第182話 「揺れる想い」
どれ位の間、静かな夜空を飛び回ったのか記憶になかったが・・・吹き抜ける
風の中にずっといたせいで、少し冷えて来たと思ったリュートがゆっくりと
・・・無言のまま宿屋の屋根の上に降り立った。
ずっと両手でザナハを抱き抱えていたので、リュートの両手はもはや感覚が
なくなってしまう位に疲労が溜まっている。
しかしそんな格好悪いことをザナハに悟られないように、リュートは精一杯
平気な顔を作った。
ザナハは大空を飛び回ってすっかり満足したのか、その顔にはいつもの笑顔が
戻っている。
(よかった・・・。
これで少しでも気持ちが晴れてくれたんなら・・・。)
ザナハは照れ臭そうにリュートに向かい合うと、少し視線を逸らしながら
お礼を言った。
「・・・ありがと、リュート。
おかげで少しだけだけど・・・、ある程度気持ちの整理はつけたみたい。
あと一応・・・、あの馬鹿にも言っておいてくれる?
あたしがヴォルトの試練に耐えられなくて取り乱した時、あいつ・・・。
なんとなくあたしのことを元気付けようとしてたような気がするし。」
「へぇ~、アギトが・・・?
わかった、ザナハがお礼を言ってたって伝えておくね。」
にっこりと微笑み、それからザナハはそのまま屋根の上に腰を下ろす。
一瞬戸惑ったが・・・リュートもさり気なく、ザナハの隣に座った。
時折ちらりとザナハの横顔に視線を走らせ、すぐまた視線を戻すというのを
繰り返す。
リュートは迷っていた。
雷の精霊ヴォルトから、一体どんな記憶を取り戻させられたのか。
それを聞いていいものかどうか・・・。
これではまるでアギトのようだと・・・、リュートは苦笑する。
しかしなんとなしに、ザナハの方から口を開いた。
「その青い翼・・・、一体どうしたの?
前のリュートならそんなの、持ってなかったわよね?」
「あぁ、これ?
実はアビスグランドで、風の精霊シルフと契約を交わして手に入れたんだ。」
「シルフと・・・、そうなんだ・・・。
それでか。」
「え・・・?」
「ううん、なんでもないの。 気にしないで。」
それから再び、ただ夜空を見上げるだけの沈黙が続く・・・。
リュートは複雑な気持ちだった。
こうしてザナハと二人でいる空間が、とても夢のようで幸せに感じている
はずなのに・・・。
なぜか・・・何か理由を付けて、早い所部屋に戻りたいような・・・。
そんな複雑な葛藤に苛まれていた。
「ねぇリュート・・・、もしもよ?
もしあたしが神子の使命を放棄するって言ったら、・・・一体どうする?
元はと言えばリュート達をこの戦争に巻き込んだのは、あたしが二人に
協力してもらうようお願いしたからなのに・・・。
そのあたしが・・・、契約の旅をやめるって言い出したら・・・。
やっぱり責めるわよね・・・。」
じっと・・・、ザナハはリュートの瞳を真っ直ぐ見据えながら尋ねる。
その眼差しは・・・、ザナハの本当の気持ちを・・・すでに『答え』を
語っているようだった。
神子をやめたい・・・。
契約の旅を終わりにしたい・・・。
そんな思いが、ザナハの瞳に込められているようだった。
リュートは瞳を逸らせず、ただ黙って見つめ返す。
そして・・・ゆっくりと自分の思いを、ザナハに告げた。
本当はこんなことを言うべきじゃないと思うが、それでも・・・ザナハの前では
正直でいたいから・・・。
そんな思いで、リュートは本心を明かした。
「神子の使命とか・・・、世界を救う為の契約の旅とか・・・。
どれ程の責任の重さを持っているのか、どれだけ重要なものか・・・。
僕には正直わからないけど・・・、でも・・・。
心の中で嫌だって思っていることを無理強いしてまで、果たそうと
しなくても・・・僕はいいと思う。
ザナハがやりたくないって言うなら、僕はその気持ちを大切に
してあげたいと思うよ。
責めたりなんかしない・・・、ザナハはこの戦争に僕達を巻き込んだと
思って・・・その責任を感じているのかもしれないけどさ。
でも僕達は、それだけを理由に・・・このレムグランドに来てるんじゃ
ないよ?
