第0話 そうして彼は呼ばれた
血塗れの手で握った剣は、鮮血の花を散らした。
耳鳴りがする。息苦しい。囂々たる戦場の音が遠ざかる。
ああ、間違った──。
あれほど倒したかった敵将の亡骸を無視し、友へ振り返る。
「すまない。■■■■ッ!!」
それが、彼女が最後に言った言葉だった。
❖ ❖
その日、一つの山が崩れた。
空を闇に覆わんばかりの漆黒の翼。蜥蜴の如き頭部。
龍を知る者がいれば、龍と呼ぶだろう。
だが、目は百目。鱗は剣山のように鋭く、尻尾は三本の大蛇。龍とは一部では崇められる存在だが、この異形は誰が見ても害悪にしかならない。
この異形こそ数百年前、幾つもの国を滅ぼした災害。その再来である。
数多前世を超えた英雄たちが。前世の英知を引き続いた転生者たちが。新生した勇者たちが命を懸けて屠った存在だのだ。
体は何万度の炎にも耐え、大地を切り裂く剣を折るほど強固。堅牢な動く要塞。あらゆる武器は、相手の体を傷つける前に壊れてしまう。
その恐怖が世界を再び恐怖に貶めようと、産声を上げた。
「GAAAAAAA!!」
「うるっさ」
ブス。
「──GA!?」
あゆる武器や兵器を壊す前に壊した体は、突如を頭部を狙った矢に呆気なく刺さり、致命傷を受けた厄災はそのまま消え去った。
「うわぁ。思わず撃ったけど、見た目の割には意外とあっさりだったな」
脅威を射殺した少年は、塵に消える異形を数十メートル先か眺めていた。
「見掛け倒しか。それとも俺が成長したのかな? なんて」
自賛を自ら否定する。
いや、成長したのだ、少年よ。
彼は元々平和な世界で生きていたが、ある日にこの世界に英雄として召喚された。
当初は未熟だった彼は、過去の英雄たちが苦戦した脅威を無自覚で屠るほど成長している。
「おっと、いけない。早く取らないとマスリあたりに文句を言われる」
倒した脅威を頭の隅にやり、食べれるものを探す少年。
自分の力をある程度自覚してるが、平和な世界にいた為実績がなく、共に暮らす者供が前世に伝説を作った者ばかりなので、自己評価が低い。
気づいてくれ、少年よ。
お前は強い。
だいたい好きにしろと言われたが、ここで仲間とキャンプできゃはは、うふふと楽しむには惜しい力を得たのだ。
ていうか彼の仲間も、自由にしろとはいえ自由にし過ぎである。
でも、彼は元から無力な存在だったので、自分が真に英雄足りうる存在になったと言われても、実感が持てないのであった。
こんな少年がこの世界にやって来たのは、随分前のことである。
???月前────。
「ようこそ、少年。歓迎するよ」
出迎えの言葉は聞き覚えのない響きでありながら、『彼』は意味を理解した。
瞼を開くと見知らぬ場所。悍ましいと感じるほど純白な空間。目の前には大理石のような床に立つ男。
奇々怪々。男の服装は大柄な体に黒の祭服。十字架を首に掛けた姿は誰が見ても神父だと解るが、瞳の色が確認できないほどの細い目。怪しげな雰囲気は状況が奇妙だからではなく、あの男が隠しきれない胡散臭さを醸し出しているからだ。
そんな怪しい男に出迎えられ、現状に混乱している。
「もしや此方の言葉が理解できないかいのかね?」
「……いえ、分かります──!?」
自然と反応したが、咄嗟に口から出たものが『日本語』と異なる言語に驚愕した。
戸惑う彼の姿を見て、男は満足そうに笑う。
「どうやら、疎通の『業理』は無事に機能しているらしい」
ごうり、とはなんだろうか?
疑問を解決するように男が説明する。
「業理とは世界に刻み込まれた概念と今は説明しよう。疎通の業理は言葉を身に着けられるほどの知力さえあれば、この世界に存在を確立させた者たち総てに意思を疎通する術を与える法則だ。
言語の壁を失くし、相互理解を深めることを実現した素晴らしい奇跡だな」
不思議な力だが、本当にそのようなことが起きえるのだろうか?
