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月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
10話.JSD運行管理部長、悠木優
44/59

始めは処女の如く(後は脱兎の如し)

 ここから脱走すると決めたのはずっと前。

 けれど、おとなしくしてタイミングを待っていた。がしんしょーたんの日々だ。

 でも、やっと条件がそろった。

 みんな手伝ってくれてる。下見も済ませた。

 ちょっと怖いけど行くしかない。


 もし、途中で見つかったら「夢遊病なの、エヘヘ」と笑ってごまかせるよう、いつも通りピンクのパジャマを着て、ウォークインクローゼットの前に立った。


 モモカにとって、マリウス市民病院は自分の家だ。

 今では誰よりも構造に詳しい。

 ただし、いつもは41号室に入れられているため、ここに至るには努力と工夫の積み重ねが必要だった。検査や訓練の行き帰りは、それとなく周囲に目を凝らし、部屋に帰って地図を描く。可能ならば理由をつけて遠回りしてもらい、上下左右の位置関係を確かめる。任期が終わったスタッフと別れるとき、エントランス前まで見送りに出る。

 ちゃんと「よいこ」にしていれば、そのくらいのことは許された。


 人が見ていないところでは、悪いこともした。

 ある深夜、エアダクトへ潜り込んでみた。どこかへつながっていると思ったのだ。ところが、ダクト内にも鉄格子がはまっていた。41号室からは出られないようになっているのだ。

 それから、毎夜毎晩通っては、水をかけて錆びさせようとした。しかし、月で採れるのは純鉄だから、そのくらいでは錆びない。それを知ったのは、ずっと後のことだ。ベッドを叩いて悔しがったが、決して諦めることはなかった。


 かわりに遠大な計画を立てた。


 まず、かわいい服装をしたいとねだる。

 まともな繊維製品は全て地球産で高級品だ。特別な子とはいえ、ポンポン買ってもらうことはできない。けれども「女の子なのにパジャマと検査着だけではかわいそう」と同情していたスタッフが、資金を出し合って服を買ってくれた。

 こればかりは、本当に心から喜んで、さっそく訪問客に見せびらかす。そして「おしゃれって楽しいね!」と、精一杯の笑顔を見せた。

 すると、健気な乙女心に釣られた何人かの高官が「これを着てみなさい」と、流行のファッションやら、民族衣装やらを持ってくる。

 着る、見せる、喜んで持ってくる。

 次々に衣装が集まり、日替わりコスプレ状態。モモカファンのおじいちゃんたちは拍手喝采した。

 ウィン・ウィンだ。


 さて、第二段階。


 ウォークインクローゼットが必要だと訴えた。

 確かに衣装があふれているのに、部屋には収納スペースがない。隣室との境界壁を抜いて増築するしかなかった。拡張候補はモモカ部屋の東隣、全く活用されていない女性医師用の更衣室だ。

 そう──そこしかないのだ。

 モモカの思惑通りに工事が行われ、ウォークインクローゼットができた。上から見れば凹の字で、窓もドアもないから外には出られない。しかし、硬い壁で囲まれたモモカ部屋と違い、間仕切り壁には強度がない。


 壁にもダクトにも鉄格子が隠れている「鳥かご」の一角に穴が開いた。


 後は手を出す必要さえなかった。

 クローゼットの向こうは、旧・女性更衣室と並んだ男性用の更衣室で、ロッカーが並んでいる面のはず。案の定ショウハラが勝手に穴を開けてくれた。


「やると思ってた!」


 ふさぐ。ショウハラがまた開ける。ふさぐ。その繰り返し。


 決行当日の今日、満を持して、ふさいでいたシートを剥がす。

 間仕切り壁は穴だらけになっていた。


(うんうん、よしよし)


 よいこの「おべんきょう」に必要な道具も、小さい頃に使ったものを大事に取ってある。たとえば、図工で使ったナイフや彫刻刀。理科で使った実験材料。必要な薬も少しずつ貯めた。


(準備オッケー)


 心残りはある。最後までユキにお別れを言えない。けれど「じゃあ今から脱走するね!」と教えるわけにはいかなかった。


 リュックの紐をギュッと確かめた。よし。

 クローゼットの棚に両手をかけ、前後に揺らして勢いをつける。

 いち、にの、さん


(モモカ・キーック!)


 「ひとに向けて使ってはいけません」と禁じられた、渾身の前蹴り。

 もろくなった間仕切り壁は、あっさり崩れた。

 背板を取られて枠と扉しかない、ロッカーの内側が現れる。ショウハラは、ここからウォークインクローゼットの中を見ようとしていたのだろう。


(まったくマメなことだね)


 ロッカーの鍵をこじ開け、男性更衣室に出た。天井と壁を見回す。


(やっぱりダクトはないかぁ)


 女性更衣室をウォークインクローゼットに改造する際、工事現場を見て予想はしていた。プランA「ダクトを通ってエレベーターシャフトに入る」は潰えた。

 しかし、この姿のままでは廊下に出られない。あまねく防犯カメラの目が光っている。顔が映ればモモカが外に出たと認証され、顔を隠せば正体不明の不審者だ。いずれにしても即時に警報が鳴り、あえなく捕まってしまう。


