第101話 「もしも空を飛べたなら」
学校が始まってからアギトが登校しなくなって、三日が経った。
リュートは先生に問いただしてみたが、アギトの家からは電話連絡などが全くなく・・・訪問しようにも上からの命令で放置するように言われているようだった。
勿論担任はそんなことをハッキリと言いはしなかったが、バツの悪そうな表情を見れば一目瞭然である。
三日間、リュートは学校が終わってから何度もアギトのマンションまで足を運んだ。
もしかしたら外出するところに出くわすかもしれないと思ったからだ・・・、しかし結局は夜の8時まで粘ってみるもののアギトどころか、アギトの母親すら見つけることは出来なかった。
居てもたってもいられなかったリュートがマンションの管理人に話を聞くと、とんでもないことを聞かされる。
なんでもここのマンションの警備員はアギトと何度か会話をしたことがあって、比較的仲が良かったらしい。
だがアギトの母親が戻って、マンションでアギトに対する暴力を見かけた警備員はすぐさま止めに入ったそうだ。
運が悪いことにその日は母親の愛人か何かは知らないが、チンピラ風の男と口論になり・・・その後警備員は病院に担ぎ込まれた。
今も集中治療室で意識不明の重体とのことらしい。
そんな大事件、リュートは全く知らなかった。
テレビや新聞にも報道などされてはいない・・・、それもアギトの母親か・・・そのチンピラの力かどうかは不明だが事件を隠ぺいしたのは、まず間違いないだろう。
心配したリュートの両親が何度か警察に足を運んでみるものの、現行犯でなければ捜査出来ないとか・・・正式な書類手続きを踏まなければどうにもならないとか・・・、警察自身がうやむやにしようとしているのは明らかで両親は激怒していた。
木曜日・・・、今日もリュートはアギトのマンションを見上げながら自分の無力さを悔しがっていた。
まさかこんなことになるなんて・・・、自分は一体どうすればいいんだろう!?
アギトからは、あれ以来全く連絡がないし・・・今どこで何をしているのかさっぱりわからない。
今も・・・部屋で暴力を振るわれていないだろうか・・・!?
そんな不安が胸を締め付ける、まるでアギトの苦しむうめき声が今にも聞こえてきそうで・・・頭がおかしくなってくる!
「こんな時・・・、僕に翼があったらアギトの部屋の窓まで飛んで行って連れ出せるのに・・・っ!!」
しかしそんな夢のようなことを考えていても、何の解決にもならない。
ここは異世界レムグランドではない・・・、それに自分にそんな力などなかった。
こんな時、オルフェならどうする!?
ジャックは!?
助けを求めようにも、今頃彼等は火の精霊イフリートがいるという火山口へ向けて馬車を走らせているところだろう。
仮に洋館にとどまっていたとしても、自分だけではレムグランドへ行くことは出来ない。
レイラインを使って異世界間を移動するには、アギトとリュート・・・二人の力が絶対不可欠なのだ。
何度もマンションの管理人に頼みこんだが、結局マンションに入ることさえ出来なかった。
警察も頼りにならない・・・。
何日か通っていたら気がついたことがあった。アギトのマンションを出入りする人間にある種のパターンを発見したのだ。
まだアギトと二人でいた頃、リュートは何度かマンションに立ち寄ったことがある。
その時は特に気にしなかったが少なくとも主婦やサラリーマン、遊びに行く子供達をよく見かける程度だった。
しかしアギトの母親が戻って来てからというもの、リュートが毎日マンションを張り込んでいたら、やけに怖そうな男やヤクザ風の男など・・・明らかに態度の悪そうな人間がこのマンションに出入りするのが目立ったのだ。
恐らくこの人達はアギトの母親の知り合いだろうと決めつけた。
いかつい人間が出入りするようになってから、マンションの回りでいつも井戸端会議をしている主婦達の姿を見かけなくなった。
みんな恐れているせいだ。
声をかけたら喧嘩を仕掛けてきそうな男達が、今アギトのすぐ近くにいるのかもしれない・・・。
そんな中でアギトは一体、どんな扱いを受けているのだろうか。
アギトは母親がこのマンションに入り浸るのは数日程度だろうと言っていたが、本当にそうなのだろうか!?