実際に男の言葉を理解して、己も同じ言語を話せるが、それでも彼が知る常識では計り知れない事柄だ。まだ、催眠術で騙されていると言われた方が納得できる。
だが、状況は混乱する彼を待ってはくれず、男は更なる事実を無慈悲に突き刺した。
「己が死んだことは理解できるかね?」
❖ ❖
──前兆は細やかに、悲劇は急激に訪れた。
突如として発生した“地震”。
揺れ動く視界。崩れ落ちる天井。多くの人が嘆きを圧し潰し、世界は暗転した。
気がつと彼は暗闇にいた。暗いのは電灯が消えたからだ。あのまま圧死しなかったのは奇跡としか言いようがない。
彼の名前は四葉扶郎。十七歳になった、本人曰く平凡な少年。
額は血に濡れ、幾つか裂傷しているが、激痛を伴いながら立ち上がる。完全に重症だが、無理すれば動けないこともない。
彼の上にあまり瓦礫が落ちてこなかったの幸いだ。それでも幾つか怪我を負って、本来は安静にするべきなのだろうが、扶郎は薄闇の中、家族を探す。
家族と言っても、血の繋がりはない。
扶郎は両親を事故が失くし、身寄りのない彼は施設に預けられた。
施設に預けられた子供たちは同じ家名を与えられる。四葉という名はその時に刻まれたものである。
血が繋がってなくても、同じ屋根の下で生活してきた大切な家族。少なくとも扶郎はそう思っている。無事でいて欲しいと願うのは当たり前だ。
崩れた通路を抜けて、広い空間に辿り着く。
頭を怪我しているせいか、少し朦朧とする。だが、眠りそうな意識を叱咤して、彼は叫んだ。
「みんな、無事かぁ!?」
扶郎がいる場所は施設の遠足で訪れた博物館。
展示された歴史的遺産は天井から崩れた瓦礫で壊れ、通路も剥がれたコンクリートが突き刺さっている。真新しい建造物は一瞬で廃墟のようになっていた。
視界の至る隅に映る赤黒い物体が何であるかは考えない。
沈黙が続く中、込み上げる吐き気を抑えて、扶郎は再び叫ぶ。
「誰か─────いないのかっ!?」
「ここにいるわ!」
今度は返事が返ってきた。しかも聞き覚えのある声だ。
声の主は、同じ施設に住む女性。扶郎よりも年は五つほど上だ。
「いま、そっちに行く!」
天井が崩落しているが、瓦礫を除けながら何度か移動ができた。
何とか辿り着いた先、見覚えのある義姉がいた。彼女が庇うように、他の幼い家族たちも傍にいる。数は全員で5人。扶郎を含めれば、遠足に訪れたメンバー抜けなく揃っていた。
但し、彼女たちの上には大きな瓦礫。幼い子供たち、義姉、瓦礫の順に重なっており、少しでもバランスが崩れれば、諸共踏み潰される危うい状態だ。
彼女たちの飲み物を買うために、別行動をしてなければ扶郎も同じ状態になっていた可能性が高い。
「いたい、いたいよ~!」
「おにーちゃん!」
「あああ、うああああ」
「ぐす、やだ、こわいこわい」
「待ってろ! すぐ助けるから!」
泣き苦しむ家族たちを助けるため、扶郎は瓦礫を押し上げようとするが、自分の何倍もある質量を退かすことは普通の人間にはできない。
それでも、諦めず、扶郎は動かす。痛みを噛みしめ、せめて少しだけでも思いながら、力を入れた。
「待って、扶郎! 貴方怪我をしてるじゃない!」
最初に扶郎を呼びかけた女性が彼の様子に気づいて、声を上げる。
唇を噛み締め、彼女は告げた。
「私たちのことは良いから、貴方だけでも逃げて。これ以上すれば貴方が危ないし、もう一度地震がくるかもしれないわ」
彼女の言葉通り、地震には余震と本震があり、間もなく発生するケースも十分起きえる。
もう一度地震が起きれば、無事ではすまない。そして、今なら扶郎だけでも脱出できるかもしれない。
「大丈夫だから……」
だが、震えた声でそう微笑んだ彼女をどう見過ごせようか。
今のなお泣き叫ぶ幼い家族を置いてゆけようか。
「───俺たちは家族だ」
血は繋がっていない。所詮、事情で寄せ集めた集団に過ぎない。
それでも同じ時間を過ごし、同じ痛みを感じた。
いっぱい喧嘩もした。同じだけ仲直りした。
お金がなくて、誰かの誕生日には毎回折り紙でプレゼントを作り合った。
自分たちで家事をしなければならず、失敗するた度に教え合い、サボった子達はお仕置きした。
遊園地や動物園は行けないけど、月に一度の遠足はいつも楽しみだった。
毎年、施設から去った大人たちからクリスマスプレゼントを貰う。いずれ、自分も素敵な贈り物をするのだと意気込んだ。
今まで互いを支え合った。彼女が扶郎を守りたいように、彼も彼女、幼い家族を守りたかった。
傷の舐め合いと馬鹿にするものがいれば殴り飛ばす。
既に絆は結んでいる。産み落とした子供を食い殺す親もいるならば、血が繋がらなくとも巡り合った相手に命をかける家族がいても不思議ではない。
そして、血の繋がった本当の両親が死んだとき、彼の失意のどん底に叩きつけられた。
それを、救ってくれたのは施設の住人。助けてくれた恩人たちでもある。
ならば、この答えは当たり前だ。
「家族は助けるもんだ」
再び、崩落が起こった。
高まる叫び声。逃げろをいう言葉を無視して───彼は願った。
願の先は神か。己の魂か。
それとも、死を直感した瞬間、何かに尋ねられたから願ったのか。
確かなるは、切なる祈り。
“ああ、壊れないで欲しい。大切なものたちよ、永遠であれ“
────願いは叶った。
音が聞こえる。
光が見える。
視界を変えると、瓦礫に埋もれたままの家族がいた。
なんということだ。地震で新たに降ってきた地震は、既に覆っていた瓦礫によって守られた。
不幸中の幸い。重なった重量で押しつぶされなくて、よかった。
けど。俺はさっきので、潰されてしまったな。
頭上から落ちてきた瓦礫に踏み潰されて、彼の体は無残な状態である。あの時、自分だけでも逃げろと言った言葉に従っていれば、助かったかもしれないが、後悔はしない。
結果はそうなっただけで、どの道、彼が家族を見捨てることできなかった。だから、これはきっと、運命なのだろう。
助けが来たよと、囁く声が聞こえる。安心した。
死なないでと、泣いている声が幾つも聞こえる。申し訳ないと思った。
だんだんと、声が聞こえなくなる。触れられた温もりは感じられない。
傷ついた体を直前まで酷使し、最後の崩壊がとどめをさした。
泣いているのかと思うけど、それも見ることはできない。
泣かしてごめんと、謝ることもできない。
命はもう、彼方の果てに流れ出ている。
何も聞こえず、何も感じず、最後の願を抱きながら、彼は虚空に沈んだ。
私なりの異世界伝奇譚、頑張ります。