第112話 「些細な願い」
「もうすぐ太陽昇んじゃんか・・・。」
レムグランドから再び戻ってきたアギトとリュートは、廃工場に着くなり愚痴をこぼしていた。
アギトが母親により軟禁状態を強いられていた為にいつものサイクルが狂って、何とか脱出することに成功したものの・・・そのまま真っ直ぐにレムグランドへ戻るとは思っていなかった。
日曜の夕方まで二人がいなくなっていることを誰にも悟られない為に、いつも暗示にかける魔法薬をリュートの家族に飲ませているのだが、今回は飲ませる余裕がなかったのだ。
二人はわざわざ家族に魔法薬を飲ませる為だけに、再びリ=ヴァースへと戻ってきたのである。
「急がないと・・・、土曜はまだお父さんの仕事があるから・・・お母さん弁当を作る為に早起きするんだよね。」
大急ぎでリュートの家へと走って行く。
途中で問題が起きないように、出来るだけ交番の前を避けたり24時間営業の店の前を避けたりと・・・時間を取られてしまう。
陽が昇る寸前で小学生が街中をウロウロしていたら、どう思われるかわかったものではない。
杞憂かもしれないが、それでも何かが起きる前に事前に対策を打っておいて損はないだろうと思った。
かなり町外れにリュートの家があるわけだが、何とか到着してそ〜っと家の中の様子を窺う。
・・・物音はしない。
母親が起きていたら、台所の方で料理をする物音が聞こえてくるはずだからだ。
その音が聞こえてこないということは、とりあえずはセーフだったということになる。
二人は静かに家の中に入ると・・・ここに来て相談を始めた。
「そうだ・・・、魔法薬を飲ませた時に30分以内に暗示の命令をしなきゃいけないでしょ!?
みんな寝たままの状態だったら、何とか飲ませることが出来たとしても命令をちゃんと聞いて実行するかどうかなんて・・・
わかるの?
いつもみたいにみんなが起きてから朝食の時に薬を含ませて、それから催眠状態に入ったのを確認してから命令した方が良く
ないかな!?」
「でもそんなことしてたら、向こうに行く時間がどんどん遅れるじゃんか。」
二人がひそひそと口論していたら、ガタッ・・・と戸が開く音が聞こえて思わず屈んで身を隠す。
ギシギシとリュートの母親が廊下を歩いて行って台所へと向かっている、どうやら今から朝食と弁当の支度をするようだ。
ドキドキと心臓の音が激しく鳴って、母親に見つからなかったことにホッとする。
「おばさん起きちまったじゃん・・・!
こうなりゃさぁ・・・、とりあえずおばさんにフォルキス飲ませて・・・こう命令するのはどうだ!?
先におばさんに命令出しとくんだよ。
家族全員に薬入りの味噌汁飲ませて、自分と同じ命令をさせるように・・・って。
・・・ダメかな?」
「そういうパターンだとどうなるか、大佐から聞いてないからなぁ・・・。
やめておいた方が無難じゃない!?実際どうなるか確認出来ないし・・・、失敗しておかしなことになったら大変だし。
やっぱ今までの手順でいった方がいいって!!」
そう告げると、リュートはアギトの制止も聞かずに家の中へと駆けこんで行ってしまった。
アギトは現在マンションにいることになっているから、ここから動くことが出来ない。
とにかくリュートが成功したという知らせを聞くまではジッと待つしかなかった。
リュートは家の中に入ると、まず自分も今起きたばかり・・・というのを装って台所へと向かう。
「あら、リュート!
今日は休みなのに随分早いじゃないの。もうちょっと寝ててもいいんだよ!?」
母親は何の違和感もなく、いつも通りに話しかけてきた。
リュートは極力怪しまれないように、いつも通りに振舞って朝食の手伝いをするように見せかけて薬を入れるタイミングを見計らった。
リュートはいつも家族全員に薬を飲ませる時は、こうやって食事の手伝いをしているように見せて味噌汁だったり、ご飯だったり・・・その場その場で薬を忍ばせていたのだ。
今回も同じ手順で行く。
母親がおかずを作っている間に、リュートは味噌汁を作るのを任されて・・・母親が反対方向を向いた瞬間を狙ってフォルキスを
味噌汁の中に入れた。
勿論、朝食の時には家族全員がこの味噌汁を飲むから余ったり残ったりはしない。
なにせリュート一家は大家族だから、余った味噌汁を後で飲んで魔法薬を二重に飲んでしまう・・・という事態にはならないのだ。
母親とアギトについて一言二言会話して、朝食の準備を終わらせる。
リュートは家族全員が朝食の席に着いてくれないと困るので、弟や妹達を叩き起こしに行く。
「リュート・・・、まだ6時なんだから下の子達は寝かせてやったら?」
まだ眠たそうにしている子供たちを見た母親が、リュートを注意する。
しかしここで引き下がるわけにはいかない。
同じタイミングで飲んでもらわないと、暗示にかける時間帯が合わなくなってしまうからだ。
「やっぱり食事は家族みんなでした方がいいよ、絶対!!
