第186話 「昔話」
リュートはジャックの指示で荷造りをしていた。
数日分の着替え、その他諸々・・・。
秘奥義伝授の修行場は、ジャックの自宅で行なうことになった。
洋館の周辺も広大で修行をする場所はたくさんあるのだが、そこだとアビスからの
使者が来た時・・・他の兵士達に気取られるかもしれないと思ったからである。
リュートがレムとアビスのパイプ役になることを知っている人物は、極力
少ない方がいいと・・・オルフェからの指示でもあった。
勿論理由はそれだけではなく、一応『秘奥義』なのだから他の人間に伝授している
ところを見られるわけにもいかない、というのも理由の一つである。
荷造りを終えて、洋館の玄関先に出ると数人のメイドや使用人達が馬車に色々と
荷物を積んでいる場面に出くわした。
見ると荷台には大量の食材や、生活必需品などで溢れている。
ぽかんとしながら眺めているとすぐ近くからジャックの声が聞こえた。
「何ぼ~っとしてんだ、リュート。
荷作りが終わったんなら客車に乗れ、全部積み終わったら出発するからな!」
見るとジャックは御者台に乗っていて、すぐ横には奥さんと娘が見送っていた。
(あ・・・そっか、確かミアさんとメイサちゃんは自宅にいたら危ないからって
ジャックさんが洋館に連れて帰ってたんだっけ。
今度はジャックさんと僕とで自宅に行くから、またしばらくの間会えなく
なるんだ・・・。)
そう思うと何だか悪い気がしてきた。
気まずそうな顔になりながら客車の方に手荷物を積んでいたら、メイサと
目が合ってしまう。
「あ、お兄ちゃんだ!
お兄ちゃんもメイサん家に行くの!?」
メイサはリュートを見つけるなり駆け寄って来て、足元にしがみつきながら
リュートの服を引っ張る。
3歳の女の子に懐かれて、思わず顔がほころびる。
「ごめんねメイサちゃん、またお父さんと離れ離れにしちゃって・・・。
寂しいかもしれないけど・・・、我慢してくれるかな?」
「うん! お父さんいなくてもメイサ泣かないよ!
いつもお母さんが言ってるもん、離れていてもお父さんとお母さんはいつも
メイサの側にいるって!
心でつながってるから、離れ離れじゃないんだって。
だからメイサ、寂しくっても我慢出来るもん!」
「そっか・・・、偉いんだねメイサちゃん。」
リュートは微笑みながら、メイサの頭を優しく撫でた。
すると今度はジャックとの話が終わったのか、奥さんのミアが歩み寄る。
「それじゃリュート君、主人のことよろしくお願いしますね~?」
「あ・・・、いえ・・・こちらこそジャックさんにお世話になりますから。」
のんびりとした口調でミアが挨拶をして、リュートは思わず調子が狂ってしまう。
ぎこちない感じで会釈をすると御者台の方でジャックが合図を出す。
それを見たリュートは「それじゃ・・・」と一言交わしてから、客車に乗り込んだ。
客車の中から小窓を開けて顔を出しながら、二人に手を振る。
「それじゃ、行ってきます!」
見送りは数人のメイド、使用人、見張りの兵士、ミア、メイサだけだった。
アギトはすでに数時間前にオルフェやドルチェと共に、トランスポーターで一旦
ネリウス地方へと移動し・・・そこからアンデューロへと出発したところである。
ミラは、カトルとレイヴンを連れてずっと図書室にこもりっきりだった。
ふと・・・、リュートは馬車が走って行く中・・・だんだん離れて行く洋館の窓の
方に目をやった。
するとそこには待機命令のあったザナハが、こちらを見ている・・・ように見える。
最後に・・・という表現もおかしいが、とにかくリュートはしばらくの間洋館に
戻って来れないので、その前にザナハの顔を見れたことは何よりも
嬉しいことだった。
嬉しさの余り、リュートは窓から思い切り身を乗り出して大きく手を振る。
とにかくザナハに気付いてもらえる位、大きく・・・。
遠目でよく見えなかったが、わずかにザナハが手を振り返したように見えた。
以前ジャックの家に行った時は徒歩だったので、それなりに時間がかかったが
馬車移動ともなればほんの数時間で到着するだろうと推測する。
リュートは馬車に揺られながら、ジャックの家に到着したら・・・一体どんな
修行が待っているのかとドキドキしていた。
かなり過酷で厳しいと聞いてるので、前のような地獄の特訓の・・・数倍厳しいもの
だろうと思ったら目まいがしてくる。
普段穏やかなだけに、ジャックは一旦火が付くとものすごく厳しくなる。
