第118話 「契約の旅、出発」
ノームデイ(土曜日)の昼前、アギトとザナハを除く全員が洋館の前で最終チェックを行なっていた。
手荷物などは全て使用人達が準備をして馬車の荷台に積み終わったところであり、オルフェ達が留守の間の打ち合わせをチェスと
話し合っている。
ミラは仕切りに時計に目を走らせながら、二人が来るのを待っていた。
しかし30分前には必ず洋館の前に集合するように言ってあったので、20分過ぎても来ないところを見て不審に思っていた。
リュートもさっきから何度も自室に戻って覗いてきたり、食堂に行ってみたりと・・・色々探したが結局見つからなかったのだ。
痺れを切らしたジャックが、頭をボリボリと掻いて少し苛立ちながら大きな独り言を言う。
「全く・・・、あの二人は一体何をしてるんだ!?
今は少しでも時間が惜しいっていうのに、・・・今の状況をわかってんのかねぇ。」
チェスとの打ち合わせを終えたオルフェが戻って来ると、まだ二人が到着していないところを見て全く困っていない笑みを浮かべる。
「困りましたねぇ・・・、二人を置いて行くわけにもいきませんし。
中尉、部下を何人か呼んで二人の捜索を。」
「はい、出発の準備は終わりましたので私も二人を探しに行きます。」
「頼みましたよ。」
ミラはすぐに踵を返すと洋館の中に戻って行って、中で休憩しているであろう兵士を徴集して捜索するようだった。
その様子を見ていたリュートが、自分も探しに行こうとオルフェに許可してもらいに話しかけようとした。
するとオルフェは片手で顎をさすりながら、面白がっているような笑みを浮かべて冗談を言う。
「しかし・・・、婚約者同士のザナハ姫とアギトがいないとなると・・・。
あの二人もなかなかやりますねぇ。」
その言葉を聞いて、リュートはドキンっとした。
「そ・・・っ、そんなことあるわけがないじゃないですかっ!!
大佐も悪ふざけを言うのはやめてくださいよっ、今は契約の旅を真剣に取り組まないといけないような状況なのにっ!!」
慌てふためいたように、リュートはオルフェに向かって真っ向から否定した。
自分でもどうしてこんなに慌てるのか、よくわからなかった。
「でも二人とも・・・、年齢的に生殖機能は発達しているから有り得ないことじゃない。」
くまのぬいぐるみの取れかけた耳を縫いつけながら、ドルチェがさらりと恐ろしいことを口走った。
すかさずリュートは真っ赤な顔になってドルチェを怒鳴りつける。
「ドルチェっ!!
女の子がそんな台詞言うもんじゃないよっ!!」
「・・・・・・?」
リュートはぜぇぜぇと息を切らしながら、オルフェとドルチェの悪ふざけた台詞にいちいちツッコミを入れる。
せっかく仮眠を取って、ある程度の疲労は回復したはずなのに、再び疲労が溜まってきたような感覚になる。
ムキになっているリュートを見て、オルフェが「これは面白い玩具を見つけた・・・」という表情になっていたのをジャックは見逃さなかった。
「ところでリュート、アギトのやつは確かずっと腹が減ってたみたいだから食堂に行ってるはずだと思うが?
食堂のメイド達は何て言ってたんだ!?」
ジャックが話題を変えて、リュートに話しかける。
ほっとした表情でリュートが答えた。
「9時頃に食堂に来てたみたいです。
そこでオムライスを食べたらすぐに出て行って・・・、そこから音沙汰ナシなんですよね・・・。」
「そっか・・・、そのまま自室に戻って仮眠を取ってないということは・・・また別の場所に行ったって考えた方が自然だが。」
ジャックは腕を組みながら、アギトが行きそうな場所を想像した。
「もしかしたら食堂を出た後にザナハ姫と会って、どこかへ出掛けたかもしれませんね。
まぁ・・・、洋館の外に出て行くことは確実にないでしょう。
外出しようとしたら必ず見張りの兵士に止められているはずです、今この洋館の回りはとても危険な状態になっていますからね。
だとしたら洋館の中にある、どこかの施設に立ち寄っている可能性が大きいでしょう。」
オルフェがそこまで推理していると、洋館の玄関の扉がバターーンっと勢い良く開いた。
そこには怒りを懸命に抑制しているミラと、その後ろには汗だくで疲労困憊な顔をしたアギトとザナハがついて来ていた。
「アギト、ザナハ!!二人とも一体どこに行ってたのさっ!!?」
二人の様子を見た限り、何があったのかは知らないがとりあえずオルフェやドルチェが言ったようなことはなかったと思えた。
リュートが二人に駆け寄ると、すぐに後退して鼻を押さえる。
「うわ、くっさ!!汗くさっ!!