さっ、みんな揃ったし・・・いただきまぁーーーす!!」
かなり違和感があったかもしれないが、リュートは殆ど無理矢理家族全員で朝食を取った。
家の外でアギトが壁に聞き耳を立てていたが、あまり大したことは聞こえてこなかった。
家の中で何がどうなっているのか、リュートはちゃんと成功しているのか、自分もものすごくお腹が空いているのに・・・など。
色んなことが頭の中を駆け巡る。
ふと、窓から朝食のいい香りが漂ってきて、アギトはその匂いを嗅ぎながらお腹の虫が大暴れした。
「くっそ〜〜!!
そういえば結局急いでこっちに来たから、何も食えなかったんだった!!
リュートのやつ・・・、今頃おばさんの美味い手作り料理を食ってんだろうなぁ〜〜!!」
次第に腹が立ってきて、空腹感が更にイライラを膨らませた。
するとリュートが家の中に入って大体40分位過ぎた頃、ようやくリュートが出てきた。
アギトはそれを見てすぐに駆け寄ると、中の様子を聞く。
「大丈夫だよ、ちょっと怪しまれそうだったけど・・・ちゃんとみんなに魔法薬を飲ませて暗示の命令も大佐が言ったように
半永久的に持続するような命令内容にしといた。
さ、レムグランドに帰ろうか!!」
アギトは恨めしそうな目つきでリュートを睨んでいた。
たかがこんなことでケンカを吹っかけても仕方がないと、グッと堪えてリュートの言葉に従う。
ここでやるべきことはやった・・・ということもあり、廃工場へ向かう足取りが急に重たくなっていた。
考えてみればたった数時間で色々なことがあり過ぎて疲労が押し寄せてきた・・・というのもあるかもしれない。
そう思うと、突然二人の脳裏に様々な疑問が雪崩のように蘇る。
「そういやさぁ・・・、ルイドとの話の中でおかしなことばっか連続で起きたと思わねぇか!?
例えば、ドルチェにめっちゃソックリだったあの・・・フィアナ、だっけか!?
オルフェの妹だってミラが言ってたけど・・・、年の差あり過ぎじゃね?」
とぼとぼと歩きながら、アギトが疑問その1を話しだした。
リュートも同じことを考えていた、ただ・・・あの場では何だか聞いてはいけないような、そんな空気を感じたので黙っていたのだ。
一応オルフェに知らないことを全部話してもらう気でいたが、フィアナとドルチェの関係も話してくれるのかどうかはわからない。
それは救済の旅とは関係のない内容かもしれないからだ。
「そう・・・だよね、あのフィアナって娘がドルチェのことを自分そっくりの人形・・・って言ってたの、覚えてる!?
二人ともどう見ても10歳の少女にしか見えないし・・・、それで大佐の妹って言われたり、20年前に死んだはずとか言われ
たら・・・何が何だかワケがわかんないよね。」
リュートの言葉に、アギトはしばし黙ったまま・・・少し間を置いてから口を開く。
「あのさぁ・・・、こういうパターンってマンガとかゲームでよくあるんだよな。」
それを聞いてリュートが「え!?」となる。
恐らく今までのようにアギトの推測の域の話になるんだろうとは思っているが、その知識がこれまでの旅の中で少なからず参考になったのも事実なので続きを聞いてみることにした。
「何で知ったのかは忘れたけど、・・・死んだ人間そっくりのダミーとかレプリカを作る技術が、レムでもあったとしたらさぁ。
もしかしたら何かの事故でフィアナってのが死んで・・・、オルフェがそれを生き返らせる為に魔術か何かで蘇生させようとした
ら・・・ドルチェが生まれた、とか!?
生き返った人間は普通とは違うから、全く成長しない・・・とか。
実はフィアナも魔術で生き返ってたんだけど、それをオルフェ達が知らないだけ・・・とか。」
二人は唸りながら難しそうな表情になる、アギトも自分で話しておいて・・・余りにも現実離れしている内容に、余計に混乱しただけだと・・・、それ以上の想像をするのはやめた。
話してくれるかどうかわからないが、こればかりは本人から聞いた方がいいだろう・・・と二人は思った。
「今からレムに行って・・・、大佐は一体何について話してくれるのかな?
