第172話 「軟禁生活の終わり」
リュートは暗い部屋の中で、目が覚めた。
ベッドに横になったまま・・・ジョゼと話し終えて一人になった後、
いつの間にか寝てしまったのだ。
「ここ外も薄暗いから、一体何時なのかわからなくなるな・・・。」
そう呟きながら、肌身離さずに持っている銀時計の蓋を開けて時計を
見ると・・・一応短針は6時を指していた。
「時間軸はリ=ヴァースやレムグランドと、一緒・・・だよね!?」
異世界の時間軸に関してよく理解していないリュートは、何だか時差ボケを
起こしたみたいになっている。
そんな時・・・、派手にお腹が鳴った。
思い返してみればここしばらく、何も食べていなかったことを思い出す。
・・・かと言って、何か食べ物を持っているわけではない。
グレイズ火山の最深部で、自分でも気付かぬ内にアビスグランドへ連れて来られたのだ。
殆ど着の身着のままの状態・・・。
「まさか飢え死にさせるってことはないと思うけど・・・。
どこに行ったら食事させてもらえるのかな。
てゆうか、一応僕は捕らわれの身だから・・・食事を要求するなんて
もしかして図々しかったりするかな・・・。」
あれこれ考えていても空腹はおさまってくれそうになかったので、リュートは
仕方なく部屋から出て行くと冷たい廊下を歩き出した。
しかしリュートがここに来て知っている部屋といえば、今いた自分の部屋と
ルイドがいる謁見の間しか知らない。
他の軍団長達がどこの部屋にいるか、どんな施設があるのか・・・右を見ても
左を見ても全くわからなかった。
鳴り止まない腹の音に、リュートは図々しさも気恥ずかしさも全てかなぐり
捨てて・・・もしかしたらルイドの他に誰かいるかもしれないと、謁見の間へ
向かって歩き出す。
とぼとぼ歩きながら、結局誰一人会うこともなく謁見の間に到着してしまった。
余りに人気がないことを不思議に思いながらも、それはまた後で考えようと・・・
ゲダックやヴァルバロッサがしたように大きな扉をノックする。
しかし返事がなかったので、このまま入っていいものかどうか悩んでいたら扉が
独りでに開いて驚いた。
扉を開けたのは、ルイドである。
いつも気難しそうな表情を浮かべており、苦労を重ねてきたような深いシワは年齢より
老けて見え・・・実際何歳なのか好奇心で聞いてみたくなる。
しかし今目の前に立っているのは、まるで年相応のような・・・若い青年に映った。
「リュートか、どうした・・・?」
真っ直ぐに・・・、何も企んでいない青い瞳に少したじろぎながらリュートが答える。
「あ・・・いや、あの・・・ちょっとお腹が減って・・・。」
さっきまで平然と食事する気満々だったのに、いざルイドを目の前に本音を漏らすと
ものすごく自分がみっともなくて泣けてきそうだった。
しかしルイドはまるで子供のように頭を掻きながら空を眺めて、思い出すように呟く。
「あぁ・・・、そういえばお前はここに来てまだお茶しか飲んでいなかったな。
食事する場所も教えてなかったし・・・、それはすまなかった。
ついて来い、食事する場所位は教えておこう。
風呂やトイレはお前の部屋にもあるからな、とりあえず一番必要な食堂へ案内しよう。」
「あ・・・、ありがとうございます・・・。」
どうにも気が狂う。
ルイドとは・・・初めて会った時は、確かに敵同士だったはずだ。
それが月日を重ねるごとに、会う度に・・・印象がまるで違って見える。
ルイド自身、やはり同族の闇の戦士であるリュートに対して敵意を剥き出しにしない
せいもあるだろう。
そんな風にルイドの背中を眺めながら、リュートはこれといって何かを話しかける
こともなく・・・黙ってルイドについて行った。
歩きながら一応きょろきょろと城内の地図を頭の中で思い浮かべながら、道を
