第104話 「ミズキの里」
前線基地・・・、ここは過去の大戦の際にレムグランドからの襲撃を迎え撃った砦である。
2国間に出来た道はこの前線基地から目と鼻の先にあるレイライン上にある為、首都クリムゾンパレスに近付けさせないように作られたのだ。
重要な任務を任されたブレアとゲダックの二人は、メモリーボックスと呼ばれる箱を持ち移動用魔法陣へと向かう。
その魔法陣は主に龍神族の里へ行く為に描かれたもので、頻繁に物資の供給に使用されていた。
次元の歪みによって歪められた空間・・・つまり龍神族の里に行く際には、移動する人間の属性や人数に規制はない。
特にこの魔法陣に至っては、元々龍神族の里へ行く為にのみ作られたものなので非常に簡易的なものになっている。
しかし全く異なる世界・・・、異なる空間の場合にはその規制は厳しくなってくる。
ブレア達は龍神族の里へ移動する為に、その玄関口でもあるミズキの里への扉を開いた。
ゲダックが口元で呪文を呟きながらマナを集中させて、それに反応するかのように魔法陣が輝きだす。
そして光に包まれながら二人は魔法陣の中から姿を消した。
まばたき程の瞬間で、目の前にはのどかな風景が広がっている。
木々が生い茂り、簡易的な屋根が施された場所には移動用の魔法陣が輝きを失い・・・沈黙していた。
一歩ずつその場所から離れると、遠くには畑を耕す農民の姿・・・。
数メートル先で静かに流れる川のほとりでは、女達がたくさんの洗濯物を洗っていた。
きょろきょろと回りの様子を窺いながらブレア達は、その穏やかな光景を目にしている。
「龍神族の里に来たのは初めてだわ・・・、ここがミズキの里・・・。」
ブレアは感嘆するような口調でそう呟くと、ゲダックはその光景に全く興味がないのか・・・急かすように口をついた。
「そんなことより、ここの村長である伊綱という男の所へ行くぞ。
ルイドの話では族長のいる首都への行き方・・・それに面会許可を得る為にはその男の協力が必須らしいからのう。」
ブレアはすぐに我へと返り、小さく頷くと再び厳しい表情を取り戻して歩き出した。
しかしこの村は思っていたよりも大きく、見渡しても大きな城は見えてこない。
広大な土地にぽつぽつと民家があるだけでその殆どが畑や田んぼ、家畜を世話する農場となっていた。
すると木の根元で休憩を取っている男を見つけ、ブレアは近付き道を尋ねる。
「失礼、道を尋ねたいのですが・・・。」
そう声をかけると、男は首にかけた白い布で額の汗をぬぐいながらブレア達を見上げた。
「あんたらこの辺じゃ見かけない格好だな、・・・異界から来なさったか!?」
「はい、アビスグランドから参りました。
ここはミズキの里で間違いありませんか?」
男はキセルを取り出し火をつけると、一服しながら笑顔で答える。
しかしゲダックは顔にかかる煙草の煙でむせながら、元々シワの入った眉間に更にシワを寄せた。
「あぁそうだよ、あんたらアビス人かい!?
闇の国から来たってことは・・・、物資の供給に来たのか。
おかしいなぁ〜・・・、いつもはサイロンの旦那が月一のペースで取り仕切るんだが・・・?」
「わしらは物資を受け取りに来たのではない、ここの村長である伊綱という男に用があるのじゃ。」
のほほんとマイペースな男の話し方に苛立ちを感じたゲダックは、手早く用件を済ませようと話に割って入った。
あ〜・・・と首を上下に振って納得したような仕草をすると、キセルを口にくわえながら男は立ち上がり指をさす。
「伊綱さんなら・・・ほれ、あの山のふもとにある大きな屋敷が見えるかい!?
この農道を真っ直ぐ進んで行けば着くよ、くれぐれも畑や田んぼに入らんようになぁ・・・。」
男が指をさした方角に目を向けると、確かにこの辺にある民家に比べると一回り大きな屋根瓦の建物が見えた。
男に訊ねる前にブレア達はその建物の存在に気が付かなかったわけではない、しかし「村長」という位なのだからもっと城のような大きな屋敷にいると思っていたから見過ごしていたのだ。
どうやらこのミズキの里では、あの建物が一番大きな屋敷となるらしい。
ブレアは男に礼を言うと、足早に去り・・・先程言われた農道を歩いて屋敷に向かった。
「ったく・・・、なんじゃここは!