リュートがマンションの前でじっとアギトの部屋の窓を窺っていたら、マンションからいかついサングラスの男が出てきてリュートの方に顔を向けていた。
サングラスをかけているからよくわからないが、なんだか目が合ったような気がしてリュートは慌ててその場から離れて行った。
陽が落ちるのが遅くなっているがさすがに夜の8時ともなると、回りは真っ暗になる。
しかしアギトの部屋からは明かりが見えないままで・・・、リュートは後ろ髪を引かれるような思いで家路へと戻って行った。
金曜日もアギトは学校に登校して来ることはなく、さすがにクラスメイト達もざわつき始める。
担任はその話題から生徒の気を逸らせるようにしていたが、生徒もそこまで馬鹿ではない。
休み時間にガキ大将がイヤな笑みを浮かべながらリュートに近寄って来る。
思えば少し前にガキ大将を脅したことがあって、しばらくの間はリュート達にちょっかいをかけるようなことはなかったのだが、
アギトが来なくなったことにより気持ちが大きくなっているのか・・・それとも脅し文句を忘れてしまっているのか。
ガキ大将は昔のようにリュートをなぶるような口調で、つっかかってきた。
「よぉ篝・・・、最近もう一人のナマイキなヤツが来ねぇみたいだけど一体どうしたよ!?
六郷が来なくなってからお前、随分と大人しいじゃねぇか。
やっぱアイツがいねぇとお前は何にも出来ない弱虫クンなのか!?」
レベルの低い悪口を言い放って、他の腰巾着達と大笑いしている。
しかし今のリュートにそんな悪口は通用しない、むしろ今は気が立っていて・・・非常に間が悪かった。
バンッと机を両手で叩いて、リュートはガキ大将達を睨みつけるように一瞥してから・・・無言で教室を出て行った。
馬鹿の相手をしている場合じゃない、今は一刻も早くアギトの方を何とかしないと・・・!
せめて会うことが出来たら・・・っ!!
そんな思いが溢れて、余計に焦りの色が滲み出てくる。
だが結局、今日も何の進展もなく・・・リュートは家に帰ることになった。
深夜・・・リュートはうなされるように突然目が覚めた。
何かに呼ばれているような気がした・・・、体の中がとても熱くて無性にそわそわして・・・おかげですっかり目が覚めていた。
リュートはゆっくりと起き上がって部屋から出て行く・・・勿論回りで寝ている弟や妹達に気を配りながら。
ガラス戸がガタガタと音を立てて、リュートは外に目をやった。
なんだか無性に外の空気が吸いたくなる・・・、ここしばらくはずっとアギトの心配ばかりしていて気持ちが落ち着かなかったせいもあるかもしれない。
自分の体がリラックスしたがっているのかもしれないと、リュートはそのまま外に出た。
風が冷たく・・・なぜだか心地いい。
大きく深呼吸をしてリュートは夜空を見上げた。
やはりレムグランドの夜空には程遠い、・・・そういえば本当ならば今頃アギトと二人でレムグランドに旅立っているはずだ。
毎週金曜の夕方から、日曜の夕方まで。
だがしかし・・・、今ここにアギトはいない。
どこで何をしているのかも、わからない。
リュートは・・・、一人だった。
アギトに出会ってから、一人を感じたことがあっただろうか!?
孤独を感じたことがあっただろうか?
会いたい・・・。
アギトに、もう一度会いたい・・・!!
リュートが心の底から、そう願った時だった。
辺り一面草原のように広がる畑を・・・、一陣の風が吹き抜ける。
その風の音と共に、リュートの耳元で囁き声が確かに聞こえた。
『名前を呼んで・・・』
「え・・・!?」と、リュートは辺りを見回す・・・が、しかし誰もいない。
気のせいにしてはハッキリと聞こえた。
さわさわと・・・雑草や木々が風になびいて音を立てる。
その音に交じるように、耳を澄まさなければ聞こえない程の小さな声が・・・一面から聞こえてくる。
『名前を呼んで・・・』
『願いを・・・』
『僕を呼んで・・・』
『叶えよう・・・』
『さぁ・・・』
リュートは、胸の奥に懐かしいものを感じた・・・。
確かな存在を感じる・・・、とても穏やかで・・・爽やかで・・・今にも駆け出したい気分になりそうな、自由な感情が・・・。
リュートは無意識に両手を広げ・・・自分を包み込む全てをその腕の中に受け止めようとするように、吹き抜ける風に身を委ねた。
すると、頭の中に言葉が浮かぶ・・・。
浮かんだ言葉を、リュートは一言一句漏らさずに読み上げた。
「我の言葉に耳を傾けよ、我の願いを聞き入れよ・・・。
其は大空を支配せし、自由の象徴・・・。
我は望む、我は求める。
正当なる契約主、リュートの名において命じる・・・!
風の精霊シルフよ・・・、我の前に現れ出でよ!!
・・・召喚!!」
そう叫んだと同時に、穏やかに吹きぬけていた風は突風となってリュートを吹き飛ばすかのような勢いで渦巻いた。
そして一瞬、風が凪いだと思った時・・・突風を防ぐため両手でガードして、そして両目を閉じていたリュートに誰かが声をかける。
『やぁマスター、久々の召喚御苦労様でした!!
