第10話 「初めての戦い」
建物の一室での大騒動、家具やテーブルなどは全て強風に煽られて壁に叩きつけられ今の状態では使い物にならない位にぐちゃぐちゃになっていた。
豪華なシャンデリアも無残に床に落ちており、飛んで行った椅子が窓ガラスを直撃して割れていた。
ここが自分の家でなくてよかった、リュートは心からそう思った。
これが自分の家なら、母親から「自分で散らかした物は自分で片付けなさい!」と言われていたはずだから。
なにせこれは、全てリュートがやったことなのだ。
不可抗力とはいえ、自分の中に眠っていたという『闇』と『風』のマナの暴走。
ザナハ姫が命をかけて止めてくれなかったら、自分だけではなくここにいる全ての者が危険にさらされていたことだろう。
それを思い出すたびに、胃の辺りがキリキリと痛みだす。
とにかく、この部屋はメイドや使用人が全て綺麗に片づけてくれるそうだった。
責任から自分も手伝うと言い出したが、オルフェ大佐が後で話しがあるということなので、別の部屋が用意されることとなった。
さすが王国直属、とかいうやつだけはある。
『金持ち』というレベルの問題ではないのだから、これ位は当然のことなのだろう。
にしても、一向にアギトが復活しない。
自分がアギトのマナを強制的に吸収したからと聞いたのだが、それだけの説明では世界観設定に詳しくないリュートにとっては、さっぱり意味がわからなかった。
オルフェ大佐の説明によると、つまりはアギトの体内にある生気や活力をリュートが奪ってしまった為、極度の過労で動けなくなっていると認識した方がわかりやすいだろうと、話してくれた。
とりあえず、兵士の一人がアギトを抱え込んで用意された部屋に運んでくれようとした。
ーーと、その時!
建物の外が何やら騒がしくなってきた。
剣と剣がぶつかり合って、キンッという金属音が遠くから聞こえてくる。
その中には悲鳴なのか怒声なのか、まるで何かの襲撃を受けて応戦しているかのような騒ぎが聞こえてきたのだ。
それを真っ先に聞きつけた金髪の知的な美女、ミラ中尉がガラスの割れた窓から身を乗り出して外を眇めると、「何事ですっ!?」と外にいるはずの見張りに声をかけた。
だがしかし、外に一定の間隔で配置していた兵士が一人もいない、どこにも姿が見えない。
恐らくは、遠くで見張りの巡回をしていた兵士が何者かに襲われたと思われる襲撃音を聞きつけて様子を見に行ったか、あるいは加勢しに行ったか、そのどちらかであろう。
とにかく今この部屋にいるのはアギトを運ぼうとしている兵士一人に、メイド、そして使用人。
それに失神中のアギト、体力的に問題なさそうなリュート、少し疲労気味のザナハ、ピンピンしている
オルフェ大佐とミラ中尉、これだけだった。
ミラ中尉は、兵士とメイド、それに使用人達を建物に残すとすぐさま彼等に命令した。
『自分達が外の様子を見に行くから、一時間して戻らなければすぐに安全な場所へ逃げて救援依頼をするように』と、指示する。
建物から出ていこうとした時、ザナハが自分も行くと言い出した。
それをミラがなだめるように、制止する。
「姫様は疲労がたまっておいでです、このまま部屋に戻って休息を取っていてください」
そう心配するミラに反して、ザナハは口元を引き締めると、必死に説得する。
「この子とは違う『闇』のマナの気配が近づいてきているのが、あたしにはわかるの!! もしかしたらアビスの手の者かもしれないわ! あたし達の出立のことを聞きつけて、抵抗しに来たアビス側の人間かもしれない。そうなったら神子の力が必要になってくるはずよ?」
だがしかし、ミラ中尉の意見に賛成なのか、オルフェが反論する。
「それならなおさら、ザナハ姫には避難していただかなければいけません。我々は光の戦士と、光の神子を必要としているのです。こんな所で失う訳にはいきませんからね。それに、貴女のガードは私や中尉だけではありませんよ。」
「え?」
ザナハは目を点にさせて、オルフェが視線を送った先に気が付いて目をやった。
そこには、金髪のロングヘアーをした小さな少女がくまのぬいぐるみを持って立っていた。
頭には大きなリボンのヘアバンド、長い前髪からセンター分けされた大きなおでこがやけに目立つ。
ピンクがかった白いワンピースに、真っ赤なエナメルシューズ、アギトより身長が低くて年齢で言えば十歳位であろうか、まるで外国の人形のように綺麗な顔立ちをした少女だった。
しかしその顔には表情や感情といったものが読み取れず、まるでマネキン人形のような空っぽな印象を与えている。
その少女に向かって、オルフェがご機嫌に声をかけた。
「やぁドルチェ、早速だが姫の護衛を引き受けてもらいたい。私と中尉で外の様子を見てきますから、あとは君の判断に任せますよ」
オルフェの言葉に依存はないのか、ドルチェは軽く頷くとザナハ、リュート、そしてアギトに目を配る。
少し間を置いてから、オルフェは命令をもう一言付け加えた。
「その二人は光と闇の戦士だ。恐らくは戦い方をよく知らないだろうから、ザナハ姫同様守ってやってください」
「了解」
どこの誰からの襲撃かもわからないのに、大佐はこんな小さな少女に3人も守れと命令してそのままミラ中尉と何の躊躇もなく森の中へと走って消えて行ってしまった。
しかもそれをあっさりと了解して見送る少女の心理も理解出来なかった。
いやそもそもこんな『異世界』とか『ファンタジー』とは無縁だったリュートには理解出来ないことだらけだった。
「この世界では、こんな小さな女の子にまで戦いを!?」
小さく呟いたつもりだったが、それはハッキリとザナハに聞かれてしまっていた。
「何言ってるの、当たり前じゃない!? 戦う力を持っていなきゃ、どうやって生きていくっていうの!?」
ごく自然で当たり前、普通にそう言い切れることにリュートは余計混乱した。
「でも、襲撃されてるんだよ!? そんなのが日常茶飯事だっていうの!? この世界ってそんなにヤバくて危険な世界なのっ!?」
リュートは必死になって同意を求めた、ほんの少しでもいい。
武器を持って戦うのはごく一部の人間だけだと。軍人とか、傭兵とか、そういった人達だけだと、そう言ってほしかった。
でなければ、こんな世界にいたらいつ死んでもおかしくないということになってしまう!