覚えようとする。
しかしどこを見ても薄暗く・・・似たような石の通路を歩きっ放しなので、
どこがどこだったのか、わけがわからなくなっている。
食堂に到着する頃にはリュートは道を覚えるのを諦めてしまった。
「ここが食事場所だ。
これからはジョゼに迎えに来させるので、覚えるのは何度か足を運んで
からになるな・・・。」
「そ・・・っ、・・・そうですね・・・。」
まるでリュートの心の中を覗かれていたのか、完全に見透かされていて
自分がまた情けなくなる。
道を覚えられなかった自分にがっくりと肩を落としながら、リュートは
導かれるがまま中に入って行くと、そこはまるでどこかの大衆食堂のような
雰囲気を思わせるような作りになっていた。
広いフロアには、大きなテーブルに真っ白いテーブルクロスが敷いてあり
椅子もいくつか揃っている。
左手の方には厨房があって、そこで料理を作るようだ。
しかし中の方まで入って行くとレムグランドの洋館にあった食堂とは
完全に異なる部分があった。
食堂のテーブルには、休憩中の兵士などがいてもおかしくないだろうが
誰一人として・・・座っていない。
そして厨房にもコックがおらず、この城に来てからずっと不思議に思っていた
ように・・・本当にメイドや使用人やら、ルイド達以外の人間をここで
全く見かけなかったのだ。
「あの・・・、ここには誰も・・・ルイド達以外には誰も滞在して
いないんですか・・・!?」
ルイドはすたすたと厨房の方に入って行くと、鎧などを外しながら答える。
「あぁ、基本的には・・・な。
しかし招集をかければそれぞれの軍団に兵士が集まる。
今は外の警戒と、首都防衛の為に殆どが出払っている状態だ。
そんなことより・・・、何食べたい?
一通りなら作ってやれるからな、とりあえず何でも言ってみろ。」
言われて、リュートは一瞬思考が停止した。
今、この人は何と言ったのであろうか?
石のように硬直しながら、リュートは戸惑う。
返事がないリュートの方へと向き直ると、ルイドは厨房の棚にしまっていた
真っ白いエプロンを着こなして・・・料理を作る気満々の格好だった。
(え・・・、えぇ・・・!?
僕の目の前にいるこの人・・・、アビスグランドの首領だよね!?
軍団長をまとめ上げる人物だよね!?
この城で一番偉い人物なんだよねぇ!?)
完全に主夫のような格好をしている青い髪の首領は、リュートからの
注文を今か今かと待っている。
驚き戸惑いながらも、リュートは引きつりながらリクエストした。
「えと・・・、魚料理とかが出来れば・・・食べてみたいかなと・・・。」
「魚だな、わかった。
お前はそこに座って待っていろ、少し時間がかかる。」
「あ・・・、はいっ。」
リュートは有り得ないものを見たような気分で、これ以上厨房の方に
目をやることが出来なかった。
しかし音や香りから、ものすごく順調に料理が進んでいることだけは
確認出来た。
数分経ってから、敵の首領が料理を振る舞うという異様な光景に慣れて
しまったリュートは・・・ついに声をかける。
「あの、話しながら待っても構いませんか?」
変な断り方だった。
待つことがそんなに難しいはずがない、リュートが言いたかったのは
ルイドが話しながら料理が出来るのかどうか・・・。
話しかけても邪魔にならないかどうか、それを聞きたかったのだ。
「あぁ、問題ない。」
余裕な感じで返答があって、リュートは厨房の側まで歩み寄って・・・
しかし視線はあくまでルイドの方に向けずに、逸らしながら話しかけた。
「ルイドはいつも自分で食事を作るんですか!?」
「まぁ、そうだな。
今回のようにコックがいない時は・・・、だが料理を作ることは嫌いじゃない。
たまに軍団長達に振る舞うこともあるぞ!?
