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月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
10話.JSD運行管理部長、悠木優
45/59

(始めは処女の如く)後は脱兎の如し

 糸を引き上げて回収し、元通りに格子をはめた。


 マリウス市に空気を供給するメインダクトを理解するには、樹木の幹と枝を思い浮かべればいい。形や太さが、ちょうど同じ関係になっている。

 枝葉の部分、つまり新しく拡張した郊外エリアは、風速を稼ぐためダクトの口径を絞ってあり、先にいくほど細い。逆に、旧市街に近い幹の部分は、風量が多いから構造的に広くないと成り立たない。

 1日に千数百人もの人が使うマリウス市民病院は、計画風量を賄うため広い幹の部分と直接つながっていた。また、こんなところへ元気に飛び込む病人など、まったく想定していないからセキュリティが甘い。

 脱出ルートとしては、おあつらえ向きだ。

 二人はそういった幹線ダクトの一つに入り込んだ。


 少し疲れて座り込んだモモカの頭に、BGがヘッドライトを装着した。手元がぼんやり見える程度の弱い光だ。

 ごく小さな声でささやく。


「ゆっくりでいい。音を立てずに進め」


 モモカは無言でうなずいた。

 ふくらんだ場所だから、空気の流れが緩やかになっている。とはいえ、それでも強い向かい風が吹いてくる。

 BGが先になって、匍匐前進を開始した。モモカは見よう見まねで身体を伏せ、這いつくばって追いかける。時おり振り返って待つBGに遅れないよう、頑張って手足を動かした。


(ちょっと、これ大変かも)


 映画で見た時は簡単そうだったのに、わずか数分で息が切れる。様子に気付いたBGが前進を止めて声をかけた。


「大丈夫か?」

「うん。ごめんね、遅くて」

「いいさ。それより怖くないか?」


 モモカはブンブンと大きく首を振った。


「もっと危ないこともしたよ。ぜんぜん平気」


 BGは目を細めて、頭をなでる。手のひらにモモカの汗を感じて、強がり半分だと気付いた。


「何をしたかは後で詳しく聞かせてくれ。Aポイントまでもうすぐだ」


 髪をクシャクシャとして、空気を入れてやった。

 再び前を向き──BGにとってはかえって疲れるが、ゆっくりゆっくり進む。

 その気遣いを感じて、モモカは信頼を抱き始めていた。人となりを想像する余裕も生まれる。


 知らない人だけど、優しいし頼もしい。

 アイの関係だから、たぶん軍の人よね。

 お仕事じゃないのに、わざわざ来てくれた。

 これはね、きっとアイのことが好きだから。

 そういうことに違いないよ。


 恋愛の知識は少女コミックや小説から仕入れたもので、実戦経験はからっきしだから、発想が実に短絡的だ。

 だが、結果的には当たらずとも遠からずかもしれない。

 あれこれ考えていると気が紛れて時間が経つのも早い。

 ダクトは次第に勾配が付き、斜め上に向かって登り始めた。上へ行くほど旧市街だ。

 BGが手のひらを見せて停止の合図を送る。ダクトの天井側に耳をつけて様子を探った。

 一つうなずくと天板を外す。カタンと動かすまでは、単なるつなぎ目にしか見えなかった。


 ヒュオォォ


 気圧差で空気が流出していく。

 拳銃を抜いて素早く飛び込み安全を確認すると、次いでモモカを引き上げた。

 板を戻すと風音が止む。片膝立ちで耳をそばだて、内部が無人であることを検めた。


「ひとまず大丈夫だ。ここで準備をする」


 モモカは周囲を見回した。

 生活感はないが、本来は居住空間と思われた。スペースはごく小さく、モモカ部屋の前室くらいしかない。壁際には梱包されたままの荷物が積まれ、引っ越し直後のアパートに似ていた。


「ここは?」

「今回のために用意したAポイント、安全地帯だ。街へ出る前に、着替えと食事、装備の交換を行う。まずは、汗を拭いて」梱包の一つを解いて、モモカにタオルと地味な作業服を渡す。「これに着替えろ。あっちの端に洗面所がある」


