第7話 涙の果てに
蛞蝓の害魔を倒した扶郎とオリヴィエは森を抜けて、入口で合流したカリストとメツヒと合流する。
そのまま列車に乗り、住宅区画まで戻ってきた扶郎たちは、すぐにオガお婆さんの家に向かった。
オガお婆さんがドアを開けて、気まずそうなメツヒを見つけると、正しく鬼の凶相で彼女に飛び掛かった。
怒りで塀を破壊した光景を思い出した扶郎とカリストは慌てて止めようとするも、オガお婆さんは泣きながらメツヒを抱き締めた。
心配が安心に変わり、涙を零す祖母に孫娘は「ごめんなさい」と泣きながら謝る。
その後、勝手に出かけたことに対する鬱憤が解消されなかったオガお婆さんが抱き締め殺そうな勢いだったので、扶郎たちが今度こそ必死に止める一悶着もあった。
メツヒが持ってきた薬草はオガお婆さんが煎じ、それを飲んだ妹は安らかに眠っている。
実は姉が自分のために危険な場所に薬草を採りに行ったことは、妹は知らせてなかった。病状の体に負担はかけたくないと、オガお婆さんは黙っていたのだ。
そして、妹のユメキが目を覚ましても、余計な気遣いはさせたくないから黙ってほしいとメツヒがお願いし、オリヴィエが真っ先にそれを了承する。
あとは、報酬だと称してオガお婆さんは金銭を扶郎たちに受け渡した。だが、善意でやったので、扶郎たちはいらぬと断り、なら、せめてのお礼だとオガお婆さんが夕飯をご馳走される。
夕飯を食べた扶郎たちは鬼族の家族に見送られ、オーガン宅を後にした。
オリヴィエは街に害魔の報告をする為、一旦別れ、カリストと共に屋敷に戻った扶郎は好きに使っていいと、個室に案内される。
ベッドと小さな戸棚だけの簡素な部屋だが、施設育ちで一人部屋を与えられなかった扶郎にとってはありがたい贅沢だった
余程、疲れたのか、眠気眼になっていたカリストに「もう寝ていいよ」と言ってから、扶郎もベッドに背を預ける。
シーツは清潔だった。誰も使ってないのに手入れをしてくれていたのだろう。この屋敷には問題児ばかりなようなので、もしかしたらオリヴィエがやっていたのかもしれない。
屋敷には今、カリストと扶郎しかいない。
他の同居者は外出中のようで、待っていたら朝陽が昇るかもしれないこと。仕方ないので、挨拶は明日。
カリスト曰く、全員が帰ってくることは稀らしいので、そのときは個別にすればいいと、扶郎は目を閉じた。
「───駄目だ。眠れない」
誰もいない部屋、一人呟き、扶郎は無理やり閉じていた瞼を開けた。
様々なことが起こって興奮しているのか、寝付けない。
しばらく、そのままでいた扶郎だったが、徐に体を起こし、気分転換で屋敷の外に出て行った。
既に空は暗く、遠くを見れば繁華街の明かりが良く目につくが、扶郎がいる住宅区域はとても静かなものである。
道を忘れないようにしながら扶郎が歩いていると、小さな広場を見つけた。
遊具はないので公園と呼ぶには躊躇われるが、これだけの広さなら、休日に多くの子供たちが遊んでいそうだ。そんなことを考えながら、扶郎は設置されたベンチに腰を下ろす。
見上げると、漆黒の空には宝石が鏤めたように色とりどりの光があった。
星なのだろうか。
よほど輝いているのか、街明かりや外灯があるのに光る様子がよく分かる。
「ヨツバくん?」
気がつくと、少し驚いた顔のオリヴィエが扶郎を見ていた。
街まで行っていた彼女が戻ってきたのならば、気づかぬ間に長い時間が経ったのだろう。オリヴィエは帰る途中、見覚えのある顔を見つけて声をかけた、というところか。
「どうしたの、こんなところで?」
「少し眠れなくて。散歩をしてたんです」
