昨日の友は今日の強敵
右舷方向にいたA・リンカーンは、トパーズの進路前方に移動し、横向きになって慣性航行している。トパーズのクルーが見ていたかぎり、そこを目指して意識的に動いたとは思えない。傾いた艦体を叱咤し、足を引きずってのたうち回ったあげく、結果的にバランスが取れた場所にいる、という印象だ。
いまでも左舷前方から液体酸素らしきガスを吹き続け、カウンターを当てるためか右舷後方のスラスターを点けっぱなしにしている。
もっとも、あれだけの高速デブリ群を受け止めたのだから、浮いている方が不思議なくらいで、逆に頑丈っぷりを示したともいえる。
一方のトパーズは、コクピットの全周ディスプレイが一部欠損しているものの、航行に支障はない。
それより沈没寸前なのは人間の方だ。人員豊富な軍艦と違って少人数のうえ、連戦で長時間の緊張を強いられてきた。常にだらしないカイナガはともかく、カガの顔色も精彩がない。
とくに深刻なのはモモカだ。病院を抜け出して以来1週間、専属スタッフによる医療ケアを受けていない。リトルジャーニー作戦のときは、ISS-8に着くまで3日ほどだった。それでもガーフィールド博士が診察で激怒するほど消耗していて、丸一日は動けなかったのだ。
そのうえ今回は、途中で危険なレベルの脱水症も起こしている。いくら強気に振るまっても、消耗は隠せない。珍しく、天井を仰いでのびていた。
いまや、この船でお気楽ムードなのは、乗客気分で乗り込んだCA職のイクミとミサキだけだ。修羅場を見ていないからか、船慣れしているからか、単に仕事柄か、船体の動揺が落ち着くや否や、笑いながら客席から降りてきた。ユーティリティ側の壁にくっついて、今もコクピットに居座っている。
「ほんと合衆国さまさまって感じだよね」
「月で助けてもらったし、今日も守ってくれたもんねえ」
「じゃあさ、なんでラブコールを無視してくれちゃうわけ」
「経験不足ねえ、イクミちゃんは」わかってる風の顔で偉そうに解説する。「向こうにしてみれば、数ある女と同じように優しくしただけなのよ。それなのに、自分オンリーの好意と勘違いして、1日何十通もメール送りつけてくる女なんて、無視して当然でしょう?」
「なるほど、実体験は参考になるな」
「バ……バカ! 違うわよ!」
この船は全員独身だから、恋愛を語っても説得力がないが、ラブコール──再三にわたり、A・リンカーンに対して救助可能な旨を打診した。なにしろイクミとミサキは恩義を受けた張本人だ。客船機能は保持しているから、少なくとも定員通りの10人は乗せられるし、ISS-11とのピストン輸送など造作もない。
ところが、返信がないどころか、通信がつながっているかさえ確かではなかった。自艦の制御で忙しいのか、ミサキが言うように無視されたのか。
こういうときアイがいれば、通信士官の技術と経験、さらにコネを活かして、少しは状況を把握できたかもしれないが、いま通信席に座っているのはモモカだ。一通りの操作くらいはできるが専門家には程遠い。いまのところ、遠くから望遠カメラで見守るしかない状況だ。
「また、なにか始めやがったな」
背もたれに身体をあずけたまま、カイナガがつぶやいた。
A・リンカーンの四隅が発光している。素人目には舷灯か電飾に見えるが、船乗りならスラスターの噴射だとわかる。クレーン車がアウトリガーを出すように、艦体の動揺を抑えたいときに行われる操艦で、とくに珍しくはない。拡大ディスプレイでも見えるくらいだから、全力運転だろうと想像できた。
「あら、なんだかキレイねぇ」
ミサキがディスプレイに近寄る。肩越しにイクミも覗き込んだ。
「櫓の太鼓も回ったじゃん。なんか夏祭りみたいだな」
「タイコ?」
「ほら見てみ。丸いし太ってるし、叩くところがこっちに向くよ」
「──そりゃ太鼓じゃねぇ!」
カイナガが異変を察知して飛び起きた。カガの目にも緊張感が戻っている。