なかなか好評だが、ブレアやヴァルからは威厳が損なわれるからやめろと
いつも止められているが・・・。」
(まぁ・・・、そりゃそうだろうな・・・。)
そんな何気ないことを、リュートは料理が出来上がるまで話をしていた。
別にルイドの過去を探ろうとか、そういう考えはなかったが・・・逆に
聞かなければよかったかもしれないと思ったりもする。
こんな・・・身近に感じられてしまうようなことを知ってしまったら、
気持ちが傾いてしまう。
無事に食事も終えて、リュートは思いのほか大満足だった。
何の魚かわからないがムニエルっぽいものを出されて、かなり美味しかったりする。
ルイドも一緒に食べて・・・、まるで傍から見れば仲間か友人を思わせる
光景だったろう。
料理をごちそうになった礼だと言って、リュートが食器などを片付けた。
厨房の勝手は自分の世界とたいして変わらなかったので、迷うことなく順調に
皿洗いをする。
カチャカチャという音しか聞こえない中、ルイドは黙って後片付けを見つめている。
じっと、リュートの仕草を見つめているだけだった。
ようやく全て終わると、ルイドは席を立ち・・・もう休むように告げる。
「取引の返答をするまで、お前をここに軟禁しておかなくてはいけない。
だが・・・、今この砦の回りは魔物の軍勢に頻繁に襲撃されている状態だ。
もしかしたらお前の手を借りることがあるかもしれない。
それまでは部屋と食堂を、行ったり来たりする生活になると思う。
お前の生活の面倒をみる為の人材も用意しておくから、心配しなくても
今回のような気まずい食事は今後ないから安心しろ。」
ルイドはそれだけ告げると、途中まで同行していたが・・・リュートの部屋
の近くまで来るとそのまま別れて、行ってしまう。
部屋の前でルイドの姿が完全に見えなくなるまで見送りながら、リュートは
心の中で呟いた。
(取引に関しての答えはもう出てるんだけど・・・、ついさっき持ちかけられた
ことだし・・・まだ早すぎるよね。
もうしばらくここの様子を窺って、それから返事をしよう。
それに今・・・、ここが魔物に襲撃されているって言ってたけど・・・。
ここはレムグランドに比べたら魔物が多くて、強いのかな?
その辺も調べておかなくちゃ・・・。)
それから・・・、リュートは2日程ルイドへの返答を我慢した。
しかしその後ルイドに返答する為に謁見の間へ向かうが、ルイドに会うことはなかった。
常にガレオン城にいるジョゼに聞いたところ、ルイドはしばらく首都クリムゾンパレス
に行ったまま戻りそうにないということだった。
そしてルイドへの返答が出来ないまま、リュートは特に情報らしい情報を得ることも
出来ずに・・・更に数日経過してしまう。
「あ〜〜〜、ヤバイよ〜〜!
まさかルイドが外出するなんて計算外だ・・・!
こんなことならルイドがここにいる間にさっさと返事をして、さっさとレムグランドに
帰してもらえばよかったよ・・・!
他の軍団長の人達に頼んでも、ルイドの許可がなかったら例え取引に応じたとしても
勝手にトランスポーターを使うことは許されないとか言うだけだし・・・。
アギト怒ってるだろうなぁ〜〜!
何発位殴られるだろ・・・、いや・・・ここはむしろアギトの鉄拳じゃなくて
ザナハの裏拳の方が恐ろしいか!」
室内で何周もウロウロしながら、リュートは焦りを隠せなかった。
あれからおよそ10日経過しており、ずっとリ=ヴァースにも帰っていない状態が
続いている。
勿論、自分の家族のことも心配だった。
色んな事が心配になってきて、リュートはかなり苛立ちを感じて爆発しそうになっている。
せめて・・・、アギト達の状況が少しでもわかればここまで苛立ちが募ることも
なかっただろう。
しかし、リュートが焦っているのは・・・アギト達が心配だから。
そしてアギト達に心配をかけているから・・・、それだけではなかった。
「ダメだ・・・、このままずっとここにいたら・・・。
僕はここの人達と戦えなくなってしまう・・・!」
不覚にも、リュートはここに滞在して・・・ジョゼを始めだんだんと回りの
人間と親しくなり始めていた。
当然アビスの人間からしたら、この世界を救う為の戦士という身分があって
優しくしているに過ぎないことは十分承知している。
しかし、それでもレムの人達が言う程の・・・敵視する程の人間には見えないのだ。
本当にレムと何の変わりもない、普通に気さくな人達ばかりだった。
中には女王ベアトリーチェのように、少し変わった姿をしている者もいる。
コウモリの翼のようなものが生えた人間、頭に角が生えていたり・・・。
アギトに見せてもらったことがある本に載っていた「魔族」に近しい姿をしていた。
数日前、ルイドがリュートの面倒をみる為に寄こした使用人がそうだったのだ。
情が移ってしまっては、戦いにくくなる・・・。
橋渡しを目的に取引に応じようとしている人間が口にする言葉ではないが、それでも
今・・・一応は敵対国同士だ。
それなのに、こんなに慣れ合ってしまってもいいのだろうか・・・?
ここにいればいる程、自分がだんだんアビスに愛着を持ち始めていることに気が付く。
「ルイド・・・、早く戻って来てよ・・・!
