第135話 「リュートがいない8日間」
アギトは睡眠不足だった。
リュートがアビス側に拉致されてからリ=ヴァースに還ることが出来ずに、そのままレムグランドに滞在して約一週間が過ぎようとしている。
同時に炎の精霊イフリートとの契約を交わしてから一週間・・・、アギトはそのせいで寝不足状態に陥っていたのだ。
今日も殆ど一睡も出来ずにアギトは目の下に真っ黒なクマを作って、パジャマ代わりに来ているTシャツと短パンのまま部屋を出た。
時計の針は朝の8時を差している、決して早起きというわけではない。
数日熟睡が出来ていない状態で・・・もはやあくびすら出てこない、それでもこちらの世界での一日一日を無駄には出来ないと・・・全身が重だるいのを我慢して、生活のリズムが崩れない程度に努めていた。
アギトはお腹が空いているわけではなかったが、とぼとぼと食堂に向かいながら・・・大きな独り言を呟きだす。
「あれから一週間・・・、いや・・・正確には8日目か・・・!?
まさかこんな事態になるとは思ってなかったぜ・・・、くそっ・・・。」
苦虫を噛み潰したような顔になりながら、アギトは更に呟く。
「大体だなぁ・・・、こっちは人間としての生活を送らなけりゃいけねぇっつーのに・・・!
何なんだよお前は・・・、ぺらぺらぺらぺらと・・・高校入学して今までの自分を改革する為に、積極的に友達作りに奔走する
寂しい孤独少年かっちゅーんだ。
空気読めよ、雰囲気掴めよ、ぶっちゃけ迷惑この上ねぇっつーんだよ!
あぁ!?聞いてんのかイフリートさんよぉ!!」
『・・・ハッ!
我に話しかけていたのかマスターよ・・・。』
「お前以外誰がいるっつーんだ!!
回り見てみろよ、オレ以外誰もいねぇだろうが!!
いくらオレでも回りにたくさん人がいる中で、こんな大声で独り言なんかほざくわけねぇだろうが・・・解れよ!!」
頭の中でイフリートの声が聞こえる状態なので、アギトの視線は適当な場所を泳いでいた。
イフリートを具現化させると大量のマナを消費して疲労がたまるので、アギトは出来るだけ具現化だけは避けていたのだ。
・・・というより精霊と契約を交わしていつでも召喚出来ると張り切っていたアギトは、最初の内は調子に乗って召喚しまくっていた。
しかしその度にマナを消費して、まるで長距離マラソンを全力疾走で走り抜けたみたいな疲労感に襲われたので懲りていた。
イフリート自身も今の状況だと、現世を見渡すにはアギトの視界を通して視覚するようになっている。
アギトが見たものをイフリートが見る・・・ということになるので、回りに誰もいないことを認識させる為にアギトは視線を泳がせて現在の状況をイフリートに見せていたのだ。
『うむ・・・、マスターの言葉の意味が半分以上理解不能だったので・・・つい無視してしまっていた。
・・・で?
我に何か問題でも?』
アギトはイライラと頭を掻きむしりながら足をばたつかせる。
「だぁぁぁーーーもうっ!!
だぁーかぁーらぁー!オレの頭ん中にいる間は、特別な用がない限りオレに話しかけるなっつーんだ!!
てゆうか喋るな!呟くな!囁くな!独り言も禁止だっ!!
お前ら精霊って存在には昼とか夜とか関係なしかもしんねぇよ!?
睡眠とか取らなくても全然オッケーかもしんねぇよ!?
でもなぁ!!お前がオレの頭の中で色々しゃべりまくるからオレはそれが気になって気になって、もう8日間もマトモに睡眠
取れてないんだよっ!!
もうすぐ熟睡するなぁ〜・・・って一歩手前になった途端に、昔話始めやがって・・・っ!
他に話すことがなくなったと思ったら、鼻歌なんか歌いだしてんじゃねぇよ!!
