美しき理想郷
カイナガの当然すぎる主張に取り合わず、ウォーターカッターは細孔から水を放った。当たるべき目標物のない水分子は、凍結しつつトパーズの前方に広がっていき、すぐ太陽光に熱せられて蒸散する。わずかな寿命の小さな氷雲ができただけだ。無意味と思える氷雲に、A・リンカーンの艦載レーザーが入射した。
パァ……ッ!
目の前で発生した光に、モモカは「きゃっ」と叫んで目を伏せた。
三万メートル先の光を見て、キクチ大佐は命中したものと思った。
もし観測者として真横にいたなら、光の細針──トパーズの鼻先を突きそうで、しかし刺さらず浮いている姿──が見えただろう。
最もシンプルで美しい宇宙の花火。真空中を姿なく突っ込んできたレーザーは、氷雲で屈折し、乱反射し、可視光となって輝き、急速に減衰して、トパーズに届くことなく消えてしまった。
事態がつかめず呆然しているのはカイナガ、自分でやっておいて信じられない表情をしているのはカガ。
「スゴい! カガせんちょ、スゴいよっ!」結果を素直に受け止めたのはモモカだ。そのままカガの首に抱きついた。「モモカバリアーがあれば、もう大丈夫だね!」
「え……なんですか、その呼び方は──」
「残り2発分デス」
冷静に水を差したのはトパーズだ。カガは意味をつかみかねた。
「トパーズ? もう一度はっきり報告してください」
「推定結果報告。与圧貨物室のタンクに残っている水は、あと2発分デス」
「つまり……」
「タンクが空になれば、いまのモモカバリアーは使えまセン」
「じゃあ時間稼ぎ程度で、ほとんど状況変わってねえってことか!」
再びA・リンカーンの広域発信が警告する。
《武装民間船へ告ぐ。即時停船せよ。従わなければ船体射撃を行う!》
呼び名がトパーズから武装民間船に格下げされた。さらに、先ほどの無機質な口調と異なり、声色のニュアンスには不審と苛立ち、もしくは恐れが含まれている。気持ち悪いはずだ。命中したように見えた敵船が無傷なのだから。
「カガせんちょ、なんとかして!」
「トパーズ! 遭難信号プロトコル! 全方位、全周波数をオープン!」
「了解、接続しまシタ」
高速デブリ以来、直接通信が通じていない。それならば、遭難信号チャンネルにメッセージを流す。ハイドマイクの呼びかけに、ハンドマイクで応えるのだ。もし向こうが耳を失っているのだとしても、気付いた他の船なり施設なりが、取りなしてくれる可能性もある。
「A・リンカーンへ。こちらJSD所属の民間船トパーズ。当方に攻撃や抵抗の意思はない。貴艦の射撃意図を問う」
「お前ら同盟国だろうが! 経緯は見てたはずだぞ!」
「そうよ! このバ……おバカさん!」
めいめい思いつくまま“遭難信号”を話す。
「また光ってるよっ!」
モモカが緑の光点を見つける。
「トパーズ! たくみ噴射、開始!」
「了解しまシタ。モモカバリアー展開」
「わたしは認めてません! その呼び方!」
パァ……ッ!
1回目より光量が増していた。やはり先ほどの射撃は威嚇だった。今度は本気だ。
「残り1発分デス」
「どうすんだよ船長! いっそ反撃するか?」
「そうだよ! モモカインパクト撃っちゃおうよ!」
主砲のことだ。カガは首を振った。
「イオン粒子を拡散させず直進させているのは目標物との電位差なので──」
「いま難しい説明しないで!」
「要するに、射程圏外です」
「じゃあ、さっきのぎょらいはっ?」
「三式魚雷は、もっと相対速度が速くないと攻撃力が出せません」
「まあ、いま撃っても軽くコンと当たって終わりだろうな」
「ねえ……じゃあ手がないってこと、なの?」
「逆に聞くけど、例の軌道レーザーは使えねぇのかよ?」
「おい、カイナガ!」
カガがとがめたが、間に合わない。
おかしなことを言われたように、ポカンと見つめたモモカの目から1つ2つ、ふわふわと涙が漂い出していく。
「あれは月面用だから無理……。でも、カイナガ──わかってて言ったの? あたしは内閣府から逃げてきたんだよ……? コード『フォックス』だって使いたくない。それなのに、あそこに戻れって言ったの? また、おじいちゃんたちに、あたしを差し出すの? イヤだよ。あたし絶対に……ぜったいに、もうイヤだよぉ!」
モモカは、病院を抜け出した当日こそ、BGを置いてまで逃げる意思を貫いた。しかし、蓄積した疲労に加え、薄々あと2回のレーザーで終わり──脱出劇のバッドエンドが目の前と気付き、急速に弱気になっている。
