第106話 「族長パイロンとの面会」
翌日、龍族の使いの者が部屋のドアをノックして・・・ブレアは目を覚ました。
窓から射す陽の光はまだ弱く、かなり早朝だとわかる。
ブレアはテーブルの上に置いてあった羽織を着ると、すぐさま歩いて行きドアを開けた。
使いの者の話によればパイロンとの面会の段取りが済んだこと、そして伊綱がすでに準備を終えて次元回廊という場所で待っているということだった。
返事を終えてドアを閉めると、ブレアは舌打ちする。
急いで着替え、メモリーボックスを手に部屋から出て行くと真っ直ぐにゲダックの部屋へと向かって行く。
ゲダックの元へ行くと、やはりブレアと同じ反応が返ってきた。
「全く勝手な奴じゃわい!!
行くなら行くと前もって言えばいいものを・・・!」
二人は小走りに向かいながら文句を言っていた。
次元回廊への場所は、先程ブレアの元に訪れた使いの者が教えてくれていたので迷わず向かう。
辿り着いたのは大きな鳥居が延々と続く長い回廊のようになっていて、思わず威圧感に足がすくむが気を強く持って前へ進む。
数分程歩いて行ってようやく建物のようなものが見えてきた。
足元にある石畳のタイルが目の前にある建物まで敷かれており、そこに煙草を吸っている伊綱が気だるく立って待っている様子だった。
ブレア達が来たのを見て、特に何か反応するでもなかったが煙草の灰を下に落としながら黙って建物の方へ歩いて行く。
伊綱の無反応さに苛立ちを感じたゲダックが、つかつかと進み寄って怒声を上げる。
「こんな朝早くにパイロンに会いに行くなど、わしらは聞いておらんぞ!!
そもそもサイロンを待つ為に日を延ばしたのではなかったのか!?」
ゲダックの言葉に全く動じず、伊綱は建物を見据えたままさらりと言葉を返す。
「俺はサイロンを待つ気はないと言ったぞ・・・?
まぁ、確かに多少時間を早めたことは謝っておこう。」
謝罪の言葉を述べてはいるが、しかしそれが全く態度に表れていない様子にゲダックは愛想を尽かしたように溜め息をついて、これ以上文句を言っても無駄だと諦めた。
「それで?
パイロン殿に会うにはどうするのです。」
ブレアが訊ねると、伊綱は建物を指さして説明する。
「この社殿がパイロンのいる次元への入り口となっている。
向こうとこちらの時間軸を一時的にリンクさせる為、少しそこで待て・・・。」
そう言って伊綱は目線で合図し、それに応じてブレアは後退して離れた。
数メートル程離れて伊綱の様子を窺うブレアとゲダック。
伊綱は懐から札を取り出すと、それを指で挟みこむように構えて念を送るように集中する。
全身からマナが放たれて、伊綱を取り巻くように風が巻き起こり・・・ブレア達は飛ばされないように自然に身を屈めた。
マナ放出が最高潮に達した時、伊綱は指に挟み込んだ札で十字を切ってそのままその札を社殿の扉へ向けて飛ばした。
札が社殿の扉に張り付いた瞬間に、社殿自体がマナで満ち溢れたように全体が光を放って・・・やがておさまる。
儀式とやらは終わったのだろうかと・・・不思議そうな表情で伊綱を見守る二人。
伊綱は少しだけ振り返り、・・・やはり言葉で何か言うのではなく目で合図するだけだった。
しかし今更それをつっこんだところで改善しようとはしないだろうと理解している二人は、黙って歩み寄った。
「リンクとやらは済んだのか?」と、ゲダック。
「あぁ、・・・行くぞ。」
伊綱は二人のタイミングなどお構いなしという風に、それだけ言うとそのまま社殿の扉を開けて中に入って行く。
開けられた扉の向こうは白い光に包まれたようになっていて、今ブレア達がいる世界とは明らかに違うことを肌で感じ取れた。
ごくりと唾を飲んで、二人も伊綱について行く。
そのまま中へ入って行くと、一瞬ひやりと気温が下がったような感覚に襲われたが・・・すぐに暑くも寒くもない微妙な気温に変わる。
伊綱の視線にゲダックは扉を閉める、そして白い光の空間をしばらく歩いて行くと段々景色が色づいて来た。
まるで深い霧の中から草原のある場所へと出てきたように、ゆっくりと回りの光景が目の前に映し出されていく。
不思議な光景に目を奪われていたブレアだが、またすぐ緊張感に襲われる。
草原の向こうに巨大な何かがうごめいたのが見えて、ぎょっとしたからだ。
瞬時に身構えるが、伊綱が片手で制止して・・・ブレアは目を凝らすようにその物体を瞠った。
その巨大な・・・山程はあろうかという物体は、純白のように真っ白なドラゴンだった。
白い毛で覆われており、ブレアが知るドラゴンとは種類が違うように見えた。
大抵のドラゴンは全身ウロコで覆われていて、・・・もっと恐ろしい程の威圧感を与えるものだ。
しかし今目の前にいるドラゴンには、確かにその巨大さから圧力を感じるが・・・恐怖からくるものは感じられない。