・・・二人とも、本当に一体何してたの・・・!?」
両手で鼻を押さえながら、失礼だとわかっていても少し離れて話しかける。
リュートの態度を見てショックを受けたザナハだが、息切れのせいで逆ギレする気力もない様子だった。
落ち込んだ眼差しのままアギトが答える。
「食堂でメシ食った後にたまたまこいつと会って・・・、運動がてら訓練場に行ってたんだよ。
そこでどういうわけか、ヒンズースクワット対決することになってよ・・・。」
アギトが気力ゼロの声色と口調でそう説明すると、続きをザナハが引き継いだ。
「どっちがよりヒンズースクワット出来るのかを賭けて勝負してたの、やり始めたら訓練場の窓を開ける余裕もなくって。
蒸し暑い中で何十回もしてたらお互い知らない間に力尽きて・・・、さっきまで訓練場で気絶してたのよ・・・。」
「バカか、お前ら。」
呆れた顔でジャックが言い放った。
さすがのオルフェも呆れて笑顔すら作れないのか、白い目で見つめながら・・・出発を促す。
「さぁ、とにかくこれで全員揃ったんですから・・・早く出発しましょう。
今は少しでも時間が惜しいです、それから二人とも・・・シャワー浴びてる暇はありませんからそのまま馬車に乗りなさい。」
『ええぇぇぇぇっっ〜〜〜〜〜っ!?』
それはさすがにキツイ・・・そう思いながらリュートは、馬車に乗る班をいつも決めているミラを祈るように見つめた。
「・・・とりあえずシャワーを浴びることは出来ませんが、衣服だけは馬車の中で着替えてもらいます。
先頭車両には女性陣、後ろの馬車には男性陣が乗り込みます・・・いいですね?」
その決定に全員従うと、前の車両にはミラ、ザナハ、ドルチェが乗り込んだ。
そして後ろの馬車にはアギト、リュート、オルフェ、ジャックが乗ると・・・ゆっくりと馬車が走りだす。
「つーか、こんな狭い馬車ん中でどうやって着替えろっつーんだよ!?
・・・パンツもか?」
「もう!!どうでもいいから汗の染み込んだ服を早く脱いで!!
それから全身の汗をタオルで拭いてってば、・・・みんなアギトの臭いを我慢してるんだから!!」
さっきからリュートの言葉が過激でズバリと責めてくることに、アギトは内心ショックを受けつつ黙って従っていた。
「なんか・・・、さっきからキツくねぇ?」
ぼそりとアギトが呟いた。
「え・・・?あぁ・・・ごめん。だってアギト達が早く来ないから・・・みんな痺れを切らしてたんだからね。
それに遅刻してきた理由がアレじゃ・・・、誰だって怒る・・・でしょ?」
そう返しながら、リュートは同意を求めるようにオルフェとジャックの方に視線を送る。
二人とも視線に気付くが、なぜか笑みを浮かべるだけでリュートの言葉に誰も賛成の意を述べる者はいなかった。
リュートは自分だけがカリカリしていたんだろうかと、さっき言った自分の言葉に自信をなくしてしまい、まるでその罪滅ぼしだとでも言うようにアギトの着替えを手伝いだした。
アギトが下着一枚だけの姿になると、まるで汚いものを見るような目つきでオルフェが怪訝な表情になる。
「なんだよ・・・その目わ、わぁーったよ・・・さっさと服を着たらいいんだろ!?」
頬を膨らませながらアギトは、ふと・・・あることに気付く。
「そういや・・・、オレ達の着替えって・・・手荷物の中、なんだよなぁ!?」
その言葉に、リュートは硬直した。
「手荷物って、確かメイドさん達が荷台に積み込んでいたけど・・・。」
ちらりとジャックの方に目をやる、ジャックは勿論・・・という表情で頷いた。
「そうだな・・・、馬車が走ってる間は危ないから荷物の出し入れは出来んな・・・。」
「どぉーーーーーすんだよぉーーっ!!
オレこのままパンツ一丁でオルフェの石化寸前の眼差しに耐えろってかぁーーっ!?
