第150話 「オルフェとユリア」
気がつくとアギトは、大きなソファに寝かされていた。
目が覚めて視線だけ動かしながら回りの様子を眺めると、二人の子供が自分を覗きこんでいる。
「姉さん、気がついたみたい!」
アギトの顔を覗き込みながら、ミラが叫ぶ。
コツコツと靴音を立てながらユリアがアギトの顔を覗きこんで、両手で色々アギトの体を触りながら・・・どこも異常がないか確認しているようだ。
「熱はないし・・・、どこか怪我をしているわけでもないわね。
精神的疲労からかしら?
とにかく今日はもう休んでおきなさい、きっと色々あって疲れたんだわ・・・何があったのか知らないけど。」
安心させるように優しく微笑みかける笑顔に、アギトは不思議な安らぎを感じていた。
ユリアがアギトを背負うようにして運ぶ姿を見ると、オルフェが無表情ながら少し不機嫌な口調で主張する。
「先生、まだ相対性理論についての解釈が・・・。」
「あ〜、ごめん!
それについてはまた今度ね、研究結果の報告書を今日中にまとめないと締め切りに間に合わなくてさ・・・。
結局ベヒモスの生態調査に失敗しちゃったから、それの埋め合わせの為にそっちの方を急がなくちゃいけなくなって!
あとで必ず時間を作っておくから・・・、ね?」
まだ寝ぼけているアギトには、ユリアやオルフェが何について喋っているのか全く理解出来なかったが・・・なんとなくオルフェが結構ワガママな性格であることだけは理解出来た。
アギトを背負ったユリアは階段を上り、廊下を歩いて行って・・・個室のドアを開けて中に入る。
その時は全く気付くことは出来なかったが、ここは異世界のはず。
電気機器がないはずなのにユリアはドアの横に設置されたスイッチを押すと、部屋の中にあった小さなシャンデリアに明かりがついた。
まるで蛍光灯の電気がついたように部屋の中が一瞬で明るくなると、そのままベッドに寝かしつける。
「一応この部屋を使ってちょうだい、部屋の明かりはあたしが出る時に消しておくから。
もし明かりをつけたくなったら今あたしがやったように、ドアの側にあるスイッチを押して。
今日は徹夜になるから・・・もし夜中に目が覚めてお腹がすいたら呼んでくれて構わないわ、あたしはさっきいたリビングで仕事
してるから。
君の剣はベッドの横に置いておくわね、それじゃ・・・おやすみ。」
そっと・・・アギトの前髪に触れると、ユリアはそのままゆっくり足音を立てずに部屋の明かりを消して・・・ドアを閉めた。
アギトはぼ〜っとしたまま天井を見つめる。
さっきは確かに知り合い3人に出くわして驚いて気を失ったが、特に疲労困憊しているわけではない。
今更寝ろと言われても、すっかり目が冴えてしまっている。
ちらりとベッドの横に置いてある剣に目をやり、それからまた天井を見つめた。
「・・・いまいちヴォルトの目的がよくわかんねぇ。
確かザナハが契約を交わしたウンディーネの試練では、質問攻めにあったって言ってたよな?
そんでイフリートの時は・・・、まぁオレの圧倒的な力の前にひれ伏したって感じ?
どれも一応目的や主旨はハッキリしてんだよな・・・、質問に答えるか、力で認めさせるか。
でも今回のやつは一体何をさせたいんだか全く見当がつかねぇや。
過去の世界で一体何を示すってんだ? どんな期待に応えりゃいいんだ?
王道パターンで考えてみるなら、まぁ・・・この世界で起きる事件に首を突っ込んでそれを解決させるっていうパターンが一番
可能性としては高いんだけどなぁ・・・。
なんかしっくりこねぇし・・・やっぱここは色々ユリアって人と、とことん今の内に話を聞いておいた方がいいのかもな?
多分・・・、なんかオルフェやミラの話の流れからいったら・・・ユリアはもう・・・。」
そこまで考えて、アギトは突然口を閉ざし・・・考えるのをやめた。
その先を・・・例え頭の中でわかっていたとしても、口に出すのがとても心苦しく思えたからだ。
わずかにちくりとした胸の痛みに気付いて、アギトは寝返りを打つ。
10分ほど我慢したが・・・、やはり全く眠くなくてアギトは起き上がりカーテンを開けると窓の外に目をやった。
外はすでに真っ暗で、ちらほらと他の建物から漏れる明かりが見える。
洋館で過ごした日々の方が長いからかもしれないが、ここでは自分のいた世界と同じように・・・夜でも明るく感じられた。
回りが森しかなかった洋館では、窓の外は真っ暗闇が広がっていて・・・夜空の星が宝石箱のように、より一層煌めいていた。
アギトはその光景が大好きだったのだ。
勿論ここでも夜空の星はたくさん瞬いていて、とても綺麗に見える。
キラキラとシリウスが輝いて・・・そんな無数の星を眺めながら、アギトはふと・・・リュートもアビスで同じ夜空を見ているのかなと・・・そう思った。
思えば、リュートと離れ離れになって一体どれ位の日数が経ったのだろうか。
もうすぐ2週間が過ぎようとしているはずだ。
一人で夜空を眺めていると、急に不安が押し寄せる。
リュートは向こうで一体何をしているのか、何をさせられているのか?