僕達の知らなかったこと全部?
それとも救済の旅に関する内容だけ?」
「・・・オルフェのことだから、救済の旅に関することだけっぽいよな〜〜。
なんか・・・他のことは追及すんな!っていうオーラ満開じゃん?口には出さないけど、ものっそ視線で訴えてくるし。」
その視線を思い出してか、アギトは身震いした。
アギトの仕草を見て、くすっと笑うリュートだが・・・もうひとつ、アギトに聞きたいことが残っていた。
リュートはずっと聞こうか、どうしようか迷っていた。
また拒絶されたらどうしようという気持ちが勝っていたからだ、しかし今を逃したらまたずるずると聞けない状態が続くかもしれないと思ったリュートは、廃工場に着く前に意を決して聞いてみることにする。
「あの・・・アギト?」
「あん!?」
ごくりとツバを飲む。
「アギトのお母さん・・・、前からああなの!?」
アギトの方に視線を向けていたわけではないが、アギトの表情が強張ったのが・・・なぜかリュートにはわかった。
明らかに触れてはいけないような内容らしい。
触れてはいけない・・・、というよりは思い出したくない・・・と言う方が正しいかもしれないが。
「アギトが自分の家族について何も話したがらないことは、もうずっと前から知ってたよ。
僕も・・・いつかアギトの方から話してくれるかもしれないって・・・、ずっと聞かなかったから。
でもこんなことがこれからも続くようなら、放っておけない。
ううん・・・、僕はアギトのこと放っとかないから!
だから話してよ・・・、話して・・・ほしいんだ。」
長い沈黙が続いた。
ただ廃工場への距離が縮まるだけ・・・、ゆっくりとした足取りだったが確実に廃工場へと近付いて行く。
しかしリュートは急かさなかった、アギトのペースに身を委ねた。
工場地帯に入って行った時に・・・ようやくか細い小さな声が耳に入って来る。
「生まれた時から・・・、だと思う。」
リュートはあえてアギトの方をじっと見つめ過ぎないように・・・、全神経を耳にだけ集中させて聞き洩らさないように必死になって聞いた。
「よく覚えてねぇけど・・・、実際にオレを育ててくれたのは・・・他人だった。
1歳位の時は母ちゃん側の両親・・・、オレのじいちゃんとばあちゃんが育ててくれたらしいけど・・・事故で死んだって。
それからは毎日アルバイトのシフト制みたいに、入れ替わりでベビーシッターがオレを看てたらしいんだ。
母ちゃんが出来るだけ家に帰らなくても済むように・・・。
オレが自分で何でも出来るようになるまでは、ずっと他人に看てもらってたんだけど・・・。
やっぱそこはただのベビーシッターだからさ・・・、しつけとか・・・叱ったりとかされたことがなかったから我が儘放題で
育っちまったんだよ・・・。
正直、前にオルフェからどんな育て方をされたんだ・・・って聞かれた時、マジ焦った。
なんかオレの生い立ちとか、生活環境とか、全部見透かされたようで・・・怖くなってさ、情けねぇよな・・・。」
そんなことない・・・と、言いたかった。
しかしアギトのつらそうな声色を聞いていたら、リュートの方が喉がつまったようになって声が出てこない。
「多分オレが小学校に入って・・・、3年か4年の頃からかな・・・?
ベビーシッターに支払う給料がもったいないとか言い出して、雇わなくなったんだ。
もう自分の面倒位、自分でみれるだろって言われてさ・・・何でか知んねぇけど、それだけはすげぇ覚えてる・・・。
それからは父ちゃんから毎月振り込まれる生活費で、何とかやってこれたんだ。
母ちゃんはずっと前から家には帰ってこない状態が続いてたから、その辺は相変わらず殆ど顔を合わせることもなかったんだけど さ・・・。
あ、父ちゃんは海外で仕事することが多いんだ。
多分・・・、オレが生まれた位の頃から日本に帰ってこなくなったんじゃないかな・・・。
父ちゃんも母ちゃんも、殆どいないのと変わんねぇ生活って言うの?
案外気楽なモンなんだぜ?
