第116話 「ザナハの異常」
ノームデイ(土曜日)の真昼に馬車で出発するということで、アギトとリュートはそれまでの間は仮眠を取ることにした。
リ=ヴァースで一難あったと思えばレムグランドでもまた一難・・・、そんなこんなで殆どの者が徹夜状態だった為に疲労が溜まっていた。
アギトはあまりの空腹で眠れなかったせいか、疲れきったリュートを部屋で寝かせたまま食堂に来ている。
いつもならば食堂には何人かが休憩で食事をしている姿を見かけたが、今日はガラン・・・としていた。
誰もいない・・・という状況は初めてだったので、思わずウェイトレスをしているメイドさんに話しかける。
「なぁ、今日は随分と閑古鳥状態みたいだけど・・・軍人さん誰も来てないの!?」
しかしメイドさんはぐったりとしていて、目の下にはクマが出来ていた。
・・・明らかに寝不足状態のようだ。
「昨晩は魔物の襲撃がありましたから・・・、外周の見張りや警護の為・・・軍人の皆さんにはお弁当を作って持って行って
もらっているんですよ。
ついさっき全員分の弁当を作り終えたところで・・・、ですからこんな顔でごめんなさいね。」
そう言ってメイドさんはコップに冷たい水を注いで、アギトに渡してくれる。
コップを受け取りながらアギトは厨房の方に目をやると、コックさんの何人かは・・・やはり疲れきった様子でぐったりとしていた。
なんだか可哀相に思えてきたアギトは、少し遠慮気味にメイドさんに声をかける。
「あ・・・、じゃあ今からオレの朝メシ作ってほしいっていうのは・・・ちょっとキツイ?」
「いいえ、そんなことありませんよ!!
皆さんの為にお食事を作るのが、私達の仕事ですから・・・アギト様が遠慮なさることはないんですよ!?」
慌てて元気を取り繕うと、メイドは急いでメモを手に持ってアギトから注文を受ける姿勢を取った。
アギトの一言でメイドを始め、厨房のコックさんまでもが己のプライドの為に疲労した体を押して俊敏な動きを見せ出した。
そんな彼らを目の前にして更に注文しづらくなったアギトは、せめて簡単な料理を注文してやろうと・・・オムライスに決める。
正直なところ、徹夜のせいもあってあまり重たいものや油っこいものが喉を通らない状態というのもあったが・・・。
注文し終えてオムライスが運ばれて来るまで・・・、といっても客はアギトしかいない為すぐにでも出来上がるだろう。
その間は窓側の席に座ってぼんやりと外を眺めていた。
食堂の客の人数が少ない時は、よく暇そうにしているメイドさんやコックさんに話しかけたりして盛り上がっていたものだが、今日に限ってはそっとしておいてやろうと思った。
彼らにも少し位の休息は必要だ・・・、というより彼らはいつ休んでいるんだろうと疑問に思う。
朝、昼、晩・・・たまに夜食の時など、食堂に行ったら決まって彼らが迎えてくれるし、いつも美味しい料理を出してくれる。
何時に行っても同じコックさんが厨房にいるところを見ると、もしかしたら厨房にベッドがあるんじゃないかと疑いたくなる。
そんなことを考えながら、アギトは外で見張りをしている兵士や軍人を観察していた。
兵士はオルフェの部下・・・並びに、この洋館の警固をしている人たちをさす・・・、もっともオルフェの部下達も軍人だが国王軍とは全く毛色が違うとアギトは感じている。
オルフェから聞いたことだが、首都から来た援軍は主に城塞都市内部の警固や首都周辺での異変を解決する為に働いている。
従って、こういった自然に溢れた森などの警固は不慣れだと言っていた。
(こんな森の中に戦車走らせて来るような奴等だもんな・・・、そりゃ頼りねぇって思うわ・・・。)
しかしそれでも今はそんな援軍でも、ないよりはマシな状況だった。
今までこの大きな洋館の周辺を最小限の人数で警固していたが、これからはいつ何時魔物やアビス人が襲撃してくるか知れない。
その為周辺の警固の人数を増やさなければいけないのだ。
24時間そんな状態を保とうとすれば、今まで通りの人数だと過労になる者だって出てくるだろう。
不慣れであろうが頼りなかろうが、そんな人間でも数として欲しい位に今は切迫した状況に陥っている。
それに今日の午後からは、頼りになるオルフェやジャックはアギト達と共にこの洋館を離れることになるのだ。
アギト達が炎の精霊と契約して戻って来るまで、この洋館は彼らでしっかり死守してもらわなければならない。
考えてみれば、アギトはここの兵士たちの実力を・・・あまりよく知らないでいた。
兵士・・・軍人というからには、やはりそれなりに強いはずだろう。
でなければオルフェがこの洋館の警固として、彼らを選抜してここに連れてくるとは思えなかった。