まさかこれも策の内だなんて、言わないでよね・・・。
僕は一方的にアビスの味方なんて、するつもりはないんだから・・・!」
リュートの心に揺れがあってから・・・、更に数日過ぎようとした頃・・・。
ようやく何気ない日々に動きが見えた。
それはルイドが戻ってすぐ、ヴァルバロッサが報告した言葉だった。
自分にも関係があることだからと、謁見の間に呼ばれたリュート。
そこにはルイドを始め、ヴァルバロッサ、ゲダック、そしてブレアが揃っている。
一刻を争うのか・・・全員が揃った途端にヴァルバロッサが急き込むように本題に入った。
「ルイド様・・・、先程入った情報によるとフィアナは雷の精霊ヴォルトの契約妨害の
任務を遂行している様子でしたが、その方法に例の毒薬を数人に使用した模様。
それも・・・一般人をおよそ30人近く毒殺したようです。」
心臓が一瞬、止まったのかと思った。
リュートは全身の血の気が引く感覚がして、そのまま卒倒してしまいそうになる。
30・・・人!?
それも、一般人・・・。
普通の人達を30人も殺した・・・!?
あの少女が・・・、フィアナが!?
話はまだ終わっていなかったが、リュートの頭の中はフィアナに騙されたあの瞬間を
遡っていた。
自分の浅はかな考えで、フィアナに毒薬を手に入れる機会を与えてしまった・・・。
こんな時だけ何も疑うことをせず、あっさりとフィアナの言いなりになって。
それで・・・、その結果がこれだ。
自分は、30人もの人間を殺す原因を作ってしまった張本人・・・。
全て自分が招いたこと・・・、自分が殺したようなものだ。
例え直接手を下していないとしても・・・。
罪悪感に苛まれている時、ようやく・・・必死で自分を保とうとしていた矢先に
ルイドが命令を下す言葉を耳にした。
「ヴァル・・・至急フィアナを連れ戻せ!
非礼を詫びる意味も込めて、リュートをレムグランドへ帰す。
それがせめてもの償いだ・・・。」
「はっ、承知いたしました!」
命令を受けたヴァルバロッサが足早に謁見の間を出て行く時、ブレアはルイドの
指示を待たずに後を追ってしまった。
ルイドの目線による合図で、何かを察知したのか・・・ゲダックは大きく溜め息を
つきながら更にその後を追う。
ルイドと二人きりになってしまったリュートは、全身の震えを抑えられずに立って
いるのがやっとだった。
「・・・怖いか?」
ルイドがそっと声をかける。
「しかし、これが結果だ。
お前が起こした行動によって、これだけの結果を招くことだってある。
それがよくわかっただろう。
しかし・・・お前だけを責められるものではないがな、フィアナの行動を
野放しにしていたようなものだ・・・。
それを許したオレにも、責任がある。
とりあえず・・・、お前もヴァル達の後を追え。
首都から戻って早々の騒ぎだ、結局取引の返答を聞く暇もなかったな。
・・・もう、帰っていいぞ。」
諦めたような声で、ルイドが囁く。
その顔には苦渋が滲み出ていたようにも見えた、・・・なぜ?
レム人はアビスにとっては敵、しかもそれ相応の恨みや憎しみを持つ理由だってある。
女王ベアトリーチェの憎しみを目の当たりにしたリュートだからわかることだ。
リュートよりずっと身近にいて、そしてレムと長年戦い続けて来たルイドだからこそ
余計に言えることだった。
どうして、敵国の人間を殺してしまったことに・・・ルイドはこれ程までに
心を痛める必要があるのだろうか・・・!?
そんな一面を見せるから・・・、リュートの心は揺れてしまう。
本当は・・・話し合いさえすればわかりあえる相手かもしれないと、思ってしまうからだ。
リュートは胸を中心に、激しい痛みを抱えて・・・ルイドに一歩詰め寄る。
胸が痛い・・・。
苦しい・・・!
助けて・・・って、叫びたい気持ちを必死で堪えて・・・リュートは真っ直ぐ
ルイドを見据える。
「取引の答えなら、もう出てます。
前にルイドが言ったでしょう?
もし万が一のことがあった場合は、僕にも責任を取ってもらうって。
今がその時だ・・・。
僕は・・・、仲間を裏切る形になるかもしれないけど・・・もう決心はついてる。
取引に応じます。」