ミラージュ一家の恋心
「排除」
ビグドゥが淡々とした声で命令した。
聞くが早いか銃を奪おうとザムスが飛び出し、マッズは射線をふさいで委員長をかばおうとする。しかし、間に合わなかった。
ドンっ!
射撃音が客室に響く。
乗客は悲鳴さえ出せずに固まったが、荒事に慣れたミラージュのクルーは体勢を立て直す。とりわけ動体視力に優れるマッズは、身体を回転させながら瞬時に事態を把握した。
無重力下で対物ライフルの引き金を引いた正義バカは、発射した弾丸の反動で後ろに吹っ飛び、頭を打ちつけた。すでに無力。放置。
取り残されたライフルは、元の位置で回転している。次弾装填不能。放置。
狙いを外した弾丸は、観測用の天窓を撃ち抜いた。破孔10センチ以上。拡大の可能性あり。気密維持が破綻し、秒単位で致死的な危機。優先すべき緊急事態。
破孔から3メートルのところに委員長──って、え……えぇぇっ!
ゴオォォっ!
破孔に向かって全てのものが吸い寄せられていく。緊急装置が作動し予備のエアがフルフローで出ているから、まだ急減圧はしていない。
しかし、おそらく保って数分だ。
窓際にあったキャンディーの包み紙が、真空の宇宙空間に飛び出した。次に危ないのは、支えもなく無重力に浮く委員長だ。見えない力が背中から引っ張り、彼女には為す術がない。恐怖で瞳を見開いている。
ボクの最優先は決まったぁ!
マッズは普段の舐めきった態度からは信じられない動きを見せた。
勢いよく座席を蹴り、反動をつけて突っ込んでいく。宇宙に吸い出される寸前の委員長に手を伸ばし、その手をつかみ、自分の方に引き寄せると、正面から思い切り抱きしめた。
箱入りの彼女は、親以外の男に抱きしめられたことなどない。
(ヒャッ……)
声にならない声を上げ、思わず突き飛ばそうとする。しかしマッズは、その力を利用して、身体の上下を入れ替えた。自分の背中を下にして、天井に当たる。
ダンっ!
苦痛に顔を歪ませつつ跳ね返ると、委員長の身体をビグドゥに向かって思い切り投げつけた。
「生徒を!」
短く叫ぶと、ミラージュのスラスターを再点火して疑似重力を回復させる。
浮き上がっていた生徒たちが、再び天井に落ちた。
「心得た」
ビグドゥは受け取った委員長を小脇に抱え、烈風に逆らって走る。さらに乗客たちを次々と捕らえ、客席の後方へブルドーザーのように押し戻していく。
踏ん張りながら叫ぶ。
「目をつぶり耳をふさげ!」
地震が来たら机の下にと同じで、エア漏れなどの減圧事故が起こった際の定型句だ。月施設の避難訓練で慣れている生徒たちは素直に、かつ素早く従った。
さらにビグドゥは、男子の腰ベルトを引き抜いて、生徒たちの足首を数人ずつ縛っていく。悪意でやっているのではない。大きな塊にして船外流出を防ぐのだ。
「シール材探して!」
マッズがザムスに向かって怒鳴った。漏れ出す空気音に負けない大声だ。すぐに身体を回して、破孔の応急修理に取り掛かる。
剥がれて飛んできたパネルを、「ほいさっさぁ!」という謎の気合とともに受け止めると、まだ形を保っている窓枠に押し付けた。その四隅にハンドガンの銃口を合わせ、低速モードに切り替えてガンっガンっと鉛玉を撃ち込んでいく。パイレーツならではの乱暴な技術だが、無反動ハンドガンを釘打ち機、弾丸をリベット代わりにして繋ぎ止めているのだ。
これで、窓に空いた破孔そのものは見えなくなるが、まだ隙間はある。高音を発しながら激しく漏出するエアに乗って、真空パックのシール材を抱えたザムスが滑り込んできた。窓枠にぶつかるようにして止まる。
「これでいいか!」
マッズは説明書きに素早く目を通し、うなずきながらパッケージを破る。分厚いプラスチック下敷きのようなシール材が10枚ずつ入っていた。水硬化性樹脂。真空中では何も反応しないが、空気と十分な水があれば粘着性を伴って硬化する。シール材としては一般的な素材だ。「誰か水!」と、乗客たちへ向かって大声を出し、さらに「これ細切り!」と数枚をザムスに渡した。言葉を発する時間さえ惜しい。