リュートが苦手な熱血体育教師へと変貌するのだ。
そんなことを想像しながらリュートは、馬車が走り出してからまだ30分も経って
いないのに退屈になって来た。
一応夏休みの宿題を持って来ているが、こう揺れる状態では文字を書くことが
出来ないので・・・宿題をするのはとりあえず諦める。
特にすることがなくてどうしようかと思っていた矢先、御者台の方からジャックが
声をかけて来た。
「リュート、退屈してるか?」
まるで自分の心を見透かされているような感じになって、思わず目を丸くする。
「はい、実は・・・。
僕も御者台の方に行ってもいいですか?」
「あぁ、構わんが・・・一旦馬車を止めるぞ!?」
「あ、大丈夫ですよ走ったままで! ここから伝って行けますから!」
リュートは腹から声を出すように言葉を返すと、客車の窓から身を乗り出して
わずかな取っ掛かりを頼りに御者台の方へと移動した。
これがもう少し早い乗り物だったら、移動するのはきっと無理だっただろう。
ジャックは手綱を持ったまま心配そうにリュートの方に視線を送る。
やっとの思いで手を伸ばすと、その手をジャックが掴んで引っ張り上げた。
勢い良く引っ張られたのでリュートは危うく足を踏み外して、一瞬だけ宙に
浮いた状態になる。
ひやっとしたが、ジャックのことを信頼していたのですぐに気を取り直した。
ジャックの横に座って・・・リュートは初めて本物の馬車に乗った気分になる。
馬車には何度も乗ったことがあるが、こうして御者台に乗って手綱を操る所を
この目で見るのは初めてだった。
目の前には茶色い馬がたった2頭で、荷台にたくさん荷物を乗せた重たい馬車を
引っ張っている。
そう考えたら、馬ってすごく力持ちなんだなと・・・改めて実感した。
瞳をキラキラさせながら手綱を持つジャックの手、そして馬車を引っ張る馬を
交互に見つめていたら・・・ジャックが面白そうに声をかける。
「なんだリュート、馬車には何回も飽きるほど乗っているだろう?
そんなに珍しいか?」
ジャックが笑みを浮かべながらリュートに聞く。
「こうして実際に馬を操っている所を見るのは初めてなんです!
僕達の世界じゃ馬車とか、馬とかを見る機会は滅多にないから・・・。」
「なんだ、それじゃ遠くへ行くにはどうやって移動するんだ?
乗り物はないのか!?」
ジャックが不思議そうに尋ねて来たので、リュートは説明しようと思うも
どうやって自動車や電車などについて話したらいいのか、頭を悩ませた。
「えと・・・、僕達の世界では燃料で動かす機械に乗って移動するんです。
動物を使って移動するのは滅多になくて、みんなその機械に乗って遠くへ
移動するんですよ。
中には何百人も乗れる乗り物があって、お金を払えば誰でも自由に遠方へ
旅行に行ったり出来るし・・・空飛ぶ乗り物もありますから。」
「機械が空を飛ぶのか!? へぇ~そりゃすごいな。
リュート達の世界では機械の文化が進んでるんだなぁ・・・。
ミラが聞いたら喜びそうな話だ。」
「ミラさんが・・・?」
機械の乗り物の話をしている時にミラの名前が出て来たので、リュートは
それらの関連がよくわからず・・・つい聞き返してしまう。
「あぁ、リュートは知らないよな。
ミラは昔な、機械工学のスペシャリストだったんだ。
魔法科学の最先端技術の研究をしていて、自分で機械を組み立てたり開発や
研究なんかをしていた・・・。
今でこそ軍人として働いているが、元々オルフェのやつがミラの才能を高く
買っていて・・・軍事開発の為に勧誘したんだよ。
その時はオレが先輩軍人としてミラに色々教えていたから、あいつは今でも
オレのことを『ジャック先輩』って呼んでるみたいだな。
昔馴染みなんだから呼び捨てのままでいいって言ってんのに、軍人でいる間は
上下関係をハッキリさせておくべきだって言って・・・堅いのなんの!」
「あはは・・・、なんかそういうところはミラさんらしいですね。
僕、ミラさんについて殆ど何も知らないから・・・少しだけ聞けて
嬉しかったです。
本当はもっと色々聞いてみたいんですけどね・・・。
ミラさんが機械に詳しいなんてホント、初めて知りましたし・・・。
ジャックさんと昔馴染みだって言うのも、今聞いてビックリしてますもん。」
ジャック達とはそれなりに長い付き合いになってきているのだが・・・、
よくよく考えてみればリュートは、ジャック達に関して詳しく知っていることが
