たくみシステム
ラグランジュポイント2(L2)は、一般的に地味な場所だと思われている。
ただでさえ、月の裏側というのは、そこはかとなくイメージが暗い。
それに加えて、L2は嫌がらせのような不安定軌道。月宙域から外に出ようとする物体を、地球と月が二人掛かりで引っ張って繋ぎ止める。有用性に至っては、地球と月どちらへ行くにも便利な、L1に比べるまでもない。
だから、せいぜい月の裏への中継衛星が設置される程度だし、定住人口は今でも数えるほどだ。少なくとも公式には。
逆に言えば──だからこそ、L2には怪しく非公式な物体が集まる。
一つは、闇の中で光を見るタイプ。
例を挙げるなら、合衆国籍の「ガリレオ・ガリレイII」だろう。より遠くにある太陽-地球系L2から移動してきた電波望遠鏡だ。後継にあたる合成開口レーダー衛星「シュミット」シリーズが就役したから、お役御免で月宙域に降りてきた──ということになっているが、うそも方便である。
その証拠に、望遠鏡の先は深宇宙ではなく、月面を向いている。百八十度ひっくり返っているわけだ。
目的は、共和国が月の裏に乱立した諸基地の監視。その点でL2は、地球が出す環境電波から隠れているため都合が良い。闇の中から光を見れば、微弱な変化でも捉えやすいからだ。
もちろん「監視しております」なんてことを、合衆国はおくびにも出さない。それどころか、建前が立つように「教育用の博物館だ」と小賢しく主張し、わざわざ修学旅行生を受け入れてみせる。
そこに宇宙のロマンなんてものはない。
もう一つは、光に隠れて闇を行うタイプだ。
地球で新月が見える期間、月面からL2を見上げれば、太陽の光が背景になる。つまり、時期を選べば秘密の実験を光のベールが隠してくれる。
可能なら、常に日光を背にする太陽-地球系のL1や、太陽を挟んで地球軌道の真裏にあるL3の方が良いに決っているが、いかんせん遠すぎる。だから、潤沢な予算がない国は、手近で済ませるために、この場所を選ぶのが定石だった。
いま正に、そういう予算がない国の船が、逆進を終えて浮遊停止した。
文部科学省所管の「たくみ」をコードネームとして、改装後の初ミッションを与えられたトパーズである。
そして、2千メートルほど離れた位置には、オブザーバーという名目で派遣された合衆国SUV「ジョージ・H・W・ブッシュ」がいる。A・リンカーンの同型艦だが、今回は武装していない。そのかわり、付け替え可能なハードポイントに、観測用機材を目一杯積んできた。たくみの実験をじっくり見てやろうという意欲が溢れている。その半面、何十本ものセンサーを突き出し、方向転換さえ重そうな姿は滑稽でもあった。
オブザーバー艦の派遣は昨晩通告された。それは突然かつ強権的だった。
空間宇宙軍の創設を念頭に、日本政府が何やら準備をしていることは、前々から合衆国も察している。しかも、毎度おなじみの見え透いた言い訳をしながらだ。その態度は、いくら同盟国とはいえ決して看過できない。
だから、レッツG計画(現・たくみシステム)には共同開発を持ちかけたし、先日はカイナガやアイを拘束して内情を聞き出そうとした。
あいにく、いずれも成功していないが、それで諦める連中ではない。
徹底してトパースの月面落下を解析した結果、3S軌道レーザーを武器使用した可能性に気付いたのだ。そして、この件を不問にする代わり、たくみの実験を見せろという要求を突きつけた。合衆国の根本を支えてきたのは、技術優位を保とうとする執念深い姿勢だ。この機会を逃すはずがない。
「──どうにも、やりにくいですね」
「ったくだな」
「……」
どこまで本気で嫌がっているのか、気軽な口調なのはカガとカイナガ。
一方で、無言なのはアイだ。
防衛省は、今回の航行を他省の実験とみなして、全く重視していない。しかし、今のトパーズは寄り合い所帯だから、各省とも最低1人は出さざるを得ないのだ。そのため、防衛省コード「こんごう」要員として、たまたま近くにいたアイを乗り込ませた。単なるお飾りだから、所属も空軍のままだ。
当然のことながら、アイは乗船当初からふくれっ面で、オブザーバー艦の件と関係なく憮然としている。
「いいじゃないですか、見せつけてやりましょうよ!」
一人だけウキウキと張り切っているのは、文部科学省の諫早参事官だ。
トパーズの初任務が、文科省コード「たくみ」で行われることを、単純なまでに喜んでいる。本省からも発破をかけられ気合十分だ。
なお、内閣府コード「フォックス」要員として、こちらも気合十分で乗り込んだ早乙女参事官は──三日前から客席で寝込んでいる。出発早々宇宙酔いになり、ろくに食事も取れない状態だ。立派な体格なのに残念だが、こればかりは図体のデカさとは関係ない。
そして、デカいといえば、改装なったトパーズも相変わらず操縦室がデカい。いわゆるコクピットと呼ぶサイズではなく、艦橋もしくはブリッジと呼ぶべき広さを保っている。貨客船時代は、何を思って設計したか聞きたい、分不相応だと陰口を叩かれたが、今となっては好都合だった。初めから改装を予定していたのかと勘ぐるほどだ。
《たくみブリッジ、実験準備はどうか?》
さっそく、ジョージ・H・W・ブッシュから通信が入った。
