第6話 願いの力
オリヴィエの先導で扶郎たちが駆け付けた場所は、オリヴィエと合流する前に扶郎が訪れようとしていた薬草が採取できる区画だ。
あと少しで辿り着こうとした矢先、オリヴィエが急停止し扶郎を止めるように腕を上げた。
慌てて彼が立ち止まると、視線の先に言葉にするには酷なものがいた。
外見は蛞蝓に近いが、触角に相当する部分が紫水晶のようになっており、表面は蛆虫でも湧いていような体毛が無数の鞭如く振り回されている。何より危険を感じるのは移動する際、うねる体毛が周囲の木に触れると、一瞬の内に木が蒸発したかのように消えていることだ。
幸いに移動は遅く、扶郎たちにも気づいていない様子だが、そのまま見たことを忘れて逃げ出したいほどの異形である。
「なんだよ、あれ」
不気味な存在に扶郎は吐き気を感じる。
「害魔だわ」
戸惑う扶郎の横でオリヴィエがそう言った。
彼女も見ていて気分が悪そうで、顰めた面で異形を睨んでいる。
「害魔? あれも、ですか?」
「えぇ。別に害魔は私たちがさっきまで相手にしたのだけじゃない。色々な種類がいて、中にはあんな気持ち悪いものいるわ」
扶郎たちが戦っていた、頭部が山羊で六足の異形も気持ちが悪いが、あれよりも目のにいる害魔の方が格別に気分を悪くさせた。
「カリスト、メツヒちゃんは何処にいるの?」
「あの木の上に隠れているんだと~」
オリヴィエは蛞蝓の害魔に注意を張りながら、カリストが指差した木を一瞥する。
扶郎も確認すると、よく見れば小さな人影が見えた。蛞蝓の害魔との距離はまだ離れているが、害魔の進行方向がそちらに向いていた。
仮に少女に害魔が気づかなくとも、蠢く体毛が木々を蒸発させる光景を見れば猶予が少ないことは明白だった。このままでは、隠れている木ごと彼女は餌食になる恐れがある。
「ヨツバくん、君はカリストと一緒にメツキちゃんを連れて逃げて。私が囮になるわ」
「一人であんなやつを相手にするんですか!? 危険じゃあ……」
オリヴィエの武器は白虹に輝く剣。扶郎の同じ星具で、名は開陽剣ミザール。
その切れ味はついさっきまで目撃していたが、手当たり次第に木々を蒸発させる害魔を見れば、不用意に接近することは危険ではないかと扶郎は危惧した。
「確かに、あのうねうねしているものを見れば、下手に近づくのは危ないわね。そもそも、剣が効く相手かは試してみないと分からないわ。けど、試す前に私はここからあいつを斬る」
「ここから、ですか?」
ここから斬るというオリヴィエの言葉に、扶郎は漫画などでよくある剣圧を飛ばす、斬撃を飛ばすというもの思い浮かべた。
それともう一つ。オリヴィエが現れる前に見た白虹の光。
実際は彼の予想は当たっていた。
「私がここに来る直前にした願いが力となったとっておき。それなら、ここからでも攻撃できる」
「願いが、力となった。 もしかして、魔法のようなものですか?」
そんなことができるのかと、扶郎が驚いているのに気づいたオリヴィエは苦笑する。
「今回もあの神父からは教えてもらっていないみたいね。詳しくは一段落したら私から教えてあげるから、今は目の前のことに集中して」
「……わかりました」
「問題は私のとっておきが効かなかった場合ね。あのうねうねがただ木を破壊してたり、溶かしてたりしているだけなら兎も角、あんな消えかたを見れば、なんでも消しちゃうかもしれないわ」
「なんでもって、そんなこと」
信じられない。
この目でオリヴィエ称する彼女のとっておきを見た扶郎は、その威力を知っている。それでも倒せなければ、どうすればいいのか。
「どの道やってみなければ分からない。そうなったら、君がメツキちゃんを逃がす間、うねうねと避けながら相手するしかないわね」
「…………」
「大丈夫よ。あれは見ての通り遅いから、貴方たちが逃げたら私も退くわ」
心配する扶郎を安心させるようにオリヴィエは笑いかける。
「さぁ、早くメツキちゃんを助けてあげに行って」
「……わかりました。カリスト、行こう」
扶郎は渋々従う。そもそも素人同然の自分の意見など邪魔なだけだ。
不安な心にそう言い聞かせながら、扶郎はカリストを肩に乗せた。
「と~。オリヴィエ、気をつけてと~」
「ええ。アナタたちもね」
オリヴィエに見送られながら、扶郎はカリストが見つけた木に向かって走った。
瞬間、扶郎を認識したのか蛞蝓の害魔が僅かに反応する。
だが、害魔が次の行動に移す前に、オリヴィエが先に動いていた。
彼女は白虹の刃を掲げ、天に突き立てられた刀身は眩い閃光を放出する。
間もなく、白虹の光を纏った剣を振り落とすと、輝いた刃から光が奔った。
間違いない、あの時見た、白虹の光!