ローブの裾が泥だらけじゃないか・・・、この道は舗装もしとらんのか。」
土と泥にまみれたローブを気にしながら文句を言うゲダックに、ブレアも足元を見て自分のブーツが泥にまみれていることに気が付く。
「仕方ないわ、ここは自給自足で生計を立てている農産業の村だもの。
私達アビス人はこの村から食糧などの物資を援助してもらっているんだから、我慢しなさい。」
ふん・・・と鼻を鳴らして、ゲダックはそれ以上何も言わなかった。
しばらく歩き進んでいるとようやく屋敷を取り囲む塀が見えて、ブレア達はほっとする。
近付いてみればそれなりの敷地だと感じるが、それでも前線基地のある城や首都クリムゾンパレスにあるクジャナ宮に比べたら雲泥の差がある。
二人は一層表情を引き締めらせて門に近付く・・・、すると突然目の前に何者かが飛び込んできた。
「・・・っ!!」
咄嗟に二人は戦闘態勢を取る、ゲダックはさっきまで何も持っていなかった片手に光と共に杖を出現させ・・・ブレアは太ももに
装着させていた拳銃を構えて何者かに狙いを定める。
だが・・・、二人の前に現れたのはまだ幼い少女だった。
丈の短い着物は動きやすさを重視したようになっており、腰の帯には短刀と脇差・・・。
ブラウンの髪は細くて赤いリボンでまとめてあり、一見するとどこにでもいるただの少女に見えた。
年の頃は恐らくジョゼと同じ位だろうとブレアは思った。
少女は立ち上がり、二人の前に立つとにっこりと微笑んで声をかける。
「驚かせてしまってごめんなさい、あたしの名前はリンって言います。
一応この屋敷の守護をしてるから・・・、許可なく門に近付く人の前にいきなり現れるのがあたしの仕事なんです。
悪く思わないでくださいね!」
「いきなり・・・って、物騒じゃのう!
そんなことをして本当に血の気の多い奴じゃったらどうするんじゃ、温厚なわしらじゃから良かったようなものの・・・!」
渋り顔になりながらゲダックは使うことのなかった杖を光と共に消し去って、説教した。
ブレアも小さく溜め息をつくと、拳銃をホルスターにしまってリンに話しかける。
「私達はルイド様の使いでここに来た・・・。
このミズキの里を治める伊綱という者と話がしたいのだが・・・、通してもらえるかしら?」
リンは二人を見つめて悩んでいるように見える、しかしすぐさま首を縦に振ると笑顔になって案内をした。
ひとまず門をくぐると、目の前に何人かの若い男達がいてブレア達の格好を見るや否や不思議そうに眺めていた。
その男達の中から一人の大きい男・・・大体身長が180近くはありそうな若い緑髪の男が近づいて来てリンに話しかける。
「リン、その人達は?」
剣術の稽古でもしていたのか・・・、片手には木刀を持ったままブレア達から目を離すことなく訊ねている。
リンは笑顔のまま答えた。
「えっと・・・、伊綱さんに会いにきたんだって。」
詳しく話していなかったことを思い出して、リンの言葉に説明を付け加えた。
「私達はアビスグランドから来た者です。
元・闇の戦士ルイド様からの依頼により、今日は伊綱殿に面会するべく参りました。」
男は値踏みするような目つきで「ふ〜ん」と頷くと、奥の方から数人呼んで・・・藁で編まれた籠を持って来させた。
緑髪の男はそれをブレア達の目の前に突き出すと、それが規律とでも言うように武器を全て渡すように命じてきた。
