航宙法37条3項
「そもそもさ」カイナガが割り込む。「この船は地球に行かねぇぞ?」
声のするパイロット席に目を向けたモモカは、露骨に顔をしかめた。
その表情になった主な理由は、物腰の柔らかいカガと対象的にラフな口調と、一見して怖そうな外見によるものだろう。よくよく見れば意外と愛嬌のある顔立ちなのだが、今日は日が悪かった。旅客が乗らない(はずだった)のを良いことに無精ヒゲを生やしまくり、その短髪でどう実現したのか寝癖ボサボサ。おまけに姿勢が極めて悪い。非常にだらしない男とみなされるのが普通だ。
発言したカイナガを一秒で無視することに決め、カガに笑顔を向け直した。
「でも、ISS-8には行くんでしょ?」
「確かに、この船の寄港地ですが……」
「そこまで連れてってくれればいいの!お願い!」
ISS-8はラグランジュポイント1(L1)を周回する中間ステーションだ。
L1は地球と月の力が釣り合う5つのラグランジュポイントの一つであり、常に地球と月の間にある。軌道の安定度に欠ける一方で、L1から少し月に寄せれば月に自由落下し、逆に地球に寄せれば地球に落ちるという、ある意味たいへん便利な場所だ。そのため地球から月へ、月から地球へという物流の要であり、ISS-8に限らず多くの人工天体が集まっている。トパーズもL1へ向かう予定だった。
「ところがな。ISS-8にも行けねぇんだよ、これが」再びカイナガが割り込む。
「なんでよ?」
「それはな」
パイロット席からモモカの正面に回り込み、少し離れとけとカガに合図する。
「あんたのせいだよ」ビシッと「お嬢ちゃん」
不躾に鼻先を指さされ、不快そうに見返すが、密航している自覚はある。それが原因だという想像もつく。無言のまま先を促すしかない。
「あんたが予定外の質量だからだ」
「名前があるの。モモカって呼んで。できれば、さん付けで」
「モモカが予定外の質量だからだ」言い直したが、さん付け依頼は無視した。
「あたし一人くらい、たいしたことないでしょ!」
「60kgの過積載デス」
「!?」
いきなりの女声に驚き、思わず声の出どころを探してキョロキョロする。
「今の女はトパーズ、つまり船のメインシステムだ」
「あぁ、そいういうことね……って、ろ、60kgもないわよ!」
「持ってきた荷物込みだ。あわてんな」ニヤつく。
「……それにしたって……ほんの少しじゃない」少し赤面して視線をそらす。
カイナガは大きく両手をバンザイし、ため息をついてみせた。
「何もわかってねぇんだな。説明してやるからよく聞けよ……。この船はな、月から6万km上方に向かって打ち上げられたんだ。ちょうど上手い具合に、てっぺんでL1に到着するようにな。ところが余計なもの、つまりモモカが乗っちまった。たかが一人、たった0.1%と思ってるらしいが、それは違うぜ。6万kmの0.1%ってのは……ロク・マン・メートル・なんだ・よ!」
わざと単位を変え、区切りをつけて強調する。
「L1まであと少し、ほらISS-8が見えてきたぜってところまでは行けるだろう。だがそこまでだ。あとロクマンで速度ゼロ。行き足を失ったトパーズは、ゆっくりと月に逆落下を始めて──最後は『ボンッ』だ」
手のひらを上に広げて、爆発を表現してみせた。
「よ、予備の燃料くらい積んでるでしょう?」
「ないんだよ、この船には……」
深刻な表情。
「……そりゃな、いつもなら予備も積んでるさ。客の安全が第一だからな。だが、今日は客がいないはずだったんだ。だからギリもギリ、予備なしで飛んでるってこった。すっからかんだ」
「えっと……つまり?」
「打つ手なしってわけだ。なぁ、自分がなにしちまったか理解したか?」
モモカから、先ほどまでの気楽で明るい表情は消え失せ、ただうつむく。
助けを求めるように視線でカガを探すと、こちらに背を向けていて表情はわからない。しかし、顔を両手で覆い肩を震わせているようだ。行く末に絶望し、嘆き悲しんでいるのだろうか……まさか、泣いている!?