「幅は?」片手を広げて5ミリかと聞く。
「1本試作!」3本指で3ミリと返した。
ザムスはベルトから柳刃を抜き、慎重に刃を当てた。スッと斬り出して、強風でたわむ断片をマッズに渡す。
「どうだ?」
受け取るや否や、窓枠の隙間にあてがって具合を確かめた。3ミリだと吸い出されてしまいそうだった。
「3.5で量産!」
「任せな!」
柳刃を出刃に持ち替え、クルっと回して握り直した。シール材を数枚重ねて端を合わせる。片目をつぶって集中するや、気合一閃。残像が見えないほどの速さで、ダダダダっと叩き斬っていく。
台風の中で野菜を切っているようなものだ。
精密に揃えられた断片が、斬られる端から宙を飛ぶ。漏出するエアに乗って隙間へと殺到するが、硬化していないため強度不足だ。いったんは引っかかるものの、気圧差に負けて次々と折れてしまう。
「くっそ!」
何とか抑えようと、マッズが身体の向きを変えた──その正面に、風に乗った委員長が“飛んで”きた。避ける間もなく衝突し、絡み合いながら転がる。加速がついているため、なかなか止まらない。それでも窓枠にマッズが踏ん張り、かろうじて船外への放出を防ぐと、髪をなびかせるままにした委員長が、チューブ付きのボトルを差し出した。
「お水です!」
委員長が戻ってくると思わなかったマッズは、目の前の彼女を認識するのに数秒かかった。
風音だけが鳴る、沈黙の時間──。
「助かるぜ……委員長」
唐突に、髪をかきあげ、斜め45度あたりを見ながら言った。
態度も口調も、露骨におかしい。
これは、以前のめり込んだ美少女ゲームの影響で「委員長ルート」を進むには、ちょい悪キャラの方が受けるという先入観があったからだ。斜め45度なのは、女性に視線を合わせられないから。
この男の限界だ。
次のアクションが思いつかず、そのまま固まる。しかし、いくら待ってもゲームと違って選択肢は出ないし、イベントも起こらない。
「マッズ! いい加減にしろ!」
イベントは起こらないが、ザムスに怒られた。
我にかえって、ボトルを受け取り、チューブに口をつける。つい先ほどまで使っていた私物だから、委員長がアッと息を呑んだ。
(か、間接キッ……!)
しかし、その表情にマッズは気付かない。
水を少し口に貯めると、風下に向かって霧を吹いた。
ザーっ!
霧というより横殴りの豪雨だ。
ほとんどの水は、そのまま外に出てしまうが、一部のシール材が水分を吸収し、硬化しながら隙間を埋めていく。真空掃除機と同じで、エアが抜けるところに吸い付くから細かく狙う必要はない。文字通りの風任せだ。
ババンッ……バッ……バッ
次第に隙間が埋まっていき、数十秒続けただけで、体感できるほど漏出量が減った。もっとも、緊急用のシール材なのだから、そうでなくては困る。
バ……パフ……
もはや客室を閉鎖してしまえば、十分に航行可能なレベル。
引き上げ時を探して、ザムスが小声でささやく。
「よう、マッズ? もういいんじゃねぇか?」
「ザムス、もっと小さめに斬って!」
しかし、スイッチが入ってしまったマッズは本気で直そうとしている。
初めは風に持っていかれないよう必死に耐えていた委員長も、すでに安堵したようだ。作業を見守ろうとマッズの隣へ並び、きれいに座った。
もう彼女には、資材を奪おうと乗り込んできたパイレーツへの恐怖や嫌悪はない。いつの間にか勤勉な修理工になってしまったのだから。
それどころか「抱きつかれたうえ間接キスまでしちゃった」マッズのことが気になり、可能なら手伝おうという態勢だ。呆れた話だが……まあ、産まれたてヒヨコに起きる「刷り込み現象」みたいなものだろう。ウブなことだ。
ビグドゥが彼女の様子に気付いたらしく、並ぶ二人をほのぼのと見ている。
「いや、もっと小さくさぁ」
