第105話 「元老院」
魔物が引く馬車は龍神族の里が見えてくると、徐々に高度を下げて行く。
伊綱は全く興味がないのか、それとも何度も来て見飽きているのか・・・どちらかわからないがずっと黙って座っていた。
隣に座るリンがたまに伊綱に話しかけたりするが、適当に相槌を打つだけで殆ど気だるそうにぼんやりしているだけだった。
しかしブレア達はこの里に来るのが初めてであった為、見るもの全てに驚愕している。
空には数頭の龍が飛び回っているのは勿論のこと・・・、馬車が着地した場所は指定された離着陸用の滑走路とでも言うように
広々としていていた。
ブレア達が乗ってきた馬車以外にも同じようなものが何台か目に入った、恐らく里を出入りするのは龍神以外はこの馬車を利用するしかないようになっているのだとブレアは思った。
馬車がゆっくりと歩いて行って、ようやく乗降口のような場所に到着した。
そこに簡易的な屋根が設置してあり、馬車の御者が扉を開けて全員馬車から降りる。
一番最後に伊綱が降りた時に馬車の御者がそれを確認して深々とお辞儀をすると、帰りの時間まで休憩する為にすぐ近くのベンチがある場所に行ってしまった。
今気付いたことだが他の御者達も馬車を指定の場所に停めて、自分達は再び仕事の時間が来るまで同じような休憩所で休憩をするのが普通のように見えた。
馬車を停めてある場所にはそれぞれ木札が設置されていて、龍神族の言語は読めないが恐らくそれぞれの里の名前が書いてあるのだろうと推察する。
ブレア達は構わず歩を進める伊綱について行きながら、初めて来る龍神族の里を目に焼き付けるかのように観察した。
建物の感じはミズキの里とあまり大差ないように見えた、どれも屋根瓦が使用されており木材やセメントで出来ている。
アビスグランドの建築物は主に石で出来ていた、その為どれもゴツゴツとしたイメージが強く重苦しい感じは否めない。
しかしこの里の建造物は心を落ち着かせるような不思議な造りに感じられた、多分使用されている素材が違うせいだろうとゲダックが小さく説明する。
通路を歩いて行くと人型の龍神族と何人かすれ違う。
サイロンと同じような奇妙な衣服に身を包んでいて、どれも腕の裾が幅広くて長くなっている。
膝下まであるチュニックの上から、布製のベルトで腰に巻き付けているような、そんな衣服が目立った。
しかし衣服に施された刺繍は見事で、サイロンの衣装程ではないが・・・やはりその技術はアビスにはないものだった。
見るものひとつひとつに注意を払っていたら、突然伊綱がブレア達に話しかけてきて慌てて緩みかけていた表情に緊張を走らせる。
「とりあえず元老院に話を通さないことには何も始まらない・・・。
サイロンがフラフラしているせいで、実質この里を取り仕切っているのは元老院のようなものだからな・・・。
頭が固く融通が利かない上、外界の人間を信用していない・・・お前達も注意しておけ。
俺も一応・・・お前達が族長に面会出来るよう取り計らうが、・・・まぁ期待はしないでくれ。」
伊綱のやる気なさげな言葉に不安を感じたブレアがムキになって反論した。
「それでは困ります!!
私達は何としてでもこの箱をパイロン殿にお渡ししなければいけないんです!!
