ミラージュ一家の日常
表情がなく冷たい目付きをしたザムスが、鋭く研ぎ上げた刃をスッと引いた。ソレは斬られたことなど気付かないように、しばらく静止していたが、やがて本体から離れて無重力の空間に漂い出した。断片がバラバラと解けるのに構わず、スッ……スッ……と繰り返し斬っていく。見事すぎる断面からは、液体の一滴さえ出ていない。
斬り刻む対象を知り尽くした腕──が止まる。仕上がりに満足したのか、見るものをゾッとさせる微笑が、深い傷跡の残る顔に浮かんだ。
包丁を置き、キッチンに漂う「キャベツの千切り」を手早く袋に詰めていく。これを塩揉みして保存食にするつもりだった。本当は酸味の爽やかなザワークラウトにしたいところだが、ルールに厳格なビグドゥは、健康維持に役立つ乳酸菌の持ち込みさえ禁じていた。
連邦の農業衛星ノヴォコサキスクを事実上の母港とするミラージュは、宙域で生活する他の船に比べて生野菜に恵まれている──普段は。
「おめおめと帰港できるわけがなかろう」
そう嘆息したビグドゥの気持ちは、船員二人にも痛いほどわかっている。
撃沈したはずのトパーズが健在だと知ったのは、数日前のことだった。船体は大破したものの、マリウス市内の工廠へ密かに運び込まれたという。諜報員によれば怪しいコンテナも続々と搬入されているらしい。
船員と乗客も、合衆国の助けを借りながら全員が無事に脱出。それどころか、憎きカイナガが女連れで市内をうろついていたという目撃情報さえあった。
報せを聞いたビグドゥの表情は忘れがたい。
何ともいえない微苦笑は、屈辱だったのか安堵だったのか。
およそパイレーツというものは、戦い、破壊し、奪うものだ。それは、祖国のために行う汚れ仕事だと割り切るしかない。しかし、ビグドゥのチームに限れば、人を殺めたことはなかった。そういう意味では、いくら敵とはいえ、トパーズに死者が出なかったことに安堵したはずだ。
一方で、謎の物体に弾き飛ばされ、ノヴォコサキスクで借りたブースターを失い、ミラージュ本体も傷つき、何の成果もないまま漂流している現状は、耐え難い屈辱にまみれていた。
今度こそ完勝して名誉を回復しようにも、今のところ相手は月面にいるのだから手の打ちようもない。いずれ宙域に戻ってくれば報復のチャンスもあるだろうが、それより問題は目先のことだ。
もう食材がなくなる。
チン!
スペースフライヤーが鳴った。
空を飛ぶflyerではない、宙域で揚げ物をするfryerマシン。ノヴォコサキスクで豊富に採れるヒマワリ油を活用してジャガイモを美味しく食べるために、無重力空間でフライができるよう、奪った資材を流用してマッズが開発した。
単に自動で揚げ物ができるというだけではない。揚げ油を手早く切る、ヘルシーな遠心分離器付きだ。「フライドポテトは完全栄養食」という名目だったが、おそらく地上にいるときに食べていたポテトチップスが、偏食が激しいマッズの主食というだけだろう。
音と匂いに釣られて、マッズが現れた。
「やっぱりフライドポテトは完全栄養食だよねぇ」
限りなく軽い口調で、早速フライドポテトをつまむマッズに向かい、ザムスは渋い顔で告げる。
「だが、これで在庫は終わりだ。心して味わえ」
言われたマッズは、悲しい顔をするのかと思いきや、ニヤッと笑ってみせた。相変わらず目は笑っていない。
その様子に気付いたビグドゥが尋ねる。
「見つけたか?」
「うん。おあつらえ向きのが一隻いたよ」油に汚れた左手でポテトをつまみつつ、空いた右手でキーボードを操作する。ディスプレイにミラージュの現在位置と、襲撃対象船の予定航路が表示された。「長期クルーズ中の観光客船だってさ。昨日の朝にローレルを出たばかりだから、まだ食べ物もたくさん残ってると思うね」
マッズが襲撃候補に挙げたのは、合衆国籍の30人クラス客船「グレート・キングス・アドベンチャー」だ。大げさな名前の割に大型ではないし、決して豪華客船とはいえないが、それゆえ狙いやすい。カモとみなしていいだろう。
なにより、仕事もせず長期クルーズで遊び呆けるブルジョアどもから食料・金品を奪うというのは、連邦のパイレーツ船として実にふさわしい任務だ。
アドベンチャー号は5時間前に月周回軌道から離れ、ラグランジュ2──公開されている予定航路によれば電波望遠鏡「ガリレオ・ガリレイII」へ向けて慣性航行中で、接触コースに乗ればおよそ2時間後に接舷可能位置に付けられる。
「いちおう確認だが武装は?」
「民間会社所有で船自体は非武装だね。これはハックした情報を見ても百パ間違いない。ただし合衆国の船だから、船員はどっさり銃器を持ってると思うよ──まあ確認のしようはないんだけど」
建国以来、やたらに銃を盲信する国民性だ。船員はもちろんのこと、乗客が無反動ハンドガンくらい持ち込んでいても不思議ではない。
「他に適当な無人輸送船はいないのか?」
慎重派のザムスは露骨に嫌がっている。他人に恐怖感を与えるルックスを活かして斬込隊長の役割を負っているが、本業は料理人なのだ。少なからずのリスクがある、有人船への襲撃は避けたいのが本音だろう。
接舷して突入する時には、巨大な刺身包丁を手に先頭を切り、自称香港仕込のクンフーで暴れ回るから、一見すると危ない奴ではある。しかし、実際はテンパってバーサク状態になっているだけで、人に斬りつけるのが得意なわけではない。顔の傷も、斬り合いではなく、調理中の事故で付いたものだ。本来の彼は、生き物を調理する前に手を合わせるような優しい性格だった──顔は怖いが。
「全くいないって訳じゃないんだけど、最短でも接触が3日先になっちゃうんだよね。それも乾燥食材のコンテナだから、ボクはお勧めしないな」
「……むぅん」
あと3日を塩キャベツで過ごしたうえ、手に入るのがフリーズドライの食材というのは、さすがにつらい。全員が無言のまま却下となり、アドベンチャー号襲撃を前提とした話に戻る。
「乗客名簿は手に入らないんだな?」
「ダメ。出発地がローレルだもん」
ローレルの情報管理は、運用と能力が抜きん出ていた。合衆国の上位組織でもない限り、個人情報を盗み見るのは難しいに決まっている。
それを承知で行くのであれば、もう決断しなければならない。
「誰が乗っているにしろ民間人だろう。銃器は積んでいるだろうが、船体に穴を開ける覚悟で撃てる可能性は低いな」
「ボクもそう思うよ」
諦め顔のザムスが渋々と右手の人差し指を上げた。
マッズは元気にピンっと手を伸ばす。
ビグドゥはうなずきながら右手を上げて言った。
「全員一致だ」
ミラージュ船員たちの動きは、常に素早く無駄がない。
食べながら操縦するつもりなのだろう。左手いっぱいのフライドポテトを鷲掴みにして、マッズがパイロット席に飛んでいった。




