真の敵、侵入す
「おーい?」
再びイクミに声をかけられ、カガは我にかえった。
「な、なにか来るとは何ですか?」
「さあ。わかんないけど赤十字マークが付いた船だよ」
「ああ、それでヤツら撃ってこねぇのか。射線上に赤十字がいるから!」
カイナガも思考能力を取り戻した。
「トパーズ。確認できますか?」
「八時方向15度から、救急艇らしき船舶が急接近中デス」
思わず視線を送ってしまうが、全周ディスプレイの左舷側は、前後とも外部カメラを失い、暗転しているから目視はできない。
だが、想像はできる。
宙域の救急艇は救急車というよりドクターヘリ、むしろレスキューヘリに近い使われ方をする。いつも一刻を争う現場で救命活動を行っているから、アクロバティックな操船はお手のものだ。いきなり出現して急接近──なくはない。
「とにかく、赤十字マークが近くにいる間は、A・リンカーンだって簡単には撃てないでしょう。とりあえず安心か──」
「該当船舶データベース確認。機体番号MC098A、マリウス市籍の救急艇デス」
つかの間の安心だった。全員に緊張が走る。
「どこのだって?」
「マリウス市です。接舷許可を求めていマス」
「絶対ダメ! 入れさせないで!」
モモカが早くもシートベルトを外し、ジタバタと浮きでた。
月の船が地球周回軌道に来ているだけでも不自然なのに、マリウスの、しかも救急艇である。どう考えても、マリウス市民病院の関係で来た船、つまりモモカの追手に違いない。
「どうするよ、接舷許可だとよ?」
「拒否したいところですが、A・リンカーンが攻撃待機しているのは、その救急艇が近いからでしょう。まして接舷してしまえば、撃ってこれません」
「けどよ、接舷しといて入るなとは言えねぇぞ」
「とりあえず玄関先まで入れて、そこで丁重に対応すれば良いのではないでしょうか。いちおう医療関係者なのでしょう? 武装して押し込み強盗を働くとは思えません」
「ダメ! カガせんちょは知らないだろうけど、あいつらキチガイなんだから!」
「じゃあ追い返すか? 今度は撃たれちまうぞ?」
「……っぐ」
ミサキがパンと手を打った。
「要するにモモカちゃんに接触させなきゃいいんでしょ? それなら客室に籠城しておけばいいんじゃないかしら?」
「ああ! そういうことなら、あたしたちが付いといてやるよっ!」
イクミが腕まくりの仕草をする。
「お願いできますか? A・リンカーンは離れつつあります。射程圏外に出てしまえば諦めるでしょう。それまでの間、しばらくのことです」
「入り口はオレたちが守る。客室はイクミさんたちが守る。だから後ろの方に隠れてりゃいい。それでどうだ、モモカ?」
「……わかった……」
「よし、行こう!」
モモカの頭をポンと叩いて、イクミが先に立つ。さらに後ろをミサキに挟まれたモモカは、しぶしぶと客室に上がっていった。
「トパーズ。救急艇に接舷許可を出してください」
「了解しまシタ」
カガは気持ちを切り替えるため、軽くふっと息をつき、操縦席に寄っていく。
「さて、と。彼女たちの前では軽く言いましたが、なにが起こるかわかりません。全てのオプションを想定しておいてください」
「わかってる。最悪の状況もアリなんだろ?」
「ありえます。月面の救急艇がここに来てるんです。たいへんな異常事態ですよ。どうやって来たとか、テクニカルなことは置いておくとしても、なぜ来たかは明白でしょう」
「モモカ狙いだわな」
「はい。おそらく準備万端でしょう。一筋縄ではいかないはずです。だから、あらかじめ分業しておきましょう。わたしはモモカさん──乗客の生命を優先します。カイナガはトパーズ──船を優先してください」
カイナガが心の底から嫌そうな顔をする。
「恐ろしいこと言うなよ……」
「もちろん、万が一の話です。そう簡単に実現させるつもりはありませんよ、本物のキャプテン・カイナガ誕生なんて、ね」
「──次それ言ったら、カガ船長でもぶっ殺すからな……」
「はいはい」
ダンッ……っ!
