第100話 「悪い夢」
翌日、アギト達は普通に修行のおさらいをするだけとなった。
しばらくはオルフェやジャックから直接修行をつけてもらうことが出来ない為、自分達で自主練が出来るように簡単なメニューの作成とリ=ヴァースでも出来る訓練方法を指導してもらっていた。
「イフリートのいる火山口へは、ルナデイの真昼に出発します。
到着予定は10日後のウンディーネデイとなるので、君達は一週分だけこの洋館で自主的に訓練でもしておいてください。
来週にはチェスが翻訳した魔物データが完成しているでしょうから、火山口へ行くまでに魔物に関する知識だけは頭の中に入れて
おいて下さいよ!?」
「それからグスタフに、お前達の戦闘スキルに関することを一通り説明しておいたから何かわからないことがあったらグスタフに
聞くといい。
あいつは武器に関する知識が豊富だし、肉体派専門の軍人だからな。」
オルフェとジャックが、自分達がいない間のことをまとめて説明しておいた。
リュートはともかくアギトは、来週はイヤミったらしいヤツがいないから気が楽だ・・・という風に、ニヤニヤが止まらない。
勿論それはオルフェにはバレていた、しかし・・・冷たい視線を向けるだけで何か言われることはなかった。
午前中はずっと自主練用の指導や話が続いて、あっという間に昼になった。
昼御飯を食べている時にちらっと見つけたのが、ジャックのお気に入りだったファッション誌がメイドに奪われていた光景だ。
元々、リ=ヴァースのファッションに合わせた装備を新調してもらう為に持ってきたものだったのに、最初は興味本位でジャックの元へ・・・そして日本語翻訳の資料としてチェスの元へ・・・、再びジャックの手元に渡ったがついに本来持つべき人物の元へと渡されていた。
ファッションセンスとは程遠い人物に見えるのに、何がそんなに面白かったのか・・・アギトは理解に苦しんでいた。
午後は再びチェスの日本語講座に付き合わされていた。
・・・というより、アギト達が異世界の言語を覚える気がなかった為にチェスがとばっちりを受けたのだが・・・。
午後は殆どチェスに付きっきりで、苦労の甲斐あって何とか平仮名で短い文章を綴ることが出来るようになっていた。
「平仮名ばっかの文章って読みづらいんだよなぁ・・・。」
「アギト・・・、翻訳してもらってるだけでもものすごく有難いんだから・・・我が儘言わないでよね!?」
リュートに説教されてアギトは「悪かったよ!」と適当に謝って、・・・それから荷造りをようやく終えた。
今回は大型連休ということもあって、かなりの大荷物だった。
しかし毎週土日と連休はこの異世界で生活する為、着替えや向こうの世界で差し支えのないものは自室に置きっ放しにしている。
半分ここに住んでいる状態となっており、タンスの中にはそれぞれの衣服がどんどん増えていく。
気がつけばすでに夜の7時になっていた、アギト達は例の如くいつものようにリュックを背負って地下にある魔法陣の部屋に向かう。
毎週恒例の為、地下までついて来てくれる人間はだんだんと減っていた。
どうせまたすぐ会える・・・そんな感覚になってしまっているせいか、二人が魔法陣の部屋に到着した時には見送りに来ているのはジャックとザナハだけだった。
「二人とも、来週レムに来たら早速チェスからもらった資料で予習しておくのよ!?
ただぼんやり眺めるんじゃなくて、魔物の種類によって戦い方をイメージしたり、どんな攻撃が有効か考えたり・・・!」
「だぁーーわぁーってるよ!!
お前はいちいちうるっせぇなぁ・・・、口うるさいお母さんか!!?」
「誰がよっ!!
あんたみたいなクソガキ、こっちから願い下げだっつーのよっ!!」
「ほいほい・・・いつもの痴話喧嘩もしばらく聞けなくなると思うと寂しいもんだなぁ・・・。
もういいか?心残りのないように、しっかり痴話しとけよ〜?」
『そんなんじゃないっ!!』
・・・綺麗にハモる、・・・そしてまたお互い睨みあう、・・・もはや恒例である。
呆れた表情でリュートが魔法陣の中ですでに準備万端にしていた。
アギトは膨れっ面のままリュートの横に並んで、右手と左手を握り合い・・・マナが発動、そして魔法陣から発せられた光と共に
二人の姿は消えて行った・・・。
「さてと・・・、問題なく移動したな。
そういやオルフェがいつも魔法陣にロックかけてるはずだが、今回はしなくてもいいのか!?」
「あぁ〜・・・、明日から火山口に向けて出発するでしょ?