「あら、散歩。私も散歩が趣味だから気が合うわね」
「俺は別に趣味じゃないんですけど…………」
微笑むオリヴィエに苦笑しながら、扶郎は再び空を見上げた。
「あれは、星ですか?」
よく見ると星の他にも、扶郎が知る月のような天体も目に付く。
青や緑の光がなければ、扶郎が見たことがある夜空と違いはなかった。
「ええ、星ね。それと、別の世界とも言われてるわ」
「別の世界?」
扶郎がオリヴィエに顔を向けると、今度は彼女が空を見上げていた。
「私も詳しくは知らないわ。この世界では星に色々な解釈があって、まだ生まれていない命だったり、単なる光だったり、意見は様々。
その中に、ここじゃない世界があるって話しも聞いたことがあるくらいよ」
「なら、見上げれば、前いた世界があるかもしれないんですかね」
「…………かもしれないわ」
オリヴィエは見上げたまま、否定も肯定もしなかった。
前にいた世界。亡くなったことを考えると、前世と呼んでもいいのだろう。
再び空を見上げた扶郎は、己の世界を探す。
無論、この星の海の中、見つかるわけもない。
仮に見つかったところで、どうやって行くのか。行くことができるのか。
自分は、死んだのに。
「─────うぐぅ!」
「ヨツバくん?」
扶郎の涙が溢れた。嗚咽が抑えきれず、オリヴィエが彼を見る。
咄嗟に拭おうとした扶郎だが、一度溢れ出した涙は止まらない。
「俺は、やっぱり死んだんだ。もう、家に帰れない。友達に会えない、家族にも会えない!」
やりたいことがあった。明日の予定もあった。
でも、その思いはもう届かない。
ここは夢のような幻想の世界。美しき光景を見て、天国だと喜んだ者もいるのは解る。
ここは危険な世界。モンスターや害魔、命が脅かす脅威があるが、それに抗う力もある。日常に飽きた刺激を欲している者には、さぞ魅力的な世界のはずだ。
だが、扶郎はこんな世界は嫌だ。
英雄に成れる力を手に入れたから、なんだというのだ。
綺麗な異性と知り合えたのが嬉しいのか。目新しい光景がそんなに素晴らしいのか。そんなものは全部くれてやる。だから、帰してほしい。自分が生まれた世界へ。
「嫌だぁ、帰りたい。みんなに会いたい! あの世界に生き返りたい!」
願いが叶ったのならば、どうかこの嘆きも聞き受け入れてくれ。
だが、どれだけ叫ぼうが、慟哭は届かない。
扶郎は歯を食いしばって、無理やり涙を拭った。
「ごめんなさい。いきなり、取り乱したりしちゃって。恰好が悪いですよね」
「別に構わないわ」
扶郎が泣き晴れた顔で謝ると、オリヴィエは優しく微笑んだ。
「泣けるときに、いっぱい泣いたらいい。あとで泣けなかったことを悔やむよりは、ずっといいわ」
「それは、恥ずかしいすよ。もう、大人なのに、見っともない」
「あら、大人でも泣くときは泣くわ。でも、そうね。それでも恥ずかしいなら、歌を歌いましょうか」
「歌?」
何故、そのようなことになるのか。
扶郎が訳も分からず見つめていると、オリヴィエは少し彼から離れて、天を仰いだ。
彼女は慰めない。自分も同じだったのだ。この世界に来た時、帰れない故郷を思った。
下手な同情はかえって拒まれ、哀れみでは解きほぐせない。
彼が何を求めているのか彼女は分からないし、きっと渡すこともできないだろう。
今の彼女ができるは精々、彼が見栄を張らないよう、気配ることくらいだ。
「私、歌いながら散歩をするの好きよ。声をかけられても気づかないくらい夢中になるから、あまりしないけどね。
えぇ……。歌ってたら、誰の声も気づかない。誰かが泣いても、分からないかも」
「っ────」
