ……つか、泣く程イヤってことなのか……?」


 慌てて立ち上がって、どうしていいのかわからずおろおろするアギトの動きがおかしくて、不謹慎だとわかっていても、思わず笑いまでこぼれてくる。


「違う……、そうじゃないんだ……、ごめん。嬉しかったんだよ、今までそんな風に言ってもらったこと、一度もなかったから……」


 安心したのか、再びよろけて地面に座り込むアギト。


「なんだそっか……、ったく……紛らわしいんだよっ!!」


 少し乱暴な言葉だが、決してその口調には冷たさや蔑みがなく、どこか優しく感じ取れた。


「ごめん……」と、リュート。


「そんな謝んなよ、別にいいって……気にしてねぇし」


 そんな……、そんなとりとめのない会話を二人は交わしていた。

 時間も忘れ、気がつけば日は傾き、暗くなり始めていた。

 そろそろ家に帰ろうかと、どちらかが切り出して、そして「また明日」と、今度の週末にリュートの家に遊びに行く約束を取り付けて、二人は全く正反対の方向へと歩きだした。

 何度も何度も、お互い振り返っては姿が見えなくなるまで、振り返っては手を振り……、今日の別れを惜しむように、何度も振り返っては手を振り合った……。



 リュートは足取り軽く、家へと続く道を歩き続けた。

 次第に住宅の数が減っていき、回りには田んぼや畑が続く少し寂しい農道をリュートは迷いなく歩いていた。

 すると目の前に築二十年はありそうな二階建ての一軒家が姿を現した。

 一見すると広大な敷地に見えるが、回りには何もない。

 家の回りを木の柵が適当に地面に突き刺さって、「私は塀です」「私は門よ」と言わんばかりに家の回りをぐるっと囲っていた。

 一番太くて長い二本の内、右側の木には「かがり」と黒の油性マジックでかかれた手作りの表札が斜めにかけられていた。

 その長い二本の木の間を通り抜けて、リュートは少し大きな声で「ただいまー」と言った。

 正面から見て左側に庭……(らしきスペース)があり、そこで砂遊びをしていた小さな男の子二人がリュートに駆け寄る。


「おかえり~リュート兄ちゃん!!」

「今日遅かったね、リュート兄ちゃん!!」


 黒髪の男の子二人が、リュートに笑顔で笑いかけた。


「ただいま、二人とも今日はいい子にしてた?」


 二人の頭を優しくなでつけて、リュートは笑顔で二人の弟たちに話しかけた。


「僕たちはいつもいい子だよー! 今日家のお手伝いをしなかったリュート兄ちゃんがヤバイって」

「あ……、そうだった……。今頃お父さんもお母さんも仕事から帰ってきてる時間だよね……」


 笑顔にヒビが入って、リュートは母親の雷が落ちる前に早く謝罪するために急いで家の中に入ろうとした。

 そこで二人の弟たちには、手をきれいに洗ってから入るように注意すると急いで台所へと向かう。


「リュート!! 今日は始業式で早く帰るんじゃなかったの!?」

「ごめんお母さん!! 実は今日とってもいいことがあってさ……、あとで話すよ。これ、煮込めばいいの?」


 そう言うと、リュートは手を洗い、エプロンを付けて母親の横に立って夕食の手伝いをした。

 リュートの家は、父親、母親、長男のリュートの他に、弟三人に妹三人という大家族だった。

 子供の数が多い為、父親の給料と国の援助だけではまかなえず、母親もスーパーのパートとして働いていた。

 弟と妹達はまだ小さかったので、家事や子供たちの面倒はリュートが一手に請け負っていたのである。

 確かに暮らしはひどく貧しかった……、しかし明るい両親の元、子供たちはまっすぐにすくすくと育っていたため、この家ではみんながすすんで家事手伝いをするようになっていたのだ。

 夕飯の支度が整い、家族全員が居間に集まって「いただきます」と言うと、一斉にがっついた。

 食事中に、リュートは早速友達ができたことを家族に話した。

 いじめに関することは伏せていたが、友達がいないことは両親共知っていて、すごく心配していた。

 この数年間、誰一人として家に遊びに招いたことが一度もなかったからだ……。

 リュート自身隠していたとしても、イヤでも気づく。

 それでも両親は、いつかリュートに友達ができると……信じて、願っていた。

 今度の土曜日にアギトが家に遊びに来ることを話すと、両親は大喜びした。

 今夜は肉じゃが……、味付けはしっかりしたはずなのに……味がよくわからなかった……。

 父も母も、食事するより涙をぬぐうので大忙しだった。



 一方アギトも家へ向かってる最中だった。

 高級住宅街が並ぶ、綺麗に舗装された道を一人歩き、右手にはさっきコンビニで買ったのり弁当とお茶の入ったレジ袋を持って、真っ直ぐ家路を急いだ。

 高級マンションの中でも特に高層の建物へと入っていくと、ガラス張りの自動ドアの前で機械の操作盤がある方へ向かい、ディスプレイに暗証番号を打ち込むとサーッと静かに自動ドアが開いた。

 そのまま進んでいくと管理人室から初老の男がアギトに向かって「おかえり」と話しかけると、アギトは笑顔で「おう、ただいま!」と挨拶を交わし、そして正面にあったエレベーターに乗り込む。

 最上階のボタンを押し、たどりつくまでアギトは明日のこと、週末のことを考えていた。


 何して遊ぼうか?