今ロックかけたら来週にはオルフェもこの洋館にいないし、二人が移動出来なくなるから今回はロックをかけないんだって。」
「はぁ〜〜ん、そんならもう出るか。」
ジャックは特に興味なさそうに、ザナハを先頭に部屋を出ると・・・一応扉の鍵はかけておいた。
この鍵はチェスに預けておいて来週アギト達が来るまでに、扉の鍵を開けておくようにすでに指示してあるらしい。
レムグランドから無事、リ=ヴァースへと戻ってきたアギトとリュートはいつものように廃工場から落下していた。
そして地面ギリギリの高さでふわりと一瞬宙に浮き、それからゆっくりと着地する。
今回も何事もなく、いつものように移動が成功。
あとは帰って学校に行く支度をして、寝るだけだ。
ふと・・・、アギトは大変なことに気が付く。
「あぁっ!!」と大声を張り上げたアギトに、リュートがびくんっとビックリして振り返る。
アギトの顔は瞳孔が開いた状態で、大口を開けて・・・完全に固まっていた。
「な・・・っ、何っ!?
向こうに何か忘れ物でもしたの!?」
アギトに詰め寄って問いただす。
するとがっくりと肩を落として、目は虚ろになり・・・はははと薄笑いを浮かべていた。
「連休前にどっさりと出されてた宿題・・・、全くもって手を付けてねぇ・・・っ!!」
「なんだそんなことか・・・。」
何事かと思った自分が馬鹿らしくなって、リュートは安堵の息を洩らした。
「そんなこと・・・って、お前っ・・・!!・・・え?・・・って、お前もしかして・・・!?」
アギトが神にすがるような眼差しでリュートを見つめる・・・。
リュートはにやりと微笑みながら、リュックの中から分厚いドリルを取り出してアギトに見せびらかす。
「ふっふっふっ・・・、アギトが静止世界に行ってる合間とか馬車移動の時にこつこつ宿題してたのさ!!」
「リューーーーーーーート様ーーーーーーっっ!!!」
アギトはリュートの前で大袈裟に土下座すると、神を崇めるように「ははーっ!!」と祈る仕草をした。
あぁ・・・、リュートの背中から後光が差しているようだ・・・とアギトは本気でそう思う。
「これで貸しが出来たね・・・。」
「う・・・っ!!」
リュートの後光エフェクトから一転・・・、突然悪魔のように見えたのは気のせいだろうか?
しかし、とりあえずこれで学校の先生から大目玉を食らうことはないだろうと前向きに考えるようにして、二人は廃工場から出た。
二人は勿論リュートの家に向かっていたが、アギトは長期間に渡って自分のマンションに戻っていないということもあり今の内に
マンションの様子を見に行くことにした。
ゴミ箱の中身はちゃんと処分していただろうか?
埃が溜まり過ぎて、ゲームなどの機器類に問題はないだろうか?
冷蔵庫の中身は?
考えてみれば、色々問題がありそうだと・・・少し小走りで戻って行く。
高級マンションが立ち並ぶ区域に入って、そこからアギトのマンションへと向かう。
「えっと・・・、IDどこやったっけ!?」
アギトがズボンのポケットやリュックの中身をがさごそと漁っている時、リュートが怯えるような口調でアギトに囁いた。
「アギト・・・、あれ・・・アギトの部屋の窓だよね・・・!?」
「あ?」
そう言われてアギトは、リュートが指を差している方角に目をやった。
するとその窓は確かにアギトが住む部屋の場所の・・・、リビングの窓から見える明かりだった。
ちらりと・・・カーテンの閉まった場所から人影が見えて、二人の心臓が跳ね上がる。
「アギト・・・、あれってもしかして空き巣とか・・・泥棒とかじゃない!?
どどど・・・どうしよう!?・・・どうしたらいい!?・・・あ、警察か・・・っ!!」
「いや・・・、待て。・・・違う。」
リュートが公衆電話を探そうとした時、アギトはリュートを片手で止めて・・・硬直した。
額にはたっぷりと冷や汗が流れ落ちていて、呼吸は荒く・・・どこか怯えた表情になっている。
アギトのこんな様子・・・尋常じゃない。
そう思ったリュートは、アギトの体をゆすって声をかける。
「ねぇ・・・どうしたのアギト!?なんだか様子が変だよ!?」
そう言ってアギトの肩に触れた時・・・、アギトが震えているのが伝わった。
・・・怯えている!?