僕もアギトも、この世界に来たくて・・・来てるんだ。
確かに最初はザナハに頼まれたことがきっかけで、この世界に来る
ようになっているけど・・・。
でも、今は違う。
僕もアギトも・・・、この世界が大好きだから・・・。
この世界にも大切に思える人達が出来たから、こうして会いに来てるんだよ。
大好きな人達が出来て・・・、いつしか僕達はこの世界のことが・・・
とても心地いい場所に思えて来て・・・。
あぁ・・・、こんな自分にもこれだけ大切なものが増えたんだなぁって
実感出来るようになってさ・・・。
リ=ヴァースでは普通じゃないことだけど、でも僕達にとっては・・・
そんな当たり前な生活が・・・。
みんな一緒に楽しく笑い合っていけるような、そんな普通の毎日を
守っていきたいって心から思うようになった・・・。
それが、今の僕の夢になったんだ・・・。
勿論ザナハのことも例外じゃない。
僕はみんなが笑顔でいられる世界で、一緒に生きていきたいんだ・・・。
だから、もしもザナハがツライって言うなら・・・。
苦しくて苦しくてたまらないって言うなら、僕は・・・。
僕達はザナハが神子の使命を放棄したからって・・・、誰も責めたりなんか
しないよ。
むしろ僕は、ザナハが笑顔でいられるように・・・他の方法をみんなで
探すよ。
誰にも悲しんでほしくないから・・・、僕は僕の夢を守っていきたいから。」
正直に・・・、ゆっくりだけど本当の気持ちをザナハに告白した。
今のリュートにはそれが精一杯・・・。
告白した後に、急に緊張でのぼせ上がっていた熱が冷めて来て・・・自分が
どれだけクサイ台詞を吐いていたか、改めて恥ずかしくなって来る。
しかしザナハは、馬鹿にせず・・・からかって笑うこともせず、ただ黙って。
とても真剣な眼差しで、リュートの言葉を聞いていた。
そんな眼差しが・・・かえってリュートの心をかき乱す。
このまま抱き締めてしまいたい・・・。
好きだ・・・って、叫んでしまいたい・・・。
必死に理性で自分を抑えつけている中、ザナハはふっと視線を逸らし・・・
嬉しそうな、どこか寂しそうな顔を覗かせる。
ぽつりと・・・、囁く言葉をリュートは聞き逃してしまった。
(リュートが光の戦士だったら、良かったのに・・・。)
何て言ったのか尋ねようとしたら、ザナハは急にすっと立ち上がって
夜空を見上げた。
それから月明かりに映し出された、迷いのないザナハの笑顔がリュートの
瞳に焼きつく・・・。
「ありがとっ、あたしのつまんない悩みを聞いてくれてっ!
迷いを完全に吹っ切れたとまでは言えないけど、でも・・・。
このままただ落ち込んでばかりもいられないってことだけは、わかったわ。
リュートのおかげでね。
だから・・・、今日は本当にありがと。
・・・嬉しかったよ。」
その笑顔が・・・、言葉が・・・。
目に焼き付いて離れない・・・、耳に残って忘れられない・・・。
完全に舞い上がってしまったリュートは、その後の記憶が一切なかった。
ただ・・・、あの後どうやってザナハと別れたのか・・・。
どうやって自分の部屋に戻ったのか、全く思い出せずにいたのだ。
翌朝・・・、いつもは朝の弱いアギトを起こすのがリュートの日課であったが
今日は完全に立場が逆になっていた。
夜更かしした上にシルフの能力を使ったことによって、マナを大量消費。
そして両腕の筋肉痛により、リュートは泥のように深い眠りに落ちていたのだ。
完璧に寝坊したリュートはオルフェから、物珍しそうな眼差しで見られてしまう。
ともかく今日は、洋館に帰る日。
そして・・・全員の転送が完了したら、リュート達はリ=ヴァースへと還ることに
なっている。
自分達の世界へ還るのは、一体何日ぶりなんだろうと・・・そんなことを
思う。
色々なことがあり過ぎて計算するのを忘れていたのだ。
しかし魔法薬フォルキスの効能で身近な人物には、アギトとリュート二人の存在が
抹消されることになっている。
多少噛み合わない内容が出て来るのは覚悟しておいた方がいいが、それ程
心配もしていない。
またすぐ週末には、レムグランドへ戻るつもりでいるからだ。
アギトの案内により、術式結界の1つへと辿り着く。
カトルの説明では、この町には結界を張る為の術式が東西南北に設置されて
いるという。
ここもその1つであり、一応この町の術式の中で最もマナ濃度の濃かった場所。
それがこの町のシンボル的な象徴である・・・、大きな時計塔の頂上だった。
案の定関係者以外立ち入り禁止になっていて、前もってオルフェがこの時計塔の
立ち入り許可をもらっていたようで・・・アギト達はすんなりと入ることが
出来た。
そしてようやく、オルフェによる魔法陣を描く作業が始まった。
イフリートと契約を交わしたグレイズ火山の側にあった廃屋でも、オルフェが
魔法陣を描いていたが・・・その時は邪魔になるからと、すぐに『探索』という
任務を与えることで追い出されてしまったメンバー。
こうして改めて魔法陣を描く場面を見るのは、これが初めてであった。
精神集中をして、オルフェの周囲から無数のマナが光となって包み込む。
そのマナの量から見て、相当数のマナを練り上げているんだとわかる。
遠距離感を移動する為の魔法陣、レイラインというマナが凝縮されている地点
でしか設置することが出来ない・・・という理由が、これでハッキリした。
これ程のマナを練り上げるなど、相当な実力者でなければ不可能だろう。
アギト達はこんな魔法陣が世界各地に点在していて、それを使って人々が
自在に行き来していると、ずっと思っていた。
決してそういうわけではないと、今の作業を見ていればよくわかる。
こんな大掛かりなことを・・・、あちこちに点在させるなんて無理だろう。
オルフェ程の実力を持って初めて、トランスポーターの新たな設置が可能なのだ。
魔法陣を描き終わり、当初の予定通り一番最初にアギトとリュートが
洋館へと転送される。
感覚はいつもと同じ・・・、まるで超高速のエレベーターに乗ったような。
そんな感覚だった。
一瞬で終わるからこそ、耐えられる。
まばたき程の早さで転送が完了すると・・・目の前の光景はすでに、
見慣れた地下室になっていた。
ひんやりとした空気、周囲に巡らされたランプの明かりが寒々しく感じる。
「はぁ~、やっと帰ってきた~!