「悪いが伊綱さんと面会するには、あんた達が持っている武器や道具は全てこちらに預けてもらうようになっている。」
勿論ブレアとゲダックはその要求に眉根を寄せて反抗的な表情になるが、しかし戦争を仕掛けに来たのではないと言い聞かせ・・・
男の命じるままに従った。
ブレアは3丁の拳銃と弾、ナイフ、魔法力が込められた札数枚を籠の中に入れる。
しかしゲダックは何も入れなかった。
「あんたもだ。」
「わしは魔法力によって武器を取り出す。
従って今現在取り上げたところで、また別の武器を取り出すことになるだけじゃ。・・・それじゃ意味なかろうが?」
籠を持った少年やリンが目配せして困った顔になるが、緑髪の男だけは冷静なまま見据えていた。
すると少年に何やら命じると、籠をリンに預けて一旦屋敷の中へと入って行った。
何をするつもりなのかわからないブレアはゲダックを睨みつけた。
もしここで彼らの意に反し、伊綱との面会を拒絶されたら任務を続行することが出来なくなると踏んだからだ。
屋敷の中に入って行った少年は数分で戻って来て、その手には何かを握っていた。
緑髪の男はそれを受け取ると、ゲダックの方に向き直ってそれを手渡す。
「これは一時的に魔法力を封じるアイテムだ。
このサークレットを装着すれば中へ通してやろう、・・・さぁ。」
そう促されて、ゲダックは渋々そのサークレットを額に装着させた。
途端に全身の力が抜けるような・・・重だるくなるような感覚に襲われてゲダックは不満そうな顔になる。
これで向こうの条件を全て飲んだことになり、ブレア達は緑髪の男を先頭に屋敷の中へと通された。
ガラスで出来た横に引くタイプの扉を開けると段差があり、そこで履いているものを脱ぐように指示される。
中に入る時だけだと教えられ、ブレア達は怪訝な顔になりながら泥だらけのブーツを脱いだ。
ただゲダックだけは裾の長いローブが泥だらけだったこともあり、すでに用意されていた簡易的な羽織を渡され着替えさせられた。
自分達の世界とは全く勝手が違うことに戸惑いを隠せない二人だったが、これも今だけだと我慢して彼らに従う。
廊下を歩いていると、ところどころ紙で出来た扉の向こうから見えるもの・・・。
学問を習う子供たち、庭で剣術の修行をしたり遊んでいたり、幼い子供の面倒を見る数人の大人や、家事を手伝う者など・・・。
思わずブレアが質問する。
「ここは随分と子供が多いみたいね・・・、私塾か何かなのかしら・・・?」
「みんな戦争で親を亡くした戦災孤児だ。
何人かは里の大人達に養子としてもらわれていった子供もいるが、殆どはもらい手もなくここで保護を受けるしかなかった。
里の子供ばかりではない・・・、半分以上がレムやアビス出身の子供達ばかりだ。」
緑髪の男の説明にブレアは口をつぐんだ。
憂いの含んだ瞳で子供たちを見つめると、ブレアは小さく頷いただけだった。
すると後ろからついて来ていたリンが小さく言葉を続ける。
「あたしとタツミさんも・・・、小さい時に伊綱さんに拾われて育ててもらったの。」
タツミ・・・、恐らくこの緑髪の男のことだろうとブレアは思った。
ゲダックはまるで興味のない様子だったが、何かを思い出したかのように話題に加わる。
「そういえば・・・、いつもサイロンの側におった付き人もこのミズキ出身じゃったのう。
ハルヒとイフォン・・・だったか!?