自分はそんなのはごめんだった。
こんな、ここがどこかもわからないような場所で、親兄弟に知られることなく死んでしまうなんて。
ザナハも困惑したような表情で、リュートの問いになんとか答えてやろうと必死で言葉を選んで説明しようとする。
「あんた達の世界には争いや、戦争とか、魔物の襲撃とかはないっていうの? 少なくともこの世界では、アビスグランドっていう敵国からの直接的な襲撃は殆どないけど、どうしてもアビスグランドから漏れ出てきた魔物との対峙は避けられないのよ。アビスは闇の眷属がはびこる魔界って言われてるから、そこからごくまれに魔物がこっちの世界に出現するの。力の強い魔物や魔族になれば、異界の歪みに引っ掛かって容易にここへ漏れ出ることなんて殆どないんだけど。そういったレベルの高いアビス人とか魔族とかは、龍神族の許可があればここへ来れてしまうの。それをするには正当な手順を踏んだ手続きが必要になってくるんだけど」
一気に説明し出すザナハに、到底ついていけないリュートは更に混乱した。
アビス?
龍神族?
聞き慣れない、聞いたこともない単語が次々と耳に入ってくるが、頭の中にまでは入ってこない。
これ以上はアギトの領域だ、リュートは途中でそう察して、後の説明は聞き流そうとした。
だが、そんな時間の余裕は残念ながら許されていない。
「敵の気配を確認。 戦闘態勢に移行します」
小さな少女、ドルチェが機械的にそう言うとくまのぬいぐるみに手をかざした。
そんなぬいぐるみで一体何をするのか? いや、そんなことよりも敵が現れた!?
リュートはどきんっと、心臓がひっくり返ったように感じる。
慌てて回りを見渡すが、今リュート達はぐちゃぐちゃになった部屋の中。
メイドや使用人達が、ドルチェの言葉に恐怖心が増して唯一部屋にいた一人の兵士に助けを求めた。
しかしドルチェは表情ひとつ変えずに、兵士と使用人たちに指示する。
「あなた達はそこで気を失っている人を連れて逃げて」
ーーが、遅かった。
何の攻撃を受けたのか、兵士とメイドと使用人は急に催眠ガスを思いきり吸い込んだかのようにうつろな眼差しになったかと思うと、そのまま膝からガクンっと床について、倒れこんだ。
「な、なにっ、一体どうしたのっ!?」
突然の出来事にパニックになって、倒れたメイド達の方へリュートが駆け寄ろうとした。
「行ってはダメ!」
自分より小さな少女に制止されて、え? となって振り返るリュート。
「戦闘はもう始まっている。 戦闘テロップが表示されてるから」
「は?」と、ドルチェの方の、すぐ横に文字が表れているのを肉眼でハッキリと捉える。
『ドルチェ LV10 HP110 MP23』
計測器で見たような白く光る謎の糸が、もぞもぞと文字となって現われていた。
「何あれ?」と、ザナハの方を振り向くと同じように宙に文字が浮かんでいた。
『ザナハ LV2 HP42 MP38』
「何って、だからさっきドルチェが言ったじゃない、戦闘テロップよ。戦う時に生命力があとどれ位残ってるのかとか」
「いやいやいやいやそういう意味で言ったんじゃなくて、え? 何? RPG?」
有り得ないとでも言いたげにリュートは、さりげなく自分の横を見た。すると。
『リュート LV1 HP8 MP25 瀕死』
「低っ!! HP低っ……って、ちょっと待った!! 何で僕のHPだけこんなに低いのっ!? てゆうかMPよりHPの方が低いって、アギトのゲームじゃこんなパターンなかったんですけど!?」
自分の生命力のあまりの低さに思わず、でなくてもツッコむリュート、それも当然のことだ。
こんな残りHPでは一番最初の序盤に出て来る、一番弱いスライムの一撃でさえあの世行きである。
しばし考え込んでから、ザナハが「てへっ!」と舌を出してオチャメに笑って答えた。
「あ、それってもしかしたらさっきのあたしのアッパー分のダメージが残っているせいかも??」
こつんっと自分の頭を軽く小突いて白状した、確かに可愛いがわずかに憎しみが込み上がる。
「そん時から戦闘開始っ!?」
と、不吉なことに気が付くリュート。