例え私の・・・っ!!」
「・・・命に代えても、か?」
からかうような口調でちらりと目線だけ振り返り横目で見つめてくる伊綱に、ブレアは唇をきゅっとつぐんで・・・頷いた。
その固い意志を目にして、伊綱は「くだらない」と言いたげに鼻を鳴らして・・・また前を向いて歩きだす。
しかしブレアは伊綱の態度を気にしなかった。
これは自分の意志、相手が何と思おうが・・・それは揺らぐことのない本心だからだ。
ゲダックはブレアの鉄の意志を周知なので、あえて話題に入ることも目線を送ることもしなかった。
しばらくついて行くと、今までと違う荘厳な部屋へと通されて・・・目の前に大きな観音扉式の扉の前に来た。
扉の両端に控えている鎧を身に纏った兵士の一人が、伊綱に気付くと会釈してその場を離れる。
もう一人の兵士が「少々お待ち下さい」と声をかけた。
きっと元老院という者達への面会許可を取りに行ったのだろうと、ブレア達は大人しく待つ。
5分程して先程の兵士が戻って来ると、この里の軍隊式の礼をするとすぐに扉が開かれた。
取り次ぎが余りに早かったのでブレア達は心の準備をしていなかった、そのせいか急に心臓が高鳴り出す。
ぎぎぎぃっと鈍い音と共に扉が開かれると、伊綱は何の躊躇もなくすたすたと中へ入って行く。
中は雛壇のようになっていて、回りには数人の老人達が座ってこちらを見つめている。
伊綱、リン、ブレア、そしてゲダックは大広間の中央へと歩いて行って・・・回りから一斉に注目されるような、まるで裁判を行なう時に罪人が証言台に立たされているような気分になりそうな場所へ歩いてく。
証言台の真正面には、恐らくこの老人達のトップであろう者が3人座ってこちらを見据えている。
片手には木槌を持っていて、コンコン・・・っと本物の裁判のような光景が繰り広げられ、一層罪人のような気分になってくる。
木槌を持った3人の内、中央に座る老人が話しだした。
「ミズキの里の伊綱か・・・、随分久しいが何年ぶりになる!?」
老人の言葉には威圧感があったが、しかし伊綱は全く動じずいつもの気だるそうな態度のまま答える。
「先の大戦以来ですので・・・、大体9年ぶりになります。」
「わしら龍神には大した年月ではないが、お主ら人間にとってはそれなりの時間となろうな。
して・・・、今日は何用で来たのだ!?」
早速本題に入って、ますますブレアの顔に緊張が走る。
ブレアがここで特別何かをするわけではないが、いざという時の為に何か言葉を考えておかなければ・・・と一言一句漏らさず元老院と伊綱の言葉を真剣に聞き入っていた。
伊綱は腕を組みながら、静かな口調で話す。
「実はここにおりますアビス人が族長パイロン様に面会したいとのことで、その許可を頂きたく参った次第でございます。
パイロン様がご静養中だということは承知の上ですが、彼らの用件はとても重要なものなので私自ら案内人を引き受けました。
ほんの数分でもよろしいので、どうかお時間を頂きたい。」
伊綱の言葉に中央の3人は互いに顔を見合せて、それからブレア達を舐めるような視線で見回した。
回りの老人達もざわざわと隣近所にいる者達に話しかけるように、しばらく室内はざわついたままだった。
すると相談が終わったのか、回りの者達のおしゃべりを封じるようにコンコンっと木槌を叩いて、一瞬にして沈黙が訪れる。
「・・・で?
その用件というのは、一体何なのだ!?」
「それは言えません。」
伊綱がにべもなく、元老院に対してそう言い放った。
勿論この言葉に機嫌を損ねた老人は、途端に厳しい視線になって伊綱を睨みつける。
「話せないとはどういうことだ!?」
「内容がとても重要だからです。
パイロン様直々でなければ恐らく混乱を招きましょう、これは・・・かの英雄である闇の戦士ルイドからの伝言ですから。」
ルイドの名が出た途端・・・、一気に室内の老人が騒ぎだした。
しかしそれは不快を表すものではなくむしろ、ルイドの名に畏怖と敬意を表したような・・・そんな反応だった。
3人の老人もルイドの名で、すっかり顔色が変わってしまっている。
真剣に取り入れなければ何が起こるかわからない・・・、そんな真剣な表情になってどうしたものかと困った様子である。
「お主は内容を知っているような口振りだが・・・?」
「・・・パイロン様への面会はとても厳重に審査しなければいけないもの。
その為、私は用件の一部を聞きました。
結果・・・聞かなければ良かったと、後悔しております。
この問題はパイロン様でなければ理解に苦しむことでしょう・・・、少なくとも私はそう判断しております。」
伊綱の言葉に偽りはないと判断して、元老院達は深く考え込んでいる様子だった。
気の短いゲダックならともかく、ブレアでさえも苛立ちを抑えられなかった。
ほんの数分面会するだけで、なぜこんなに時間を要さなければいけないのか・・・。
こうしている間に面会していれば、すでに用件は済んでいるはずなのに・・・そう感じていた。
なかなか結論を出さない元老院だったが、ようやく木槌を叩いて皆を黙らせる。
「ルイドと伊綱・・・お前達に免じて今回は特別に許可しよう。
ただし時間は3分だけだ!