扶郎は走りながら、白虹の光に害魔が飲み込まれる光景を見る。
「やったか?」
期待ができたのは、周囲を照らした光が収まるまでだった。
白虹に染まった視界が晴れると、そこには未だ健在の蛞蝓の害魔が存在していた。
「ッ────」
オリヴィエが言った事態が現実となる。蛞蝓の害魔は無傷であり、自分に攻撃したオリヴィエへと体を向けた。
瞬間、今までの鈍重な動きとは想像できない速度で彼女に迫る。
それは山羊頭の害魔が繰り出した突進よりも速く、オリヴィエとの間にあった距離を一気に消失させた。
「オリヴィエさん!」
「何しているの! 私のことは構わないで!」
溜まらず立ち止まって叫んだ扶郎にオリヴィエが咎める。
彼女は鞭のように襲い掛かった無数の体毛を回避し、森の中へ駆け込んだ。蛞蝓の害魔もまた周りの木々を消失させながらオリヴィエを追った。
一瞬迷った扶郎だったが、オリヴィエに言われたことを思い出して足を進める。
「君、大丈夫!?」
目的地に辿り着くと見上げた木の枝に角が生えた幼い少女がいた。
「あ──」
余程、怖かったのだろう。体は震えており、目は今にも零れそうな涙が溜まっていた。
だが、両手には何かの薬草を握りしめており、幼い少女は目的を果たしたようである。
まだ恐怖が抜けないのか、それとも初対面の人間に警戒しているのか、少女は扶郎をじっと見降ろしたまま動かない。
そんな彼女に扶郎は優しく笑いかける。
「オガお婆さんに言われて君を迎えに来たよ」
「お祖母ちゃん?」
「そうと~。心配していたと~」
「あ、アナタはオリヴィエお姉ちゃんのとこの」
カリストの顔を見て、少し緊張が和らぐ。
オリヴィエが名前を知っていたので予想はしていたが、口ぶりから彼女と面識があるようだ。
「俺はそのオリヴィエお姉ちゃんの仲間だ。オリヴィエお姉ちゃんが怖い奴を相手にしてくれているから、その間にこの森を一緒に抜け出そう」
「…………わかった」
知人の名前で警戒心を解いた少女を見て、扶郎は安心したように息を吐く。
「ほら、受け止めてあげるから降りておいで」
「うん」
扶郎の義妹たちの中には同じ状態でも躊躇って降りてこないが、鬼族の少女だけあって度胸があり最悪は自分で何とかできるから迷わず飛び降りてきた。
扶郎はしっかり降りてきた少女を抱きとめると、優しく背中をさする。すると緊張が解けたのか、少女は扶郎の胸に顔を押し当てて呻くように泣き出す
無理をして頑張った少女をカリスと供にあやしながら、扶郎はオリヴィエの指示に従って森の出口に向かった。
❖ ❖
ぶつかりそうな木を避けながら、オリヴィエは蛞蝓の害魔から逃走している。
(もう、あの子たちは森を抜けた頃かしら?)
