第143話 「教会の惨劇」
「お願いだ・・・っ、助けてくれぇーっっ!!」
アギトがお使いを頼んだ子供達に仕込んであったことがあっさりとバレてしまったことと、ドルチェの髪への仕置きとして・・・
ちょうどオルフェから地獄のスクワットを強制されていた時だった。
時間でいえばそれ程遅くもないのだが、外はすでに真っ暗で・・・どの家庭でも夕食を食べているような頃合いだ。
アギト達が宿泊している宿屋の玄関辺りから、必死で助けを求める声が聞こえて・・・全員が何事かと視線を送る。
「・・・この声は!?」
聞き覚えのある声に、アギトは体中の関節がギシギシいっているのを無視すると窓の方へ走って行った。
窓を開けて身を乗り出すように、声がする方へと目を凝らす。
そこには紛れもなく、カトルがいた。
しかし様子がおかしい・・・。
叫び続けるその声は、時折震えて・・・まるで気が狂ったように大声を張り上げながら宿屋のドアを力一杯叩いている。
「カトルーーーっ!
お前そんなとこで何やってんだよーーっ!!」
普通じゃない・・・、そう直感的に悟ったアギトは不審に思って声を張り上げた。
アギトの声が届くとカトルは2〜3歩さがって、居場所を確認する。
その顔は酷く取り乱していて・・・、次々とこぼれていく涙を拭うこともせず・・・カトルは力の限りアギトに向かって叫んだ。
「アギト・・・、助けてくれぇっ!!
みんなが・・・、みんなが死んじゃう!!」
胃がひっくり返る思いがした、アギトは喉に異物が詰まったように一瞬息が止まると・・・後ろからオルフェの落ち着いた声が
聞こえて、すぐに気を取り直した。
「彼、いえ・・・彼女がさっき言っていた使者の一人ですね?
胸騒ぎがします、ここは全員で向かいましょう。」
すぐさま準備を整えると、アギト達は急いで宿屋の外へ行ってカトルから事情を聞く。
しかし思ったよりも気が動転しているようで、うまく言葉に出来ないようだった。
こんな場所で説明を求めても手遅れになるかもしれないと判断したオルフェは、ひとまず急いで教会へ向かうことをすすめる。
移動している間にもしかしたら落ち着いて、話が出来る状態になるかもしれない。
先頭をオルフェやジャックが走って行って・・・、この中でカトルを知っている人間はアギトとドルチェだけだったので二人が
カトルに連れ添った。
怯えた様子のカトルに不安を感じながらも、アギトは何とか声をかけ続ける。
もうすぐ教会へ続く一本道に差し掛かった辺りで、ようやく冷静さを取り戻したのか・・・カトルが走りながら話し出した。
「子供達が・・・、突然苦しみ出したかと思うと・・・次々血を吐いて・・・っ!
どうしたらいいかわからなくて、オレはリヒターから癒しの術を使えるっていう神子様を呼びに行くように言われて・・・。
みんな・・・っ、顔が紫色になって・・・っ!
ものすごく怖くて・・・っ!!うああああーーっ!!」
よっぽど恐ろしかったのか、カトルはその時の恐怖を思い出して・・・再び泣き叫んだ。
アギトはカトルの怯える姿に動揺した・・・、ついさっきまで元気だった子供達が。
そう考えるとアギトも胸のむかつきを抑えられずにいた、しかし今は自分のことよりカトルをなだめる方が先決だ。
「大丈夫・・・、大丈夫だっ!