「あのオルフェのことだから、自分がラク出来るように優秀な人材ばっかり連れて来てそうだもんなぁ・・・。」
そんなことをぼそりと呟いていたら、メイドが含み笑いを浮かべながらオムライスを持ってきた。
アギトは礼を言って、早速スプーンですくってほおばる。
いつ来ても、いつ食べてもここの料理は絶品だった。
リュートのお母さんの手料理もかなり好きだが、おばさんの料理には決まってアギトの嫌いなにんじんが入っている。
それさえなければ、きっとおばさんの料理がこの世で一番だっただろう・・・。
オムライスを大口開けてほおばりながら、アギトはふと静止世界でのことを思い出す。
(そういや・・・静止世界ではオルフェと半年間位二人きりだったから、食事はいつもオルフェの手料理だったなぁ・・・。
それまではオルフェの手料理は死んでも食いたくない!・・・って思ってたけど、悔しいけど・・・美味かったんだよな〜。)
複雑な表情で、もぐもぐと噛み続ける。
お腹が空いていたせいもあって、オムライスはすぐに完食してしまった。
いつまでもここに居座っていたら迷惑かもしれないと気を使って、アギトは食器を厨房のカウンターまで持って行くとお礼を言ってすぐに食堂を出て行った。
お腹が膨れたら今度は一気に眠気が襲ってきた。
大きなあくびをしながら、アギトはだらしなく廊下をゆっくり歩いていた。
そしてまたちらりと、外の景色に目をやる。
兵士が常に緊張感を持ったまま、周辺警固をしている。
勤務中の彼等はあんなにも一生懸命仕事をしているのに、自分は食堂でお腹一杯食事して・・・そして今から眠りに就こうとしている。
・・・こんなことでいいのだろうか?、となぜか罪悪感が生まれた。
アギトは首を左右に振って、自分に言い聞かせた。
(オレ達は昼になったら契約の旅に向けて出発するんだ!!
契約の旅っつったら、魔物は出るし精霊と戦わなきゃいけねぇし、ゆくゆくはルイド達と戦わないといけない!
・・・そう!オレ達はオレ達でやらなきゃいけないことがたくさんあって大変なんだ!
だから・・・、今は英気を養うって意味でも・・・ゆっくり休まなくちゃいけねぇんだよ・・・な?)
自信なさげになりながら、アギトは肩を落としてそのまま自分の部屋へと向かった。
・・・と、目の前のドアが突然開いたかと思ったらザナハが出てきてバチィッと思いきり目が合った。
「あれ?・・・あんた仮眠取ってたんじゃなかったの?」
いつもの大きなフリルの付いたミニスカートではなく、初めて会った頃と同じイブニングドレスのような白い衣装を纏ったザナハに声を掛けられて、アギトは普通に返事をしていた。
「腹減ってたからオレだけ食堂行ってたんだよ、それよりお前こそ何してんだ!?」
両手を頭の後ろに組みながらアギトが尋ねる。
なぜか口喧嘩もイヤミも憎まれ口もなく、普通に会話していることに不思議に思いながらザナハが答える。
「・・・何だか眠れなくて。
訓練場に行って少し運動しようと思ってたの。」
「一人でか?」
「他の兵士達はみんな警固で忙しいし・・・ミラもジャックも契約の旅に出ている間、問題が起きないように兵士達の指導を
してて忙しいし。
ドルチェ辺り誘おうと思ってたんだけど・・・、きっと今頃研究室で診察を受けてると思う。」
「・・・結局のところ、一人かよ。」
半目になりながら、アギトが小さくつっこんだ。
唇を尖らせながらザナハは、大して否定しない。
しかしアギトはザナハの頭の上から足の先まで、じろりと一通り見渡して・・・それからザナハが嘘を付いていることに気付く。
もし本当に訓練場で運動しようと思っていたのなら、こんな動きにくいドレスを着て行くはずがない。
それに裾の長いドレスから見える足元には長時間歩き続けるにはつらそうな、ヒールを履いていた。
どうしてここの連中は隠しごとをしたがるのか・・・、そのことにかなり不満と不服を抱いていたアギトがイジワルを思いつく。
にかっと笑いながら、アギトは優しげにザナハに声をかけた。
「そうだ・・・、よかったらその運動にオレも付き合ってやるよ!
オレもちょうど食後の運動がしたかったとこなんだよなぁ〜〜!!」
もしどうしても知られたくないようなことをしに行くつもりだったなら、ここで真っ先に断るはずだと思った。
しかしアギトは例え断られても、しつこくついて行くつもりでいた。
嘘をつけばどんなことになるか・・・、どんなに面倒臭いことになるか・・・思い知らせる為だった。
一瞬ザナハは眉根を寄せたが、すぐに普通の表情に戻ると・・・予想だにしなかった返事が返って来る。
「そう?