むしろ動物や獣のように白い毛で覆われた姿と、老体特有のゆったりとした仕草から心が落ち着くような穏やかさを感じる。
ゆっくりと横たわったまま顔をこちらに向けるが、そのドラゴンの瞳を見てブレアは胸が締め付けられるような思いになった。
(このドラゴン・・・、盲だ・・・。)
まるで白内障のように白く濁った瞳は、ブレア達の姿をとらえていない。
このドラゴンには・・・、何も見えていないことに気付く。
しかし目は見えなくとも五感は鋭く、すぐに自分以外の者が近くにいることを把握するとドラゴンは話しかけてきた。
話しかける・・・というよりむしろ精神世界面を通じて、ブレア達の脳内に直接言葉を送ると言った方が正しい。
『この気配・・・、伊綱か?』
「はい、お久しぶりでございます・・・パイロン様。」
伊綱はさっきまでのだらりとした態度から一変、背筋を伸ばし・・・気のせいか少しだけかしこまっているように見えた。
このドラゴン・・・、パイロンには姿は見えないというのに伊綱は敬意を表している。
自分に会いにきたのが伊綱だと知ると、ドラゴンは微笑んだような表情になり・・・歓迎しているようだ。
『ここには滅多に人は来ない・・・、来たのがお前で驚いたぞ。』
パイロンにとって一体何年、いや・・・何十年振りの会話なのか知る由もないが、今はこんな所で世間話に花を咲かせている場合ではない。
酷だが、伊綱はすぐさま本題に入った。
「パイロン様、ルイドから預かっているものがございます。」
そう言うと伊綱は片手を差し出して、メモリーボックスを渡すように指示している。
パイロンに見入っていたブレアはすぐさま我に返って、大事にしまっていたメモリーボックスを伊綱に渡す。
小さな小箱を受け取ると伊綱はすたすたとパイロンの側に歩み寄って、横たわったままの前足の上に置いた。
「パイロン様・・・、メモリーボックスです。」
そう告げて、伊綱はまたブレア達の元へ歩いて戻って行く。
パイロンはゆっくりとした動作で、前足の上に置いてある小箱を確認するように優しく爪でひっかいた。
『メモリーボックスとは何とも懐かしい代物だ・・・。
7億年前のラ=ヴァース時代の遺産が、まだこの世に残されていたとは・・・。』
それだけ言うと、パイロンは伊綱がしたようにメモリーボックスに自分のマナを注ぎ込んで中を拝見した。
勿論それはブレア達には見ることが出来ない、・・・結局箱の中身が何なのか分からず終いだ。
とにかくパイロンに確実に箱を渡すことが出来たので、これで任務完了ということになる。
ブレア達はようやく安堵の息を漏らすように、ほっと一息ついていた。
・・・しかし、その安心感はパイロンの言葉によってかき消された。
『・・・これはっ!?・・・何ということだ!!』
さっきまで囁くような言葉が頭の中に響いていたが、今度の言葉は驚愕したように声を張り上げた為ブレア達は無駄だと分かっていても両手で耳を押さえている。
ゆったりとした仕草が突如、慌てふためくように・・・落ち付きの無い仕草に変わり、パイロンが動く度に地面が振動してブレア達はバランスを崩して倒れそうになるのを必死で堪える。
一体、箱の中にはどんな内容が記録されているのか・・・?
内容を知らないブレアは、唯一箱の中身を確認したことがある伊綱に問いただした。
「伊綱殿・・・っ!
一体あの箱の中には何が入っていたのですかっ!?パイロン様は大丈夫なのっ!?」
さすがの伊綱もだらりとしてはおれず、揺れる地面に懸命にバランスを取りながら平静を装って答える。
「箱の中身については俺が話すわけにはいかない・・・、しかしこれだけは言える。
パイロン様は・・・、恐らくあの箱に殉じることになるだろう。」
「・・・・・っ!?」
ブレアとゲダックは絶句するが、すぐさまその理由をゲダックが問い詰める。
「それは一体どういうことじゃっ!?
中身がどうあれパイロンが死ねば、わしらはただでは済まん!!最悪、族長殺しの罪を着せられ極刑じゃぞ!!
伊綱・・・、お前こうなることを知っておきながらずっとわしらに黙っておったのかっ!?」
「命に代えても任務を遂行すると言ったのはお前達だぞ?
・・・いや、違うな。命を懸けると言ったのは女の方だけだったか・・・。
そんなことより・・・、断定は出来ないがパイロン様の死後のことはサイロンが何とかするだろう。
その為リンに早急に連れ戻すよう指示したんだからな、あいつは仮にもパイロン様の嫡男・・・。
パイロン様の死後はサイロンが後を引き継ぎ、族長となる。」
「まさか・・・、ルイド様はサイロン殿を族長にさせる為に!?」
ブレアはそう推察するが伊綱の表情には、それは違う・・・と言っているように見えた。
そんな会話をしている時に、ずっと唸ったままだったパイロンが言葉を発する。
『おお・・・っ、何と言うことだ・・・。
わしは夢でも見ているのだろうか、まさか本当にこんな日が訪れようとは・・・っ!