 モモカは作業服を広げてみて、率直な感想を述べた。


「これ、かわいくないんだけど」

「かわいくない、から良いんだ。それなら、街を歩いていても違和感がない。まさか、その格好で出るわけにもいかんだろ」


 そう言われて、改めて見ればピンクのパジャマ。41号室から出てきたままだ。


「むぅ……」


 仕方なく、ヘッドライトを外してリュックを置き、着替え一式を抱えて洗面スペースに入った。


 BGの方は、手早く黒ずくめの服を脱いだ。ピンクのパジャマほどではないが、街中で黒ずくめは悪目立ちするからだ。

 鍛え上げた胸板がたくましい。

 作業服はモモカのものと同じデザインで、よくある工事会社のユニフォーム。着ながら梱包を次々に開ける。軍用レーションとソリブルコーヒーを取り出した。さっそくレーションをかじりながら、空いた手でカップを2つ用意する。給湯栓をひねりコーヒーを溶かす。残ったレーションを口に放り込み、コーヒーで流し込んだ。流れるような早食い。

 ここまで1分もかかっていない。

 モモカに声を掛ける。


「用意できたか?」

「ええー、まだ無理だよ!」

「まったく、女は準備に時間がかかるな」


 全女性に対する一種のヘイトスピーチだ。モモカが遅いのではない。BGが早すぎるのだ。

 手持ち無沙汰になって梱包材を丁寧にたたみ、食後のコーヒーとして、もう一杯作り直した。それでも暇なので装備を一つ一つ指呼確認していると、やっとモモカが戻った。


「用意できた」


 作業服は上までボタンを留めているが、帽子は後頭部にちょこんと乗せているだけだ。BGがヅカヅカと寄っていき、ギュッと眉まで押し下げた。


「ぎゃー! 前髪が!」

「帽子はきちんとかぶれ。それと、目覚ましに飲んでおけ」


 不服そうなモモカにコーヒーカップを渡す。


「もう……って、ニガっ!」


 あわてて洗面スペースに駆け戻り、ボウルにぺっとした。

 食に無頓着なモモカでさえ飲めない代物。通常は廃棄されてもおかしくない植物の根を焙煎して、無理やり作った代用コーヒーだ。


「子どもだな」


 子どもだからではない。マズいだけだ。


「うへぇ……」

「じゃあ、飲まんでいい。レーションを食べておけ」

「ダメだよ、夜中に食べると太るもん」

「──欲しくなったら言えよ」


 この非常時にふざけてんのかという言葉は、かろうじて飲み込んだ。改めて女性に対する罵詈雑言を心の中で喚きながら、口元をひくつかせてコーヒーを口に運ぶ。

 モモカは悪びれもせず、「それより気になってしょうがないんだけど」と、ワクワクしながら聞いた。


「アイのこと好きなの?」


 ブハッ! コーヒー吹いた。


「バカを言うな! オレには妻子があるわ!」

「なんだぁ、そうなの?」

「見ろ、かわいいだろう!」


 いつでも見せられるよう、肌身離さず持ち歩いている写真を取り出した。籍を入れて2年経った自慢の妻と、生まれて間もない自慢の娘だ。


「いやーん! かわいい!」

「まったくその通りだ! まあ、それはともかくだな、そもそもアイさん、いや森大尉の相手は、海永の野郎だろ」

「やっぱりぃ? カイナガと怪しいよね」


 ニヤニヤしながらモモカがにじり寄る。

 BGは根っからの堅物というわけではない。娯楽の少ない軍だからこそ、むしろ恋愛の噂話は大好物という性質だ。誰もいないのに左右を見渡してささやいた。


「怪しいどころか、とっくにくっついてておかしくない。それについては面白い話があるんだが、これを話しだすと長いんでな。向こうに着いて時間ができたら、ゆっくり聞かせてやろう」