「それに私が歌ってたら、貴方の泣き声なんて他の人に聞こえないわ。もし誰かに見ても、私の歌に感動している風にしか見えないわね」
「……なんですか、それ。そんなに自信があるのですか」
「ええ、勿論」
苦笑する扶郎に、オリヴィエはしっかりと頷いた。
「家族や仲間によく褒められたわ。だから、とりあえず一曲聞いてくださる?」
淑女がお願いをするように言ったあと、彼女は目を閉じた。
桜色の唇が開くと、澄み渡った音色が響いた。
嚠明の歌声。成程、己で自信があると豪語できるくらい、彼女の歌は美しかった。
それが万人を感動できる歌姫ほどの力があるか、扶郎にはわからないが、只自分が感動しているのは理解できる。
彼女が歌ったのは、世界が美しいとだけ語る純麗な詞。
どれだけ悲しみが溢れようとも、そこにある美しさは穢れることはない。
今は憎んでも構わない。でも、最後にはその素晴らしさを知ってほしい。
彼は耳をしながら、心の底から思った。
…………ああ、なんて綺麗なんだろう。
その心の動きが、彼の抑制と解放する。
「あっ─────あああああああああああ!」
少年は叫んだ。心の悲しみを全て吐き出すように、外聞も気にせず、汚く泣き吠える。
亜麻色の髪を風に靡かせ、乙女は祈るように歌う。
彼の泣き声が誰にも聞こえないように、何処までも届くような大きな声で。
泣き疲れて、ベッドに潜った扶郎は夢を見た。
うすらっと、自分がいた家を彼は遠くから眺めていた。
園長。年長者の義姉。幼い妹、弟たち。
学校にいた。彼の境遇を知りながら、下手に同情しない、気の許せる友人たち。
笑っている。困っている。誰かを助けている。
自分はそこに行くことはできない。何気ない日々は全て、幸福になり輝いている。
──もう二度と、会うことはできないけど。
いつか、声を忘れてしまうかもしれない。景色も薄れるかもしれない。
でも、大事だった人たちを。
大事な場所が傷つくことがないように、祈ることはずっと忘れないだろう。
❖ ❖
扶郎が目を覚ますと、目端が痛んだ。
あれだけ泣いたのなら当然だ。でも、心の中は軽い。
窓を見ると、まだ日が昇ってから間もないようだ。オリヴィエやカリストはまだ寝ているかもしれない。
ふっと、自分の臭いが気になった。あれだけ動き回ったのに、風呂で洗浄しなければ当然だろう。
昨日の内に、風呂の場所は教えてもらっており、誰が入っているかは掛札をすればいいと教えてもらった。これで何かの間違いで覗くこともあるまい。
着替えを持ってなかったが、彼は浴室に向かう。掛札はなかったので、使用者はいないと思いながらも、念のため静かにあけた。
洗面台もせっちした脱衣所。そこには誰も脱ぎ捨てる着替えもなく、浴室にも人気はない。
彼は手探りでそれらしい道具を使い風呂掃除した後、脱衣所の掃除などしながら湯船に湯が張るのを待つ。
そして、準備ができ次第、カリストに渡された掛札を出口に掛けて、服を脱ぎ、浴室に入った。
「はぁ─────」
疲れをとるように浴室で足を延ばす。湯船は広く、扶郎があと五人大の字になっても余裕がある空間だ。
これほど大きな風呂を独り占めとは贅沢だなと思いながら、微睡んでいるとガラリと音がした。
「?」
誰かが入ってきた? 掛札はしたはずだが、気づかず入って来たのか。
声をかけようか迷ったとき、服が擦れる音を耳にする。
(待て、脱いでるのか!? 誰が!?)
カリストは服を着ていない。ならば、扶郎が知るのはあと一人。軍服のような外套を纏っていたが、れっきとした美しい女性であるオリヴィエだ。
(まずい!)