お陰でオレまで無意識に口ずさんで、めっさ恥かいたわ!!オルフェに白い目で見つめられたわ!!」
一気に怒りを爆発させて、今まで味わった苦しみを吐露するとアギトはぜぇぜぇと息を切らしながら呼吸を整える。
しかしイフリートは黙ったままで、姿が見えない分・・・反省しているのか落ち込んでいるのか様子がわからない。
久しぶりに怒鳴ったお陰・・・というのも変だが、アギトはようやく平静を取り戻して・・・落ち着いて話しかける。
「・・・とにかくだな、確かにオレのマナコントロールがヘタなせいでなかなか完璧な融合がしきれてねぇってのは認めるよ。
でもやっぱそこは人生の先輩としてだな、ちったぁ気を使って夜の間は静かにしとくとか・・・アドバイスくれるとか。
そうゆうのがあってもいいんじゃねぇの!?」
いくら自分がイフリートのマスターになったとはいえ、相手はやはり世界の万物たる精霊・・・無下には出来ない。
少し不服そうな感情が顔に現れてはいたが、アギトの顔が見えるわけじゃないから大丈夫だと思ってそのまま歩き出した。
しかし一向にイフリートの返事がなくて少し不安に感じたのか、アギトは恐る恐る小声で話しかけてみる。
「・・・おい。
お前まさか・・・オレが喋るなとか囁くなとか言ったから、今まさにダンマリ決め込んでる・・・とか言わねぇよな!?」
・・・沈黙が続く。
「・・・くっ!!
こいつ、やりづれぇ!!
開放的にしゃべりまくってたと思ったら、今度は根に持って黙秘を貫きやがって・・・っ!!」
アギトは右手でわなわなと握り拳を作って、回りに怒りの矛先がないことに困り果てる。
話しかけても返事がない・・・という態度から、イフリートがさっきのアギトの禁止事項をワザと守っていると判断したのだ。
これはこれで静かになるから願ってもないことなのだが、なぜだかものすごく馬鹿にされているような感じがして気分が悪かった。
むしろ命令すればちゃんと黙る・・・ということをもっと早くに知っていれば・・・、そうすれば睡眠不足に陥らなかったのかもしれないと・・・そう思ったら余計に腹が立った。
とにかくせっかくイフリートが黙っているのだから、アギトはこれに乗じていつもの生活のリズムを取り戻そうと・・・前向きに考えるようにした・・・というよりも、そうしなければ永遠にこのイライラから解放されないと思ったのが本当の理由である。
アギトは食堂に来て、いつものようにサンドイッチを注文した。
寝不足のせいで胃がムカムカしていたので、朝からヘビーなものを食べる元気がなく・・・ここしばらくの間はずっとサンドイッチを注文しているのだ。
リュートがいないこの8日間は、朝食はずっと一人で摂っている。
ザナハやドルチェを誘うような真似は出来ないし、ましてやオルフェと一緒の朝食なんて・・・せっかくのサンドイッチがまずくなりかねない。
ジャックはめちゃくちゃ朝が早いせいもあって、朝食だけはいつも一緒になった試しがない。
他の兵士達も特別仲が良いわけでもないので誘う気にはなれなかったし、無理して誰かを誘うのも面倒臭い・・・というのが一番の理由だった為、アギトは日常生活に関してはいつも通り一人で過ごしていた。
リュートがいないのは確かに寂しいが、だからといってこの洋館にいる間・・・孤独を感じはしなかった。
この洋館にいる人たちは、みんな自分に優しい。
勿論それはアギトが世界を救う為の光の戦士だから・・・という理由が一番だろう。
それでも誰かに必要とされるのは、優しくされるのは・・・、構ってもらえるのは悪い気がしなかった。
食堂にいてもウェイトレスをしているメイドさんが気さくに話しかけてくれる。
リ=ヴァースにある料理のレシピ本をチェスに翻訳してもらって、それを厨房のコックさんに渡して仲良くなったりした。
廊下を歩いていても、外に出て見張りの兵士の横を通っても、みんな儀礼的ではあるが言葉をかけてくれる。
ここで生活していたらそんな出来事が、ごく当たり前のように感じてきて・・・不思議な感覚だった。
いつしか自分が異質な存在であることを忘れてしまいそうな、そんな錯覚までしてくる。
アギトは食事を終えると、礼を言って食堂を出て行き・・・そしていつものように訓練場へと足を運ぶ。
ここレムグランドでは毎日が修行の日々だった、といっても以前のような死に物狂い・・・というわけではない。
イフリートとの融合を控えている現在では厳しい修行をすることがなく、戦時中とは思えない程まったりとした毎日を送っている。