(プランBか……うぅ、イヤだなぁ)


 更衣室の端にある、ランドリーの回収ボックスを開けた。白衣だけではなく、下着のシャツやパンツまで入っている。

 顔をしかめて、すぐにフタを閉じた。

 両手でフタを押さえたまま、迷う。惑う。悩む。

 諦めた。

 再びフタを開ける。鼻をつまみ、思い切って飛び込む。洗濯物をかき分けて居場所を確保すると、右手だけ出して「回収」ボタンを押し、内側からフタを閉めた。


 ポンポロンロ、ポンポロンロ、ポンポロンロロン……


 モモカを乗せたまま、回収ボックスが自走を始めた。無人走行だから安全確保のため移動速度は遅い。洗濯物は自ら急ぐ用事もないが、モモカはたまったものではない。


(早くしてっ! 窒息する!)


 願ったところで速くなるわけでもない。のんびり走っていく。外が見えないので、いつまで我慢すればいいのか目安がつかめない。限界が近づく──。


 ポンポロロ、ポポロン、ポポロロロン。


(終わった……?)


 ──ポンポロンロ、ポンポロンロ、ポンポロンロロン……


(ぎゃー! また初めに戻った!)


 ガタン……と揺れた。タン、タン……。タン、タン……。


 横移動から縦移動に変わったのが、感覚でわかる。

 恐るおそるフタを少し開けてみた。暗い穴のなか、小さな照明が流れていく。ダムウェーターシャフトを上昇しているのだ。

 フタを内側から開けて、ひと息ついた。


「ふぅ……ここまではオッケー」


 このまま行けばサービスヤード側に出る。入院病棟の外に出るところまでは先が見えた。


 タン、タン……。タン、タン……。


 基層階が近付いてきた。いったんフタを閉じる。


 ガタン……。ポンポロンロ、ポンポロンロ、ポンポロンロロン


 再び走り始めた回収ボックスから周囲の様子を探る。暗いからよく見えないが、とりあえず人はいない。


(とぅ!)


 ボックスを飛び出し、ゴロゴロ転がって壁を背にした。例によってスパイ映画で覚えた知識だ。こうするものだと思っている。


(ガーデンまであと少し)


 しかし、灯りのない見知らぬ場所だ。

 急に不安感が押し寄せた。足が震えてしまい、立てない。じっとしていると、自分の心音が耳の奥から聞こえてきた。


 ヒュッ


 その時、突風を感じた。

 反射的に目を閉じ、顔を背ける。

 次の瞬間、黒ずくめの男が片膝立ちで寄り添っていた。いきなり現れた男にギョッとして身構える。


「安心しろ。迎えに派遣された者だ」


 モモカのことをじっと見てくるので、正面から見つめ返した。受ける印象から、気は優しくて力持ちタイプ、敵じゃないと判断する。


「待ち合わせはガーデンじゃないの?」

「もう来ていたが、出てくるのが見えたのでな。ここは監視されているエリアだ。長く留まるな」

「わかった」

「行くぞ『ワ号』ついてこい」

「そう呼ばないで!」


 思わず出た大声に、口をふさがれる。シッというジェスチャーに、ウンウンとうなずいた。手を離してもらうと、小声で続ける。


「モモカって呼んで。できれば、さん付けで」

「こだわり、か」

「っていうか禁句。あなたのことは?」

「仲間はBGと呼ぶ」


 ぶっきらぼうな口調だが、人懐っこい笑顔を見せた。


「よろしくBG」

「よろしくモモカ。行くぞ」


 二本指で進行方向を指し示し、前進を始める。

 低い姿勢で壁沿いをつたい、ガーデンの端に着くと、小道を横切って茂みに飛び込んだ。モモカも真似して飛び込む。


「どこへ行くの?」

「正面も裏口も使わん。大丈夫だ」


 小走りになってガーデンを突き抜けていく。

 ここは、普段リハビリに使われる場所だ。味気ない室内施設で訓練するより、少しは心が紛れるだろうと、回遊式庭園の体裁になっている。花も木も造りもの。それでも、社会復帰を目指す人を精神面から支えていた。

 ただ、病院の空間内では基層階の奥地にあたり、外に出る道はないはずだった。


「行き止まりだよ」

「あそこから出る」


 BGが上を指差した。

 モモカが口を開けて仰ぐと、はるか上の方に横穴があった。よく見れば、穴から釣り糸が下がっている。細く半透明だから遠目には見えなかった。

 BGが糸の下端をつかんでモモカに渡す。


「登れるな?」

「たぶん」

「下で備える。先に行け」

「わかった」


 糸をキュッキュと引っ張って確認すると、ゆっくり体重をかけた。少し食い込むが我慢できる範囲だ。

 初めにジャンプして高さを稼ぐと、低重力を活かしてスイスイ登っていく。半分くらいで、ふと後ろを振り返った。ガーデン越しに病院が見える。

 決して好きではなかったが、やはりモモカにとっては自分の家だ。


(バイバイ……)


 心の中で別れを告げた。

 再び前を見て、無心で登っていく。

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