月面会議
その日、在マリウス総領事館の会議室は荒れていた。
「トパーズに決まってんだろうが!」
「軍艦こんごう……だ」
「あの、たたた、たくみじゃダメなんでしょうか……?」
近日中に修理が完了する改造船の呼称について、意見が割れているのだ。
カイナガは、トパーズはトパーズだと繰り返し主張した。そこには論理もへったくれもなかったが、とにかく声だけはデカかった。
防衛省の在マリウス武官は、本省が撤回した戦艦名を意識し、一つ下の巡洋戦艦名から選択した。金剛石なら宝石つながりだとJSDに配慮したつもりだった。
文部科学省参事官は、ウォーターカッターこそ本体だと言いたかったが、驚くほど口ゲンカが下手だった。文章でのケンカなら負けない自信があった。
楕円形のテーブルを囲んでにらみ合いが続く。
名付け争いなどくだらないと思うかもしれないが、実は決してバカにできない。
見ず知らずの他人が産んだ子供に、名前をつけられないことは誰でもわかるだろう。少なくとも一般的ではない。子供に名前をつけるのは、主に両親や祖父母、洗礼名ならゴッドファーザーだ。名付け親とは、それほど重い関係なのだ。
つまり命名権の獲得は『その子』と深い関係がある証拠となる。今回の場合は『改造船』の管掌、いわば所有権とセットになっているのだ。名付けで負けることは、運用の優先順位を他省庁に譲ると認めたに等しい。参加者からは、絶対に引けないという強い覚悟がほとばしっていた。
「だいたい『たくみ』なんて沈んだ船じゃねぇか、縁起でもねぇ」
「な、なな、なにを……ぃぅ」文科省はだんだん声が小さくなったが、最後に小声で付け足した。「そっちの『トパーズ』だって沈んだじゃないか……」
「沈んでねぇ!」
「大破着底は沈没と変わらんぞ」
「うるせぇ! この手遅れ沈没野郎!」
ガタんッ
そのとき一人の男が、椅子を鳴らして立ち上がった。マリウスに駐在して宇宙政策を担当する内閣府参事官、早乙女慶広だ。仁王立ちで腕組みをしている。
彼は小さい頃から自分の名前がコンプレックスだった。乙女と名字に入っているために「や~い男女~」とからかわれた。姓名を略して「早慶のくせに~」とも言われた。実際には、ごく普通の少年で、ごく普通の成績であったにもかかわらず、名前のせいで理不尽な扱いを受けてきたのだ。だが彼はくさらなかった。
男女と言われないように中学からラグビーを始めた。たくましく発達した胸筋を見て、男女とからかうクラスメートはいなくなった。高校は進学校に進み、必死に勉強した。やればできる子だった。名前負けどころか東大に合格した。それ以降、彼は「東大早慶」というあだ名を獲得した。
(名前は早慶なのに東大卒なんですって……)
そういうウワサが聞こえてくるたび、彼は誇らしく感じていた。
胸筋を盛り上げる早乙女に会議室が注目する。
「内閣府は──」
腕組みをといた。いったん気をつけの姿勢になったあと、ぎこちなくグググっと動いて左手を腰にあて、右手で正面を指差した。
「──呼称『フォックス』を提案する!」
会議の参加者たちは唐突な動きにあ然とした。なにか言おうとしても、発達した肉体が放つ迫力に気圧されて声が出ない。そんななか、早乙女の耳にイヤホンが刺さっているのを目ざとく見つけたカイナガが、テーブルの向こうで立ち上がった。早乙女のことをビシっと指差す。
「おまえ今度から『せいまりそうけい』な」
「なんだそれは!」一見チンピラのようなカイナガにムッとする。
「聖マリの女子高生に操られる早乙女慶広、略して聖マリ早慶だ」
ドッ
一瞬の間をおいて、会議室は笑いに包まれた。
ここにモモカを知らないものはいない。トパーズで制服を着ていたというウワサが広がり「和光桃香の女子高生姿を見てみたかった」と悔しがったが、とにかく聖マリ=モモカと認識されている。また、早乙女は参事官でモモカより序列が上だが、実質的にモモカが仕切っているのはマリウスの常識だ。先ほどの怪しい動きもマイクで指示されたものだろう。いわばリモコンロボットだ。