パイロン様の肉体疲労は限界に達している、面会する間はパイロン様のいらっしゃる空間の時間の流れをこの里と同じになるよう
に、一時的にリンクさせるからな・・・。」
元老院の許可が下りた時、伊綱はふと思い出したかのように言葉を切り出す。
「申し訳ありませんが・・・、パイロン様への面会を明日にしてもらっても構いませんか?」
突然の伊綱の言葉に、ブレアはぎょっとして目を瞠る。
「パイロン様への用件が済んだら、恐らくすぐにでもサイロンが必要になるはずです。
しかし彼は今アビスグランドに行っています、多分向こうの用事が済むのは明日辺りだと思われますので・・・。
別にサイロンが到着するまで待つつもりはありませんが・・・、よろしいですか?」
伊綱が何を考えているのかわからない・・・、そう思ったのはブレア達だけではなく元老院達も同じようだった。
余計なことまであまり要求すると、また機嫌を損ねて面会を却下されるかもしれないとブレアはハラハラしている。
しかし渋い顔つきになりながらも老人は、不快な表情を浮かべたままそれを了承した。
「わかった・・・、好きにするがいい!
だがサイロンを呼び戻すのに我が兵を使うつもりならば、しばし時間がかかることになるぞ!?」
「問題ありません、サイロンを呼び戻すのはここにいる私の使いの者にさせますので・・・。
彼女なら1日もあればアビスグランドへ到着し、そのまま翌日の今頃には戻って来ているでしょうから・・・。」
微かに老人が舌打ちをするのが聞こえ、もしかすると「兵だと時間がかかる」という言葉はわざとだったのかもしれないと推察した。
そこまで面会させるのを嫌がる理由がわからなかったが、元老院達にとっては何か面白くない理由があるのだろう。
とにかく何とかパイロンとの面会を取り次ぐことに成功した伊綱達は、元老院達に軽く会釈してから早々に広間を出て行った。
広間の扉が閉められ、外の空気が不思議と心地よく感じる。
思えばあの室内は空気がよどんでいて、とてもじゃないが息苦しくて長く居るには耐えがたい雰囲気があった。
「リン、今すぐリュームに乗ってサイロンに伝えてきてくれ。
里にすぐ戻るように・・・な。」
「はい、わかりました!!」
リンが元気よくそう答えると、一瞬にして姿が消え失せて・・・ブレアは何の魔術なのかと不思議に思っていた。
しかし伊綱は説明することなく再びキセルに火を付けて口から煙を吐くと、来客用の宿泊施設に案内すると言って歩き出す。
ブレアはすかさず、先程の伊綱の奇行を問いただした。
「伊綱殿・・・、一体どういうことですか!?
なぜせっかく面会出来るようになったというのに、わざわざ明日に延ばすなんてこと・・・っ!!」
「・・・必要だからだ。」
伊綱は肝心なことを口にしない、回りくどく・・・真意が見えない。
ブレアは苛立ちを感じながら返答を求めるが、それでも伊綱から聞けた言葉は変わらなかった。
「明日・・・、パイロンに面会すればわかることだ。
・・・しかし、お前達も災難だな。
いや、それだけルイドが信頼している・・・ということなのかもしれんが。」
結局伊綱から聞けた言葉は、それだけであった。
これ以上何かを聞いたところで答えるはずもないとゲダックに諭されて、ブレアは気を落ち着かせ・・・用意された部屋で明日が
来るのを待った。
ゲダックは龍神族の里を調査しようと部屋を出たが、伊綱にやめておいた方がいいと止められた。
次期族長のサイロンがゆる過ぎる為に感覚が異なっているようだが、本来の龍神族は人間を蔑んでおり・・・現にブレア達がこの里に足を踏み入れたことを快く思っていない龍神は少なくないそうだ。
そんな状態で、里の中を歩き回ろうものならば・・・命の保証はないとまで言われたゲダックは、渋々部屋で大人しくしていた。
全ては明日・・・。
ブレアは高鳴る緊張を何とか抑えながら・・・、明日が来るのをただひたすら待ち続ける。