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月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
6話.料亭たま吉・女将、百鶴あや乃
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(目の前の任務に集中する。それだけを考えろ)


 A・リンカーン艦長ロバート・キクチ大佐は、自分に言い聞かせた。言い聞かせ続けた。そうしなければ、うずまく感情を制御できなかったからだ。


(思い出せ。ZENの教えで、世界のすべては因果でつながっているという。その通りだろう。現にいま直面している。しかし、手にした物質や起きてしまった出来事に感情を乗せてはならない。一喜一憂せず、喜怒哀楽を抑え、一意専心で、与えられた任務を果たせ、ロバート)


 この因果は、日本政府のレッツG計画により、失望ではじまった。

 それは、やがて憎悪に変わり、自らレッツGの撃沈さえ願い出たが叶わなかった。

 目の前を通り過ぎたレッツGは「たくみ」と名を改め、月に向かった。

 わずか数日でテロにより破壊されたとき、まだ追っている途中だった。

 撃沈さえ願った「たくみ」の消失に、歓喜は感じなかった。

 取り逃した屈辱も、テロへの敵意も感じなかった。

 喪失感だけが残った。


 そして、いま目の前にある貨客船「トパース」も日本国籍だという。

 かわいそうに、ボロボロだ。

 正面装甲は無残に打ち砕かれ、右舷前方は内側から大きな破孔が生じている。おそらく、前方から斜めに衝突したデブリが、高速で船体を撃ち抜いたのだ。

 さらに上部甲板には、なにかをもぎ取られたような跡が残り、船体には大小無数の傷がついている。

 どれだけ激しい衝突を繰り返したのだろう。胸が痛む。


 だが、これは偶然なのだろうか。


「たくみ」を沈めたパイレーツは、共和国系「ヘイロン」

「トパーズ」と二度も交戦したのは、連邦系「ミラージュ」


 どちらも、一方的に襲撃を受け、トパーズも防戦しただけだと聞いている。しかし、日本国籍の船が共和国や連邦とやり合うなど、地上では考えられないことだ。しかも、この数日間で立て続けに三度も起きた。

 なにか日本が狙われる理由でもあるのだろうか──。


「トパースとのドッキングが終わりました。収容を開始します」

「わかった、私も行く。副長、しばらくここを頼む」

「船長、ドッキングは最大5分です。できるだけ事務的に願いますよ」


 右手を上げて応え、左舷エアロックに向かう。


(いや、偶然とは人の思い込みに過ぎない。すべては必然なのだ。A・リンカーンは「たくみ」を追っていて目標を失った。だから代わりに「トパーズ」からの救難要請を受け入れられた。月で遭難した人がいる。月にいる船がある。目の前に助けるべき人がいる。それを助けられる船がある。ありのまま受け止めればいいだけだ。反射神経のような感情に惑わされるな。いま行うべきことだけを考えろ、ロバート)


 エアロックを見ると、老人がゆっくりした動きで半身を出している。

 すでに艦内に入った人々を見回す。大声で騒ぐこともなく、秩序が保たれている。万が一の騒動に備えて来てみたが、どうやら必要ないらしい。頭や腕にひどい怪我をした人もいるようだが、おおむね元気そうだ。

 仕切っているのは女性──制服からしてCAの二人だろう。こういうときに笑顔を絶やさないのは好ましいし、よほど訓練を積んでいるのか手際もいい。

 こちらの兵員が手持ちぶさたになっているほどだ。


 下士官が名簿を手に近寄ってくる。


「9名の収容が終わりました」

「9名? 船長のユウリ・カガはともかく、あとの二人は?」

「はい、パイロットのツヨシ・カイナガ、乗客のアイ・モリは、このままトパーズに残るようです」


 おそらく船長のカガは乗らないだろうと思っていた。本国から伝達された、救難要請を受ける条件が「操縦者を一人以上残すこと」だったからだ。非情な決定だが、飲んでもらうしかない。

 いまトパーズは月面に落下しつつある。そして、このままでは70%以上の確率で、マリウスを中心とした人口密集地に墜落する。最悪の事態を避けるため、最後まで操縦するパイロットが必要なのだ。


 もちろん、これは高度に政治的なプロセスを経た意思決定──マスコミ対策だ。


 衝突回避行動など、本当は搭載AIのオートパイロットで十分だろう。

 だが、本国政府は「もし全員を助けて無人になった船が墜落し人的被害が出たら」というリスクを考える。


【数人の乗員を救い、数万人の住民を見殺し!】とか、

【無人船墜落は軍の無責任!?】といった報道基調になるのを恐れているのだ。


 だから、あえて操縦者一人をいけにえとして求めた。「あのパイロットに頼んだ」よって「合衆国のせいではない」と言い逃れるための担保だ。

 ファ○ク……!