非常に少ない。
他人の過去に関して聞きづらい・・・ということもあったので、それといって
聞いたり出来なかったのは事実だが、それにしては知らない部分が多すぎるように
思えた。
記憶を辿って行けば、オルフェやミラに関しては特に会話らしい会話をした回数が
極端に少ない気がする。
二人とも『軍人』という肩書きがあるせいか、どうしても目の前にすると緊張して
しまうので話しそびれてしまうのだ。
結果的にそれ程コミュニケーションを取ることが出来ず、知らないことが多いという
現在の状況になっている。
だからといって、ジャックに何もかも聞く・・・というのも卑怯な気がした。
本当は聞いてみたいのだが・・・、そんな気持ちが邪魔をしてどうしても
『聞きたい』『教えてほしい』という言葉が出て来ない。
にっこりと微笑んだまま、それ以上聞こうとしないリュートの態度に気付いてか。
ジャックは含み笑いを浮かべながら、それとなく話を続けた。
「オレと・・・、オルフェやミラはみんなガキん時からずっと一緒だったんだ。
魔法科学研究都市サイフォスっていう町に、オレ達は住んでた。
割と大きな町でな、オルフェの家・・・グリム家はこの町の権力者だったんだよ。
オレとオルフェが初めて会ったのは、オレがまだ5歳の時だったな。
その時からずっと一緒・・・。
ミラの姉であるユリア先生の元に弟子入りした時も・・・、軍に入った時も。
戦争の時も・・・思えばホント、いつも一緒だな。
ようやく道が分かれたのは・・・先の大戦が休戦条約によって幕を閉じてから、
オレが退役して・・・家庭を作った頃かな。
7~8年位は音沙汰なし・・・、全く・・・オルフェのやつ無愛想だろ!?
長年共に過ごしてきた親友に手紙のひとつもよこさないんだからな!?
まぁ・・・、あいつなりに気を使ってのことだと思うが。」
嬉しそうに・・・、懐かしそうにジャックは語った。
それをリュートは黙って聞く。
ジャックからこうやって話が聞けて、リュートはものすごく嬉しかった。
無敵で完璧に思えた人物にも、子供時代はあったのだ。
恐らく自分と同じように・・・。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、喧嘩したり・・・。
そんな風に思うと・・・、ジャックのことがとても近く感じられた。
今まで以上に身近に・・・、今まで以上の親しみが持てた。
「なんか・・・、不思議な感じです。
ジャックさんや大佐達にも、子供時代があったんですよね。
なんだか全然想像出来ないです・・・。」
はにかみながらそう呟くリュートに、ジャックが大笑いした。
「なんだそりゃ!?
オレ達だって人間だぞ、そりゃ子供時代だってあるさ。
今でこそ完璧そうに見えるオルフェにだってな、失敗することだってあるし、
落ち込んだりもする。
オレだってそうさ、子供の頃は何度オルフェに泣かされたことか・・・。
実験の為だとか言ってオレを巨大水槽に押し込むと、そこに大量の水と
ピラニアを放って・・・本当に人間の肉を貪るかどうか試したり・・・。
繁殖期を過ぎた魔物は本当に大人しいのかどうか知りたくて、オレを騙して
魔物の巣に蹴落としたり・・・。
ホント・・・、色々あったなぁ~・・・。」
だんだん声のトーンが低くなって、手綱を握る手に力が込められているのが
ハッキリとわかる。
よっぽど酷い目に遭わされたんだなと・・・、リュートは遠い目になりながら
心底ジャックに同情した。
なんか・・・、イヤな思い出まで思い出させてしまって悪いことをしたかも
しれないと・・・そんな気持ちになって来る。
「ジャックさん・・・、色々と苦労・・・してきたんですね。」
フォローにならない言葉しか出て来ない。
しかしジャックは『過去』だと割り切るように、無理矢理笑顔を作った。
「そうだぞ!?
人間はな、子供の時から苦労を知れば・・・大人になった時に今までの苦労が
経験となって、様々な面で役に立つようになるんだ。」
「・・・我慢強さと、タフさ・・・ですか?」
「言うよね~~~・・・。」
うっすらと涙目になりながら、ジャックは虚ろな眼差しで手綱を握る。
リュートも薄い笑いを浮かべて・・・なぜか自分と重ねてしまっていた。
苦労性な二人が乗る馬車は順調に進んで行き、ようやくジャックの家の屋根が
見えて来る・・・。
久々に見る自分の家に・・・、やっとジャックの心は晴れたようだった。