以前ルイドから聞いたことがあったが、二人も先の大戦で親を亡くした戦災孤児・・・。
サイロンによって拾われて、しばらくはこのミズキの里で暮らしておったと言っておったが・・・。」
ゲダックの言葉にタツミはぴくりと反応したかのように、言葉の続きを引き取る。
「正しく言うならば、それはハルヒのことだろう。
イフォンは元々このミズキの里出身だからな、あいつは・・・闇の神子エヴァンの実の弟。
エヴァン亡き後、姉の仇を討つと言ってサイロン殿について行ったと聞いている。」
そんな話をしながら、ようやく伊綱がいるという部屋の前に辿り着いた。
「伊綱さん、アビスグランドから使者が見えました。」
紙で出来た扉の前に立って、タツミが声をかけると・・・しばらくしてから返事が返ってきた。
やる気の無さそうな声がして、ブレアは一瞬怪訝な表情になる。
「・・・入れ。」
一言だけ返事があって、タツミはひざまずくと横にスゥーッと扉を引いて中の様子が目に飛び込んでくる。
部屋の中はそれ程広くもなかったが、とても質素で必要最低限の家具が置かれているだけ・・・。
開け放した窓に座って、ふぅ〜っと煙草の煙を吹かしている銀髪の男がいた。
この世界でいう「着物」を着ているが、だらりと着こなした着物の上から羽織った羽織はとても派手で目を引く美しさだった。
腰の辺りまで伸びた銀色の髪を片側でまとめてあり、金で出来ていそうなキセルを吹かしながらこちらを窺っている。
見たところルイドと同じく20代後半で、病人のような白い肌・・・、本来ならばキレ長の美しい瞳だったと思わせるような眼差しには、まるで生気がなく虚ろになっていた。
全くやる気がないような・・・、活気がないような・・・、そんな倦怠感が全体に溢れているような男だった。
ブレアとゲダックは中へ通され、部屋の中央辺りまで進んで行くとそこにふわりとした正方形のクッションのようなものを置かれて、リンにこの上に座るように指示され・・・わけがわからないまま、奇妙に思いながらクッションの上に座った。
銀髪の男・・・伊綱は窓の縁に座ったまま目線だけブレア達の方にやると、再びふぅ〜っと煙を吐いた。
伊綱の態度に戸惑いながら、それでもブレアは任務の為に先に口を開いて本題を切り出す。
「私の名はブレア、そして彼はゲダックと申します。
私達はアビスグランドの前線基地であるマキナから来ました。
伊綱殿を尋ねたのは他でもありません、私達は元・闇の戦士ルイド様の命により伊綱殿にお願いがあって参りました。」
ルイドの名を聞いて、伊綱の表情に少しだけ変化が見て取れたが・・・それもすぐに消え失せた。
伏し目がちなまま伊綱はキセルの灰をコンコンっと外に落とすと、外の風景を見つめたまま言葉を発した。
「ルイド・・・、懐かしい名だ。」
それだけ言って、伊綱は全くこちらに視線を送ることなく・・・物思いに耽っているように見えたので、ブレアが続きを言おうとした時だった。
「お前達の用件ならわかっている。
族長パイロンに面会したいんだろう?」
ブレアは驚いた。
このミズキの里に着いてから二人はたったの一度も、パイロンに面会しに来たとは一言も言っていなかったはずだ。
しかし皆まで言うこともなく、伊綱は興味なさそうな表情でブレア達の目的を言い当てたのだ。
「それなら話は早いのう、ルイドによるとパイロンとの面会にはお前さんの協力なしでは果たせないということじゃ。
パイロンの元へ案内してはもらえんか!?」
ゲダックは、これなら用件はすぐにでも終わりそうだと察して笑顔になりながら勇んで協力を願い出た。
「断る。」
一瞬だった。
考える暇もない程の一瞬、ゲダックが願い出て1秒も経たぬ間に伊綱は断った。
その余りに早い即決にゲダックは衝撃が走り、片目をピクピクと痙攣させながら思わず立ち上がりそうになったのを我慢する。
しかしブレアは、その責任感の強さからか・・・半分立ち上がった状態で伊綱に向かって反論していた。
「伊綱殿・・・っ!