たまに強力な魔物が洋館を襲ってくることがあったので、そんな時はさすがに兵士達を後退させてアギト達が前線に立ったりしていたが・・・。
「はぁ・・・、どうせ今日もまたマナコントロールの訓練なんだろうな。
まぁその方がいいか・・・、いつまでも頭ん中にイフリート飼ってるわけにいかねぇもんな・・・。」
『・・・ぐっ!』
カチンとしたような、そんなイフリートの声が聞こえたような気がしたが・・・とりあえず無視しておいた。
ここで反応して言葉をかけてしまったら、せっかく黙秘を決め込んでるイフリートの口のチャックの封印を解いてしまいかねない。
アギトが訓練場の扉を開けると、そこにはやはりいつもの顔ぶれが揃っていた。
新米でまだ外の見張りにすら出してもらえない兵士が、上官から戦闘レクチャーを受けている。
一応軍学校を卒業しているらしいのだが、レイライン真っ只中のこの洋館周辺に出没する魔物は首都周辺に比べるとレベルが高い。
というより、戦時下になってからは魔物のレベルが更に上昇していた。
一般的なマニュアルしか知らない新米兵士だと、かなり厳しいことに・・・ヘタしたら死人が出るかもしれないだろう。
今は少しでも人手が必要な時期なので、この洋館に配属された兵士にまた一から戦闘指南をしているのだ。
アギトとリュートがこの洋館に初めて来た頃からずっと駐留していた兵士も今ではベテランクラスになっていて、火山地帯の魔物討伐隊に配属されたり、洋館周辺の警護を請け負ったりしている。
そんな新米兵士達を見ていると、アギトは思わず優越感に浸っている自分を見つけてしまう。
彼らが戦闘訓練をしている時に・・・彼等の戦闘テロップを覗き見て、思わず先輩面になってしまうのだ。
新米兵士達の平均レベルは約20〜30の間といったところだ。
それに比べるとアギトは様々な苦難を乗り越えた結果、現在ではレベル55になっている。
戦闘レベルだけ見ると完全にアギトの方が新米兵士達を圧倒している為、思わず優越感に浸ってしまうのだ。
しかしそのすぐ後に師匠であるオルフェのレベル90台を見ると、優越感に浸っていた自分が恥ずかしくなってしまう。
「今日はザナハやドルチェは来てないんだな・・・。
ちぇっ、せっかくマナコントロールの基礎をマスターしたから今度は応用編でも聞いてみようかと思ったのに・・・。
しゃあねぇな・・・、ここじゃうるさくて集中出来ねぇから・・・場所変えるか。
確かクレハの滝は精神集中に最適だって聞いたことあったな・・・、あそこでも行ってみるか。」
『・・・ごほんっ!』
「・・・ん?」
イフリートが何やら遠慮気味に、わざとらしく咳き込んで・・・何か話しかけようとしている素振りを見せている。
勿論姿が見えているわけではないが、何となくイメージが浮かんでくるような・・・そんな感覚で理解出来るのだ。
確かアギトは「特別な用がない限り話しかけるな」と命令したはずだった、ということはイフリートが何やら口を挟みたいような
態度をしているのは、その「特別な用」でもあるのだろうか?・・・とアギトは思った。
これを機にまたぺらぺらと話し出したらマズイ・・・と思いながらも、もしかしたら本当に重要な話があるのかもしれないので
一応喋ってもいいという許可をする。
「あー・・・、何か問題でもあんのか?」
『そうなのだマスター!
先程マスターはクレハの滝で修行をすると考えたようだが、あそこはやめておいた方がいいぞ!?
クレハの滝は水のレイラインの中心・・・、つまりウンディーネの領域になるのだ。
火と水は相克関係となる為、火属性であるマスターと我がクレハの滝に行ってマナコントロールしようと思っても、うまくは
いかないはずだ。
かえってマナが乱されてしまうのがオチだろう、その土地の属性で・・・相性が決まってくることを覚えておくがいい。』
水を得た魚のように活き活きと話し出すイフリートの様子を感じたアギトは、イフリートが想像した以上の「しゃべくりキャラ」で
あることに気付いてがっかりした。
しかし、土地の属性による相性まではさすがのアギトも考えていなかった。
この洋館の近くにクレハの滝があるということは、恐らくこの土地周辺は水属性のレイラインになるのだろう。
「・・・ということは、オレが今までマナコントロールがヘタだったのは土地属性との相性が悪かったせい・・・!?」
『いや、それはあまり関係ない。』
「黙れ、しゃべくり親父!」
自分の可能性をあっさり否定されたアギトは、イフリートに対して辛らつな言葉を放った。
「お前さっきと言ってること違くねぇか!?