金縛りにでもあったみたいにその場から動こうとしないアギトの体を、何度かゆすったが・・・反応さえしてくれない。
「ねぇアギトってば!!」
リュートがそう叫んだ時・・・、マンションの入り口の方から若い女性がけたたましい声を上げた。
「アギトっっ!!」
その声を聞いた途端、アギトはまるで何かに怯える子犬のように・・・声のした方にゆっくりと視線を向けた。
そこにはものすごく派手な格好をした・・・まるでキャバ嬢かホステスのような衣装に身を包み、バッチリと濃い化粧をして、
髪は茶髪の巻き髪で・・・真っ赤な口紅を塗った口元にはタバコをくわえながら、こちらをじっと睨みつけている。
高いヒールをカツカツと音を立てながら勢い良く近づいてくると、アギトの正面に向かい合って・・・それから思いきり拳で
殴り付けた!!
アギトは避けることも防ぐこともせず、その勢いのままずしゃあっとタイルの上に倒れ伏した。
「アギト・・・っ!!?」
何が起こったのかわけがわからず、リュートは殴り飛ばされたアギトに駆け寄って・・・抱え起こそうとする。
しかしアギトはさっきまでとは全くの別人のようで、視線が定まらず・・・自分の力で起き上がろうとすらしなかった。
うろたえながらリュートはアギトを殴り飛ばした女性の方に目をやる、そこには憎しみと怒りのこもった鬼のような形相をした女性がこちらを睨みつけたままだった。
たっぷりと怒りを込めた口調で、女性は二人に向かって怒声を上げた。
「アギト・・・お前、何日マンションほったらかしたんだよ、あぁ!?
久々に帰ってみればゴミ箱ん中の腐ったモンにウジがわいてるわ、あちこち埃だらけだわ、どうなってんのよ!!?
それから、あんたは一体何なのよ!?
邪魔だからさっさと消えな、このクソガキがっ!!」
そう怒鳴ると、リュートに向かって口にくわえていたタバコを手に持ち変えて乱暴に投げつけた。
危うくタバコの火が当たって火傷しそうになる。
まさかとは思う・・・、しかし本音ではそうあってほしくなかった。
しかしこの台詞の内容に、よく似た顔・・・聞けば声も同じ・・・。
(まさかこの人が・・・、アギトの母親!?)
信じられなかった、・・・信じたくなかった。
リュートは絶句したまま、その場に凍りく。
今までアギトは自分の家族に関して、一言も・・・何ひとつ話そうとはしなかった・・・してこなかった。
そしてリュートも聞こうとしなかった。
きっといつかアギトの方から話してくれるものだと思っていたから・・・。
リュートはごくんとツバを飲む。
アギトがずっと自分に話さなかった理由が、ようやくわかった。
知られたくなかったから・・・、そしてきっと・・・この母親に関わってほしくなかったからなんだと・・・直感した。
リュートは意を決する。
倒れ伏したアギトの盾になるように、母親の前に立ち塞がった。
リュートの行動を見た母親は、ぴくっと片目を痙攣させて睨んでくる。
ここで逃げたら・・・、自分はアギトの親友失格だ!!
今のアギトは助けを求めてる、救いを求めてる。
友達である自分が何とかしなければ・・・、今ここで逃げたら・・・二度とアギトの親友なんて名乗れない!!
「何なのよ、さっきからアンタは・・・!!?」
侮蔑する口調で母親が聞く。片足で貧乏ゆすりするような仕草をしていて・・・相当イライラしている様子だった。
怖くないといったらウソになる、さっき何の躊躇もなくアギトを殴り飛ばしたこの女性を目の前に・・・恐ろしさで震えだす。
以前のリュートなら、硬直したままその場を動けずにいるか・・・、きっと逃げ出していたことだろう。
レムグランドでの経験がこんな場面で役に立つなんて、誰が想像出来ただろうか!?
リュートは完全にアギトを庇うような体勢で、立ちはだかって・・・宣言する。
「僕はアギトの親友です!!
