第4話 運命の逢着(挿絵有)
薬草を取りに行った子供を連れ戻すため、南の森に向かう扶郎たち。
南の森の正式名称はムチョプ原。
扶郎がいた街、ゼシュテンゼル付近にある小さな森であり、六時間もあれば横断できる面積だ。
森の中には危険生物が多く、また利益になる植物も少ない。時折、木材のための伐採か軍兵や傭兵が訓練で利用される程度の場所である。
扶郎たちがいた住宅区から徒歩でも行ける距離ではあるが、時間がないため街の外まで運行する列車に乗り、森付近にある駅で降りる。
カリストの案内で少し移動すると、森の入り口に辿り着いた。
ムチョプ原、自衛できないものは立ち入り禁止と書かれた看板の先には、太い木が連なる森林地帯。
耳を澄ませば虫の声しか聞こえないが、いつ獣が現れるか分からない。
「やっぱり、引き返すと? オガお婆さんも事情を話せば許してくれると」
動かない扶郎を心配して、彼の腕に抱きかかえられていたカリストが見上げる。
ここに来るまでに扶郎が荒事には縁がなかったことを教えられたカリストは、彼の身の危険を案じた。
「ここまで来てそれはないよ。危ないのは先に行った子も同じだし」
扶郎が探す相手の鬼族の少女。鬼族は扶郎が該当する只人族より高い身体能力が備わっているようだが、それでも子供は精々、只人族よりも力が少し強い程度。
中には子供の頃から高さ三メートルの大岩を砕ける傑物もいるそうだが、目的の少女は同じ歳の只人族の子供より力は強いが、成人只人族の男性よりは劣るそうだ。
そんな子供が妹のため、危険な場所に踏み込んでいる。
勇気を称え、蛮勇を嘆き、その身が無事かと不安になる。
怖気そうな足を心の中で叱咤し、扶郎は足を踏み出した。
幸いなことに、森の中には道がある。これは頻度が少なくとも訪れる者がいるためだ。
目的の少女が手に入れようとしている薬草は道なりに採取する場所が幾つか存在しており、普通に歩けば迷うことはないだろう。
もしも、少女が向かった先に薬草がなければ道を外して捜索している可能性もあるが、それは採取できるポイントを全て探した後で考慮することだ。
「むむむ、あれは?」
「どうしたんだい?」
いざという時に動きやすいように、腕から肩の上に移動していたカリストが何かを見つけたようだ。
早速、目的の少女かと思ったが扶郎も視線の先を合わせると、違うことが分かる。
どうやら、道外れに刺さっていた汚れた棒が気になっているようだ。
「あの木の棒が気になるのかい?」
「木の棒だったら既に木だと。あれは木じゃないと」
「そういう意味で言ったんじゃないんだけどね……」
扶郎はカリストが見つけたモノに近づくと、一瞬手が汚れることを躊躇ったが、徐にそれを地面から抜いた。
「これは、剣?」
「でも、錆びてボロボロだと」
長さは60センチ。片手でも軽々しく持てる両刃のショートソード。尤も、雨風に晒されたゆえに錆びており、刃も欠けている箇所が目立つ。
「きっと誰かが落としたものか、捨てたものと」
「剣をわざと捨てたりする人がいるのかい?」
「古い武器でも買い取ってくれるお店はあるけど、荷物が嵩張ったり売る手間を惜しんで捨てられることは其処まで珍しいことじゃないと」
「俺の世界で無断放棄はマナー違反なんだけどな……」
そう言いつつも、扶郎がいた世界でも無断で不要なものを適当に破棄する人間は少なくない。こういうことをする人間はどの世界でもいるということなのだろう。
「貰ってもいいかな? 動物とか出た時に役に立つかもしれないし」
落とし物だとしたら届けるが、廃棄物ならば所得しても問題はなさそうだ。
「全然いいと思うと。街以外で廃棄物を見つけたら、届け出がない場合発見者の所有物になるのがメルティア共和国の法律だと」
どうやら、扶郎がいる場所はメルティア共和国と呼ばれる国の領地らしい。
ファンタジーの世界だから王国なのかと思ったが、君主が存在しない国もあるようだ。勿論、君主制国家が存在しても可笑しくはないだろう。
軽く扶郎が錆びた剣を振るうと、ぶん、とぶれなく空気を切り裂く。