だが、マッズはオタ……いや凝り性だ。夢中になると目の前しか見えないし、仕上がりのディテールが気になりはじめると自分でも止められない。もはや隣に誰がいるかは関係なく、自分の気が済むまでやりたいのだ。這いつくばって微細孔を探し、ゴマ粒のように小さなシール材で埋めていく。
なでつけていた髪は、強風のせいでボサボサだ。さらに、暗くて見えにくいからと、着けていたサングラスを外して、いつもの瓶底メガネに取り替えた。
「……!」
見た目で人を判断しない委員長さえ、外見の変化には驚いた。オールバックにサングラスで格好つけていた男が、モジャ髪メガネになったのだから。
しかし、冴えない外見などと、がっかりしたのではない。仕事をする男の真剣な横顔に、むしろ好意は増していた。ついに、見よう見まねで手伝い始める。
一緒に危機を過ごすと、ドキドキを好意と勘違いする「吊り橋効果」が起こるという。そろそろ委員長は冷静になるべきだ。
「……オッケー」
やがて仕上がりに満足したのか、マッズは作業を止めた。
委員長は心からの感謝を伝えるため、その手を取ろうとする。ああ、それどころか、放っておけばハグくらいする勢い──。
しかし、マッズは気付かず振り返り、あろうことかザムスとハイタッチした。
パイレーツ船ミラージュのパイロット兼エンジニア、マッズ“マシン”
バーチャルな美少女ゲームなら大得意。
現実社会では、全てのフラグをブチ折る男だった。
*
結局、ミラージュは当初の目的を達することはできなかった。
今はアドベンチャー号が目的地としていたラグランジュ2へ向かっている。アドベンチャー号の方は、後方ローレルへ向かって緊急退避中だ。逆方向に加速しているから、もう姿は見えない。
襲撃直後から期待はしていなかったものの、この状況では致し方ないだろう。
なにしろ、アドベンチャー号はエアの残量さえ心許ない。さらに、安全に引き返すには、推進剤を目一杯に噴かして、軌道速度を上げる必要がある。資材にも時間にも、全く余裕がなかった。
「生命に危害を加えるつもりはない」
そう言った以上、必ず約束を守るのがビグドゥの流儀だ。自分の娘と同年代の修学旅行生たちを、これ以上は危険に晒さないよう、早期開放に努めたのだ。
その仁義に対し、委員長も律儀に応えようとした。
「ありがとうございました」
「バカめ。我々は資材を奪いに来たパイレーツだぞ」
「しかし、ご事情があると、初めにお聞きしました。そして、私も『あなた方が救われるなら、物資を提供する』とお約束したはずです。事情が変わってしまいましたが、できる限りご用意したつもりです」
見事なことに、自分たちも約束を守るというのだ。
まず第一に差し出されたのは、生徒たちから集めた食糧──主に各自が持ち込んでいた菓子類だが、食糧在庫が苦しいなかでは、これが精一杯だった。
そして、もう一つ差し出されたのは情報だ。
パイロットの話によれば、ラグランジュ2で邂逅予定だった無人コンテナがあるという。言われてみれば、育ち盛りの乗客が二十数人もいるのだから、目的地に食糧を別送しておくのは正しい選択だ。これは、船内に食糧の備蓄がなく、菓子しか余っていない理由でもある。
また、幸か不幸かアドベンチャー号は手際が悪く、緊急遭難信号を出していない。そのため、パイレーツ接近を知って、コンテナが避退してしまう可能性は少なかった。それならば、このままアドベンチャー号の予定進路を進み、コンテナを回収すれば食糧が手に入る。推進剤もコンテナから抜いてしまえばいいだろう。
もう大きな問題はないはずだった。しかし、ミラージュ船内の空気は重く、ビグドゥもザムスも押し黙っていた。とても笑いあえる状態ではなかったからだ。
その原因であるマッズは──委員長にもらったポテトチップスを膝に抱えて、悲しく沈み込んでいた。今さらながら、淡い恋心に気付いたのだ。いくら現実の女性に慣れていないとはいえ遅すぎる。
ぼそっと何か呟いた。
あわれ、マッズ……。きっと、もう委員長と会うことはないだろう。
それでもミラージュは、ラグランジュ2へ航行していく。