時間にして凡そ15分以上。いい加減、あの化け物をこの剣で斬りたい気持ちが芽生えるが、実際に斬ってみようとは考えなかった。
自分のとっておきが効かなかった相手だ。
オリヴィエがこの世界で手に入れた剣であり、彼女を召喚した神器。
銘を武曲の星具・開陽剣ミザール。
この白虹の剣は神器と呼ぶに恥じない業物であるが、絶対不滅の刃であると過信しない。
以前の世界にいた騎士団の仲間が持っていた剣に、如何なる方法を持ってしても壊れない聖剣というものがあったが、この剣が同じほど強度を持つかは試してみないと分からないのだ。
一旦試すには相手が悪すぎる。最悪、武器を失えばオリヴィエ手札が無くなる。
(せめて、あのとき少しでも怯んでくれれば、もう一度して倒せたと思うのだけど)
蛞蝓の害魔は何でも消失さえているが、唯一、そうしていない部分がある。
それは、害魔が移動している足元。
周りの木々や巻き込まれた動物は一瞬で蒸発しているのに対し、害魔が通った地面は踏み荒らされただけで草や土は存在していた。
仮に、足元も消失する性質ならば動くことすらできないだろうが、それゆえ、今は見えない裏側だけが唯一攻撃が通じる突破口になりえる。
もしも、オリヴィエが先程放出した白虹の光を連発できれば、最初に地面でも抉り、そこから剥き出しになった足元をもう一度攻撃するのだが、生憎とあの力は一日に三回しか使えない。
よって、残り一発。一手足りないのだ。
何とか逃げおおせることができれば、後日挑むか、地面に爆弾でも設置して転ばせる作戦もできるが、今は相手の攻撃を避けることで精一杯だ。
「というか、本当に気持ちが悪いわっ!」
何度目かの飛来した体毛を避けて、溜まらず叫ぶ。
オリヴィエが化け物と戦った経験は前世も併せて何度かあるが、目の前の化け物は気色の悪さでいえば最上位に位置する。
そんな有り難くない順位を更新した害魔は、情け容赦なくオリヴィエを襲う。
捕食するわけでも、いかがわしいことをするわけでもないが、やはり捕まりたくない。捕まったら最後の可能性だってある。
まったく、害魔というものは消費するだけ災害だと改めて思った。
(しかし、このままだと森を抜けるわね)
森を抜けたところで別に人が周りにいるわけでもないが、近くには駅もあり僅かながら人もいる。そんなところまで逃亡劇を繰り広げたくなく、罪のない民に被害を及ぶくらいなら幾つかの賭けをした方がオリヴィエにとって最善だ。
覚悟を決めて、まずは最初の賭けをしようと試みようとする。
だが、その前に、オリヴィエと害魔の間を分けるように何かが飛んできた。
(矢───いえ、あれは木の枝!?)
飛んできた木の枝は蛞蝓の害魔に向かい、当然ながら蒸発する。
しかし、自分に攻撃したことが気に入らないのか、害魔は近くにいたオリヴィエから木の枝が飛んできた方角に体を向けた。
オリヴィエも視線を向けてみると、そこには白銀の弓を構えた扶郎がいた。
❖ ❖
森を抜けた扶郎はユメキをカリストに任せてから戻ってきた。
途中、矢に見立て飛ばせそうな細い枝を集め、何本かは試し撃ちをする。
飛ぶことには飛ぶが、狙った場所には飛ばない。
だが、飛ぶだけで充分。目標は大きく注意を引ければ、それだけでいい。
今日初めて弓を握った扶郎は、誰に教わったわけでもないのに正確に構え、見つけた蛞蝓の異形に向かって、木の枝を放った。
結果は予想通り、木の枝が消失。更には傷ついてもいないのに些細なことが気になったのか先程まで追っていたオリヴィエではなく、扶郎のとこへ向かってくるではないか。
扶郎にとっては嬉しい誤算だった。
今ならまだ距離があるので逃げ出すことも可能化もしれないが、扶郎は一つだけ試すことがあった。
彼女は言った。死に際の願いが力になると。
最後の瞬間、扶郎は大切なものたちが壊れないでほしいと願った。
ならば、自分は願いで宿った力それに準ずるものはずだ。
カリストは語った。扶郎が持つ弓、その昔の所持者は魔法という力で矢を作り出したと。
扶郎に魔法は使えない。
だが、扶郎は剣を扱ったことなどなかった。弓矢を引く機会などなかった。
しかし、この手に持った武器を握れば、彼は剣で異形を断ち、適当なものを矢に見立て飛ばすことができた。
全てはこの武器の恩恵だと考え、ならば他にもできないかと考えた。
既にこれも、ここに来るまでに一度試している。
ならば、あとは実戦で行うだけだ。
彼は死に際の願いを再び祈る──壊れないでほしいと。
その願いを力に変え、一本の矢に形を変える。
彼の手に生まれた不滅の矢が、白銀の弓によって解き放たれた。
「NYUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!」
初めて、蛞蝓の害魔が悲鳴を上げた。もしかしたら、初めての痛みなのかもしれない。
白銀の矢を突き刺さった害魔は悶えるように、その場で暴れた。
扶郎は目論見が成功し、満足する。
あと、何本か矢を放てば絶命しそうだが、初めての力の行使は扶郎に予想以上疲労を与えた。
マラソンでも走ったよう気怠さ。ここに来るまで一回作ったが、これ以上は作れそうにない。
害魔が苦しんでいる内にオリヴィエを連れて逃げようと、彼女に向かって声をかけようとし、喉が詰まる。
彼女は、身から見て、害魔とその直線上にいる扶郎に向かい、白虹輝きを放つ剣を振り落としていた。
❖ ❖
余程、痛かったのだろう。蛞蝓の害魔はジタバタと悶え苦しんでいた。
お陰で、オリヴィエが見たかった裏側が見える。
機は逃さない。彼女は白虹の剣に輝きを纏わせた。
射線上には扶郎がいるが、関係ない!