これ以上強く振るえば、剣の方が駄目になりそうな手応えだと考え、途中で苦笑いした。
何が手応えなのか。朽ちているとはいえ、本物の剣を持ったのは初めてだというのに。
未踏の地で武器を手に入れたことで冒険でもしていると勘違いし、興奮しているのか。
馬鹿馬鹿しい。自分は英雄として呼ばれたかもしれないが、所詮は凡人だ。
遊び気分はなくせ。気を引き締めろ。
ここは一歩間違えれば死ぬ世界だのだから。
「さて、行こうか……」
扶郎は道なりを進むのを再開した。
しばらく歩くと、薬草が採取できる場所に辿り着いたが目的の少女は見当たらず、ついでに少女が探しているらしい薬草もない。
ならば待ち伏せする価値はなく、続けて違うポイントを目指した。
「ここにもいないか………」
四つ目のポイント辿り着くが、人影は何処にもなく、ついでに薬草もない。
薬草が採取できる場所は次が最後で、そこにもしもいなければ、道中に薬草がなかったことも考えると、目的の少女は道を探して薬草を探している可能性が高い。
そうなれば、捜索する難易度が急上昇し、素人が一人で探すのは困難極まる。
もしも、次の場所にいなければ一旦引き返すことも視野に入れた、その時だ。
がさりと、地面に散乱する枯れ葉を踏み潰す音を、扶郎は聞いた。
即座に扶郎は視線を向けると、どさっと目の前に現れる。
「と~!?」
突然の来訪者に驚き、カリストが扶郎の肩を飛び跳ねる。
猪だ。扶郎の体に比べて三分の一しかない体躯だが、山を散策中に猪に襲われて死亡する事件を知る扶郎は警戒しながら相手を見る。
さて、逃げるか。追い払うか。
敵だと認識されて突っ込んできたら避けるか。あるいは錆びた剣を振るって追い払うか。もしくは敵対心がないことをなんとか伝えるかと思った矢先、扶郎はあることに気づく。
猪は震えていた。よく見ると何か傷つけられたように毛深い体から裂傷が目立つ。
こいつは何かに襲われて、逃げてきたのか?
そして、そいつは現れた。
ドオオオン! 森の奥から飛び跳ねて、巨体は猪を無慈悲に踏み潰す。
「GOBOOOOO!!」
猪の贓物をまき散らせながら、巨体の怪物は咆哮した。
サイズは目測2メートル。形状は六足三対、ぶっくとした胴体は雀蜂に類似、グロテクスな貌は山羊にも見えた。
まるで色んな生き物を粘土で適当に組み合わせたような悍ましい姿に、扶郎は戦慄する。
「これが魔物とかモンスター?」
「と~!! 違うと! これは《害魔》と!!」
「害魔?」
扶郎は目の前に現れた異形の物、害魔に目を離さず、先程よりも狼狽したカリストの言葉に耳を傾ける。
「魔物やモンスターと呼ばれる生き物は危ない者が多いけど、中には言語を話す者たちとコミュニケーションをとり、動物と同じで自分の縄張りを守って、生きるために他の生き物を襲うと~。
でも、害魔は違うと!
害魔が突然這い出て、生きる物を襲うためだけに存在してるとっ! 文字通り災害と一緒とッ!!」
なんだ、それは。扶郎は愕然とした。
生存本能で他者を狩るのは生物として理解できる。
それゆえ、害をなすだけの目的とは凶悪極まりない。カリストが語ったとおり、災害と同じではないか。
生きるものを襲う存在ならば、逃亡することや追い払う選択肢は存在しない。先程よりも深刻な事態にどうするか悩む扶郎だが、目の前の異形はお構いなしだ。
ドン! と地を鳴らして、扶郎に接近。猪のように圧殺か。それとも食らうのが目的か。
扶郎は剣を持っていない手で飛んでいたカリストを掴み、迫りくる害魔の突進を横に移動して回避する。
我ながら、よく反応できたと思いながら、急反転して再び襲ってきた害魔を睨む。
再び、同じように回避。
更に今度はカリストを掴んだ手とは逆、剣を握った手を振るい、擦れ違い際にその巨体に叩きつけた。
ばきっと、折れたのは錆びた剣。
半ば予想通りの結果だが、苛立ちを隠さず舌打して扶郎は距離を取る。
火事場の馬鹿力で興奮している影響か、扶郎は問題なく害魔と立ち回っていた。
だが、それだけだ。最良の結果は敵を排除することだが、扶郎には手段がない。