大変なことをしてしまったのではないかという思いが、次第に確信に変わっていく。
コクピットに無言の時間が流れた。
「あ、あたし……」
「しかーし!」
モモカは沈黙に耐えられず、こぼれそうな涙をこらえて口を開こうとした。それをさえぎり、ことさら大きな声を出したのはカイナガだ。
「この苦境を一気に解決する、素晴らしい方法がある!」
モモカがハッと顔を上げた。そのはずみで、たまっていた涙が丸い水滴となって空中に散る。わずかな希望の表情。
「余分な荷物を捨てるんだよ!」
そう言い切った言葉と『自分に向けられた指先』の関係がわからず、一瞬モモカが困惑する。後ろを振り返ってみたりするが、特になにもない──。
あぁ、あたしを指してるのね。あたしが余計な荷物ってことかぁ……。
「って、う、うそでしょ!?」
「うそじゃない!」
「だって生きてるのよ!」
「密航者は生きたまま捨てていいことになってる! それは航宙法の……」
パイロットのすべてが法律に詳しいわけではない。トパーズが助け舟を出す。
「航宙法37条3項に『密航ヲ為シタル者ハ、ソノ時点デノ生死ニ関ワラズ、船外ヘ投棄スルヲ認ム』とありマス」
「その通り! 要するに生きたまま捨ててもオッケー!」
「ダメよ! 宇宙よ? 死んじゃうじゃない!」
「黙れ! この密航者め!」
「ぅぐ……」
それを言われては返しようがない。
「今すぐエアロックに連れてってやりたいところだが、覚悟する時間が必要だろ?」カイナガはノッてきた。「3分間待ってやる」
「さようナラ。モモカ……さん」
明らかに──モモカはトパーズの音声にだけ、ビクっと反応した。
カイナガが発する声はどこか嘘くさく、冗談かもしれないと思う余地があった。しかし、AIであるトパーズは嘘がつけない。そして、AIが計算して出した最善策が自分との別れだと知り、とたんに恐怖を実感したのだ。船のメインシステムが「密航者を生きたまま宇宙に捨てろ」と判断している。その対象は自分──。
「許して! おねがい、なんでもずるがるぁ……ぅゅっ…ょぉ…」
いきなり土下座。そしてマジ泣き。後半は何を言っているのかはっきりしない。
とにかく必死の命乞いだということは伝わった。
「ほお……なんでも、ねぇ」
「ぅぉ…ょ…」
「まあオレも鬼じゃねぇし、命だけは助けてやりてぇが……どうなんだトパーズ」
「そうですネ。60kg全部とはいわず、重いものを、できるだけ早く捨てれば、可能性があるかもしれまセン」
「……ょぅ!?」
「とりあえずランドセルですネ。合わせて60kgのうち、モモカさん本人が何kgかは知りませんが、ランドセルがとても重いのなら、再計算できるかもしれまセン」
「だとよ。どうする?」
「……ダメ」発音は戻ったが小声だ。「コレ大事」
「……よし(怒)、本人ごと捨てるか」
「いかようなりとも!」
一瞬で手のひらを返し、土下座のままランドセルを差し出す。様子を見ていたカガが、すぐに引っつかみ、後方エアロックに飛んでいった。船外に捨てるということだろう。モモカは土下座のまま待機している。もしかすると祈っているのかもしれない。カガがコクピットに戻り、再計算している間もそのままだ。
「再計算結果が出まシタ」
モモカはぴょこんと起き、正座になった。クイズの答え待ちのような顔になっている。本当によく表情の変わる娘だ。
「残念ながら、まだ少し足りまセン」
シュンとなる。
「……となると、次に捨てられるのは、それだな」
カイナガが見つめる先に気付き、モモカはあわててブレザーの前を合わせる。
「だ、ダメ! 絶対ダメよ!」
「すると本人を投棄か?」
「イヤよぉ!!」
「じゃぁどうすんだよ!」
終わらないやりとりを見かねたトパーズが口をはさむ。