食べ物は惣菜系とか、結構いいものがスーパーとかコンビニ行けばたくさんあるし。」
アギトは笑顔になりながら、明るくそう言った。
リュートはそれが悲しくて・・・、つらくて・・・、いたたまれない気持ちになってどうしようもなかった。
そんな孤独な環境を、ずっと一人で抱えて生きてきたなんて・・・。
そう思うとなぜかリュートの方が泣けてきた。
自分はなんて甘ったれた根性をしているんだろうと、情けない気持ちが溢れて来る。
青い髪でいじめられたからとか・・・。
友達が一人も出来なかったからとか・・・。
そんなことでいつまでもウジウジと悩んで、自分一人が世界で一番不幸なんだって強く思い続けて・・・。
心を閉ざせばラクになった?
そんなのただ逃げてるだけじゃないか・・・と、言い聞かせる。
アギトには・・・、逃げる場所すらなかったというのに。
それに比べて、自分には家族があった。
唯一の味方であり・・・、自分にとって唯一残されたたったひとつの逃げ場所だった。
学校でどんなに陰湿ないじめにあっても、家族のいる場所だけが・・・そんな傷ついた心をいつだって癒してくれたのだ。
アギトには、自分を包み込んでくれる家族の温かいぬくもりが・・・なかった。
それでもアギトは自分を信じ続けた。
いつか幸せになれると・・・、信じて・・・。
幸せを運んでくれる青い鳥を信じるように・・・、青い髪を持つ自分も特別だと信じることで・・・自分を保っていた。
リュートに会ってからのアギトは、そんな自分の孤独を微塵も感じさせなかった。
いつも明るくて、自分の思っていることに正直で、好き嫌いがハッキリしていて、いつも笑顔が絶えなかった。
そんなアギトのことをいつも羨ましく思っていた自分が、どうしようもなく無神経だったと痛感する。
「・・・ったく!!
だから話したくなかったんだよ!!」
アギトが呆れたように突然大声を上げた。
リュートは驚いて振り向く、何か気に障ることをしてしまったのだろうか?
何で怒っているのか・・・リュートはおろおろするが、その理由はすぐにわかった。
「お前はすぐそうやって、自分のことみたいに感情移入するから・・・話したくなかったんだよ。
なんでお前の方が泣くかな?
オレは気楽だったんだから、別に今はどうでもいいって言ってんだろ!?
わかったら、もう泣くなよ・・・な?」
アギトに優しくそう言われて、泣きやもうとするのになぜか今度は感動したせいで涙が次々と零れて行く。
あえぎながらリュートは、泣いているのを誤魔化そうと言い繕うが・・・全く効果がなかった。
「だ・・・って、アギトがそんなに・・・つらかったの・・・っ、全然わかろうとしなかった・・・からっ!!
僕・・・、アギトの方が・・・自分よりずっと・・・っ、恵まれた環境だったんじゃ・・・って、勝手に・・・思ってっ!
ごめん・・・アギトっ、ずっと・・・知らなくて・・・、知ろうとしなくて・・・っ、ごべんね・・・っ!!」
リュートの号泣にアギトは肩を竦めて「ハイハイ・・・」と返事をしながら、優しく背中をさすってやる。
「とにかく・・・さ、オルフェのお陰で当分の間は母ちゃんが帰って来ることはなさそうだし。
またいつものお気楽極楽生活を満喫出来るんだから、お前がオレに気を遣う必要なんてこれっぽっちもないんだぜ?
頼むから今まで通りでさ・・・、一緒に楽しくやっていこうぜ。
オレはずっとお前と笑い合いながら一緒に明るく楽しく過ごしたいから、話さなかっただけなんだし。
そんなオレの些細な願いを、叶えてくれよ。」
「うん・・・、約束するよ・・・!
僕がアギトの願い事、叶えるから・・・!僕がアギトの青い鳥になるからさ・・・!」
「んな大袈裟な・・・、でもまぁ・・・サンキュな?」
また少し近くなった気がした・・・。
知らなかったこと、知ろうとしなかったこと・・・。
それがなくなっただけで、こんなにも心が近くなったと思える。
今までずっと近くにいたと思っていたことも、口を閉ざすだけで遠く感じてしまうことがあるんだと・・・初めてわかった。
傷つけたくない・・・。
ずっと笑顔でいてほしい・・・。
そんな願いが裏目に出る時もある、傷つけたくないと思っていても・・・話さないことで傷つけることもある。
笑顔でいてほしくても、秘密を知られた時に・・・笑顔を失わせることだってある。
今回それがわかっただけでも、ずっと大きな収穫だった。
そして・・・どんなことがあっても二人の心はいつだって、修復可能なんだって・・・改めて強く思った。
アギトとなら・・・。
リュートとなら・・・。
そしてこれからも・・・、きっとこれからもずっと二人が親友同士でいられるように・・・。
心の中で・・・、強くそう願った。