私達の話を聞いてから判断してもらいたい!!そんなすぐに断らなくても・・っ!!」
「俺達の情報収集能力を甘く見てもらっては困る。
お前達が一体何の為に、何の目的で俺に会いに来たのか位・・・すでに承知の上だ。」
そう告げると伊綱は振り向き・・・ブレアに向かってキセルの先を向けると、気だるい視線が一転・・・獲物を射抜くような鋭い眼光へと変わっていた。
「女・・・、お前の持つその記憶装置をパイロンに渡し・・・世界の均衡を破ろうと目論んでいることは分かっている。
しかし無駄なことだ・・・。
その記憶装置に何が記録されているかまではわからんが、そんなことでパイロンを動かすことなど敵わぬと思え。」
ブレアとゲダックは絶句した。
メモリーボックスの存在を言い当てたこともそうだが、何よりルイドの計画を言い当てた伊綱の洞察力にブレア達はただただ言葉を失った。
二人の驚愕にも伊綱は動じず、むしろ当然だとでも言うように話し続ける。
「そんなに驚くことはないだろう・・・。
ルイドと俺はかつての友・・・、あいつの考えそうなことなど・・・大体想像がつく。」
・・・初耳だった。
ブレアとゲダック、いや・・・現在の軍団長のほぼ全員がルイドの傘下に加わったのは先の大戦をきっかけにしてからだった。
大戦中・・・ましてや大戦前のルイドのことを全くと言っていい程知らない二人は、自分の主君と伊綱との間に交友関係があったことなど想像もつかなかったのだ。
このままではマズイ・・・、そう思ったブレアは必死に考えを巡らせた。
ここで伊綱の信用を得なければ任務を失敗させることになる、どうにかして伊綱にパイロンとの仲介人を引き受けてもらわなければ・・・!
するとゲダックは賭けに出たのか・・・、とんでもないことを口走った。
「パイロンを動かせないかどうか・・・、箱の中身を確認してみてはどうだ?」
「ゲダック!!お前・・・、自分が何を言っているのかわかっているのかっ!?」
激昂するブレアに、しかしゲダックは冷静な表情のまま反論する。
「ではお前には他に考えがあるのか?」
そう聞かれ、確かに今はそれを考えている最中だったブレアは言葉に詰まる。
勢いが萎んでしまい、クッションの上に腰を落として座り込む。
説得材料が何もない・・・そう察したゲダックはブレアに箱を渡すように命じる、しかしさすがにそれにはまだ抵抗があるのか・・・なかなか箱を渡そうとしなかった。
溜め息交じりにゲダックは、もう一押ししてみる。
「ルイドの奴は箱の中身を決して見るな・・・とは言わなかった。
その真意はもしかしたらこうなることを想定して、あえて告げなかったと考えるべきではないのか!?
そんなに抵抗があるのならば、お前もわしも箱の中身を見なければいいだけのことじゃろう。
・・・正直な話、確かにわしは箱の中身が気になるがのう・・・。
それよりももっと残念なのが、こんな所で計画に支障をきたしてこの先の展開をこの目で拝められない方がもっと心残り
になるわい。
お前だって・・・、ここまで来てルイドの信用を失いたくはあるまい!?」
ゲダックの説得に、伊綱は何の興味も示さないまま・・・淡々と告げる。
「俺はどちらでも構わんぞ。
・・・まぁ、記憶装置の中身によってはもしかしたら協力しようという気が出てくるかもしれないが・・・。」
それも箱の中身次第・・・とでも言うように、半端なところで言葉を切る。
ブレアは他に選択肢がないまま、不本意そうに箱を取り出すとそれを伊綱に手渡した。
伊綱はメモリーボックスを手に取り、箱をまんべんなく観察してから・・・それを両手で包みこむように持った。
どうやら箱の使用方法は、箱を開ける・・・という行為を行なうのではなく、箱に自分のマナを送り込むことで本人の脳内に記録を
映し出す・・・という代物らしいことをゲダックは見抜いた。
伊綱の様子を見て、二人は彼の表情に異変を感じ取る。
最初は眉根を寄せて・・・、それからまるで信じられない・・・有り得ないというような怪訝な表情を浮かべ、最後には元々悪い
顔色が更に悪くなってゆっくりと両目を開けた。
気のせいか少し息が上がっていて、動悸が増しているようにうかがえる。
しばらく、伊綱から言葉を切り出してくるのを待つ。
ようやく気を落ち着かせた伊綱は、箱を差し出す仕草をして・・・それに応えてブレアが立ち上がり箱を受け取る。
一体何を見たのか・・・、何を聞いたのか・・・わからない二人は伊綱の返答を、ただ待った。
横に控えていたタツミが刻みたばこの入った小さいツボを差し出して、それを伊綱はひとつまみ摘まんでキセルに詰め込み火を点けて一服する。
再び遠くを見つめながら、伊綱はやっと口を開いた。
「これもひとつの答えか・・・。」
一言漏らすが、ブレア達はその言葉の意味を理解出来ないまま・・・伊綱が回答した。
「・・・いいだろう。
龍神族の族長パイロンの元へ案内してやる・・・、だがミズキの里の者がお前達に協力するのは今回限りだ。」
色良い返事をもらえたブレアが瞳を輝かせて、礼を言う。
「いいえ・・・、それで十分です!!