ひどい目にあっていないか?
それとも何かの魔術を施されて、洗脳とかされているんじゃないだろうか?
そんなイメージばかりが浮かんでくる。
アギトは両手で自分の頬を力一杯叩くと、マイナスイメージを取り払おうとした。
大丈夫・・・、きっと大丈夫!
オルフェの話では、アビスにとって「闇の戦士」というのは「闇の神子」と同等に重宝されると言っていた。
リュートに命の危険が及ぶようなことはしないだろう・・・って。
そう・・・、信じるしかない。
「とにかく・・・、オレはオレに出来ることをしなくちゃ・・・だな。」
そう強く・・・改めて決意を固めると、アギトは剣を手に取り腰のベルトに装着させて・・・部屋を出た。
ぼんやりとしか覚えていないが、なんとなく明かりがある方へと吸い寄せられるように歩を進める。
すると下へ下りる階段を見つけてゆっくりと・・・回りの様子を窺うように下りて行く。
明かりがある場所は恐らくリビングだろうと推察した、辺りは随分静かになっている。
恐らくもう時間が遅いとかで、オルフェ達は自分の家へ帰ったのかもしれないと思ったのだ。
まるで気配を消すように、足音を立てないようにゆっくりと歩いて行くと・・・壁に掛けられている時計が見えた。
この世界の時計は都合よくアギト達の時計と同じ作りになっている、勿論書かれている数字は全く異なる文字だが。
長針と短針の位置からして、今は夜中の1時頃・・・。
(まぁ、オルフェ達みたいなガキならとっくに家へ帰って寝てる時間だよな・・・。)
リビングにはユリアしかいないと確信したアギトは、そのままリビングに顔を出す。
するとアギトが卒倒した時に寝かされていたソファにユリアが座っていて、何か書類のような物を一生懸命眺めては頭を悩ませている様子だ。
ちらりと視線を送ったユリアが、アギトの存在に気付いてにっこり微笑む。
「あ、お腹でもすいた?」
そういえば自分を部屋に送った時、ユリアはお腹がすいたらリビングに来いって言ってたのを思い出した。
特にお腹がすいているわけではなかったが、自分がこの場所に居続ける口実として・・・頷いた方がいいと判断したアギトは少し頬を赤らめながら返事をする。
両手に持っていた書類をテーブルに置くと、ユリアはすっと立ち上がって食事の準備をしにキッチンへ行ってしまった。
取り残されたアギトは、とりあえず席についていた方がいいかと思い・・・先程のソファへと歩いて行く。
テーブルの上に散乱している書類の山に視線を落とすが、やはり何が書いてあるのかアギトにはさっぱりだった。
「オレって・・・、この世界じゃスパイに向いてないよな。」
重要そうに見える書類の内容すら盗み見ることが出来なくて、アギトはすぐさま書類に興味を無くした。
ユリアが食事をしている間、アギトはきょろきょろと室内を観察する。
どことなく洋館にあった応接間に、似てなくもない。
だが室内にあるのは何かの勲章のようなもの、表彰状のようなもの、トロフィーのようなものばかり。
装飾品とか骨董品とか、部屋を彩るファッション的なアンティークなどは殆ど見当たらなかった。
ユリア本人がそういったものに興味がないのだろうか? と、アギトは思う。
外国の別荘や金持ちが住む屋敷などに詳しくないせいもあるが、アギトが使っていいと言われた個室は随分と殺風景だった印象があった。
いくつも部屋がある屋敷では、部屋のひとつひとつに凝ったデザインや上等な家具・装飾品を置くわけではないのかもしれないが。
それにしては、この屋敷全体がどこか殺風景というか・・・実用的な物しか置かれていない印象が強かった。
そんな風に思いながら回りをきょろきょろしているとユリアが食事を持って戻って来る。
「どうしたの?」
「あ・・・いや、何でも!」
咄嗟に誤魔化して、アギトはユリアが作ってきたであろうスパゲティに釘付けになって・・・お腹が鳴った。
さっきまでお腹がすいていなかったのに、突然空腹感が襲ってくる。
ユリアに笑われながらも、アギトは二人で食事をすることになった。
今がチャンスだと言わんばかりに、アギトは唐突に感じられないように気を付けながらゆっくり質問し始めた。
「あのさ・・・、色々聞いてもいいかな?」
「ん? 何!?」
「変な質問になっちゃうんだけど・・・、オレが今日会った人達ってユリアも含めて・・・今何歳?」