「せめて、まともな武器があれば」
刀身が折れた剣をその場で捨てて、ないものを強請る。
素手で戦う気概は流石に持たない。しかし、もっと頑丈な武器があれば先程のように攻撃して突破口を見出せるかもしれなかった。
偶然にでも、何かないかと視線を彷徨わせるか迷っていると、扶郎の手の中にいたカリストが反応した。
「武器? そうと! 武器ならあると!」
「なに? 何処に?」
「フロウが持っていると!」
何を言っているのかと思った。扶郎の荷物など服しかない。だが、カリストは期待を込めた瞳で彼を見つめた。
「フロウは《七星の星具》に召喚された使徒だと! ならば、フロウを召喚した星具をフロウは使えると!」
「…………だが、それは今、ここにない」
時、既に遅い。
召喚されたあの場にはそんなものは見当たらなかったが、あったところで、使えたところで、ないものを事実だった。
しかし、カリストの期待は収まらない。
「あると! 星具は扶郎の中にあると!」
「………それはどうやって出せる?」
耳覚えのない事実を聞いた扶郎は眉間に皺を作るが、カリストの話を信じた。
「念じればいいと! 星具は扶郎ともう一心同体と! 扶郎が出ろって思えば必ず出ると!」
最早、その言葉を信じるしかなかった。
もう一度、害魔の突進に身をかわし、扶郎は叫んだ。
「あるなら出てこい! お前が俺を呼んだのなら、とっとと出るのが筋だろう!」
罵るように心の奥に向かって吠える。
刹那、空いていた手の平が白銀の光が生まれる。
「っ!」
「GOBOO!?」
一瞬の光は襲い掛かろうとした害魔を怯ませ、眩きは瞬きの間に収まる。
白銀の弓。金属製で両端の鳥打から末弭は刃のように鋭い。弧月を描いたような流麗な形状。星の煌めきのような眩さ。星具と神具と称するに相応しい至宝である。
驚く扶郎の手の中、カリストがその名を高らかに呼んだ。
「破軍の星具──揺光弓アルカイド! これが扶郎の星具だと!」
「あぁ、これはすごいな」
重々しい外見に似合わず、手の中に馴染む感触。
いや、体の一部になっていると言っても過言ではない。漲るオーラから凄まかじい代物なことも実感できた。
「それで、矢はどこだ?」
これが弓なのは見て解る。なら、撃ち出す矢が何処かにあるはずだ。
するとカリストは不思議そうな目で扶郎を見た。
「と? カリスト持ってないと? 出せないと?」
「いや、出てきたのは弓だけで、矢は出せないんだけど」
「と~。そういえば歴代の破軍の使徒は、矢を自前か魔法で作り出したと聞いたことを思い出したとー」
「そうか。俺は自前で矢を持ってないし、魔法も使えないけどな」
「と――」
「…………」
「…………」
「GOBOOOOOOOOO!!」
「くそおおおおおおおおおおお!」
「とぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
害魔は突進する。
叫び声を上げるカリストを持って、扶郎は道外れの森奥に身を飛ばした。
当然ながら追撃する害魔。走る速度は同じ。
わざわざ森の奥に向かったのは、整備された道とは違って雑多に生えた木々の中であれば、あの猛進に弊害を与えられると考えたからだ。
だが、速度を落とさず害魔は俊敏に移動して扶郎に近づこうとする。目論みは外れた。これならば、道なりに進んだ方が得策だった。
そこらへん木の枝でも拾って、撃とうとも考えたが幾ら弓が凄くとも、射出される矢が塵芥の価値すらなければ効果は期待できない。
「とー、どうするとー!」
「カリストだけ飛んで逃げろ!」
横への移動は遅いが、上空に浮かぶならば害魔の手から逃れる可能性はある。
だが、恐怖に震えるカリストはそれを実行にしない。
「とー! フロウを見捨てれないと!」
「そう! ありがとう!」
今日あったばかりだというのに、この小さな子は義理人情が強いらしい。
しかし、感動するのは束の間、最悪は投げ飛ばしてでも逃がすつもりだが、ふと、扶郎は現在無駄に存在感だけ放って活躍していない白銀の弓を見た。
あれ? もしかして、これって?