太鼓ではなくバーボン樽、その砲口がトパーズに向きつつある。合衆国軍が砲を向ける意味を知らない二人ではない。
「イクミさん、ミサキさん、いそいで客席へ戻ってください!」
「え、なによ。そんな怖い顔しちゃって」
「ミサキさんが好きな映画なら『第一種戦闘態勢!』とか叫ぶところです!」
「なるほど! それは大変!」
「あらあら、じゃあ後は任せるわねぇ」
にこやかに客席へ上がっていく。深刻さが伝わっていないのか、それとも気丈に振る舞っているだけなのか。
二人を見送ると、カガは左手を固く握りしめてディスプレイを見つめた。
対峙する2艦の距離は三万メートルあまり。追い越していったA・リンカーンは、余勢で少しずつ離れつつある。それでもブレーキをかけようとせず、スラスターはアウトリガー代わりに使うのみ。その意図を読むなら、少しのあいだ固定砲台になれば十分、射程圏内にいるうち片が付くと考えているに違いない。
要するに短期決戦狙いだ。
ゆっくりと回っていた砲口が、トパーズを指向して、止まった。
モモカが不安げな声を出す。
「え……なにあれ。本気じゃないよね?」
「やつら、大艦巨砲主義とはな!」
突きつけられた緊張を解こうとするカイナガの軽口には、悔し紛れのニュアンスが混じる。カガが気の利いた言葉を継ごうとするが、戦闘態勢に入った合衆国軍が間をおくはずもない。広域発信で一方的に要求してきた。
《トパーズへ告ぐ。ただちに停船せよ》
双方向通信ではない。事務的とも感じる口調で、広域発信してきた。人質を取り損ねた間抜けな立てこもり犯には、交渉余地がある電話ではなく、ハンドマイクで一方的に呼びかける。それと同じだ。通信系に問題があるのか、わざとやっているのか、カガたちに知る術はない。いずれにしろ、話を聞くつもりはないという意思表示と捉えた。
それでも、日本の警察なら「君たちは完全に包囲されている」と告げ、発砲すると脅しても威嚇射撃がせいぜいだ。
合衆国は違う。かつて日本でも、侍が刀を抜けば同じ意図を示せたが、銃口を向けた時点で攻撃意思の表明だ。そのうえで「動くな」と命令し、指一本動かしただけで驚くほど簡単に射殺する。
公的暴力をかざす相手には、内心不服でも降伏を示すしかない、のだが──。
「カガ船長! 停船って、この場合どうすんだよ!」
「まさか、軌道速度を捨てろってことでしょうか……ね」
「墜ちちまうじゃねぇか! 殺されるか、自分で死ぬか、自由に選べってか!」
自由の国では、運命の選択が、個人に委ねられている。
「ねえねえ! あれなに!」
モモカが指差した先、全周ディスプレイの前方側に、緑の光点がある。
「おい、射撃管制レーザー……だろ、これ!」
カメラを通してディスプレイに投影しているため目視できたが、攻撃レーザーと別にある、遠距離射撃用のポインターだ。カイナガには空軍機F-6の搭乗経験がある。もし、これを合衆国の艦艇や航空機に照射したら、躊躇なく撃ち返してくる。そういうルールだ。知ったうえで自ら照射したからには──
「ちっくしょう! まったく猶予なし、容赦なしかよ!」
スラスターを点火し回避を試みるが、光点の位置は船首中央に追随してくる。普通の宇宙船なら最も装甲が厚い場所だ。好意的に考えれば、だからこそ威嚇で済むとわざわざ選んだのかもしれない。
しかしトパーズは、たくみシステムを載せる替わりに、正面装甲と無圧貨物室を放棄した。つまり船首はガラ空きの弱点だ。高い攻撃力を優先して防御を捨てる、日本兵器の悪いクセは直らない。
「撃たれちゃう! 撃たれちゃうよ!」
カガは、通信席を離れたモモカに、激しく揺さぶられた。
(こうなったのも、たくみの搭載位置が悪いせいで──ん? たくみ?)
揺れる頭に、ある考えが浮かんだ。
「トパーズ! たくみシステム緊急起動!」
「了解しまシタ。高速ブート開始しマス」
ヒュィィィイイ!
「いや船長、距離3万だぞ! 水鉄砲は届かねぇ!」
「噴射、開始!」