 どんなゲームで遊ぼうか?


 そんなことをダラダラと考えていると、チーンと音がしてガァーッとエレベーターの扉が開く。

 少し小走りになって家の玄関の前まで行くと、適当にカバンに突っ込んでいたカードを取り出して、カードの差し込み口にシャッとカードをスライドさせて、ガチャッと音がして扉の鍵が開く。

 入ると、すぐさま鍵をかけて靴を脱いで家の中に入る。

 真っ暗な部屋の中まで少し入ると、自動で照明がついて一気に部屋の中が明るくなる。

 まっすぐリビングへ向かうと、五十インチはありそうな大型の液晶テレビの電源を入れて部屋の中の静寂をかき消すようにボリュームを上げる……近所迷惑にならない程度に……。

 次にキッチンへ行ってのり弁当をレンジに入れ、リビングに戻るとテレビを見ながら大爆笑。

 チンと、レンジが鳴ってすぐさま弁当を取り出し、テレビを見ながら弁当をたいらげる。

 お腹一杯になったら、すこし食休みをしてから弁当をゴミ箱に捨てに行く。

 意外にもきちんとゴミの分別をして、それから今度は自分の部屋へ行くとカバンなどをポイっとベッドに放り投げて、タンスの中にある着替えを取り出し風呂場へ向かう。

 全裸になり、さっきまで着ていた服を風呂場の前にあるドラム型の全自動洗濯機の中に無造作に放り込み、洗剤や柔軟剤、漂白剤を適当に入れてスイッチを入れる。

 洗濯機が動いている間、アギトは風呂場に入り「ふんふんふ~ん」と鼻歌を歌いながら呑気にシャワーを浴びた。

 シャンプーやリンスを適当にぐしゃぐしゃっとつけては、すぐシャワーで洗い流し、体を洗って……、およそ十分位で全部澄ませて風呂場から出てくる。

 再びお茶を飲みながらつけっ放しにしていたテレビを見て沈黙を紛らわした。

 ふと時計を見ると九時……、アギトはテレビや電気の消し忘れがないかチラッチラッと確認してそれから自分の部屋へと入って行った。

 明日の準備をして就寝するのかと思いきや、今度はPSPを取り出してゲームをし始めた。

 疲れてようやく眠たくなってきた時には、時計の針はもう十一時をさしていた。

 大きな欠伸をして、やっとアギトは全ての電気を消して、深い眠りへと落ちて行った……。



 アギトは、父と母の三人家族だ。

 父親は世界的な貿易会社のトップで、年中世界中飛び回ってるおかげでここ数年会っていない。

 たまに気まぐれで電話やメールをしてくることもあるが、たいていすれ違いだった。

 そんな父親に対してアギトの方から電話やメールをすることもなかった。

 電話してもかなりの確率で「仕事中で出られない」と言われるか、留守電につながるだけ……。

 メールを送ったことも二~三度あったが、返事が返ってきたことは一度もなかった。

 母親はというと、これももう数か月家に帰ってきていなかった。

 仕事……というわけではない、むしろ母親は働いてなどいなかった。

 父親が日本に帰ってこないのをいいことに、あちこちに男を作って遊び回っているのだ。

 生活資金といって、毎月父親からそれぞれの通帳に三十万程振り込まれる。

 母親は自分の分を全て遊びに使っていた。

 アギトは自分名義の通帳に入ったお金でコンビニ弁当を買ったり、ファーストフードを食べたり、お金には不自由していなかったので、なんとか食べていくことはできていた。

 寂しくない……といったら嘘になるかもしれないが、アギトはとっくにその生活に慣れていた。

 孤独を紛らわせる物は何でもすぐに手に入る、ゲームも音楽もテレビもある。

 むしろ一番ツライことは、母親が帰ってくることだった。

 半年程前に、久々に母親が家に帰ってきたことがあった。


 ……悪夢だった。


 帰ってきたかと思うと、どこの誰かわからぬ男を連れ込んで一晩中大騒ぎ。

 近所から苦情は来るわ、自分はその騒音を聞かないように一晩中イヤホンで音楽をガンガンに鳴らしながら寝るハメになるわ、家事や食事など一切するはずもなかったので、母親の命令でピザを注文したり、無理矢理パシリのようにあれこれ買出しに行かされたり……。

 母親が帰ってくる……と思っただけで、めまいがした。

 だから、アギトは今の生活にそれ程不満はなかったのである。

 孤独に襲われても、自分にはテレビがある、ゲームがある、パソコンがある、音楽がある。


 それに今は、友達のリュートがいる。

 それだけでアギトは満足だった。

 これ以上望むものなど、他になかった。


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