早乙女は顔を真っ赤にして立ちつくす。救ってくれる味方を探して内閣府のシマを振り向くと、こともあろうにモモカ本人まで腹を抱えてケラケラと笑っていた。
マズい、はやくこの場を収集しないとマズい。
ここままでは「聖マリ早慶」で定着しかねない。
私は東大の早慶だ。女子高の名前が付いたら妙な意味さえつきかねない。
なにか言わなければ。そう、たしかあいつは──
「だまれ! キャプテン・カイナガ!」禁句に触れる。
「ぁあ!?」チンピラの本領を発揮する。「てめぇ、ぶっ殺すぞ!!」
そう怒鳴り声をあげてテーブルを乗り越えようとしたとき、モモカが一喝した。
「シャット、アップ!!」
壁際に並べたパイプ椅子からスックと立ち上がる。
お団子のまとめ髪につけた、サクラ色のカチューシャを左手でなおした。
議長席の方へゆっくり歩いていく。
ノースリーブのフォーマルなワンピースが、動きに合わせてふわふわ揺れる。
胸元にかかっているネックレスが、黒に映えた。
シンと見守る。
カイナガもテーブルに乗せかけた足を下ろして着席した。
会場をよく見回すと、大きく2グループあるのに気付く。第一は主に若い連中。モモカを見る目には畏怖が浮かんでいる。恐怖で調教済みだ。第二は年寄りたち。好々爺の目をしてモモカを愛おしく見つめている。こちらも調教済みだ。
前言撤回──けっきょく調教済みの1グループだ。
モモカは議長席の横に立ち、首を傾げてニッコリ微笑む。議長がそそくさと席を譲る。入れ替わりで紫檀のデスクに両手をつき、マイクに向けて元気な声を出した。
「あたしから提案があるよ!」
キーンとハウリングが起き、会議室がピンと張り詰める。
「まず、あの船は『トパーズ』として残す!」と告げ、まんべんなく見回した。
カイナガはグッとこぶしを握り、防衛省は天井を仰ぎ、文科省はうつむく。早乙女は不可解そうな顔でモモカを見つめた。先ほどの指示と違ったからだ。モモカは会議室の反応をクスクスと楽しみながら話を続けた。
「そのうえで、省庁ごとに裏コードをつけるんだ。防衛省の仕事をするときは、えと『こんごう』だっけ?」
モモカの視線に防衛省がうなずく。話がわかってきたぞと安心したようだ。
「文科省の仕事をするときは『たくみ』、んで内閣府のときは『フォックス』ね。表向きはいままで通りJSD所属の民間船『トパーズ』として活動してもらう。カモフラージュの意味も含めて、現役の貨客船ってことにしておくんだ」
文科省は実際の運用を想像して、はやくも計画を立てはじめた。
「裏コードでの活動はじゅんばんこね。一つの船をみんなで使うことになるけど、チームトパーズは相乗りが得意だから、きっと大丈夫。そうですよね、無敵の海永操縦士さん」いたずら顔でニカッとした。
カイナガは少し不満げにモモカを見たが、飛べるならなんでもいいと思っている。
「実際けっこう便利だと思うよ。『トパーズ』として飛んでいって、目的地についたらパカっと」両手を合わせてから広げてみせる。「装備品を出してさ、パパッと目的を果たしたら、しまって帰ってくる。なんかスパイみたいだね」
話をいったん切って、マイクから離れた。
恥ずかしそうに軽くうつむいてから、ゆっくりと上目遣いで参加者を見た。
少し不安げなほほ笑みを浮かべ、手を後ろで組む。
そして、小さな円を描くようにクルルンと周る。
正面に戻ると、身体をくねらせながら、幼なげな声を出した。
「って考えてみたんだけど……どう?」あざとく小首をかしげる。
ウォオオオォォォ──! モ・モ・カ! モ・モ・カ!
間髪入れずに、賛同する声が総領事館の会議室に響く。
モモカはホッとした表情を作ると、ワンピースのすそをつまんで歓声に応えた。
*
カガは会議中に一言も発しなかった。
椅子に身体を預けてダラっと伸びている。
表情が死んでいた。
ここ数日ずっと同じ顔だ。
歓声が聞こえる。
知らないところで、なにか決まった。
絶対に深入りしないと決めたのに──
椅子からズルズルと、ずり落ちていった。