あなたがアギトの母親なら、アギトに乱暴なことをしないでください・・・警察を呼びますよ!?」
精一杯の台詞を叫んだ。
しかし、リュートの威勢に全くたじろぐことなく・・・アギトの母親は意外にもリュートの台詞で高笑いしだした。
自分は何もおかしなことは言っていない・・・、何がそんなにおかしいのか・・・何を笑っているのかわからずにいると・・・。
倒れ伏したアギトを指さしながら、母親は馬鹿馬鹿しいとでも言うように蔑んだ。
「あっははははっ!!
あんたがこいつの親友だって!?・・・はっ、こいつに親友なんか出来るもんか!!
昔っから面倒ばかり起こしやがって・・・っ!!こんな全く可愛げのないガキに、友達!?」
母親の台詞に、リュートは奥歯を噛みしめながら頭に血が昇って行くのをじわじわと感じていた。
そんな様子にも全く介せず、なおも母親は続ける。
「随分笑わせてくれるじゃない!!
あんた、アギトから一体いくらもらったの!?」
リュートは言葉の意味が理解出来ずに、「は?」と短く聞き返した。
「アギトから一体どんだけ貢がせたかって聞いてんのよっ!!
・・・金?・・・それともゲーム?
こんなクズに出来ることと言ったら、金かおもちゃをバラまくこと位なもんよ!!
そうでもしなきゃこんな青い髪をした気味の悪いガキなんか、相手にするはずがないっつってんのよ!!」
リュートは言葉を失った・・・。
さっきまでの怒りが引いて行く、血の気が引いて行って・・・全身が凍り付く。
今なんて・・・?
この人は、自分の息子に向かって・・・一体何を言った・・・!?
リュートの頭の中は、先程言われた台詞を何度も何度も反芻していた・・・。
有り得ない・・・、こんなこと有り得ない・・・!
今目の前で起きている光景はきっと悪い夢に違いない・・・、それも今までの人生のワースト3に入る位の悪夢だ・・・!
これが母親の言うことなのか・・・!?
自分のお腹を痛めて生んだ子供に対して、・・・クズ?・・・気味が悪い!?
友達なんか・・・出来るはずもないだって!?
許せない・・・っ!!
リュートはキッと母親に向かって反抗的な目つきで睨みつけると、両手を大きく広げてアギトに手を出させないようにした。
「僕はそんなことでアギトと友達になろうだなんて思わない!!
僕は・・・っ!!」
そう言いかけた。
全く予想していなかったとは思わない、もしかしたらと覚悟はしていた。
母親は何の遠慮もなくリュートの髪の毛を鷲掴みにすると、そのまま片手でリュートを少しだけ浮く位に持ち上げ、
もう片方の手で平手打ちをした。
「ナマ言ってんじゃねぇ、このクソガキがっ!!
さっさとそこどけって言ってんのがわかんねぇのか!!」
そう怒鳴って、もう一発・・・今度は拳でリュートの頬を殴り付けると唇を噛んでしまって血が流れる。
しかしそれでもリュートは引かない、引いてたまるかと・・・激痛をこらえてなおも睨みつけるのをやめなかった。
その態度が余計に癇に障ったのか、母親は顔を歪ませると今度は鷲掴みにした手を離してリュートの腹を思い切り蹴り上げた。
「うぐぅっ!!!」
リュートは短い悲鳴を上げると、一瞬呼吸が止まって・・・腹を押さえて前のめりにうずくまった。
げほげほと咳き込みながらうずくまるリュートに、更にヒールで背中を踏みつける。
「ああああぁっっ!!」
リュートがうめくような悲鳴を上げて地面に這いつくばる・・・。
「やめろぉっ!!」
リュートの悲鳴を聞きつけたアギトが、恐怖を押し殺して立ち上がり・・・リュートに寄り添うような形で乞うた。
母親はアギトの態度が気に食わないのか・・・、ヒールを背中に押し付けるのをやめない。
腹の底から絞り出すような悲鳴を聞いたアギトは、瞳に涙を浮かべながら・・・タイルにおでこを痛い位に押しつけて土下座する。
「お願いします・・・っ!!
頼みますからリュートだけは許してやって・・・、くださいっ!!
