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月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
10話.JSD運行管理部長、悠木優
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追跡者

「BG、音声通信途絶!」

「く……っ! 確認できる最終状況は?」

「直前に銃声! 通信ユニット直撃の可能性あり! 生死不明!」

「せんぱ……ラビットは?」

「所在は、確認不能!」

「ビーコンの発信源はBGと同位置です。ですが──銃撃音の前に、二人が離れたことを確認しています。おそらく、ラビットのヘッドライトをBGが所持しているのではないかと」


 通信士官として参加していたアイは、ヘッドセットを床に叩きつけた。


「何やってんのよ、あのバカ(B)ジョージ(G)は!」


 防衛省コード「こんごう」、すなわちトパーズに同乗していたアイの報告を聞いて、防衛省上層部は驚愕した。文科省たくみシステムのことは水鉄砲と侮っていたが、内閣府が勝手に搭載したという「主砲」は、防衛省の正規装備品を超越しかねない。


 内々に研究を進めていた、和光桃香“保護”作戦「ジャックラビット」を、前倒しで実行したのは、そんな内閣府の専行に業を煮やしたからだ。

 クーデターというほどではない。民生用も含め、武器転用が可能な設備・装備を一括管理する「プロジェクト」の主導権を、内閣府から奪いたいだけだ。

 そのための嚆矢として、まずは内閣府が押さえているモモカの身柄を確保したかった。都合の良いことに、マリウスの病院を出て自由になりたいと、モモカ本人が希望している。継続してコンタクトできるアイを使えば、脱出援助の申し出も簡単だった。

 そう、上層部は簡単に考えていたのだ。ただ病院から逃がすだけ。もし気付かれても、追手が医師や民間人なら、生命の危険はない、と。

 しかし、現実にはBGを沈黙させるほどの実力組織が動いている。明らかに病院スタッフや内閣府ではない、第三の勢力。モモカが「鍵」だと気付いた連中が、他にもいる。


「救援に向かえる部隊は?」

「マリウスに潜入したのは“休暇”扱いのBGだけです」

「空間宇宙軍のTS-1は?」

「いま月の裏ですよ? 遠すぎて間に合いません」

「一番近い工廠に迎えを……」

「それは、具体的に誰を、どうやってですか?」

「いっそ、市民病院に報せて……」

「本気ですか? ここで内閣府にバラすなんて」


 アイは作戦計画の甘さに歯噛みした。


 従うべき指揮系統は、自らが所属する防衛省。

 救うべきモモカの保護者は、反目している内閣府。

 頼るべきトパーズは──


「どうしよう、ツヨシくん……」


 カイナガがいるのはISS-6だ。現場がマリウスでは、どうしようもない。


 *


 何も音は聞こえないのに、ざわめきが病院を包んでいるような気がした。

 呼び出しを受けたユキは、看護師寮から駆けつけたばかりだ。あわてていたから寝間着のままで、手にはクマのベアトリクスを持っている。付け根が切れた丸耳を修復するため、自室に持ち帰っていたのだ。

 エントランスを通り、地下4階に向かう。

 エレベーターのドアが開くと、そこは大騒ぎになっていた。


「え、なにこれ……」


 41号室のウォークインクローゼットに穴が開いていることは、夜勤明けで更衣室に戻った医師が通報した。

 すぐに警備スタッフがやって来たが、病室内に踏み込んで良いか判断がつかず、右往左往するばかり。外から声を掛けるくらいしかできていない。

 エレベーターホールで立ちつくすユキに気付いて、一人が駆け寄った。


「ワ号が返事をしない! どうなってる!」


 ユキは心臓をつかまれた気がした。

 イ号から始まり、やっと成功した13番目の試験体ワ号──。心ない人は、今でもそれが正式コードだとうそぶき、わざとそう呼ぶことがある。ユキにとっては、我が事のように口惜しい蔑称だった。


