公正な取引
モモカはコップを両手で持って、まだグルグルといじり回している。もう、ほとんど水は入っていない。
「約束通り、あたしの話はしたよ」
「いろいろ聞き足りねぇけど?」
「せんぱいは自分のこと話すの嫌いなのよ? もう十分でしょ」
「うん……それでも、わざわざ話したのは、どういう立場かをカガせんちょとカイナガには知っておいて欲しかったから」
「いちおう、政府関係者で、要人に顔が利いて──」
「わがまま放題で軌道レーザーをぶっ放せる娘だと理解したぜ」
「その口のきき方なんとかなんないの!?」
「とにかく、そういう人として、今日はメッセージを持ってきたんだ」上目遣いになってニカっと笑う。「政府からの──うれしい提案があるよ」
ほら来たぞ。カガはカイナガと目配せしあった。「御礼がしたい」などという、殊勝な話で終わるわけがない。入院中に二人で開いた反省会を忘れるな、と無言で確認する。出した基本方針は「これ以上、深入りしないこと」だ。
密航する女子高生、パイレーツとの交戦、国際港衛星への不法侵入……しまいには軌道レーザーにプラズマ火球──いい加減にして欲しい。アニメやライトノベルじゃあるまいし、口に出すのもバカらしい。
それもこれも、すべてモモカたちと関わってからだ。だから、もう関わりたくない。関わるべきじゃない。たいくつな日常、大いにけっこう。なにも起こらない、落ち着いた生活を望むと決めたのだ。
「……これで最後だろうから、いちおう話だけは聞いてやる」カイナガが背もたれに身を預けながら言った。「ただし、気に入らなければ、すぐに席を立つ。だからアイ、船長と席を替われ」
アイがモモカを見る。うなずいて許可を出したので席を移動した。カガとカイナガ、モモカとアイが並んで座る。逃亡を防ぐ「フタ」はなくなったものの、モモカは自信ありげにしていた。即決裂はないと思っているようだ。
「本当にいい話だよ。まず、トパーズを修理して飛べるようにしてあげる」
「はぁ!?」
予想外の提案に、カイナガは間抜けな声を出してしまった。
アイがファイルを取り出して詳細を説明する。
「費用は政府持ち。名目は3S送電レーザーの『誤作動事故』に対する補償にします。あの日、トパーズはミラージュとの交戦後、レーザーの事故に巻き込まれただけ。それ以上のことは起こっていないという方が、政府としてもありがたいからです。もし希望があれば、壊れた装備は最新のものに取り替えます。古い部品を探して復旧するより安くつきますので、遠慮なくお申し出ください」
ぐっと乗り出そうとするカイナガの脚を、カガは片手で抑えた。
「続きが、ありますね?」
モモカはあいかわらずニコニコしながら、ウンとうなずいた。
「もちろん条件があるよ。条件その一は、二人に引き続き乗ってもらうこと」
「……なんだ、その条件」
「もちろんツヨシくんたちを評価してるからよ。船長はなんでも器用にこなすベテランで、自己犠牲もいとわない。しかもマリウスを救った英雄よ。加えて操縦士も腕がいい。ISS-8の着船事故も真相を確認したわ。あんな操縦できる人なんていない。それに、これほどの事件を経験して生き残った人は、軍にもいないもの」
アイに真顔で誉められて、カイナガが舞い上がっているのは一目瞭然だ。カガは抑える手に力を込めたが、英雄といわれて浮かれ気分がよみがえってしまう。
「じょ、条件はいくつあるんですか」
思わず興味を示してしまったカガに、モモカは三本の指を立てる。
カガがゴクリとうなずいたのを確認して、指を二本にした。
表情を引き締め、これからが大事な条件だと示唆する。
「条件その二、『たくみ』を載せてもらう」
「いや、あれは沈んだだろ?」
「そうです。あのテロ事件のせいでこんな目にあったはずでしょう」
「正確には『たくみ』のメインユニットです。テロで『ヘイロン』と一緒に消滅したのは、後部の補給ユニットだけ。指令破壊前に離脱した本体は、すでに回収済みです」
「載せる、というのは、その──どこに?」
「トパーズ前部にあった無圧貨物室の跡に設置する予定です。補給ユニットは再建せず、水タンクと推進機構はトパーズのものを使います。お互いに補い合えるので合理的だと、政府も判断しました」
カガはあいまいな記憶を探る。
「たしか……元々はレッツGという開発名称で、大臣が武器だと発言して問題になったような」
「政府の公式見解は『技術試験衛星』です。トパーズに搭載できた場合は、引き続き技術開発に向けた試験を行うことになります」
「あー……ウォーターカッターってやつか?」
いったんファイルを置いて、アイはカイナガに微笑を見せた。
「つまり宙域で使うナイフよ。衛星の修理や工作に必要なもの。それはわかるわね。でも、悪い人が持てば、確かにナイフは武器にもなるわ。文科省大臣は揚げ足を取られたけれど、けっきょく使う人次第──。それで、ツヨシくんは、これを悪用する?」
「まさか」と肩をすくめてみせる。
「そうでしょう。だから政府も載せるといっているのよ、あなたたちの船に」
アイは再びファイルを手に取って抱きかかえ、目を閉じた。
カガとカイナガは顔を見合わせる。ペイロードは大幅に減るが、絶対に飲めない条件ではない気がした。うなずく。
「最後は?」
「条件その三、プロジェクトに参加してもらう」
「やっとその話か」
「聞かせてもらいましょう」
アイは一つ呼吸をした。そして、目を閉じたまま、話しはじめた。
「カイナガ船長とツヨシくんを信じてお話することです。どうぞ他言無用でお願いいたします。