たくみシステムの運用を担当する諫早参事官は、大きなジェスチャーでオーケーと応えるが、カガはカイナガと顔を見合わせた。自信ありげな文科省と彼を信じていいか、まだ迷っている。
そもそも、公開実験をするとは、昨日まで考えていなかったのだ。いろいろと問題がありすぎる。
まずは、何を修理してみせるか。
日本政府は「たくみシステムは民生用の修理技術だ」と言い張ってきた。公式サイトには「壊れた衛星の延命・リサイクルを図る」とまで明記している。
だから、ここで公開すべきは、修理の実証実験だ。
ところが、今回の実験台は、二十数年来の役割を全うして静止軌道から降りてきた「ひまわり18号」だ。予定外に何かが故障したわけではない。設計寿命通りに引退し、19号と交替しただけだ。つまり修理すべき箇所がない。
次に、どうやって修理してみせるか。
たくみシステムは戦闘用を意識して開発したから、主な構成要素はウォーターカッターと、ターゲットを保持するマニピュレーターだ。要するに「捕まえて切断する」ための装置であって、器用な修理とはほど遠い。本来の実験予定も、用済みのひまわりを切り刻んで終わりのはずだった。
もちろん合衆国は、たくみシステムの正体について、おおむね予想がついている。そのうえで試しているのだ。
思い起こされるのは、一休さんに「屏風から虎を追い出し、見事に退治してみせよ」と無理難題を吹っかけた童話。しかし、今回の相手は洒落のわかる将軍様ではなく、泣く子も黙る合衆国正規軍様だ。トンチを利かせても、たぶん笑って許すタイプではないだろう。
《たくみブリッジ、“修理”の準備はどうか?》
痺れを切らしたのか、再び催促された。あえて“修理”と強調したのは、やれるものならやってみろという含意がありそうだ。
「ふう……」
カガは一つため息をついた。
昨晩、オブザーバー派遣を通告されてから、文部科学省は開発機構も巻き込んで、徹夜で対策を練ったと聞いている。
もう、彼らに任せよう。何を「見せつける」つもりか知らないが、いきなり撃沈されることもあるまい。
「実験を開始してください」
諫早参事官は待ちわびた顔で、たくみシステムを起動した。
慣れない作業だろうに、手元では正確に操作を進めていく。このあたりは、さすがにエリート官僚だ。指示やマニュアルの通りに物事を進めていくのは、彼らの最も得意とするところだ。しかも、すべてに決裁印が押されているのだから、全くご苦労なことである。
プロンプターを立ち上げ、最終シークエンスの読み上げに入った。
「第壱回ぃ~ひまわり第18号ぉ、平癒祈願のぉ、修正手順よぅ~い~ぃ」
それは、お経もしくは祝詞奏上の抑揚だった。
トパーズクルーとアイが頭を寄せる。
(平癒祈願とか唱えてますが、彼らの作戦なんでしょうか……これは)
(アレだろ、ガイジンには理解しにくいとか、そういうのじゃね?)
(日本人の私にも理解できないわよ! 文科省は何を考えてるの!)
不評をよそに、たくみの起動自体は粛々と進んでいく。
「上がり賜う圧力の、いや増しましても範囲内ぃ。目視指差し、それ確認の~ぉ」
間の抜けた読み上げとは裏腹に、予圧部後方の注水配管から、キィンという高音が響きだす。ひまわり18号を捉えているマニピュレーターが繊細に動き、10マイクロ単位で目標位置を修正した。正面ディスプレイに拡大画像が映る。
「いざや~放てえ~ぇ──。ょぉぉぉおお……」
ドンっ!
唐突な振動が、大きく船体を揺らした。
最後に「発射」とか「ファイア」とか、もう一声あると思っていたアイは、タイミングを外されて小さく悲鳴を上げる。防御姿勢さえとっていなかったカイナガは、シートベルトに当たって跳ね返った。
鋼鉄さえ切り裂く高圧水流を、宇宙空間でぶっ放すのだ。たくみシステムのことを「どうせ水鉄砲だろ」と甘く考えていると痛い目にあう。
ヒュィィィイイ!
ウォーターカッター部分が作動している間は、加圧水が船内を通り抜けて、絶え間ない高音と微振動を発する。否応なく緊張感が高まり、拡大ディスプレイに注目が集った。
やがて、ひまわり18号の太陽電池パドルが、ゆっくりカタ……ンと動き、次第に速さを増して回転し始める。
「おぉっ!」
声が上がった──が、実はインチキである。
手品にはネタがある。ウォーターカッターを使って、太陽電池パドルの基部、マストにあるベアリングの軸受に小孔を開けた。そのまま加圧水を注入したのだ。
要するに、水力を使って物理的に回しただけで、何かが直ったわけではない。だから何だという話だが、遠目には再稼働したように見える──かもしれない。
諫早参事官は「見ましたか!」と言わんばかりの笑顔だが、ジョージ・H・W・ブッシュの観測員は、実験を見ていたのかさえ怪しい。いや、おそらくそれどころではなかっただろう。
返ってきたのは期待した反応ではなかった。
《全船、船籍不明船に警戒せよ》
通信士の声に緊張感がある。あわてて周辺を見回すが、トパーズのブリッジからは何も確認できない。あちらは全力をかけた観測モードだから、小さな反応も見逃さなかっただけだ。比べてはいけない。
《艦種を同定。パイレーツ船「ミラージュ」接近中》