「モモカ……です!」


 抗議の声を絞り出すと、ホールを駆け出した。転びそうになりながら院長室を抜ける。モモカ部屋の前には警戒線が張られていたが、警備する人間はいない。そもそも隠し部屋だ。おいそれと入ってこられる場所ではない。ユキは警戒線をくぐり、専属看護師の認証を使って中に入った。

 空色のベッドルーム──。パウダールーム、風呂、トイレ──。かわいい衣装が並ぶウォークインクローゼット──。


 誰も、いない。


 壁に開いた穴の前で、ヘナヘナと座り込んだ。

 信じられなかった。あと数時間経ったら、いつも通り「おっは、よー!」と飛びつき、まだムニャムニャ言っているモモカにベアトリクス・パンチ。そういう朝を迎えるはずだった。


「あ、そうだ。れんらくばこ……」


 それは、モモカと決めた、二人だけの内緒を隠しておくところ。

 フラフラと立ち上がり、本棚の2列目『はじめての恋愛マニュアル』を引き出した。表紙はダミーで、中身は「れんらくばこ」だ。

 息を潜めて、開けてみる。

 そこには、期待した置き手紙などはなく、ただ内閣府のIDカードだけが残されていた。


 生気のないボーッとした目で、IDに書かれた「和光桃香」の文字を見た。それは、十八才の成人を記念して、二人で考えた「新しい名前」だ。

 ワ号から濁りを取ったワコウが名字。漢字は和光をあてた。和光は、隠しきれない光を和らげる。つまり、見つからないように隠しちゃうって意味なんだと、あのとき彼女は言った──。


「かんたんに言えば『秘密の』だよ」

「なにそれ、かっこいい! ねぇねぇ、下の名前は考えてないの?」

「んー、下はねぇ……。じゃあ3月に生産されたから弥生」

「自分で生産って言わないで! ピンク……んー桃色が好きだったよね? ちょうど3月は桃の節句だしモモ、いや桃香とか?」

「桃の香りでモモカかぁ。いいかも!」


 小さくて良い匂いがする彼女にピッタリだと思ったのに──。

 あえて、その名前が入ったIDを置いていったのは、内閣府との、そして病院との決別宣言かもしれない。


「なんでよ、モモカのバカぁ……!」


 ユキは、まだ持っていたベアトリクスを、壁に投げつけた。


 *


 在マリウス駐在の連邦大使は焦っていた。


「宙域の主導権を、合衆国の手から奪う」


 それが祖国から与えられた使命だ。

 しかし、連邦が現実に動かせるのはパイレーツ船のみで、正規の宇宙軍は存在しないから、どうしてもマッチョな合衆国に軍事力で劣る。

 いや、もはや合衆国どころではない。頼みのパイレーツ船が、たかが日本国籍の民間船に翻弄されるという事態が発生した。エース格のミラージュは、L2でロストしたままだ。

 大きな失点。祖国からの叱責は免れない。


 一方で、社会主義国家以来の諜報部門は健在のはずだった。

 日本政府の大事な姫君モモーシュカが、月から動かされるという情報が入ったのは2日前。政権内部の主導権争いが表面化したという。

 横合いから美味しいところを持っていくのはお家芸だ。奪い取れるなら確保する。きっと役立つに違いない。汚名返上のチャンスが来たと色めき立った。

 しかし再び、である。

 事もあろうに、たった一人の日本軍人に阻まれたという。現在、モモーシュカは行方不明で、必死の捜索が続いていた。


 大使は苛立ちを隠さず、通信機に怒鳴りつける。


「発見できなかったら全員永久凍土(シベリア)送りだ!」


 シベリアといっても、祖国へ戻れるわけではない。月の極地にある永久影へ行って、永久凍土から水資源を採掘する仕事の隠語だ。


「カラマツを分けても探し出せ!」


 在マリウス駐在の連邦大使は、本気で焦っている。

 なぜなら、部下が失敗すれば、自分もシベリアに送られてしまうのだ。

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