聞いた瞬間、あまりにおかしく・・・意味のない質問だったことに後悔する。
アギトは今この時代が何年前の出来事なのか把握するつもりで聞いたのだが、よくよく考えてみたらアギトは実際のオルフェやミラ達が、具体的に何歳だったのかを知っているわけではなかったのだ。
この時代の年齢を聞いたとしても、実際何年前のことなのか計算出来ないんじゃ意味がない。
「・・・ミラは今年6歳、確かオルフェとジャックが二人とも11歳になるはずよ!?」
「へぇ〜・・・。」
アギトは、さり気なく自分の年齢を言わなかったユリアに対し・・・あえてツッコミを入れなかった。
それから気を取り直すように、頭の中で必死に情報を収穫する為の言葉を用意しながら何とか質問していく。
ここで色々情報を得ないと・・・本当にヴォルトが何を目的としてアギトをこの時代に送ったのか、全く理解出来ないままになってしまうからだ。
「ユリアってさ・・・、ミラから学者をしてるって聞いたんだけど。
一体何を研究してんの?」
山盛りに盛られたお皿のスパゲティを順調に平らげながら、ユリアは怪訝な表情もせずに・・・なぜか素直に答えてくれる。
もしかしたらただの子供である自分にバラしても、何の問題にもならないと・・・そう思われているのかもしれない。
「まぁ・・・色々かな?
魔物の生態に関しての調査、レイラインの発見方法、精霊について、あと創世時代に関して色々・・・。
個人的には新術開発がメインだけどね。」
どれを聞いても、アギトには今ひとつピンと来ないものばかりだった。
「精霊」や「創世時代」に関しては関係ありそうな内容だったが、仮に今自分がユリアを問いただして説明を求めたとしても・・・果たしてそれが自分に理解出来るものなのかどうか、それが疑わしい。
ヴォルトが何を求めているのかわからない以上、質問の内容をどういう風に絞ったらいいのか・・・今すぐには思い浮かばなかったので、アギトは別の質問へと変えた。
「今日会ったオルフェとジャックって、ユリアとどういう関係なんだ?」
アギトにとってそれが今、一番興味があったかもしれない。
以前から確か、ユリアがオルフェの師匠だという話を聞いていたが・・・それ以上詳しい話を聞かせてもらったことがなかった。
それに元々オルフェが天才だったとはいえ・・・一体どんなことをどんな風に学べば、あんな大人が出来上がってしまうのかが気になる。
「あぁ・・・、あの二人ね。
あの子達はあたし達姉妹がこのサイフォスに引っ越して来た時に知り合ったのよ。
あたしは新術開発の為に魔法科学の研究が盛んなこの町に来たわけだけど・・・、研究所に子供が混じっているのは
ものすごく目立ってね?
研究内容とかの方向性が一致していたこともあって、色々と接している内に・・・オルフェの父親から師匠になってくれって
頼まれちゃってさ。
グリム家はこの町を治める権力者でもあったし、王族との繋がりもあったから。
・・・でも一番の理由は、オルフェのことがとても気がかりになってね。
まだ子供の時分で大人に混じりながら魔法科学の研究や、ましてや動物実験なんかを繰り返す環境に置いておくのが心配に
なって、あたしは研究所からオルフェを引き離して・・・自分の手元で勉強を見てやるっていう条件で引き受けたのよ。
ジャックとはその時に知り合ったわ、グリム家に仕えるオルフェ専属の使用人で・・・二人は親友同士だったから。
あたしの家にオルフェが勉強しに来る時は、決まってジャックも一緒について来てたからね・・・。」
視線を落としながら話すユリアに、・・・心底オルフェのことを心配しているという思いが伝わった。
正直アギトは複雑な心境だった、ある程度オルフェとジャックから・・・昔の話を聞いたことがあるからだ。
ユリアがこれだけオルフェのことを心配しているにも関わらず、オルフェはその後も動物実験や人体実験を繰り返して・・・様々な新術を・・・、危険な毒薬なんかを次々と開発していった。
今でこそそれらがとても愚かなことだったと理解している様子だが、そのことにオルフェが気付くのは・・・一体何年後のことなのかアギトにはわからない。
まだ幼ないオルフェには・・・、そんなユリアの気持ちが・・・思いが伝わっていないのだ。