先ほど言った通り『たくみ』の目的は、宙域で使う工作技術の開発です。それは本当です。しかし、技術開発に成功した暁には、ナイフができてしまうのも事実です。このようなことは、他にもあります。
3Sの軌道レーザーも同じです。本来の目的は送電レーザーの発振です。これも本当です。しかし、カガ船長が先日ご覧になった通り、これは一種の火砲として使うことも可能です。危険だとわかっています。だからこそ、技術を悪用されてはいけません。
そこで政府としては、最上位の『プロジェクト』以下、すべてを一元管理しています。その下には各軍を置き、それぞれの装備を制式化します。誤解してほしくないのですが、武器として使いたいのではありません。あくまでも管理のためです。装備や機密を管理する組織として、軍がふさわしいというだけです。
『たくみ』の技術はクサナギ計画の一環として空間宇宙軍が、軌道レーザーの技術はヤタ計画の……」
必死に話し続けるアイをそのままに、カイナガは立ち上がった。
「行くぞ、カガ船長」
「──はい」
立ち去ろうとする二人を止めようともせず、モモカは黙ってうつむいている。
カガは、モモカの境遇に同情的だった。
モモカ個人については、なんとか救ってあげたいと思う──思っていた。
だが、こんな条件を飲んで軍門に下るのとは、まったく別の話だ。
お偉方から説得してこいと言われてきたのだろう。
その面子を潰すようで悪いが、その条件は飲めない。
損得勘定を優先して、軍の野望に加担するわけがない。
しょせん住む世界が違うということだ。
つまり、もう二度と会うこともない。
今度こそバイバイ、モモカ──
*
二人はメインストリートに出た。
狭い通路と異なり、天井を高く取ってあるから気持ちいい。
だが、隣を歩くカイナガは露骨に不機嫌だ。
カガは天井を見上げ、気楽そうな声をつくった。
「途中まで乗り気だったんじゃないですか? カイナガは条件を受けるんじゃないかとヒヤヒヤしました」
「途中……までは、な。だが最後のあれは絶対ダメだ」
「軍出身でしょ。そのへん割り切ってないんですか?」
「武器を誰に向けるかなんてこたぁ言われるまでもねぇ。だが裏でコソコソやってるのは気に入らねぇ」
やれやれ、潔癖な元軍人さんだ。
でも、そういうところが好ましい。
トパーズの修理も断ってしまった。
まったく先は見えないが一緒にやっていこう。
そう思いつつ隣を見る。
カイナガが消えていた。
左右を見回す。いない。
振り返る。アイがいた。伸びをするように片手を突き上げている。
突き上げた手をたどって天井を見上げた。カイナガが空中を飛んでいる。
「あんたって人は! せんぱいになにしてんの!」
アイが上に向かって怒鳴った。それ聞こえてるかな。
カイナガは、放物線を描いて向かいのビルにあたり、ゆっくりと落ちた。月の重力じゃなかったら死んじゃうな。
「アイ、だめだよ。お話するんだから連れてきて」
下から声がする。モモカがしゃがんでいた。
*
カガとカイナガは、公園のベンチで正座させられていた。
アイは怒りが収まらない様子で、カイナガの正面に仁王立ちしている。
モモカはその傍らで、それはもうニッコニッコしていた。
「やだなぁ、もう二人とも。最後まで話を聞かないんだもん」
「……うるせぇ、オレは暴力には屈しねぇぞ……!」
「あんたは黙れ!!」
強烈なかかと落としをアイが食らわせた。
カガはビクッと硬直する。
モモカが天使のような笑みを浮かべて近付き、悪魔のように告げた。
「プロジェクトのことまで話したのは、絶対に断れないからだよ」
「なぜ……そう断言できるんですか」
「聖マリの女子高生、ワコウ・モモカは『書類上で』存在するんだ。二人がトパーズでなにをしたか覚えてれば、この意味わかるよね? 未成年者に対するわいせつ行為、犯人隠避、あと証拠隠滅を図ったことも『彼女』は知ってるよ」
「告発するつもりですか。しかし、そんなことをすればモモカさんも……」
モモカはちっちっち、と指をふる。
「密航のことなら未成年だから表に出ないよ。なんなら、わいせつ行為だけ告発してもいい。かわいそうな被害者は少女M、卑劣な加害者は加賀友理と海永強史。実名サイン入りシールまで報道されちゃうよ。社会的にはどうなるだろう?」
カガは目をそらした。その耳にモモカが顔を寄せてささやく。
「表がイヤなら、裏で始末してもいいんだよ。ちょっと告げ口したら、幼なじみでさえこうだ」潰れているカイナガに視線をやる。「あたしの『おじいちゃんたち』に、トパーズ船員にえっちなことされたって報告したら怒るだろうな……。あ、そうそう、連邦の大使が軌道レーザーの実験をうらやましがってた。自分もやりたいって。なんか、あっちには人体を使う実験があるらしいよ。どうかな──レーザーの次は、その実験台になってみる?」
カガはがっくりとうなだれた。
なにがアイドルだ。なにが生まれついてのアイドルだ!
愛されてるだと? それはこうやって従わせることを含むのか?
ああ……もうどうしてこうなった──!!
この街には、マリウスの洞という言葉がある。一義的にはマリウス洞窟のことだが「最初から罠だ」という意味でも使える。天然のギフトだと思ってエサに飛びつくと、いつの間にか泥沼にはまっているというニュアンスだ。
モモカは屈服したカガのそばにしゃがみ、後ろで結んだ金髪頭をナデナデした。それは、飼い犬をなでる仕草によく似ていた。




