フィクサー
「ガハハハハ! よっしゃよっしゃ、任せておけぃ!」
酔っ払った男が豪快に笑って力強く請け負う。眼鏡をかけた線の細い男は安心した様子で、ペコペコしながら座敷を出ていった。
赤坂にある「料亭たま吉」には、こういった会合を開くのにふさわしい離れがある。誰にも聞かれることがない場所で、政財界を裏で動かすフィクサーに密会したいと、今日も大勢の客が列を作って待っている──もちろん比喩だ。本当に列になっていたら前後の客と顔を合わせてしまう。有名人だったり、まして知り合いだったりすれば大変だ。鉢合わせしないよう気を遣うのも、女将である百鶴あや乃の大事な仕事だった。
「入ってもよろしゅうございますか?」
「おぉ、あや乃。入ってくれ」
スーッと襖を開けてお辞儀をし、男の脇に端座した。
「どう思う。いまの話」
先ほどまで酔っ払っていた男は、完全にシラフの口調になっている。実は酔っぱらい姿のほうが演技なのだ。わざとスキを見せることで、本当は話すべきではない裏の話まで、眼鏡の男に語らせた。
いつも酔っ払い演技をしているわけではない。相手によって手口を変える。たとえば、同じことを何度も聞き返す、怒らせる、侮らせる──そして本音を引き出す。そういう技術を駆使して、のし上がってきた男だ。
大臣とか社長などという肩書は必要ないから、名刺にも名前しか入っていない。本名らしき五文字が楷書で書いてあるだけだ。
「お話になりません。あの男は嘘をついています」
「なんだと?」
「覚えてらっしゃいますでしょう。二年前の夏に、大泉省三様が持ち込まれた不動産取引とまったく同じ場所です」
「あぁ、アレか! 危なく引っかかるところだったわ」
「さすが、先生のご記憶は確かでございます」
どう見ても、記憶力がいいのは頭を下げた百鶴あや乃の方である。
「とすると、なんだな……。次の客まで時間が空く。少し話でもしていけ」
「はい、実は私の方からも、お話したいことがございます」
「ちょうどいい。聞かせてくれ」
「ある方から『助命嘆願』が入っているのでございます」
男は目をむいた。
「それは穏やかじゃないな。ワシは命は扱わんぞ」
「フフフ、冗談でございますよ。合衆国からの引き渡し要請を断ってくれ、と」いたずらっぽい笑顔をつくる。「アイドルからのご依頼です」
「アイドル、だぁ?」
「ええ、月の子兎さんですわ」床に手紙を置き、ツッと前へ送る。
「それを先に言え!」奪い取るようにして手紙を開く。
「──軍人か?」
「軍人さんと、元軍人のお二人」
「合衆国を相手にか……ちと骨が折れるな。理由は?」
「なんでも兎さんが、お二人をお使いになりたいとか」
「やれやれ……毎回面倒ごとを。さて、どうするか」
「マッケンジー様の件と抱き合わせにされればよろしいかと」
「あぁ、アレか! 危なく忘れるところだったわ」
「さすが、先生のご記憶は確かでございます」
「わかった。手配しておこう」
「是非すぐにでも。私は兎さんに連絡しておきますわ。きっとお喜びに」
「そうだな、頼む」
百鶴あや乃は深々とお辞儀して、スッと座敷を下がった。
フィクサー。
裏で人をあやつり、思い通りに動かしていく人物のこと。
本物のフィクサーは、決して表舞台に立つことはない。