ご決断ありがとうございました・・・、伊綱殿。」
任務続行とあって喜びたいところだが、ゲダックは伊綱の決断を揺るがした箱の中身がどうしても気になって仕方がなかった。
箱は相変わらずブレアの元へと戻り、それを丁重にしまい込むのを見て・・・ゲダックは好奇心を抑制するのに精一杯だ。
伊綱がタツミに命令する。
「辰巳、俺はこの二人と共にヒルゼンへ向かう。
その間お前にこのミズキの里を預ける、・・・いいな?」
「わかりました。」
そう一言返すと、後のことをリンに任せてタツミは早々に部屋を出て行ってしまった。
伊綱はだらりとした着こなしのまま立ち上がり、ブレア達について来るように命じる。
そしてリンもその後に続いて全員部屋を出て行った。
玄関口まで来た時にゲダックはローブを返されて、それには泥が落とされて綺麗になっていることに目を瞠る。
しかしどうせレイラインの入り口まで戻るのにさっきの農道を通って、また泥だらけになるんだろうと思うと素直に喜べなかった。
ブレアは武器を返してもらい、そしてゲダックはサークレットをすぐさま突き返してやれやれという表情を浮かべる。
4人は屋敷の敷地を出るまで、何人もの子供達や(屋敷の使用人のような)大人達全員が伊綱に挨拶をしてきた。
一見するとただの世捨て人のように見えた風貌だが、村の者達からの態度を見てやはり彼がこの地を治めるに相応しい器の持ち主なんだと実感した。
門の外に出ると、目の前には馬車のようなものが止まっている。
それなりの装飾が施された車体の中は大人が4人は乗れそうな広さがあり、外側には御者が手綱を持って待ち構えている。
馬車を引くのは馬ではなく、狛犬のようないかつい姿をした大きな魔物だった。
「この馬車でヒルゼンに向かう。」
そう言うと、馬車の扉を開けて中に入る。続けてブレア達も馬車の中へと乗り込んだ。
全員が乗り込むと扉は閉められ、御者の掛声と共に馬車を引く魔物2匹が声を上げて走り出す。
道を歩いて行くのかと思いきや馬車はそのまま上へ上へと駆けて行って、二人は目を丸くして馬車の小窓から外を眺めた。
広大な土地がみるみる小さくなっていき、山を越え遥か遠くの・・・龍神が住むと言われるヒルゼンへと馬車は向かう。
龍神族の里と言っても、里全体に龍神の一族だけが住んでいるわけではない。
レムやアビスから亡命した人間がこの里に流れ着き龍神の許可の下、里を作ってはその殆どが自給自足の生活を送っていた。
主に龍神族が住むのは里の中心であるヒルゼンという名の土地で、そこへ行くには空を飛んでいくしか方法はない。
龍神族はドラゴン化すれば里を自由に行き来できるが、普通の人間である一般の村人は自分達の力だけではヒルゼンに入れないようになっている。
しかしこの里に住む者は心穏やかに過ごしている為、ヒルゼンへ自由に行き来出来ないという不便さを全く感じてはいない。
山を越え・・・谷を越え・・・広大な川を越え・・・、ようやくヒルゼンが近いと思った時・・・空中に数頭のドラゴンが飛び交っていた。
様々な種類のドラゴンが空を駆け、中にはヒルゼンに近付くこの馬車に興味を抱き横に並んで飛ぶドラゴンもいた。
これだけの数のドラゴンを見たことがなかったブレアとゲダックは、窓の外に見入っていた。
ようやく龍神族の本拠地へと辿り着く・・・、しかしここからが本当の任務の始まりなんだと気を引き締める。
ブレアの顔に再び、緊張が走った。