オレ達の中には治癒術の専門家がたくさんいる・・・、みんなきっと助かる!安心しろ!」
そう言葉をかけたが・・・、心のどこかでは不安と絶望が巣食っていた。
ようやく教会が見えてきて一層足を速めると・・・、目の前でオルフェとジャックが足を止めて何かに見入っている。
こんな時に一体何をしているのかと、アギトは奥歯を噛みしめるように込み上がって来る苛立ちを抑えながら二人を怒鳴りつけようとした。
しかし、それは出来なかった。
オルフェ達の向こうに見えたものを目にして・・・、自然にアギトの足も止まる。
「・・・うそ。」
後から追い付いたザナハが、震えた声で・・・一言漏らした。
そしてカトルも・・・、教会に着くと目の前に広がる光景に我を忘れたように地面に膝をつくと絶叫した。
「うそだぁああああーーーーーっっ!!」
教会の回り・・・、階段・・・。
そこには苦しみ悶え・・・、吐血しながら助けを求めて外に出た・・・子供達のなれの果てだった。
白く薄汚れていた教会の壁・・・、床・・・そこには子供達の血の跡、血の手形がびっしりと塗られている。
まさに地獄の光景のようだった。
プン・・・と、生臭い血の臭いと・・・嘔吐した胃の内容物の臭いで辺りは充満している。
片手で鼻を覆うと、オルフェはそれらの異臭の中に微かに混じる特殊な臭いに気付いたようだった。
「これは・・・、吐き出した物の中からでしょうか・・・!?
わずかに毒薬の臭いが混じっていますね。」
「毒だとっ!?」
驚いたようにジャックがオウム返しのように聞く。
頷くと、オルフェは嫌な記憶を掘り返すような・・・不快な表情になる。
「アクトポリキシンという猛毒で・・・、特徴としては硫黄の臭いに近い毒薬です。
毒薬の中でも非常に特殊なもので、糖分に触れると一時的ですが・・・殆ど無味無臭の状態になってしまいます。
・・・暗殺用に頻繁に用いられる毒薬なんです。
糖分が多く含まれる菓子類などに、これを使用する暗殺者も少なくない程・・・。
『ポイズンスイーツ』と呼ばれる厄介な毒薬ですよ。
見ての通り・・・、含んだが最後。
激しい腹痛、嘔吐、吐血・・・、最後には体内の臓器が全て腐ってしまい・・・窒息死します。」
「やめてっ!!」
ザナハが声を荒らげる。
今にも不快で吐きそうになっているザナハは、涙を必死で堪えながら・・・カトルの肩を抱いていた。
呆然と・・・、魂でも抜けたかのように放心しているカトルはまるで気を失っているように見える。
「クスクスクス・・・、懐かしい光景でしょう?・・・お兄様。」
教会の中から、甘い声が聞こえて来た。
コツ・・・、コツ・・・と靴音を立ててゆっくり歩いてくる人物に、アギトは心当たりがあった。
一瞬、隣にいるドルチェに視線を送る。
靴音と共に、何か重たいものをひきずるような・・・そんな不気味な音と一緒に、声の主は現れた。
この惨劇を招いたであろう、犯人が・・・!
真っ赤なミニドレスに身を包み、裾の短いバルーンスカートからは黒のガーターベルトとストッキングが見えている。
黒い厚底ブーツが、近付いてくるにつれてゴツゴツと靴音を立てていた。
ツインテールの長い金髪が、上品に揺れながら・・・愛らしさを強調している。
しかしその笑みはとても冷たく、微笑む笑顔は・・・ただの嘲笑に見えた。
「残り少なかったから、今までなかなか使う機会がなかったけど・・・。
何十年経っても効力は絶大みたいね、・・・さすがお兄様が作った毒薬。
その中でも最高の出来よ・・・、このポイズンスイーツは!」
満悦そうに微笑むフィアナに対し、オルフェは無言で槍を出現させた。
その槍でフィアナを串刺しにでもしようと思ったのか・・・、投げつけようとした瞬間フィアナが叫ぶ。
「まだよ、お兄様!!」
そう叫ぶと、フィアナの靴音に混じって・・・不気味な何かを引きずっていた音の正体が明らかになる。
指先から放出された魔力の糸を、まるで何かが釣れたように引っ張り上げる仕草をして・・・それは教会の中の暗闇から現れた。
「・・・リヒターっ!?」
アギトが叫ぶ。
リヒターは・・・いや、リヒターの体は完全にフィアナの魔力の糸によって支配されているようで、自分の意志ではぴくりとも動かない様子だった。
だが・・・、リヒターを支配しているのは魔力の糸だけではなかった。
頭のこめかみ部分に何かが刺さっている。
痛々しく・・・、大きな釘のようなものが刺さっている部分からは血がぽたぽたと滴り落ちていた。
リヒターの状態を重く見たオルフェが、珍しく声を張り上げて動揺している様子だった。
「フィアナ・・・っ!!