浮かび上がった疑問はすぐ確証になった。
それはこの星具に選ばれた者ゆえに理解できたのか分からないが、扶郎は己の行動に付き従う。
「離れてろ!」
「とー!」
開けた場所に出た途端、扶郎はカリストを放り投げる。飛べるのだから地面にぶつかる心配も、わざわざ開けた場所で解放したので木にぶつかる心配もしない。
すぐさま、扶郎は反転。向かう先は害魔。
お互いに接近し、距離は瞬間的に消失した。
「フロウ!」
空中でカリストが叫ぶ。
その時、扶郎が白銀の弓──揺光弓アルカイドを二つに折り、否、分離させた。
擦れ違う様、片方でぶつけ、否、切りつけ、悲鳴を上げる。
思った通り、刃のような形状と中央に溝があったので、分離した結果、白銀の弓は二振りの剣に変貌した。
嘆き苦しむ害魔。だが、容赦はせず、扶郎はとどめだと言わんばかりにもう片方を振り落とす。
「GOBBBBOOBOBOOO!?」
異形の絶叫が響き渡る。そのまま害魔の体は塵のように崩れ、風に消えた。
「フロウ――――!!」
害魔を倒した扶郎と元へ、カリストがパタパタと近づく。
「すごいと! すごいと! あんな怖い害魔を倒したと! フロウは平凡な学生だと言っていたけど、本当はすっごい騎士だったし傭兵だったりしたと?」
「いや、平凡な学生だよ。自分でもうまく動けて驚いている」
呆気なく倒せたことに一番驚いているのは扶郎だった。
思えば先程の動きだけはない。ここまでの移動や、害魔の攻撃を回避する速度。どれも以前の自分とはかけ離れている。
「もしかしたら星具の使徒に選ばれたことで、前よりも力が増してるかもしれないと」
「この弓、いや今は剣か。これにはそういう力があるのか?」
「星具事態の力か分からないと。アルカイドの使徒のことは今まで少なかったからあんまり詳しく分からなくて、そうやって剣になるのも初めて知ったと」
「そうなのか……」
「でも、星具の中には身に着けているだけで力を増す神器もあるから、アルカイドも同じであっても不思議じゃないと~」
「なるほど」
どうやら、星具とは多種なようだ。
どちらにせよ、只の人間だった扶郎が、あの異形の怪物を圧倒できるようにした星具の性能は本物。
戦乱の世であれば、英雄として活躍できるのも絵空事ではないかもしれない。
「さて。俺が何処までできるかは後にして。今は道に戻って、女の子を探しに─下がって」
「と?」
扶郎は目を見開き、カリストの前に出る。
『GOBOOBOOOO! GBOOOO!』
次の瞬間、扶郎が倒した害魔と同じ物体が目の前の広間に現れた。
しかも、今度は両手では数えきれないほどの夥しいほどの数。
仲間の仇討ちか。それとも生き物を狩りに来たのか。解ることは群れをなして扶郎たちを襲おうとしていることだけだ。
「と――――!?」
「っ!」
叫ぶカリストに悪態を漏らす扶郎。
蠢く波のように、異形の怪物たちはジリジリと迫る。
先程の一体が上手く倒せたとはいえ、少し前まで只の学生だった扶郎が一人で多数を相手に何処までやれるか解らない。
だが、やるしかない。扶郎は覚悟を決めた。
─白虹の光が奔った。
輝きは黎明の光の如く。全てを照らす煌めきに扶郎は亡失した。害魔たちの脇から突如として迸った閃光は熱を持って異形を焼却、疾風の如き勢いで異形を削る。
害魔たちの断末魔はかき消え、灼光が収まればそこには焼け焦げた大地の後。扶郎が目撃した残滓すら見当たらない。
ザっと、足音が聞こえた。方角は白虹の光が駆け抜けてきた位置と一致。
慌てて扶郎が目を向けると、今度こそ、扶郎は言葉を失った。
「─────」
息が止まる。今日、驚愕したことは数えきれない。
美しい光景も何度もこの目にした。美しい人も街で多く見かけた。
だが、どれも、目の前のそれには有象無象の些事にしかなりえない。
木漏れ日に照らされて、金より淡く輝いた微かに波立つ亜麻色の髪が風に揺れる。扶郎たちに向ける白銅の瞳は果てしなく澄んでおり、永遠に眺めていたいと思えた。
天使や女神。数多くの美麗辞句で称えることは、逆に貶めることになる罰だ。何者にも例えられない唯一無二の綺麗なる存在。
軍服のような重い外套を纏った乙女。
籠手など要所に甲冑。胸に見て解る膨らみがあり華奢な体だが、あれほど色気の欠片もなく着込めば、遠目では女と分からないだろう。
だが、その顔を見れば可憐な乙女であることは歴然だ。顔だけ女の男では女性の特有の魅力は引き出せない。
もしも、彼女が魅了で惑わす類のものならば、時は既に遅い。それほど扶郎は目の前の少女に心を奪われている。
「良かった───生きていてくれて」
朗らかに、安堵の微笑みを彼女は浮かべた。
慈愛に溢れた笑顔に、少年は目が熱くなる。
自分如きが見てはいけないのでないかと、恥じた。それほど、その笑顔が綺麗に感じた。
「私はオリヴィエ・ディア・モングラーヴ。君の名前は?」
──かくして、二人は出会ったのだった。