もう久々過ぎて僕の存在を忘れられてると思った位だよぉ〜!』
やけに馴れ馴れしい口調で、完全に子供の声をした何者かが話しかけている。
リュートは両目を開けて、目の前の光景に息をのんだ。
50センチ位の小柄な体格をした金髪の男の子が、自分の目線の高さに浮かんで・・・宙であぐらをかいている。
よく見るとまるで妖精の羽根のような、角度や羽ばたきで七色に輝く半透明の羽根がパタパタと忙しく動いていた。
絶句したままリュートは硬直する。
今、自分は何て言った!?
誰に教えてもらったわけでもないのに、呪文の詠唱をした・・・。
しかもここはレムグランドではない・・・、現実世界のリ=ヴァースなのに・・・っ!?
いや、そんなことよりも・・・呪文の詠唱にあった名前・・・。
恐らく目の前で飛んで、リュートのことをずっといたずらっぽい笑みを浮かべて見つめるこの少年の名前・・・。
シルフ・・・っ!?
「なんで・・・っ!?
どうして僕、風の精霊シルフを召喚出来るわけ!?」
慌てふためくリュートに、シルフはほっぺに大きく空気を含んで膨れっ面を作るとリュートの回りを飛び回って文句を言った。
『なに本気で僕の存在を忘れてくれちゃってるのさぁ!!
ルイドから契約の継承をしたの忘れたの!?
君と僕は、継承という形を取ったけど正式な試験は合格したんだから、君は僕の正式なマスターになってるんだよ!!』
シルフの言っている言葉が今ひとつ理解しきれないリュートだったが、しばらく考え込んで・・・ようやく謎が解けて来る。
片手で口元を押さえながら・・・、思い出した記憶を口にする。
「そういえば・・・、確か僕がサイロンさんに拉致られた時・・・記憶が飛んでいたことがあったんだ。
気が付いたら僕はレムグランドの洋館の、自分の部屋のベッドに寝ていて・・・。
お医者さんや大佐の話では、僕の記憶は何らかの方法で抹消されたって言ってたけど・・・。
その抹消された時の記憶って・・・、今このシルフが言った契約のこと!?」
状況説明を口に出して、シルフは呆れ顔になりながら口を挟む。
『まぁ、何言ってんのかよくわかんないけど・・・そういうことなんじゃない!?
とにかく君は僕と契約を交わした・・・僕のマスターなんだ。
僕のマスターならマスターらしく、もっとしゃんとしてもらいたいもんだね!』
精霊に年齢とかそういうものがあるかどうかはわからないが、なんだか年下の子供に説教されているような感じがして、気分の良いものじゃなかった。
とりあえず記憶障害の不安がひとつ解消出来たのがわかって、リュートはほっとした。
だがその態度が気に食わなかったのか、シルフは再び膨れっ面になって怒鳴って来る。
『なに安心してんだよ、そうじゃないだろぉ!!
君は僕にしてほしいことがあって呼んだんじゃないのっ!?でないと僕、召喚され損じゃないかっ!!』
「僕が君にしてほしいこと・・!?」
リュートは意味が良く分からない、そもそも風の精霊を召喚出来ることすら知らなかったのに・・・してほしいことが何なのかなんて今のリュートにわかるはずもなかった。
溜め息をついたシルフは、ゆっくりとリュートの目線の高さに合わせて宙に浮くと答えを言った。
『・・・君、飛びたいって願わなかった!?
もし自分が飛べたら・・・って、飛んで何かしたいことがあったから僕を呼んだんでしょーが!?』
「・・・確かにそう思ったのは事実だけど、それ・・・願ったのは昨日なんだけど?」
『時期はどうでもいいんだよ、とにかく・・・君は翼が欲しいと願った。
僕がその願いを叶えよう!』
それを聞いたリュートはたちまち瞳を輝かせた、確かに空を飛べたならアギトの部屋まで行けるかもしれないと・・・!
しかもこのシルフの力を持ってすればそれも可能なんだと・・・、希望が見えた。
だが・・・ある問題に直面する。
それが頭に浮かんだ途端、リュートの表情は再び暗くなって・・・肩を落とす。
「ダメだよシルフ・・・。」
『何がだよ!?僕の力を持ってすれば君に翼を与えることなんて、造作もないこと・・・。』
そう言いかけた途端、リュートは顔を上げてシルフにもわかるように説明してやった。
「そうだね、君なら可能かもしれない。なんだって出来ると思うよ。
でもね・・・ここは異世界レムグランドじゃない、現実世界のリ=ヴァースっていう場所なんだ。
この世界には魔法や精霊、マナなんてものは存在しないし認知されていない・・・そういった世界なんだよ。
だから例え君に翼をもらって空を飛べたとしても、その姿を他の人間達に目撃されでもしたら大変なことになる。
それこそ大事件になったり、カメラで録画されて全国配信・・・なんてことだってあり得る。
つまり・・・この世界では人間は空を飛ぶことが出来ない、その姿を見られたらいけない世界なんだよ・・・!