 やつらは、ここに来て、本人を前にして、同じことを、言えるのか!?


(待て、感情に惑わされるな、おちつけロバート)


 いや──違うのだ。彼の命は合衆国に捧げられるだけではない。そのかわりに合衆国は彼の同胞を助けるのだ。きっと、故国でも英雄として祀られるだろう。


「ツヨシ・カイナガと、アイ・モリの意思表示は?」

「明示されてはいませんが──アイ・モリが自らエアロックを閉めました」

「ただの乗客なのだろう?」

「はい、ですが」名簿を確認する。「空軍大尉です」

「ふむ……」


 乗り合わせただけだろうに、乗艦とみなして殉ずるつもりだろうか。


「いずれにしろ、もう時間切れです」

「わかった。エアロック閉鎖。のち将校下士官整列!」


 収容を指揮していたアンドリュー少佐以下、十余名が脇に並び、直立不動の姿勢をとる。浮き上がらないように、下級兵が上官の脚を押さえた。バカバカしいが、こういうときでも、軍人は体面を重視せざるをえない。


 唇を噛んだ。


 もう少し時間が欲しかった。せめてカイナガとモリには直接会って、退艦するよう説得を試みたかった。目の前に救える命があるのに、見捨てていくのは、あまりに忍びない。おそらく、今日のことは一生涯つきまとうだろう。なにかできたのではないかと後悔するかもしれない。悪夢となって毎晩うなされるかもしれない。

 しかし、これ以上ここに留まればA・リンカーンまで墜ちてしまう。すべてを受け入れるしかないのだ。


 右手を構えた。


「勇敢なる船乗り! カガ、カイナガ、モリの三名に──敬礼!」


 挙手敬礼のまま、心のなかで別れを告げ、神の許しを請うた。

 キャプチャアームが「ガコ……ン」と外れ、トパーズが離れていく。

 離別のラッパが悲しく鳴った。

 CAたちがエアロックの小さなのぞき窓にすがり、ひざから崩れ落ちていく。一人の老婦人が、嗚咽する彼女たちを抱きかかえた。無理もない。いままで気を張って耐えていたのだろう。


 合衆国軍「エイブラハム・リンカーン」の乗員は、長いながい敬礼を送った。


 *


 ブリッジに戻ったキクチ大佐に副長が声をかける。


「遅いですよ。哲学もほどほどにしてくださいね」制帽を脇にはさみながら、紙片を渡す。「ローレルからの通信です。至急、だそうですよ」


 ローレルの諜報部は熱意と能力が抜きん出ている。キクチ大佐に続々と届くトパーズやパイレーツの情報も、今回はじめて知った話ばかりだった。


(そういえば、パイロットのカイナガは元空軍という情報があったな。空軍大尉のアイ・モリが残ったことと関係があるのだろうか)


 解読用の偏光メガネをつけて、渡された紙片を読む。

 一行目で背筋が冷たくなった。


「どうしました艦長、顔色悪いですよ」


 紙片をグシャっと握りつぶして、船外モニターに駆け寄る。

 トパーズを探すが──もう見えるわけもない。

 ふらふらと脇のシートに倒れ込んだ。

 あわてて近寄ってくる副長に、腕だけ差し出し紙片とメガネを渡す。

 副長は一読して「ありゃー」と言った。


 *


 ツヨシ・カイナガと、アイ・モリを拘束せよ

 一連の事件に関与の恐れあり

 カイナガは空間宇宙軍の予備組織にて訓練実績

 モリが所属する部隊は事実上の地上宇宙軍

 両名は空軍にあらず、宇宙軍とみなすものなり

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