慌てて声をかけようと思ったが、脱衣する速度が速かったのか浴室の扉が開かれる。
そこにいたのはオリヴィエではなった。
でも、一糸纏わぬ、裸の女性だった。
「あら? あなただ~れ?」
女性は悲鳴を上げることはなく、のんびりとした扶郎を見る。
一切隠さない一糸纏わぬ体は褐色、胸ははち切れんばかり膨らんでおり、腰も括れて細い。蠱惑的な色香を放つ顔は艶めかしく、紫紺の瞳が捕らえた獲物を見るように真っすぐ扶郎を見つめている。
妖艶な女性は唖然とする扶郎に対し、扇情的に笑った。
「泥棒、じゃないわよね。もしかして、オリヴィエちゃんかマスリちゃんの、恋人かしら。
駄目ね。一人でお風呂に入れる、なんて。ねぇ、私が代わりに背中流しましょうか?」
ひたひたと近づいてくる妖艶な女性に対し、扶郎は逃亡を決めた。
「結構です!」
「あらあら?」
大きな声を上げて浴槽から飛び上がった扶郎は女性を横切り、脱衣所に駆け込んだ。
そのまま扉を閉めて、服を手に取った。
あの女性に関しては、まずは着替えてからと、そんな矢先。今度は浴室とは反対にある出口の扉が乱暴に開かれた。
「ちょっと! 朝から五月蠅いだ、け──ど?」
また知らない女性だった。これまた容姿が良く、白髪が特徴的で、どこか気品も感じる。
扉を開いた彼女は、釣り目気味の赤い目を扶郎に向け、顔を引きつらせた。
彼女からすれば、扉を開ければ知らない裸の男がいたのである。
ならば、次の反応は予想できよう。
「きゃあ───────────────!」
絹を裂くような悲鳴が屋敷全体に響き渡った。
「ちょ、ちょっと待て! いったん、落ち着いて──」
突然の悲鳴に動揺した扶郎は服を着るのも忘れたまま動揺した。
だから、何処から現れた鎖が、彼の周りを囲うように円を作っていたことは気づかなかった。
次の瞬間、扶郎に浮遊感が襲った。
「ぐほぉ!」
そして、次は落下衝撃。周りを見ると、どうやら脱衣所目の前にある廊下のようだ。
「あんだ? コソドロの類かと思えば妙だな」
視線をあげると、廊下の先には眼つきが悪い男が扶郎を見下すように眺めている。
「あらあらあら、大変ね」
すると、褐色の肌の女性が浴室から廊下に現れた。
相変らず、全裸で。
「ちょっと! タオルぐらい巻きなさいよ! ていうかコイツ、アンタが連れ込んだ男なわけ!?」
「うーん、違うわよ」
「はぁ、じゃあ、誰よこいつ。もしかして、不審者?」
汚物を見るような眼差しを白髪の少女が扶郎にする。
なんだ、この状況。
混乱する扶郎だが、少なくとも自身にとって良くない方向に転がっていることは理解できた。
「ちょっと、待って。俺は───」
「なんの騒ぎすか?」
扶郎が弁明するよりも早く、新たな人物が登場する。
ちゃらついた格好が目立つ、無精髭の中年男。今まであった中では一番高齢に見えた。
「あの、なにかあって──」
「おっと、嬢ちゃんは来なくていいよ。見たら教育に悪い」
更には見るからに儚げな少女、今度は一番幼い。
オガお婆さんの孫たちと同じ年代くらいの少女がおずおずとやって来たが、無精髭の中年男に止められる。
そして、扶郎にとってトドメがやって来た。
「何があったかと~?」
「なに? なんの騒ぎ?」
ようやく扶郎と面識ある相手が来るが、タイミングは悪い。
カリストと一緒にやってきたオリヴィエは扶郎の裸を見て、とても申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「うん、ごめん」
「うわあああああああああん!」
この世界で来て二日目、扶郎はまた大泣きした。
名前はでませんけど、ようやく全員集合しました。
また、本日別作品短編を投稿しているので、そちらも良ければお願いします。
タイトルは『エタった物語に打ち切りを』。軽いノリのギャク短編と思ってくれればいいです。