紅い白虎
カガは一人静かに悩む──環境さえないことに閉口していた。お口に戸がない娘と元・娘たちに取り囲まれている。
「ねー、まだ迷ってるのぉ?」
「迷ってる時は、逃げて逃げて、逃げまくりだって」
「そういうときは前に進んじゃえばいいのよぉ」
助けを求めてカイナガを見たが、目をそらして忙しいふりだ。
カガは頭を抱えた。
巻き込まれたくないと願うほど、むしろ深入りしていることを実感する。もがいても引きずり込まれる蟻地獄。まるで重力井戸に墜ちていく感覚。むしろブラックホール。どこまで偶然で、どこから罠なのか──。
後先を考えなければ、サラリーマンらしく命令書「モモカを連れてISS-11へ」の通りにすればいい。しかし、そこでモモカをどうするかが指示されていない。船乗りの危機察知能力が違和感を訴えている。引っかかるのだ。
明確な事実その1は、モモカを欲しがっている連中がいること。それも国家レベルで。
ただの女の子ではない。月面墜落時に行った手配も、マリウス総領事館を仕切ってみせた姿も、女の子どころか一個人の決裁範囲を逸脱している。
明確な事実その2は、この船が事実上の特設巡航艦だということ。合衆国の正規SUVには敵わないまでも、現状それらに次ぐクラスだろう。仮に通商破壊戦などやらせたら宙域の秩序が一変しかねない、かなり凶悪な船だ。
その3は、それが民間船トパーズとして、しかもモモカとともに、自らの管理下にあること。いわば安全装置に鍵が刺さった戦術兵器を、街中でブラブラ持ち歩いているようなものだ。
もちろん個人的に悪用するつもりはないが、想像してしまうのだ。モモカとトパーズをセットで運用した時の破壊力を。
狙われてもおかしくない。おそらく既に妄想した連中もいるだろう。それが我が手にあれば、と。
だからこそJSD上層部も怪しい。
命令書は、セットで連れて来いとも読める。天下りの爺さま方は、元々あっち側の人間だ。何か知ったうえで策動しているかもしれない。彼らに白紙委任して大丈夫か。やはり防衛省に渡したほうが良いのではないか。
思えば「プロジェクト」のことを、もっと知っておくべきだった。後悔先に立たずだが、すぐにでも聞きたいことがある。
もしかして「管理すべきもの」の中には、たくみシステムや軌道レーザーのほか、モモカさん本人も含まれますか──?
これはこれで悩むばかり。
加えて、後ろからA・リンカーンが、付かず離れずの距離を保ってついてくる。このうえ合衆国SUVまで、包囲網に加わるのか!
「どうすんだよ船長、いい加減決めてくれ」
この速度のまま行けば、周回軌道に入れず地球に墜ちてしまう。交渉の余地がない物理からくる時間制限だ。
カガは舌を奥歯で噛み、限界まで先送りするイクミ案を採用した。
「ISS-11の軌道へ入ります。ただし、一度はランデブーに失敗してください。それを見て誰がどう出るか、もう一周、90分だけ様子を見させて欲しい」
「あいよ、了解」
「急加速がかかりますので、三人は客席で備えてください」
「ここがいい」
許可を待たず、モモカが通信席に座った。
出港後に、ミサキの「別に制服は替えなくてもいいでしょう!」という涙の訴えがあり、CAから聖マリの格好に戻っている。第三シートに聖マリの制服は、もはや違和感がない。懐かしい感じがするくらいだ。
カイナガはチラッと見ただけで、何も言わず加速準備に入った。イクミとミサキは「あらあら、まあまあ」「じゃあ後は若い人同士で」などと言いつつ、ニヤニヤ顔で客席へ移動していく。
じっさい邪魔にならなければ、どこにいても構わない。
客席モニターが安全の緑ランプを示すのを待って「加速開始」と命じた。
タン……ガタガタガタガタ──!