何故なら、散り際に彼女が願った力は敵だけ倒す力。
仲間を守る、敵だけを殲滅する希望の光。
──今こそ高らかに。
眩き光は天空の太陽如き煌めく。
太陽の光とは七色の光が交じり合った色彩。故に彼女の光は白虹。
何処までも貴く、清らかな光は、嘗て彼女が戦場にいた総ての騎士たちに魅せ夢。
如何なる時も清きあれ。剣に祈った思いを、今、白虹の閃光に乗せて詠う。
『 Briller───Halteclere
虹蜺の赫灼は清浄なる剣 』
解放された力の放流は蛞蝓の害魔を飲み込んだ。剥き出しになった裏側から焼却されていき、ついには跡形もなく消滅させる。激越の断末魔は森の外まで響き、総てを蒸発しようとした異形の怪物は跡形もなく、この世界から滅却された。
残っていたのは、扶郎が穿った不壊の矢のみ。
しばらく身構えた後、オリヴィエは力を抜くように息を吐く。視線を向けると扶郎が唖然としたように口を広げていた。
彼からすれば、自分諸共葬るのかと驚いたのかもしれない。
悪いとは思うが、その前にオリヴィエはむっとした顔で彼に近づいた。
「君はバカなの!?」
彼女は怒っていた。
対する扶郎は何で怒られたのか訳の分からなそうにしている。
「君は願いの力を知らなかったよね? 仮にここに来るまで試したかもしれないけど、本番はあれが初めてでしょう? もしも何も効かなかったら、どうするつもりだったの?」
「それは、君の代わりに逃げようかなって」
「やっぱりバカ。私が囮になると言ったじゃない。私はあれを撒く考えを幾つかあったけど、君にはあった?」
「…………ありませんでした」
「無計画にも程があるわね。今後、予備の作戦がない計画はしない、いい?」
「わかりました。すみません」
しょんぼりと謝る扶郎にオリヴィエはわざとらしく咳払いを見せた。
「おほん。では、お説教はこのくらいにして、君の行動が好転になったのは事実。
だから、ありがとう。助かったわ」
そうやってオリヴィエが満面の笑みを見せると、彼は照れたように赤くなった。
なんとも初心な反応で可愛いと、内心思いながらオリヴィエは少し申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「あと、驚かせてごめんね。私が君を巻き込んであの害魔を倒すのかと思ったでしょ?」
「え? あ、はい」
「あの光は仲間には無害だから安心して。そういった力なの」
「──仲間」
その言葉を改めて、噛み締めた。
自分は考えが足りず怒らせてしまったが、彼女が仲間だと言ってくれたことが何処か誇らしかった。
「さて、行きましょう。カリストたちは森の出口で待っているのかしら?」
「あっ、はい。そうです」
「なら、早く戻ってあげましょう。森の外でも暗くなれば危ないわ」
「……はい、わかりました」
頷いて、扶郎はオリヴィエの隣を歩く。
彼女は仲間だと言ってくれたけど、自分はまだまだ未熟だ。体が動かせても、考えや意識が足りない。
この世界は、扶郎が知る世界よりも危険が蔓延っている。
そんな世界で彼女の仲間であろうとするならば、もっと力が必要だ。
(とりあえず、特訓かな)
覚えることは多い。知ることも多い。のんびりする時間は、当分ないだろう。
仮に扶郎が駆け付けなかった場合、オリヴィエは落とし穴を作るか、剣を地面に突き立てて地面ごと害魔をひっくり返せるかと無茶なことを考えてました。
これがRPGの戦闘なら、扶郎が特殊攻撃して害魔が転び、その間なら攻撃が通る。そうしなければ接近攻撃した場合、ダメージが食らう仕様ですね。