「MC098Aと接舷しまシタ」
「っと。けっこう乱暴に来ましたね……。トパース、左舷エアロック開放準備。なにかあったら、通信か船内放送で報せてください。カイナガはわたしの後ろでバックアップです」
ヘッドセットをつかみ、エアロックに向かう。
「コクピットに残ってなくていいのか?」
「それよりハッタリ要員が必要ですよ。一人より二人の方がいいでしょう?」
「わかった。後ろでオレがにらんどく。船長じゃ優男すぎるからな」
「アハハ、なんと言い返せばいいでしょう。まあ怖い顔を期待しておきますよ。それと、必要性を感じたら、いつでも戻れるようにポジションとってくださいね。前へ出すぎないように」
「みなまで言うな。了解だ船長」
カイナガは歯をむき出しにして怖い顔の練習をした。
エアロックは、すでに救急艇側が開放され、トパーズ側の小窓にIDカードが押しつけられている。近すぎて“マリウス市民病院(小児科)DRショウハ”までしか読めない。
カガが接続筒内に呼びかける。
「こちらに乗船するのは、どなたですか」
《この通り医者だよ。心配しなくても一人だけさ》
問題ないだろうと判断してハッチを開放する。開ききるのさえ待てない様子で、仰々しい宇宙服が入ってきた。
「やあやあ!」
どういうつもりか、船内なのにヘルメットまで装着し、完全気密している。ズカズカ入り込もうとするところに、カガが身体を入れて通路をふさいだ。
ぶつかりそうな距離でにらみ合う。
根負けしたのか、宇宙服が口火を切った。
「ああ、挨拶がまだだったね。乗船許可を感謝する。私はドクター・ショウハラ。マリウス市民病院で和光桃香の主治医をしている者だよ」
「はじめまして、ドクター・ショウハラ。私は船長のカガ、こっちは操縦士のカイナガ。なお、誤解があるようですが、許可したのは接舷です。ご乗船を希望されるなら、その前に用件を伺いましょう」
「なるほど……ね。まあ、聞くまでもないと思うが、ウチのじゃじゃ馬がお邪魔しているはずだ。きっと迷惑をかけているだろうから、引き取りに来たのさ」
「お気遣いいただき誠に恐れ入ります。しかし迷惑と思っておりませんし、残念ながらモモカさんはお会いになりたくないそうですよ」
「まあ、逃げ出したんだもんねぇ。予想はしていたよ。だが、こちらにも事情があるんだ。それを知らずに庇い立てしないでくれないかなぁ?」
「ご事情はわかりかねますが、いまは本船の乗客です。お客さまのご希望に沿うのが弊社の努めですので、ご遠慮願えますか?」
カガは慇懃無礼な言葉で、バチバチと火花を散らす。
「おや? 接舷させてくれたんだから、少しは話を聞いてくれるものと思っていたんだが……まったく、そのつもりがないらしい」
「それには諸般の事情がありまして、しばらく接舷したまま留まっていただきます。その間、お茶もお出しできませんが、立ち話くらいならお付き合いしますよ」
「まぁ……素直に返ってくるとは思わなかったがねぇ」
シュシュ
「わざわざ救急艇まで仕立ててマリウスから飛んでくるとは、よっぽどモモカが大事らしいな」
カイナガが後ろから口を出した。
「そりゃあ当院の患者だからね。退院許可も出してないのに、あちこち勝手に動き回られちゃ困るさ」
「モモカさんに健康上の問題があるとは思えません。本船でも元気にされてますから、どうぞご心配なく」
ショウハラは、これは驚いたと言わんばかりの表情で小馬鹿にする。
「アハハハ。元気、だと? なにもわかってないじゃないか!」
シュシュ
「なにがおかしい。どうせ、こっちの手にあるんだ。おとなしく帰んな」
「ヒィーヒッヒッヒ! まるで人質でもとったみたいな物言いだねぇ。アレの生命は私が握ってるんだよ?」
シュシュシュ
「おい、あんた! さっきから何してる!」
「気付くのが遅いよ」ニチァと笑って、後ろ手にしていたネブライザーを見せた。「これ、なんだと思う?」
「なにって……喘息とかの患者が使う噴霧器だろ」
「中身の話さ。これはA・H3N2」カイナガの鼻先に向けて、シュっと出した。「──ウイルスだよ」
驚愕したカイナガが「うっ」と口を押さえて後退する。
カガはネブライザーを奪おうと、逆に踏み出した。
「それを渡しなさい!」
「いまさら取り上げても仕方ないさ。もう船内に撒いてしまった」
「(ふざけんな! この殺人野郎!)」
カイナガが口をふさいだまま、くぐもった声を上げる。
「なぁに、お前たちなら死なないさ。たぶん……だがね。潜伏期間は数日だ。発病する前に病院へ行くといい。フフフ、間に合うことを祈るよ」
「っく……この!」
自分だけ宇宙服に守られたショウハラは、サディスティックにニヤニヤすると、天井を見て大声を上げた。
「それよりワ号! この船の中にいるんだろう? どこかで私の声を聞いてるんだろう? このままだとお前はウイルスで死んでしまうぞ! どこに隠れても通気口でつながってるはずだ。お前の身体に入ってしまうぞ! このウイルスにはフィルターも効かない。この船にいる限り逃げられんぞ!」
A・H3N2──A型インフルエンザの亜型だ。わざと専門用語を使って患者を黙らせるのは、患者と同じ視点に立つ自信のない医者がよく使う手である。
たかがインフルエンザ・ウイルスとはいえ、乾燥した宙域では感染が広がりやすく、危険性は地球上より高い。もちろん所持は御法度だが、ショウハラは地球からの旅行者が月で発病したとき、密かに収集し培養していた。
ともあれ、カガやカイナガなら、高熱を出すくらいで済む可能性が高い。
しかし、免疫力に乏しいモモカに限っては、本当に死にかねない。