思えば今回のはめっちゃ長かったよな~・・・、色々あり過ぎてもう
わけわかんねぇぜ・・・。」
「ホントだよね・・・、これだけ長期間の間こっちの世界にいたのは
初めてだし。
なんだか洋館に帰って来るのも、ものすごい久しぶりって感じだ。」
ひとしきり感想を述べている間に、次々と他のメンバーが転送されてきた。
地下室はかなりの広さを誇っていたがここまで人で埋め尽くされると、
少しだけ狭く感じる。
最後にオルフェ達が戻って来て、やっとアギトとリュートがリ=ヴァースへ
還る時がやって来た。
オルフェ達と入れ替わるように、今度は二人が魔法陣の中に入って行って・・・
みんなの方に向き直る。
するとミラが一歩前に進み出て、リュートに向かってお礼を言った。
「リュート君、ありがとうございます。
ザナハ姫の元気を取り戻してくれて・・・、本当に感謝していますよ。」
「い・・・いえ、僕はそんな大層なことはしてませんよ!」
改めてお礼を言われると、照れてしまう。
リュートは頬を赤らめながら筋肉痛で痛む両手を振った。
これでしばらくは、ここに戻って来れない。
ふと・・・そんなことを考えた時、リュートは突然青い鳥に関して
オルフェに聞きたいことがあったのを思い出した。
「ち・・・ちょっと待ってください!
あの大佐・・・、少しだけいいですか!?」
突然、転送を中断して魔法陣から飛び出すとリュートはオルフェの元へ
駆け寄った。
自分に何の用事があるのか、オルフェは首を傾げながらリュートに耳を貸す。
「あの・・・、大佐にお願いがあるんですけど。
この後首都へ戻った時に、大佐はアシュレイさんにも会いに行くんですよね?
その時に、その・・・ついででいいんですけど。
あの青い鳥の主が誰なのか、アシュレイさんに聞いてもらいたいんですけど
いいですか?
僕、どうしても気になるんです。
あの青い鳥のことが・・・、だから・・・。」
そう聞いて、オルフェはにっこり微笑むと快く承諾した。
「えぇ、承知しましたよ。
君にはザナハ姫のことで借りがありますからね、その位でいいなら殿下に
聞いてみましょう。
私も気になっていましたから・・・。」
「ありがとうございます。」
オルフェへの用件を済ませて、リュートは再び魔法陣の中に戻って・・・
そしてようやく、アギトとリュートは自分達の生まれ育った世界。
リ=ヴァースへと帰還した。
二人が戻った後、他の者たちもようやく行動を始める。
ドルチェはオルフェからの命令があった通り、カトルとレイヴン・・・そして
ベッドに横たわったままのリヒターを連れて・・・、まずは3人の私室へと
案内することにした。
地下室を出る所まではジャックも手伝い、それからそれぞれの役割を全うする。
ジャックは数人の兵士を引きつれて、すぐさま実家へと・・・妻と娘を
この洋館へ連れ帰る為に旅立った。
ミラがザナハを連れて行こうとした時、ザナハはオルフェの元へと駆け寄る。
「オルフェ、あたしも首都へ帰る!
あたしもアシュレイ兄様に話があるから、一緒に連れて行って!
お願い・・・、これは・・・あたしの今後に・・・。
光の神子としての使命に、大きく関わることなのっ!」
必死に懇願する。
ようやく取り戻した強い眼差し、それを確認して・・・オルフェは従った。
「わかりました。
殿下に話がある・・・ということは、未だ神子の使命に迷いを感じられて
いるのですね?