「先ほど申し上げましたが、重いものを『できるだけ早く』捨てないと手遅れになりマス。ごねるほど不利になりますヨ。制服で済めばともかく、たとえば結果的に」絶望を誘う言葉が続く。「全裸にされるトカ」
「ぜ、ぜん……って、もう! わかった! わかったわよ!」
モモカはトパーズの言葉に弱いようだ。『落ち着いた20代女声(低めII)』で説得されるのは、本当に効くのかもしれない。
カガがユーティリティから収納袋を持ってきて渡す。これに入れろということだ。覚悟を決めるしかない。コクピットの一番端にピッタリ寄り、壁を向いてブレザーからおずおずと脱ぎ始める。スカートのホックを外したところで少し手が止まったが、思い切って引き下ろす。無重力のため回転しかかったが、必死に壁にしがみついた。危うく、この姿でコックピット中を飛び回るところだ。かなり重量がありそうな靴も脱いで袋に入れる。
「トパーズさん、これで……いいでしょ?」
「まだ足りまセン」
「ちょっと! 再計算もしないで何がわかるの!?」
「聖マリウスヶ丘女子高等学校の制服重量をデータから取り寄せまシタ」
「誰が出してるのよ! そんなデータ!」
まったくだ。
(これということよね……)と、ブラウスをつまむ。今はまだ裾を引っ張れば太ももまで隠れるが、これ以上は洒落にならない。常時適温が保たれている月面施設では、キャミソールやスリップの類を着る習慣がない。つまり、ブラウスを脱いでしまえば、上下一枚ずつしか身に着けていないということだ。いちおう抵抗を試みる。
「ねぇ……本当にダメ?」
「先ほど申し上げましたが、重いものをできるだけ早……」
「わかったわよ!」
仕方なくブラウスのボタンを上から外していく。やり場のない怒りと羞恥で顔は真っ赤だ。最も気になるのは背中からの視線だが、全周ディスプレイのコクピットは視線を遮られている安心感がなく、すべての方向から見られている気がしてくる。ブラウスを肩から滑り落とす時には、もう恥ずかしさで頭はクラクラだ。
シルクと思われる純白の下着姿になる。凝ったデザインの刺繍が入り、学生が身につけるにしては高級品の部類だろう。
「ブラウス……取ったわよ」同じことだが、脱いだとはいえないのが乙女心だ。
なにを計算しているのか、トパーズから返事には少し間があった。嫌な予感。
「それでは最後に……」
「ダメよ! 絶対ダメ! これ以上はムリよ!」
必死の形相で下着を押さえる。上下どちらかを取られると思ったのだ。
「いえ大丈夫ですヨ。そうではなくブラに入っている大きなパッ」
「わーわーわー! ストップ、ストーップ!」大声で妨害する。「わかった! わかったから、もう言わないで! シャット、アップ!」
「そうですカ? では『ソレ』を」
重要機密をバラそうとしたトパーズを心の中でにらみ、胸から『ソレ』を取り出した。AAなのがCになる魔法のパッドだ。抜けばブラカップはスカスカになり、上からピンク色な部分が見えるほどになってしまう。パッドは袋の奥の方に、外から見えないようにして突っ込んだ。あまりのことに、もう……言葉も出ない。
「それでは、処理をお願いしマス」
あわてて両手で胸を押さえ、限界まで壁にくっついて肌を隠す。カイナガがさっと袋をつかみエアロックに向かう。カガは客室から持ってたシーツをモモカの背中から掛け、ポンと肩を叩く。気にするなという意味か、それとも聞いてないよという意味か。
クルー二人の素っ気ない、興味を失ったような態度から(『大きなパッド』に気付かれたんだ、聞かれたんだ……)とモモカは思う。さっきまでイヤらしい目で見てきたカイナガにまで無視された。
生きたまま宇宙に捨てられる事態を免れたのだが「もうヤダ、死にたい……」とつぶやき、小さくうずくまった。