それじゃ付き合ってもらおうかな・・・。」
「はぁ!?」
会話が成り立たない声を洩らして、ザナハが不審な顔になる。
アギトはすぐに両手を振って「なんでもない」と誤魔化すが、意外にもザナハは気に留めていない様子だった。
ザナハの態度に、アギトの方が怪訝な表情になってうろたえてきた。
(・・・なんだ!?今日のこいつ、やけに素直じゃね!?・・・きもちわるっ!!
いつもだったらオレのやることなすこと全てにケチつけるわ、喧嘩腰で突っかかって来るわでムカツクのに。)
「どうしたのよ・・・、気持ち悪い顔浮かべて・・・。」
そう返されてアギトは文句を言おうとしたが、先手を打たれたせいか調子が狂う。
「な・・・、なんでもねぇよ!!
それより訓練場に行くんだろ!?・・・それならさっさと行こうぜ。」
そう吐き捨てるように言うと、アギトはなぜか先頭切って歩きだした。
ザナハも黙ってついて来る。
アギトは早歩きになりながら、ザナハの不可解な態度が気になって・・・自分が余計なことを言ったことに後悔していた。
こんなことなら変なこと言わないでさっさとあの場で別れておけばよかった・・・。
ザナハを手痛い目に合わせようと小ズルイことを考えたから、罰でも当たったのだろうか?
口をへの字に曲げながら、アギトはなおもスタスタと歩き続けると・・・後ろの方から息を切らす声が聞こえてくる。
くるっと振り返ると・・・ザナハがドレスの裾を踏まないように両手で少し掴み上げながら必死になってついて来ていた。
それに、ヒールのせいでとても走りづらそうだ。
その光景を見てアギトは、ついイラッとしてしまう。
「あのなぁ・・・、オレの歩くスピードが早いんならそう言えよな!?
そんな靴履いてっから歩きづれぇんだよ!!」
アギトの不機嫌全開の言葉に、ザナハもカチンと来ていた。
しかし・・・。
「・・・ごめん。」
怒りをぐっと堪えたザナハは、視線を床に落としながらアギトに謝る。
しかしその口調はとても心から謝っているような感じではなく、不満たっぷりでどこかトゲがあった。
その態度にますます調子を狂わされるアギトは、だんだんイライラが増してきた。
だがここで怒鳴り散らすのも気が引ける・・・と感じたアギトは、どうにか深呼吸することで気を落ち着かせて平静を保とうとする。
そして無理矢理笑顔を作って、言い直した。
「ま・・・まぁ、その靴じゃしゃあねぇわな・・・。
今度からはゆっくり歩くから・・・、それならいいだろ!?」
ぎこちない口調でそれだけ言うと、アギトはザナハと向かい合うのが耐えられなくなってすぐに前を向いて再びゆっくり歩きだす。
(なんだ・・・?一体なんだってんだよ!?
なんでこいつ噛みついてこねぇんだ?・・・なんでこんなにキモイんだよっ!?
・・・わかんねぇ!!
もしかして徹夜で疲労が溜まっておかしくなってんじゃねぇのか!?・・・それしかねぇな。
だったらここで運動とか言ってる場合じゃねぇんじゃねぇか!?
このまま医務室に連れてった方が良くね?)
そんなことを考えながら、アギトはだんだんと不安になって来る。
今までこんなことはなかった・・・、いつものザナハならばすぐに喧嘩になってるし、ましてやアギトと一緒に行動しようなんてことは絶対にしなかったはずだ。
次第にアギトの思考回路はこんなことまで思いつく。
(なんだ・・・、こいつ何を企んでやがる!?
しおらしい態度を装って、光の戦士として相応しくないオレを亡き者にしようとしてるんじゃ・・・!?)
だんだん謀略だの暗殺計画だのが次々思いつく間に、気がつけば訓練場に到着していた。
アギトの思考ではこの訓練場で撲殺されると推理していたので、訓練場の扉が目の前に現れた時には額に冷や汗をたっぷりかいていた。
ザナハはそんなアギトの不安を他所に、嬉しそうに訓練場の扉を意気揚々と開ける。
その表情があまりに満面の笑みだったので、アギトの推理はやがて確信へと至っていた。
(こいつのこの顔はぜってーオレをボコるのを嬉しがっている顔だ!!
間違いない・・・、オレってばこいつにくびり殺されるっ!!)
ぎぎぃ〜っと鈍い音を立てながら・・・地獄への扉、・・・もとい訓練場の扉は開かれた。