・・・今の説明で、君にわかるかな!?」
シルフは眉根を寄せて、腕を組んだ。
難しい表情になりながら体を回転させて、くるくると飛び回る。
・・・シルフの申し出は、リュートにとっては願ってもないしとても有り難いものだった。
本音は勿論・・・翼をもらって、今すぐにでもアギトの元へと飛んで行きたい。
せっかく見えた希望を、自分で潰すのはとても痛いことだが・・・これも仕方のないことだった。
するとシルフはあっけらかんとした口調で、再びリュートの目線の前に顔を近づけて答える。
『ようするに回りの連中に姿を見られなきゃ問題ないってこと!?』
唐突な質問に、リュートは躊躇いながらも首を縦に振ってその通りだと返事した。
その返事を聞いたシルフは笑顔になり、くるくるとリュートの回りを飛びながら楽しげに説明する。
『だったら何も問題ないよ!!
他の人間に見られたくなかったら、この精霊の粉を使うといいよ!
これは僕の羽根の鱗粉で、僕が君の回りを飛んで鱗粉を纏わせればマナ指数の低い人間には君の姿が見えないようになるんだ。
ようするにこの世界で魔法が認知されていないってことは、つまりはマナ指数の高い人間が少ないって意味だろ?』
そういうことになるのかどうかは判断しかねるが、ここまで来たら迷っている暇はない。
リュートはシルフの言葉を信じて、その鱗粉を使い・・・翼をもらってアギトの元へ向かう決心をした。
夜の方が人目を忍んでいいのかもしれないと、リュートは今・・・実行することに決めた。
シルフにお願いすると、彼はポケットから何かの種のようなものを取り出して・・・これを飲むように指示する。
何の種か聞きたかったが、シルフは含み笑いを浮かべるだけで・・・なんだか聞くのが怖くなった。
なるようになれ!と思いながら、リュートはごくんっと音を立てて一気に飲み込む。
味は全くしなかったが、異物を飲み込んだ感覚は何とも気持ちが悪かった。
種を飲み込んだリュートに向かって、シルフが説明する。
『それは有翼種といって、自分の背中に翼が生えるようにする種なんだ。
僕と契約を交わしている間だったら、何度でも出し入れ自由さ。
さぁ・・・、自分の背中に翼が生えるイメージをしてごらん!?』
そう促されて、リュートはイメージ・・・想像する。
もし自分の背中に翼が生えるとしたら、これしかないだろう。
「青い鳥」を想像した・・・、青い翼が自分の背中に生えるイメージを・・・。
頭の中でイメージが形を成した瞬間、背中の筋肉がうごめくような・・・何とも奇妙な感覚に襲われる。
痛みはないが、背中のシャツを破りながら大きな翼が生えたのが・・・月明かりに映し出された地面の影で確認できた。
なんとも不思議な・・・、まるで両手両足を動かすような感覚だけで翼をばさばさとはばたくような仕草で動かすことが出来た。
『翼が生えるイメージ、空をはばたくイメージ・・・。
深く考え込んだりしなくても全てイメージだけで自在に操れるように、僕が補助するから安心しなよ。』
そう告げると・・・シルフはスゥーッと半透明になって、うっすらと消えて行くように見えた。
驚いたリュートにシルフは笑顔で答える。
『僕は君の翼に結合するから、一時的に姿を消失させるよ。
大丈夫・・・、僕の姿はなくなってもずっと君の側にいるから。
さぁ、君の求める場所へと・・・飛び立とう!!』
リュートはその言葉に安心して、シルフに言われた通りに頭の中で飛び立つイメージをした。
すると本当に難しいことは何もなく、ゆっくりと両足が地面から離れて行くのがわかった。
飛んでる・・・っ!
自分は今空を飛んでいるんだ・・・!!
そう思うと喜びが止まらない・・・、ずっと夢見てた・・・大空を自由に羽ばたくことを・・・!!
満面の笑みを浮かべながらリュートの家が、段々小さくなっていく光景が目の前に広がって行く。
しかし喜んでばかりもいられない。
リュートは笑顔をやめて、真剣な表情に切り替えて・・・目的地を目指す。
行き先は、そう・・・。
アギトのマンション・・・、アギトの元へ・・・!!
リュートは青い翼を大きくはばたかせながら、大空を舞うように飛び立っていった・・・。