ISS-6で積み込んだ固体ブースターの燃焼振動が伝わってくる。
月を周回するISS-6の軌道と、地球を周回するISS-11の軌道では、毎秒5kmほど速さが違う。おおよそ3倍だから、差を補うためにブースターが必要だ。本当は出港直後に加速したほうが有利だが、カガが最後まで迷っていたのと、追うA・リンカーンを振り切る意味で、ギリギリまで残しておいた、のだが──。
「平気で付いてきますね……」
「さすがに地球周回の軍艦。パワーが違うわな……」
合衆国SUVの、力こそパワー主義を見せつけられて、二人は呆れる。
「バケモノめ!」
そのバケモノ性能のおかげで、月墜落時は乗客を救助してもらえたのだが、人は忘れる生き物だ。
「ブースター燃焼終了、確認」
「なあ、船長。付いてくるどころか、距離を詰めてきたぞ」
「なんだろ。スピード勝負な気分になっちゃったとか?」
口を出したモモカにつられ、後方を気にしていると、トパーズから接近警報が告げられた。
「前方に、反航する船籍不明船がいマス」
「なんだ? 地球軌道にパイレーツか?」
「船舶の照合データは、既知のパイレーツにもありまセン。型式不明デス」
反航──いまトパーズは、地球を縦周りする極軌道に、北極側からアプローチしている。引力に捕まえてもらい、地球の向こう側へ下りる軌道だ。逆にトパーズが見つけた船籍不明船は、地球の向こう側から上ってきた。つまり、お互いに正面を向け合い、すれ違う航路になっている。
「さすがに、こんな軌道にパイレーツはいないでしょう。単に未登録の新造船かもしれませ……」
「軌道上に前方からの飛来物アリ」
右舷方向への加速を感じた。トパーズが自己判断でイオンスラスターを使ったのだ。
「自動避退シークエンス終了、飛来物通過しまシタ」
「何があった。見えないぞ」
「観測結果──相対速度は毎秒18kmでシタ」
「見えるわけねぇ!」
1秒前に18km先にあったものが、1秒後は後方18kmだから、通過を目視できるわけがない。衝撃を伝える空気もない。言われなければ、なにも気付かずにすれ違っただろう。
「トパーズ。飛来方向は?」
「逆算結果は、船籍不明船の通過位置と一致していマス」
「なにか落としやがったのかぁ?」
「なあに? あいつから出たゴミってこと?」
進路前方にゴミを落とすことは稀だが、トパーズ自身も、月の上で前部の無圧貨物室を投棄したことがある。絶対にないとは言い切れない。
それよりカガは数字を気にした。
「トパーズ。確かに毎秒18km、ですか?」
「誤差はプラスマイナス1%以下デス」
おかしい。それぞれ、ほぼ毎秒8kmの地球周回速度──第一宇宙速度で反航しているなら、船同士の相対速度は毎秒16km弱のはず。
残った差は毎秒2kmとはいえ、それでも月周辺を飛ぶデブリ並み。衝突すれば危険な飛来物であり、意図的に加速しないと出ない速度だ。
「トパーズ。先方と通信を試みてください。文面は……そうですね。まずトラブルの有無確認、援助の要否、それと……」
続けようとするカガを、トパーズの警告がさえぎった。
「アラート。飛来物アリ」
再び自動避退シークエンスが割り込み、右舷方向へ加速していく。
「なんだよ、次から次へと、ちゃんと片付け……」
その瞬間、ドンッと巨大地震の第一波が突き上げた──ように、カイナガは感じた。本能的な生命危機にアドレナリンが放出され、集中力が極度に高まった瞳孔には、周囲の様子がスローモーションで見える──。
地響きでビビビンと内壁が震えた。船体は動揺しながら、コマのように急回転している。左後方から「キャア! キャアァァ!」と断続的な悲鳴が聞こえた。振り向くと──モモカ側の壁に大穴が空いている! 宇宙に吸い出され──!
いや、違う!