それを人間に施すとどうなるかわかっているだろう!!」
叫んだところで、今のフィアナが言うことを聞くとは思えない。
いや・・・、アギトはオルフェの妹のことを知らないから元々の性格がどんなものかは想像するしかないが、ともかく目の前にいる人物に向かって人道について語っても、とても聞くような人間とは思えなかった。
案の定、動揺するオルフェを見てより一層楽しんでいるように・・・まるでフィアナは鼻歌でも歌うかのように、続けている。
「大丈夫よ、お兄様。
死なない程度に力をセーブしているんだから・・・、でも・・・廃人にはなっちゃうかもしれないけどね。」
フィアナが右手の薬指をぴくぴく動かすと、その指から放出されている魔力の糸がリヒターのこめかみ部分に刺さっている釘に
繋がっていて・・・動かす度に釘が傷口をえぐるようにぐちゅぐちゅと音を立てて、一瞬血が噴き出した。
「・・・やめろっつってんだろぉがあぁーーっ!!」
リヒターの・・・、まるで無機物のような状態に我慢ならなくなったアギトは剣を握り、向かっていった!
それが合図かのようにオルフェ達も武器を手に、容赦なくフィアナに立ち向かう。
「ふん・・・っ、相変わらず単細胞な光の戦士ね!」
鼻を鳴らしながら毒づくと、フィアナは左手を高くかざして視覚出来る程の魔力の糸を・・・こともあろうか、教会の回りで息絶えている子供達の四肢に結びつけると、ふわりと宙に浮くように8人の子供達の遺体がフィアナを守るように壁を作った。
目を疑いたくなるような光景にアギトは「うっ!」と、胃の中の物が込み上がって来て・・・片手で口を押さえる。
ジャック・・・、そしてミラもさすがに足を止めて躊躇った。
人間を人間と扱わないフィアナの行動に、ザナハは気分が悪くなり・・・カトルを抱く手に力が入る。
その手で・・・、ザナハはそっとカトルの顔を伏せさせて・・・この悪魔のような所業が目に映らないように抱きしめた。
「ひどい・・・っ、こんなの酷過ぎる!」
怒りよりむしろ・・・、悲しみの方が大きかった。
アギトは歯を食いしばりながらフィアナを睨みつけるが、どう視線を逸らせようとも視界に入って来る子供達の悲惨な姿に目を覆いたくなる。
だがしかしオルフェは・・・、子供達の遺体には目もくれずスタスタと躊躇うことなく槍を手にフィアナとの距離を縮めて行った。
力のこもったその手には、遺体を薙ぎ払ってでもフィアナの元へ行こうとしているようにも見える。
「フィアナ・・・、少し私を甘く見過ぎていませんか?
この私が。
こんな肉塊ごときで殺意が殺がれると・・・、本当にそう思っているんですか?」
オルフェの声色には、静かな怒りがこもっていた。
言葉を聞くだけでも恐ろしい・・・、オルフェを取り巻く殺意のマナに全身に震えが来るようだった。
それはフィアナも感じ取っているのか・・・、非情な手口で壁を作っているにも関わらず・・・圧されてわずかに後退る。
実の妹かもしれない少女を相手に、オルフェは何の容赦も躊躇いもなく攻撃の姿勢をやめなかった。
『獄炎のグリム』と呼ばれ、あまねく世界に轟かせるその恐ろしさも・・・けして伊達ではないとアギトは痛感した。