トパーズ修理中
もともとマリウス洞を基礎として成立した背景もあって、マリウス市のほとんどは地下に埋もれている。あえて地表に出さないのは、空気も磁場も持ち合わせていない月で、降り注ぐ宇宙線や小規模な隕石から、生活者の身を護るのに都合が良いからだ。
ただし、それは人間が暮らすのに便利なサイズ、ヒューマンスケールの範囲に限られる。
大規模な空間、構造物を地下に掘り抜いて造るのは、コストもかかり合理的ではない。そこで、大きいものを造る場合は、周回軌道上に部品を打ち上げて組み立てるか、月面上に特別な空間を用意することになる。
その一つが、マリウス市の中心から直線距離で10kmほど離れた郊外にあった。三角形のパネルを組み合わせて半球状の空間を確保し、防護用として全体を覆うように月の砂を積み上げてある。一見すれば人工の小山で、地球上ならドーム球場ほどの大きさだ。コスト重視で飾り気のない姿は、工場や倉庫によく見られる造り──ありがちで目立たないものといえた。
その東側1ヶ所には、およそ18メートル角の搬出入口が設けられ、両開きのゲートは今ちょうど外に向かって開いている。向かって左のゲートに「月面建機」、右に「供給公社」と表記されている間を抜けて、コンテナを積んだトレーラーが入ろうとしていた。
内部にはエアロックどころか、間仕切り一つ見当たらない、だだっ広い空間だ。真空こそ究極のクリーンルームという思想から、予圧もされていない。
ここで優先されるのは機械の方で、人間は下僕。だから、人間は真空中で作業する。そのため、エアと冷却水を供給するホースが天井から垂れ下がり、予圧服を着た作業員の背中まで伸びている。紐に繋がれ、低重力下でゆっくり動くさまは、有線で動くリモコン玩具のようで、どことなく滑稽だ。
もっとも、ここ数日はいつものルーティン作業ではない。特別な船が入っているから、作業員たちは緊張感を持って仕事にあたっていた。
その中で遠目にも目立つのは、タブレット端末を手にして熱心にメモを取っている、若手作業員フジノだ。ビギナーであることを示す黄色い作業服で、ヘルメットにも若葉マークが付いている。インターンとして2年の下積みを経て、先月やっと正社員になったばかりだから、機械部品を直接触る実作業に加わることはない。
ひとまず言われたことを書き留め終わると、視線を上げた。
「おやっさん」
「バッカやろう! そんなこともわからねぇのか!」
おやっさんと呼ばれた男は、手にしたスパナでフジノのヘルメットを容赦なく叩きつけた。
まだ何も訊いていないのに、あまりにも理不尽。一般的な職場では絶対に許されない超絶ブラックぶりだが、他の作業員は口を出すこともできず見て見ぬふりだ。なぜなら、おやっさんこそ公社の代表者にして総裁なのである。本人曰く「丁稚奉公の時代から」月に全てを捧げたという伝説の技術者でもあった。
二人の前には、ブロックごとに分解されたトパーズが横たわっている。
直径8メートルほどの巨大な円筒、ドラム缶状のものは操縦席や客席といった生命維持ゾーンの中核だ。その後ろに並べられている、より短い筒は予圧貨物室で、プラズマに焼かれた両舷のカーゴゲートは取り外されて交換待ち。後部のイオンスラスターも、尻餅をついて落下したため損傷が激しい。
素人目に見てもボロボロなのは明らかだった。
「その……改めて思うのですが、ここまでして直す必要はあるんでしょうか」
「フジノ、お前あれが何だか分かるか?」
問いに直接答えず指差した先には、直径25センチ長さ30メートルほどの、なんでもない鉄棒が転がっている。
「船の背骨、竜骨だと思います」
「それはそうだが、何か違いに気付かねぇか?」
スパナを素振りするおやっさんが、ニヤニヤしながら出した課題。フジノは殴られる前に見極めようと、必死に目を凝らす。言われてみれば──他の部品がピカピカと白く輝く銀色なのに対して、鈍く黒ずんでいるような気がした。
「色……でしょうか?」
スパーンと殴られる。
「その通りだ!」答えが合っていても関係ない。何か話すたびに叩くのだから、木魚のような扱いだ。「だが完璧じゃねぇ。まともな技術者なら、見ただけで何かわかるはずだ」
フジノはじっと考え込む素振りをするが、経験不足とは、すなわち知識不足。考えたところで何か思いつくはずもない。知ったかぶりをするより素直に訊けというのが、たんこぶだらけになった先輩社員からのアドバイスだ。早々に首を振って、おやっさんに助けを求めた。
「わかりません。教えてください」
「あれはな、正真正銘、地球で鍛造した高合金鋼を、わざわざロケットで打ち上げたもんだ。これほどの代物は月では──そうさな、ルナマテリアルでも作れねぇ」
月面で金属を採掘して供給する、最大手企業の名前を挙げた。「作れねぇ」理由の第一は、材料の問題だ。鉄そのものは豊富に採れるが、炭素をはじめ合金を作るための微少元素を、月面で入手するのは極めて難しい。
「高価……ということでしょうか?」
「高いなんてもんじゃねぇよ。ありゃあ、もう『ろすと・てくのろじぃ』みたいなもんだな。二度と手に入らねぇだろうよ」
「つまり、あの竜骨は貴重なもので、それを活かすための修理なんですね」
「まあ、そういうこったな。いいかフジノ、覚えておけ。船でも人間でもな、背骨がシャンとして真っ直ぐなやつぁ、何があっても生き残る。このトパーズのようにな──!」
おやっさんは気合を入れようと、フジノの尻を蹴り上げた──本当は背骨のあたりを狙ったのだが、さすがに脚が上がりきらなかった──それでも蹴られた勢いでトトンとたたらを踏み、数歩前に出たフジノは、改めて竜骨を眺めてみて、ふと気付いた。
他のブロックがボロボロになるほど繰り返しダメージを受けたのに、竜骨は寸分の歪みもない。だから水平の床に貼り付くように、隙間なく横たわっている。これが、コストより安全を重視していた頃の頑固な部品、いわば古き良き時代の遺物なのだ。
「……おやっさんと同じですね」
「なまいき言ってんじゃねぇ!」フジノのヘルメットに反射的なスパナを一発くれる。しかし目元に刻まれた深いシワは笑っていた。その目付きのまま、視線をトパーズに戻す。「そのおかげで、お前も──ついに特設巡洋艦だわ」
誰に言うともなく呟くと、背中に描かれた翼のエンブレムを見せて、もう歩きだしている。フジノは周りに置かれたコンテナをすり抜けつつ、慌てて追いかけた。
目立つ文字で「乾燥野菜」と表示されたコンテナは、防衛省が極秘に運んできたテスト装備だと噂になっている。何が入っているのか作業員は知らないが、少なくとも本当に野菜を差し入れたわけではないだろう。
新しいイオンスラスターも、普通のものではないらしい。見たことのない形状をいぶかしんだフジノが、真面目な顔で先輩社員に訊いた時には、「波動エンジンだよ!」と笑いながらはぐらかされたが、もはや何が持ち込まれても不思議とは思えなかった。
月面建機供給公社──かつては、月面で使う建設機械を製作して安価に供給するという、名称通りの役割を果たしていた。しかし、建設需要が一段落した今は、関係者の間で内々に「工廠(※軍直属の工場のこと)」と呼ばれている。
実際、最奥に違法増築された二重構造の中には、練習機TS-1に改造を施した機体──試作された戦闘艇が並んでいるのだ。