左舷後方ディスプレイの表示が全て消えている。それが黒い穴に見えるだけだ。
錯覚を振り払ってコンソールに向かう。化学、イオン、全てのスラスターを操作して、回転と逆のカウンターをあて、船首を軌道に戻す。
どうにか軸を固定してカガを見ると、客席に通話して安否を確認していた。
「飛来物通過。およそ船体から30センチをかすめまシタ」
「ちっくしょう、かすっただけでコレかよ!」
「左舷後部の外部カメラが欠損しまシタ」
モモカが左を見て「ひっ」と声を上げる。カイナガと同じ錯覚を起こしたのだ。通信席のベルトを胸元に引き寄せ、ギュッと身を縮める。
「モモカさん、大丈夫です。安心して──」
「飛来物分析の結果デス。レールガン弾体の可能性95%」
カガの目付きが瞬時に凶悪化する。
「ほう。毎秒2kmの差は、やはりそういうものですか……!」
「狙って撃ってんだな、くそ野郎が!」
「船籍不明船を光学で捉えまシタ。主モニターに拡大しマス」
映し出された船の正面は、まだ遠すぎてボヤケているものの、一見してA・リンカーンやブッシュにそっくりだ。
「合衆国SUV……じゃねえな。どうもコピー品って感じだ」
「ああ! なんか出たよっ!」
ドローンの群れ、飛蝗が発進したのだ。
ちなみに連合王国なら、飛ぶイナゴではなくポインターか何か、いずれにしろ猟犬にちなむ名称を付けただろう。獲物に近付き足止めする役割だからだ。
そして、この相対速度で使うことはなかっただろう。捉えた1秒後には獲物の16キロ後ろにいる猟犬など意味がない。
もちろん、パイフーにもわかっている。
だが、このままでは蛇矛を開発した北京閥に手柄を持っていかれると、飛蝗を開発した広州閥が無理やり発進させたのだ。
北京と広州の不和が、無駄な一手を打たせたことになる。
「測距終了、前方およそ二百万メートル」
およそ2分ですれ違うということだ。
カガは船長としての決断を迫られた。
距離が近付くほど、レールガン弾体の回避が困難になる。つまり命中する可能性が上がる。今度は船体を貫かれるかもしれない。
──ならば、反撃だ。
「前方の船籍不明船をパイレーツと推定」
いつものです・ます調とかけ離れ、怒りさえ感じるカガの低音に、その先を予想したカイナガが目を見開いて振り返る。
「今は民間船だ! マジで武装を使うつもりか!」
L2でミラージュに主砲を使った時は、直前に防衛省コード「こんごう」を宣言した。非常に苦しいが、いちおう軍艦として振る舞ったわけである。今回は防衛省に籍を置く士官が乗っていないから、あくまでも民間船トパーズだ。
「時間がない。後ろのリンカーンも経緯を見ていた」半ば自分に言い聞かせている。「三式魚雷、用意」
「ああ、もう! オレは知らねえぞ!」
投げやりに怒鳴ると、両舷のウェポンベイを開いた。
予圧貨物室を二重天井に改造して、防衛省が設置したものだ。
「ハッチ開放確認、両舷射出」
両舷から真横に1つずつ、三式魚雷が放り出された。
そのままトパーズと並走する。
同じ質量を左右に出すのは、軸を安定させるためだ。
「安全ロック解除、推進モーター、点火っ!」
魚雷の後部がパッと光ったかと思うと、次の瞬間にはディスプレイ前方に映る2つの光点となった。次第に雷速は上がるが、もどかしい待ちの時間だ。
レールガンを撃たれるか、魚雷が当たるか、どちらが先か──。
「この遅さは、やっぱり魚雷だなぁ」
カイナガが、あえて緊張感を消した気楽な口調でつぶやく。それを受けて、カガも表情を緩め、艦長席のシートにもたれた。
「ほらね。ミサイルという感じではなく、三式魚雷がふさわしいでしょう?」
なにやら話して平気な雰囲気になったと察し、モモカが素朴な疑問をぶつける。
「ねえ、ぎょらいに、一と二はないの?」
「ありません。こういうのは三式と決まってます」
「なんで?」
モモカが知るはずもない。魚雷の行方をモニターしながら、カガが説明した。
かつての海上艦艇が、三式弾という砲弾を積んでいた。対空用の榴弾だ。的が大きい艦船には徹甲弾を撃ち込めばいいが、空をヒラヒラ動く航空機に当てるのは難しい。だから、パンと花火のように広がって、広範囲を面で叩く弾を開発した。
その名を継ぐのが三式魚雷だと。
「三式魚雷、クラスター分離を確認しまシタ」
はるか、90万メートル先で起こったことを、トパーズのコクピットから知るのは難しい。しかし、おそらく──魚雷本体を避け切ったつもりのパイフーにとっては、目の前に投網を広げられた気分だったろう。もしくは、虎もハエもイナゴも叩く、巨大なハエ叩きの出現。
自分の正面に広がった子弾が、パイフーを、そしてドローンを、毎秒18kmで叩きつける様を、どう見ただろうか。
想像したモモカは、ついつい「痛いっ」と言って目を覆った。
次に手を離したとき、四散したドローンは主モニターの拡大映像から消え、軌道速度を相殺されて下降するパイフーだけが映っていた。
それでも高速だ。
クルーが無言で見守るなか、トパーズの下、地球との間を、瞬時に通り抜けた。
後方へ切り替わった望遠カメラには、2つ3つと打ち出される脱出艇。
三十六計逃げるに如かずの国柄とはいえ、まだパイフーは戦えるはずだった。
「なあ、これ撃沈したことになっちまわねぇか?」
カイナガの言葉に、カガは苦渋の無言で応えた。