「カイナガのバカぁ!」
「あ……。悪かったモモカ。本当にゴメンって……」
視線に耐えられなくなって、謝りながら目をそらしたカイナガを、「ほんとバカ」とにらんでから、カガは質問の形で確認する。
「トパーズ。何か提案できる方法は残ってるかな?」
「答えを申し上げ──」
「言うな。どうせ絶望させるだけだろ?」
怒られたカイナガがふてくされた声でさえぎる。
「わかりまシタ」
「──ちくしょう、図星なのかよ……」
しんと静まるトパーズに、広域発信が叫んだ。
《聞け、トパーズ! 私はA・リンカーン艦長ロバート・キクチだ。最後に言っておくことがある》
「なに? なにが始まったの?」
《私の血に、古き良き理想郷、日本のルーツが入っていることは誇りだ。暴力に徒手空拳で立ち向かう、お前たちも立派だと思っていた。畏怖すべき不沈艦と敬意を持っていた》
「はた迷惑な片想いだな、おい」
《しかし貴艦は武装した。そして武装した途端、民間船を無慈悲に屠った。この卑怯者め! 弱者のふりをして、力を持たせれば、すぐ力を振るう卑怯者め!》
「それは、違う!」
《悪いのは、私を裏切ったのは──お前たちなのだ!》
言い切った途端に、緑の光点が灯る。
一方的な言葉に動揺していたカガは指示が遅れた。
「おい、船長!」
「──ト、トパーズ! たくみ噴射です!」
わずかに間に合わない。視界がホワイトアウトした。
妙に長い、一瞬──。
光が消えると、左舷前方のディスプレイが暗転していた。一瞬の迷いでタイミングが外れ、氷雲を貫かれたのだ。
そして──次は氷雲さえない。
明白な運命を確信し、誰も声を出せなかった。
「報告──。たくみシステムは水タンクの残量がゼロになりまシタ。補給するまで使用できまセン──。左舷前部の外部カメラが欠損しまシタ──。高利得アンテナの一部が消失しまシタ。今後の通信は──」
トパーズの被害報告だけが、淡々と続いていく。
カイナガはコンソールから手を離し、シートに背中をあずけた。
「こりゃヤバイかもな、へへ」
「──ごめん、ごめんね。あたしが逃げたせいだ……。こんなことに、えっぐ、なるなんでぇ……」
「いや、勘違いサイコ野郎のせいだ。勝手な理想を押しつけやがって……!」
カガは二人のやり取りを眺めながら、きつねの御守を手に取る。モモカが大月温泉で選んだ“かわいい方のきつね”は、トパーズ改装後に艦内神社がわりとして天井から下げていた。
「アレ、やっておきましょうか」
「アレってなんだ?」
「モモカさんの、いつものやつ」
「あー、アレな。そういえば今回はやってなかったな」
「はいモモカさん、これ持って」
きつねの御守を、ふんわりと投げる。両手で受け取ったモモカは、胸の前で大事そうに包んだ。
浮いた涙を払い、心をこめて、声を出す。
「大丈夫だよ。このチームなら」
「まあ、がんばった方だよな」
「いつだって、きっとうまくいく」
「敵だらけなのに、ここまで来られましたものね」
「カガせんちょとカイナガと」また涙があふれそうになって、少し間をおく。「トパーズさんとあたし。四人のチームは無敵だよ」
「チーム・トパァ~ズ、ファイ!」
「「「オォー!!!」」」
けっきょく涙声で叫んだモモカは、それでも笑顔を見せた。
「ずっと一緒だよ」
カガは、かねて希望の通り、その時を船長席で迎えられて満足している。月で覚悟を決めたときは、不本意ながら操縦席にいた。感慨深くコクピットを見回す。せめてモモカには、船外服を着せてやりたいと思ったが、ランドセルは与圧貨物室の中だ。これまでの発射間隔から、おそらく時間が足りないだろうと諦めた。
カイナガは、いつも通り姿勢悪く操縦席にもたれかかり、拡大ディスプレイに映るA・リンカーンをにらんだ。
モモカは、静かに目をつむる。
待ち時間というのは、得てして長いものだ。
とくに、相手の都合で最期の時を待つなどという、未経験の(もっとも1回経験すれば二度目はない)待ち時間であれば、目安というものがつかめない。数秒なのか数分なのか、はたまた1時間なのか、ジリジリした時を過ごすことになる。いっそ早くしてくれと願うが──なかなか撃たれない。
耐えきれなくなったモモカが片目を開けようとすると、脳天気な声がした。
「後ろからなんか来るよ?」
客席から降りてきたイクミだ。
一緒についてきたミサキが肩越しにヒョコっと顔を出す。
「どうしたの? お通夜みたいな顔しちゃって」