7億年・・・、この気が遠くなりそうな年月を経て・・・ようやく希望が見えた・・・っ!!
やっと・・・っ、・・・やっとわしの役目が終わりを告げる・・・っ!』
盲いた両目から涙が溢れ・・・、この空間に空があるのかどうかわからないがパイロンは大空高く見上げて、吠えた。
歓喜に震えるように・・・、長い孤独から解放されたかのように・・・、腹の底から声を上げて・・・号泣するように吠えていた。
ようやく気が静まったのか・・・パイロンはゆっくりと座り、3人のいる方に向かって礼を言った。
涙はおさまっていたが、まだ目元は涙で濡れている。
『伊綱・・・、そしてルイドの使いの者よ。
わしに希望の光を届けてくれたこと、感謝の言葉だけでは語り尽くせぬ・・・礼を言うぞ。
このメモリーボックスにあった通り・・・、わしはようやく眠りにつくことが出来る。
・・・安心しなさい、お前達には何の非もないように取り計らっておこう。
わしが龍玉と化した後、それをサイロンに渡しさえしてくれれば・・・わしの記憶も、能力も・・・全てサイロンが受け継ぐ。
そうなればお前達の冤罪は証明されよう。
それから・・・、これをルイドに渡して欲しい。』
そう言うと、パイロンの額から何かが煌めき・・・それが伊綱の手元に吸い込まれるように飛んできた。
伊綱の手元を覗き込むと、青い色をした宝石のようなものが輝いている。
『それは昔、次元の精霊ゼクンドゥスから頂いた宝石だ。
たった一度だけならば・・・マナも制約も全て無視して特定の物体を、指定した場所へ強制的に送ることが出来る代物だ。
わしはずっとこれをディアヴォロに使おうと試みたが・・・、結局敵わなかった・・・。
しかしあのメモリーボックスにあった意志を見て、今こそこれを使う時が来たのだと確信したのだ。
どうかこれで・・・、7億年続いた忌まわしき連鎖を断ち切って欲しい・・・。』
そう囁いて・・・、パイロンの体がゆっくりと・・・微かに沈んだのが感じられた。
静かに・・・ただ静かになり、ぴくりとも動かなくなったパイロンは・・・、そのまま息を引き取っていた。
じっとパイロンを見つめていたブレアだが、ふと伊綱の方に目をやる。
伊綱はただ黙ってパイロンを見つめていただけだったが・・・、その瞳には微かに悲しみと憂いを帯びていて・・・とても切ない表情が一瞬よぎっていた。
元老院の老人達を相手にしていた時とは明らかに違っていた、パイロンへの敬意の表し方・・・。
それだけあのドラゴンのことを心から慕っていたんだと思うと、ブレアはこれ以上伊綱の方を見てはいられなかった。
すぐに視線をパイロンの方に向けると、動かなくなったパイロンの体がまるで消滅する魔物のように光の粒子となって輝きだしている。
大きな体が光の粒子となって消失し・・・、パイロンがいた場所に片手で持てる程の大きさの宝石が転がっていた。
伊綱は歩み寄ってそれを手に取る。
恐らくそれがパイロンの最期の言葉にあった龍玉だろうと、察した。
「以前サイロンから龍玉を見せてもらったことがあったが・・・、まさか龍玉の正体が・・・龍神族の遺体とはな・・・。」
やるせないような口調で、ゲダックは改めてパイロンの死を目の当たりにしたように感じた。
ブレアも言葉が出てこない・・・。
まさか自分達の任務の末路がこんな結末だとは、想像もしていなかった。
伊綱はゼクンドゥスの宝石をブレアに預ける、一瞬戸惑いの表情を見せたが・・・しっかりとそれを受け取る。
「パイロンはそれがルイドの手に渡ることを望んでいる。
俺はこの龍玉をサイロンに渡してくるとしよう、・・・これで用件は済んだな。戻るぞ。」
いつもの倦怠感の入り混じった口調に戻ってはいるが、どこか落ち込んだ様子の伊綱に・・・あえて何も言わなかった。
ブレア達は伊綱について行き、元来た場所へと戻って行く。
来た時と同じように今度は草原の景色から霧の中へと入って行くように進んで行くと、扉が見えて元の世界へと戻って来た。
特に何かをしたわけでもないが、どっと疲労が押し寄せてブレア達は息をつく。
しかしよくよく考えてみればこれから先がもっと大変なことになるだろうと、今になってようやく気付く。
龍神族の里を統べる族長パイロンが亡くなり、里は大いに乱れることだろう。
それだけパイロンの存在は大きく、里全体を支えてきた柱だったからだ。
恐らく元老院達も黙ってはいないだろう、例えサイロンが龍玉を受け取ったとしても・・・。
ブレアはこれから起きることを考えただけで・・・、憂鬱の余り胃の辺りがムカムカしてくるのを抑えられなかった。