顔が蒼白になる、乾いた笑いがこぼれる、もしかしなくても。
『アギト LV1 HP0 MP15 戦闘不能』
「やっぱりぃーーっっ!!」
これは先程リュートのマナが暴走した時にアギトの生命力らしきマナを強制的に吸収してしまったせいで、アギトは失神、つまり戦闘不能の状態に陥っているという意味である。
こんな戦闘以前の出来事までパラメーターに影響するなんて、アギトにプレイさせてもらったゲームでは絶対になかったことだった。
アギトの状態とテロップを見て、ドルチェは最初からわかっていたのか、特に視界に入れていない。
ザナハは「使えないヤツ」とでも言いたげに、白い目でアギトのテロップを眺めていた。
アギトがいない状態、しかも自分以外は美少女だけ。
唯一生き残っている男の自分がしっかりしなければと思うが、レベルはたったの1。
しかも戦闘経験なんて全くのゼロに等しい、加えて残りHPは一ケタ切っていて瀕死状態。
そして、使用人たちを眠らせた敵がどこにいるかもわからない。
「見て、あそこっ!!」
ザナハがそう言って指をさすと、部屋の扉がゆっくりと、ぎぃぃぃっと鈍い音を立てて扉の向こうから何かがこちらを見ているのがわかった。
リュートは心臓が口から飛び出そうな位、恐怖で体が固まってしまう勢いだった。
扉から覗いていた『それ』は、ゆっくりと部屋の中に入って来る!!
それは、オレンジ色をした1メートル位の巨大なキノコだった。
しかしキノコにはぎょろっとした目玉と不気味に開いた大きな口、人間のように手足が生えており、その短い足でのそのそと部屋に入ってきたのである。
確かにその姿は不気味だったが、リュートはもっと別の恐ろしいものを想像していた。
悪魔とか、もっとグロテスクな化け物とか。
化け物と考えた瞬間、胸がちくりと痛んだが今はそんな痛みに構っている状況ではない。
1匹なら何とかなるかもしれない、と思ったらキノコの後ろからもう一匹姿を現した。
これは紫色の大きなグミみたいな、おそらくスライムだろう。
ぶにょぶにょとした体を上下左右に揺らしながら、器用にキノコの後をついて来る。
そのぶにゃっとした物体にも、目と口があった。
『おばけキノコ LV3 HP78 MP20』
『スライム LV1 HP32 MP5』
敵のテロップも丁寧に表示される。
おばけキノコを目にしたドルチェは、使用人たちの卒倒の原因を理解した。
「恐らくさっきメイド達を眠らせたのは、おばけキノコの特殊能力が発動したため。おばけキノコの攻撃には『眠り攻撃』が付加されてるから気を付けて」
当然のように戦闘が開始されている。
心の準備も出来ていないのに、戦闘テロップに自分のステータスが表示された時点でリュートも戦闘参加ユニットにされたようだ。
ザナハも、いつの間にか戦闘態勢に入っている。
しかし変わらずリュート達メンバーには武器を持った人間が一人もいない。
武器もなしに戦えとでも言うのだろうか?
リュートは、今になってアギトのゲームにもう少しマジメに取り組んでおけばよかったと後悔した。
自分がまさかこんなファンタジーの世界に迷い込んで、こんなモンスターと戦闘することになるなんて誰だって夢にも思わないだろう。
だから後悔したって、別にどうってことはないのはわかっているのだがせめてもう少し自分と同じ立場で、戦闘経験が少なく、相談し合える相手が欲しかったと痛感した。
アギトっ、そんな所でノンキに伸びてないで何とか自力で復活してよ! と必死で願う。
これはアギトが望んで夢見てた展開なんでしょ!?
だったら一緒に戦ってアドバイスでも何でもしてよっ!
だが、完全に失神しているアギトにそんなことを囁いても聞こえるはずもない。
事態が一変するはずでもない。
武器を誰一人として持っていない美少女二人と、レベル1のリュート、一人は戦闘不能のこの状態。
たった2匹のレベルの低いモンスターだが、リュート達は無事に敵を倒して生き残ることができるのであろうか?
そして建物の回りで兵士を襲撃している人物は一体何者なのか?
オルフェやミラはどうなったのか?
リュートにそんな心配をする余裕があるはずもなかった。