「へへっ、楽しみ!」

「よし、出発だ」


 BGは自分の背丈より大きなバックパックを用意していた。低重力に任せて、このくらいの大荷物を持ち運ぶのは珍しくない。モモカのリュックも丸めて詰め込んだ。


「あたしは?」

「大丈夫、オレが持っていく。いや、船外作業服だけは自分で運べ。使い方は知ってるな?」


 トパーズに密航したとき持っていたのと同じ、ランドセル型の簡易宇宙服だ。もちろん知ってるとモモカは答え、ISS-8に乗り込んだことを話して聞かせた。


「おいおい、そんなことまでしたのか……」

「えへへ」


 モモカの無謀に呆れつつ、身につけた装備をチェックしていく。


「おい、ヘッドライトはどうした?」

「ん? えーと、着替えるときに外したから……」


 洗面スペースの前に転がっている。トトトと走って拾ってきた。


「ちゃんと付けておけ」

「前髪がペッチャンコになっちゃうもん」


 そう言って嫌がると、許可も待たずにBGのバックパックへくくりつけた。


「おい!」

「また必要になったら、ちゃんと付けるから」

「まったく……」


 もうヘイトも出ない。ここまで来ていれば、まあいいだろうと諦めて、ドアから通りに出た。

 旧市街のなかでスラムと呼ばれる一帯だ。

 地球のそれと違い、ストリートチルドレンが溢れているとか、極端に治安が悪いということはないが、貧富の差を感じさせる底辺エリアだ。勝手な増築も横行しているため、通路は狭く見通しが悪い。

 モモカは、病院の外に出たとしても、各国大使館をはじめとするマリウスの綺麗な部分や、送迎車が通れる大通りしか目にしない。こういった場所は初めてだから、物珍しそうにキョロキョロしながら歩く。

 小さな交差点に差しかかったところで、BGが急に止まった。よそ見をしていたモモカが後ろから追突する。


「きゃっ、なに?」

「しっ……」


 モモカを物陰に伏せさせると、後方に単眼鏡を向けた。


「まだ遠いが、追手がいる」

「追手……病院の人?」

「おそらく違うな。銃器を持ってそうだ」

「じゅ……!」


 BGは現状を整理した。

 目的地まで、まだ距離がある。二人で進めば、いずれ追い付かれるだろう。

 Aポイントに戻るか。いや、袋のネズミだ。病院には戻れるかもしれないが、前には進めない。

 残るは、二手に分かれて、モモカを先に逃し、オレが足止め──か。


「いいか、よく聞け。オレが囮になる」

「え……」

「このまま北へ市街を抜けて、月面建機を目指せ、行けるな?」

「ダメだよ。一緒に行こうよ」

「しっかりしろ、モモカ。テザー1本で宇宙を飛んだんだろ。その時のクソ度胸を思い出せ」


 正面からモモカを見つめ、白い歯を見せて笑う。なぜか力が湧いてくる、不思議な笑顔だった。


「そうね、あたしなら大丈夫よ……ね」

「たかが10キロだ。イケるいける。ほら、走れはしれ!」


 モモカを立たせ、パンと尻を叩く。


「ひゃっ!」

「また後でな」


 すぐに南へ駆け出していった。少しでもモモカと距離を取って、それから迎撃するつもりだ。

 遠ざかるBGをチラチラと気にしながら、ようやくモモカも北を目指して走り出した。脱走を図っているのはBGではなくモモカ自身だ。駄々をこねて困らせたくない。そのくらいの自覚はある。

 後方はるか遠くから(さあ、こっちだ)というBGの声が聞こえた。わざと音を立て、囮になっているのだ。

 絶対に逃げ切らなきゃ。

 モモカが走りに走ってスラムの端に着くと


 タン(タン、タン……


 一発の銃声が、こだまを伴って響いた。

 振り返って荒い息を抑え、じっと耳を澄ます。

 追加の銃声も、そしてBGの声も聞こえない──それが意味するところを想像してしまい、足がすくんだ。

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