ヴォルトの話だと、ルナの試練に迷いは命取り・・・ということでしたし。
いいでしょう、それでは私とザナハ姫とで首都に戻ることにします。
中尉・・・あなたはミアと共に結界の強化を手伝っていてください。
それからカトル達のことも、ドルチェ一人では荷が重いと思いますから。」
一瞬、躊躇いはあったが・・・ミラはその命令に従った。
「はい・・・わかりました。
どうぞ姫様のこと、よろしくお願いいたします。」
「ワガママばかり言ってごめんね、ミラ・・・。」
「いえ、姫様がきちんと考えて決めたことならば・・・私は何も反論する
ことはありません。
ただし・・・、くれぐれも体には気を付けてください。
姫様に何かあれば、悲しむ者がいますから。」
「・・・わかってる、ありがとミラ。」
ザナハと言葉を交わすと、ミラはすぐさま出立の準備をするべく足早に
去ってしまった。
オルフェは準備を全てミラや使用人に任せると、応接間へとザナハを
連れて行く。
「姫、準備にはまだ少し時間がかかります。
それまでの間はここで待っていましょう、話でもしながら・・・ね?」
「う・・・、うん。」
そう促されて、ザナハはオルフェについて行く。
上客用の応接室に招かれて、準備をしていたメイドがお茶を入れる。
のんびりと優雅にお茶を飲みながら一息つくオルフェの姿に、ザナハは何となく
落ち着かなかった。
オルフェとの付き合いは長いが、こうして二人だけの空間というのは本当に
数える程度でしかない。
ただでさえオルフェは相手の心を見透かしたような、そんな目を持っている為
余計に不安が押し寄せる。
緊張気味のザナハに、オルフェが笑顔で尋ねた。
「どうしたんです、姫?
そんなに緊張することはないですよ、別に変なことはしませんから。」
「あ・・、当たり前じゃないっ! 何言ってるんだか・・・。」
「ふっ・・・、随分と元気を取り戻せたようで何よりですね。
昨夜はリュートと、一体どんな話をしたんですか?」
「・・・えっ?」
ザナハの手が止まる。
まさか屋根の上でリュートと会話をしていた所を・・・、自分が神子の使命を
放棄したいと言っていた場面を・・・。
オルフェに見られていたとは思ってもいなかったからだ。
「どうして・・・?」
「どうして・・・とは、面白い返しですね。
先程、中尉がリュートに向かってお礼を言っていたではありませんか。
姫様はリュートに励まされて、多少の迷いが吹っ切れたのではないんですか?」
そういえばそうか・・・、とザナハは変に納得してしまう。
「そう・・・ね、確かにリュートに励まされて・・・少しは吹っ切れたつもり。」
「つもり・・・ですか。
では、完全に吹っ切る為に殿下にお会いになると?
・・・なぜ今更、殿下なのですか?
姫様が神子になることを、この世界で唯一反対していた人物だからですか?」
「・・・それもあるけど。
でも・・・、それだけじゃない。
本当はオルフェも知っているんでしょう?
アシュレイ兄様が、一体誰と手を組んで・・・お父様を陥れようとして
いるのか。
それがわかっているから・・・、首都へ戻ってアシュレイ兄様と話をする
つもりなんでしょう?」
ザナハの問いに、オルフェはじっと・・・ティーカップの中に映る自分を見つめた。
「私は・・・、出来れば憶測を口に出したくはないんですけどね・・・。
しかしその台詞からして、姫様はどうやら殿下と手を組む内通者の正体を
ご存知のようだ。
そしてその人物が・・・、昨日ザナハ姫とリュートが聞きたがっていた
青い鳥の主・・・、そうお考えですね?
それを確かめる為に、姫様は殿下に会おうと思っている。」
図星だった。
それが当たっているからこそ、これ以上話しても無意味だとザナハは悟る。
ザナハが沈黙を貫いていると・・・、ドアをノックする音が聞こえてミラが
現れた。
どうやら出立の準備が整ったようである。
その合図に、オルフェはカップをテーブルに置くと・・・立ち上がった。
「さぁ、それでは出発するとしましょうか。」
ザナハも席を立つ、そして・・・ドアに向かって歩き出した時。
オルフェが小声で・・・、核心をついた。
「それが・・・、ヴォルトにより呼び起された記憶なんですね、姫?」
両目を見開き・・・、鼓動が高鳴ったのを確かに感じた。
ドクンっと一瞬だけ心臓が大きく揺れて・・・、ザナハは思わず立ち止まり
そうなる。
やっとの思いで平静を保つように努めながら、そのままミラについて行って
応接室を出た。
その後ろ姿を眇めながら、オルフェの口元からは完全に笑みが消えていた・・・。