何でもしますから・・・、だからっっ!!」
アギトの声は震えていた・・・。
激痛で意識が朦朧としながら、リュートはかろうじて開いている片目で・・・すぐ横で土下座するアギトを見つめた。
泣いている・・・。
アギトが泣いて・・・、必死でリュートを守ろうと・・・見逃してもらうよう懇願している・・・。
「アギ・・・っ、・・・ト・・・。」
リュートは蹴られた腹のせいで呼吸がままならない状態の中、必死に声を絞り出して・・・友の名を呼んだ。
しかしアギトはこちらに視線を送ることなく、タイルに力一杯おでこを押しつけたまま母親の怒りがおさまるまで土下座を続けた。
ようやく背中に突き刺さったヒールが離れて行き・・・、今度は土下座したアギトの髪を鷲掴みにすると顔を近づけて囁く。
「さっさと来な、このグズが!!
いつまでもこんな所でみっともない姿さらしてんじゃないわよ、立てっ!!」
そう叫んで鷲掴みにしたアギトの頭をタイルに力一杯押し付けて、それから手を離すと母親は先にマンションへと歩いて行った。
腹を押さえたままうずくまるリュートに・・・、タイルにおでこを押し付け過ぎて血が滲んだ状態のアギト・・・。
アギトは真っ赤な瞳にたっぷりと涙を浮かべながら・・・、絶望しきったような虚ろな表情で一言・・・言葉をかけた。
「リュート・・・、ゴメン。」
それだけ言って・・・、アギトは倒れたリュートに手を差し伸べることもなく落ちたリュックを拾うと、よろよろとマンションの方に歩いて行った。
リュートはうずくまったままアギトを視線で追う。
アギト・・・!
アギト・・っ!!
・・・・・・アギトっ!!
心の中で何度も名前を呼び続けて・・・、最後に映った姿は母親にまたも殴られ・・・蹴られながらマンションの中に入って行く姿だった。
こんな・・・っ、こんなことって・・・!!
リュートは悔しくて・・・、悔しくて泣いた。
ズキズキと痛む腹を押さえて、しゃくるように泣いていた。
ゆっくりと起き上がり・・・立ち上がってアギトのマンションの窓を見る。
がちゃん・・・と、何かが割れる音が聞こえた。
窓の明かりにうつる影が・・・、痛ましい。
あの部屋で一体何が起きているのか・・・、容易に想像出来るっ!!
リュートは足がもつれそうになりながらマンションの管理人室の方に向かって歩き出した。
管理人にお願いして警察を呼んでもらおう。
今の自分にはそうすることしか出来ない。
必死の思いでリュートは助けを求めた。
・・・それは後で知ったことだった。
アギトの母親の暴行は、母親がマンションに戻る度に頻繁に起きていたこと・・・。
最初の内は何度か警察を呼んだり、家庭内暴力に関する局に連絡したりしていたそうだが・・・全て通用しなかったらしい。
アギトの母親と父親は大きな権力を持つ人物のようで・・・、特に母親の顔は広く・・・警察も弁護士も手が出せないことがわかった。
噂では、母親を通報した人間は暴力団に襲われたり、悪質な嫌がらせを受けたりして・・・次第に誰も関わろうとしなくなったようだ。
リュートが助けを求めた管理人も・・・、マンション前で二人が暴行されているのを見ていたし・・・知っていた。
それでも当事者がアギトの母親だとわかると、見て見ぬふりを決め込んでいたのだ。
勿論リュートは自分の両親にも助けを求めた、その時は暴行を受けた直後だったこともあり・・・母親に関わったらとんでもない目に遭うなんて知らなかったから。
両親が警察に向かおうとした矢先、1本の電話がかかってきた。
アギトからだった。
今すぐ警察に助けを求めるからそれまで辛抱するように・・・と、リュートの母親が言おうとした。
しかしアギトは覇気のない震えた涙声で・・・、完全に魂を失ったかのような声で・・・こう言ったそうだ。
「もう自分に関わらないでほしい・・・。
オレの母親に逆らった人間は、最悪死ぬかもしんないから・・・。
リュートや、おじさんおばさん達に迷惑かけたくないし、危険な目に遭ってほしくないんだ・・・っ。
オレなら大丈夫だから・・・、どうせここにいるのも数日だけだし・・・またすぐどっかに行けばいつもの生活に戻るから。
それまではどうか、オレのことは放っておいてください・・・っ!!」
そう言って・・・、途切れるようにすぐ電話を切ったらしい。
リュートと両親はすぐに警察に駆け込んだ。
だが案の定・・・、警察は全く取り合ってくれなかった・・・。