クレハの滝でマナコントロールしようとしてもマナが乱されてうまくいかないって、さっき言ったばっかじゃん!
なのに関係ないって、どういうことなんだよっ!?納得するように説明しやがれ!!」
『はぁ〜・・・、今回のマスターは随分と口が悪いようだな。
まぁ・・・千歩譲ったとして、元気があるから良しとしよう・・・。
さっきの話だが、我が言いたかったのはマスターのマナコントロールがヘタだという点においてのみ関係がないという意味なのだ。
マナコントロールの上手・下手は個人差で決まる、勿論土地属性の相性が良ければ魔術の威力が増して通常よりも強力なマナを
発動させることが出来るだろう。
だが我が今問題としているのは、マスターと我のマナを融合させる為の修行場としてこの土地は相応しくないと言いたいのだ。
火のマナを掴みとって完全に溶け込ませるには、水のマナが邪魔になる。』
「え〜!?
でも魔術を発動させるのだってマナコントロールが必要じゃんか!?
普通の魔術を発動させるのがヘタでも、土地属性の相性が良かったら強力な魔法が放てるって言いたいのかよ。
・・・やっぱり矛盾してねぇか?」
アギトが口に出してイフリートと会話していると、訓練場にいる兵士達が不思議そうな目つきでアギトに注目していた。
その視線にようやく気付いたアギトは、にかっと誤魔化し笑いを浮かべながらそそくさと訓練場を出て行った。
扉を閉めて、回りに誰もいないか確認してからアギトは自室に戻る道程で再び会話を始める。
アギトの行動をちゃんと理解してか、イフリートも回りに誰もいないことを認識してから話し始めた。
『頭の悪いマスター相手に、何と説明したら良いのやら・・・。
例えばマナコントロールが上手な者とヘタな者が、土地属性の相性が良い場所で二人共同じ魔術を放ったとしよう。
結果は聞くまでもないだろう?
上手な者は土地属性のマナを吸収して、より強力な魔術を放つことが出来る。
しかしヘタな者は、同じように土地属性のマナを吸収しても・・・上手な者が放った魔術に比べると大きな差が出てしまう。
勿論、下手な者が放った魔術は普段放つものより多少は強くなっている。
それでも個人差によって、これ程の差が生まれてしまうのだ。
マスターも不思議に思っただろう?
あのオルフェという者、マスターと同じ火属性であるが・・・同じ魔術を放って、果たして威力は同等であったか?
それがマナコントロールの上手・下手の違いなのだ。
続いて、融合させる為のマナコントロールについて・・・だ。
これはただ魔術を発動させる為のマナコントロールとは、似て非なるもの。
マスターと精霊とのマナを融合させる為には、土地属性のマナの相性は肝心になってくる・・・というよりその方がラクだ。
同属性の土地にいた方が、我との融合はしやすくなる。
光の神子もこの土地にいたおかげで、短期間で融合させることが出来たのだろう。』
少し難しい顔になりながら、アギトはイフリートの言いたいことを一応は理解した。
確かに火山口内部でオルフェが火属性の魔法を放った時、いつにも増して威力が凄まじかったような記憶がある。
「それじゃ・・・、お前と融合する為には・・・火山地帯を修行場にした方がいいってか!?」
『まぁ・・・、その方が望ましいというだけだがな。』
アギトは大きく溜め息をついた。
グレイズ火山周辺には良い思い出が殆どない、・・・というより死ぬほど暑い記憶が鮮明に残っているだけだった。
今でこそ気温は正常値に戻っていると思うが、それでもあんな暑い場所で精神集中しろと言われても集中出来そうにない。
「・・・グレイズ火山に行かなくてもいいように他に方法がないか、みんなに聞いてから考えよ・・・。」
『なぜ我の土地を拒むっ!?
それでもマスターは我に選ばれし、熱く猛々しい属性の持ち主なのかっ!!』
「その暑苦しいのがイヤだっつってんだよっ!!
てゆうか何オレの命令忘れてまたぺらぺらと余計なこと喋りまくってんだよお前わっっ!!」
声を荒らげてイフリートに文句を言う・・・、しかしちょうど廊下でばったり会ったメイドさん達にくすくすと笑われて・・・アギトは顔を真っ赤にすると、自室まで駆け足で逃げて行った。