無理無理、ムリだっつーのっ!!てかいくら気候がいいからって、汗引いた後に素っ裸だったら風邪引いちまうじゃーん!!」
両手で頭を押さえながらオーバーリアクションで、アギトが泣き叫ぶ。
肩を竦めたリュートは、とりあえず一旦馬車を止めてもらうかこのままアギトに我慢してもらうか・・・迷っていた。
すると答えが出る前にアギトはピタリと泣き叫ぶのをやめて、オルフェの方を睨みつけ・・・物欲しそうな眼差しで訴える。
「オルフェのそのマント・・・、貸せ。」
「お断りします。」
眉根を寄せながらオルフェがあっさりと拒否った。
何の躊躇も迷いもなく、瞬殺的返答にアギトはブチッとキレる。
「なんだよ別にいいじゃんか、減るもんじゃなし!!」
「君に貸したらマントが穢れます。
そうなったら使い物にならなくなるので、結果的に減ることになりますから絶対に貸しません。
大丈夫ですよ、馬鹿は風邪引かないとラ=ヴァース時代から語り継がれていますから。」
「碑文にそう書いてあったんかーーいっ!!」
「ジャックさん、僕・・・御者さんに頼んで少しの間馬車を止めてもらうようにお願いしてきますね。」
「あぁ、そうしてやれ。」
アギトとオルフェのやり取りを完全に無視して、リュートは客車の中にある小窓を開けてそこから御者に話しかけた。
元々何かあった場合は、この小窓を使って御者とやり取りするようになっている。
「すみません、ちょっと手荷物の中から着替えを取り出したいので少しの間だけ馬車を止めてもらっても構いませんか?」
「わかりました、少々お待ち下さい。」
そう返事が聞こえて、すぐに馬車は止まった。
始めからこうすればよかったんだと、完全に体力も使い果たしたアギトはソファの上に寝そべってしまっている。
これじゃしばらくは動こうとしないな・・・と思ったリュートは、アギトの代わりに馬車から降りて着替えを探しに行った。
そんな情けないアギトの姿を見て、オルフェは溜め息交じりにイヤミを言う。
「本当に君はリュートに甘えっぱなしですね・・・、そんなことではいつまでたっても親離れならぬリュート離れが出来ませんよ?」
ぶっす〜と膨れっ面を浮かべながらアギトは、的を射ていたのか・・・反論しなかった。
その言葉を聞いてジャックは乾いた笑い声を上げながら、一応アギトのフォローをしてやる。
「まぁまぁ・・・、アギトはそれだけリュートのことを信頼してるんだよな。」
自分の味方をしてくれてると思ったアギトは、ジャックのこの言葉には大いに反応して「うんうん」と大きく頷いて見せた。
しかしジャックはアメとムチを使い分けているのか・・・、アギトの味方をするのはこの言葉までだった。
「でもなアギト?
オルフェの言うことも最もだぞ、せめて自分で出来ること位は自分でしないとな。」
急に説教モードに突入されて、アギトはまたふてくされてしまう。
「自分のことは自分でしてるよ・・・、今はマジしんどいからってだけでさ・・・。」
なんだか居心地が悪くなってきたアギトは、唇を尖らせながら・・・黙ってソファの上にきちんと座り直す。
するとリュートが着替えを手に持って、客車に乗り込む前に御者に礼を言ってから戻って来た。
「アギト、とりあえず適当に持って来たけどコレでいいかな・・・って、あれ?どうかしたのみんな!?」
「別に。」
ふん・・・っと、鼻を鳴らしながらアギトはそっぽを向いてはいるが片手はしっかりと着替えを欲していた。
わけがわからないリュートはとりあえず着替えをアギトに渡すと、そのまま隣にちょこんっと座る。
なぜか馬車の空気がよどんでいる・・・、そう感じたリュートは何か話題を振った方が良いのだろうかと思い始めた。
そもそもどうして空気が悪くなっているのかわからないので、話題をどう切り出していいかもわからない。
ようやく着替えも済むとアギトが突然リュートの肩に手を置いて、ぐっと引き寄せて向かいに座るオルフェとジャックに見せつけるように言い放った。
「オレ達は親友同士だから甘え合っても全然オッケーなんだよ、なっリュート!?」
「はぁ・・・?
なんだかよくわかんないけど・・・、まぁ・・・甘えてもらえるってことは頼ってもらってるみたいで悪い気はしないから僕は
全然嬉しいんだけど・・・??」
話しの前後が全くわからないリュートは、適当に答えた。
しかしアギトにとってはその言葉で十分だったのか、満足そうな笑みを浮かべると手を離していつも通りの態度に戻る。
(何がそんなに満足なんだろ・・・?)
恐らくこの言葉の意味を理解しているであろう向かいの大人二人に視線を向けるが、二人も不可解そうな表情になっていたので
余計に混乱してくる。
隣を見ると、アギトは大人二人の表情には見向きもしないで鼻歌交じりに歌っていて・・・なんだかご機嫌そうだ。
リュートはもう一度視線で二人に訴えかけたが、二人とも「気にしない方がいい」という曖昧な目配せで納得させようとしている。
「・・・??」
出だしから胸の奥がもやもやしてくるスタートの切り方をしてしまったが、とにもかくにも主要メンバー達は炎の精霊イフリートが存在すると言われている火山口のある火山地帯へと馬車を走らせた。
火山地帯へ到着するのは馬車を走らせて、およそ5日程・・・。
その間は、知識を高め・・・魔物との戦闘を繰り返し・・・、精霊との対決に備えてじっくりとレベルアップすることを急務とした。
全てはマナ天秤のある部屋へたどり着く為・・・、そこから先オルフェ達がレムグランドの国王に対してどんな手を打っているのか
・・・まだわからない。
しかしアギト達は、オルフェ達大人を信じるより他なかった。
そこまで辿り着くには、炎の精霊イフリート、雷の精霊ヴォルト、そして光の上位精霊ルナと契約しなければいけない。
まずアギト達は精霊と契約することだけに集中した。
そうしなければ・・・、自分達が抱え込んでいる状況に押しつぶされそうになるからだ。
今は、出来ることをする・・・。
それだけを考えるように。