絶望
カガは予圧区画のチェックを終えて、コクピットに帰ってきた。なにか進展でもないかとカイナガの様子をうかがうが、一見して状況に変化がないことを察した。ふんわりとパイロット席に近付いていき、いまできる精一杯の笑顔を向ける。
「パイレーツ相手のほうがマシですか?」
「物理が相手じゃ交渉の余地もねぇしなぁ」そう答えて両手を広げた。
二人の会話は省略されすぎている。
初回の戦闘を経て、トパーズクルーはパイレーツの情報収集に努めてきた。
勝ったといっても要は逃げ出しただけだし、追撃される可能性もあった。なにより、一度は敗北を覚悟したという屈辱が二人を本気にさせた。いつまでもプロの盗賊に狙われた商人Aでいるつもりはない。
一つの研究成果として「パイレーツ船ミラージュには相手船を直接加害する武装がない」と判明した。どうやら、叩くとか押すといったことがせいぜいで、切るとか撃ち抜く装備はないようなのだ。
だから前回も3S送電レーザーに押しつけようとしたし、今回も押してきた時点で「先になにがあるか」を考えればよかった。状況からみて、テロ事件で発生したデブリの軌道を目指していたのは自明だ。
心中するつもりがないなら、彼ら自身は脱出軌道を確保していたはず。おそらく途中でトパーズを離そうと計画していたのだろう。それならば逆にこちらから強制接舷してしまう手もある。一蓮托生にしてしまえば、交渉することも可能だ。
そう作戦立てして通信回線を用意していたとき、謎の物体が飛んできて──すべてを吹き飛ばした。アレをミラージュ側が用意していたとは思えない。完全にイレギュラーな事故だろう。
アレがなければ交渉できたかもしれないと、カガは言ったのだ。
そして、カイナガが交渉できないといった相手、「物理的な位置と速度」は深刻な事態になっていた。
ミラージュのロケットモーターに押されたため、元の軌道から半分ほどの高度に下がっている。しかも、軌道速度を削られて墜ちつつある。
基本的な脱出プランは二つ。速度を上げて元の軌道に戻るか、下に行って月面に軟着陸するかだ。結論からいえば、どちらも物理的に不可能だった。
速度を上げても届かない。
今回は旅客がいるため、トパーズ自身もISS-8で緊急用のロケットモーターを積み込んだ。しかし、それを点火しても元の軌道に戻る前に燃焼が終わってしまう。これは、ミラージの使ったロケットモーターが巨大なものだったからだ。先に5で押されたら、後から2で押し返しても力が足りない。
下へ向かうとハードランディングになる。
軟着陸に対して硬着陸。今回のケースを、より正直に表現すれば、墜落というべきだ。貨客ともほぼ満載のうえ、出力不足だから月の引力を相殺しきれない。貨物放棄など手を打てば多少は軽減されるが、トパーズが出した試算結果は悲観的なものだった。
「地球上に換算すれば、少なくとも3百メートルのビルから自由落下デス」
しかも、マリウス付近に墜ちる可能性が高いという。人口密集地に60tを激突させるなど絶対にあってはならない──。
クルー二人が交わした、たった二言の会話は、これらを踏まえて発したものだった。
カガは船長席に戻ってヘッドセットを付けた。振り返って斜め後ろを見上げる。視線の先にあるのは客室だ。観光客の七人組、CAの二人、そしてアイの合計10人が乗っている。
「なんとか旅客だけは助けたいですね……」
「まぁ老い先短いジジババはともかく」バチあたりなことを言う。「アイたちはなんとかしてぇなぁ」
「やっぱり気になりますか、モリ大尉のこと」
「バーカバーカ」
二人はあえて緊迫感を消して話している。こういうときだからこそ、大声で怒鳴りあったりしない。そういう訓練を受けてきた。
「いえいえ。空軍だって気にしてくれてるのでは」
「ごめん、それ船長がいないときに伝言された。とりあえず確認はあったとさ」
「ローレル管制、がんばってくれてますね」
「こういうときの合衆国はすげぇよなぁ」
ローレルの管制官は、トパーズのメーデーに対して即座に反応していた。
ローレル在籍の全船舶に支援要請を出したのを手始めに、名簿を確認して旅客の関係先・政府・空軍に遭難第一報を出し、さらに合衆国軍にも情報を送ってくれたという。しかも、多くの交信を代行し、必要なことだけ伝えてくれる。
コリンズの役立たず、ロディは別格バカにしても、ローレル管制は熱意と能力が抜きん出ていた。
「ただ残念ですが、おそらくローレルの船では無理でしょう」
「ボートみたいのばっかだもんな」
「合衆国軍が間に合う可能性はどうですか」
「空間宇宙軍のときに多少は勉強したけど……たぶん同じことじゃねぇかなぁ。使えそうな船はだいたい地球周回軌道にいるはずだ」
いまトパーズは重力井戸に落ちている。月のそれは弱いとはいえ、非常用ロケットモーターを使っても自力で上がれない深さだ。
つまり、救難するには少なくともトパーズ以上のパワーが必要となる。しかも、上から降りてきて、救難して、また上がるのだ。ボートタイプの小型船はもちろん、おそらく月周辺にいる船には期待できないだろう。
逆にパワーの面で申し分ないのは地球周辺にいる船だ。いつも月の6倍にあたる力に抗しているのだから、間に合ってくれれば助かる可能性がでてくる。そう、間に合ってくれれば、だ。
明日来てくれても意味はない。墜落予定時刻は──5時間後だ。
「ただいま戻りました」
アイが客席から帰ってきて律儀に報告した。手にはメディカルキットを提げている。七人組の手当てを手伝ってくれていたのだ。
「モリ大尉、ありがとうございました。様子はどうですか」
「生命に別状はありませんし、皆さん落ち着かれていますので大丈夫です」笑顔を見せる。「それと、私はCAのお二人に感心しました」
「そうでしょう?」
「ウチご自慢だぜ」
「ええ。踊ってましたよイクミさん。皆さんを安心させるために、あんなに気丈に振る……舞って……」笑顔の目に、突如として涙が浮かび、声を詰まらせる。「ご……ごめんなさい……」
たまらずカイナガが目をそらした。
現状を理解すればするほど、絶望的になるのはわかる。
だが、泣かないでくれ。そんな顔はやめてくれ。諦めてはダメだ。
たしかに、オレもなぐさめ以上のことが言えねぇ。それはそのとおりだ。
なんとかしてやりてぇが、いまのとこ手がねぇ。
なぁアイ、オレはどうすりゃいい。
「カイナガ──」頬杖をついたような姿勢でカガが口を開いた。
カイナガを呼びつつ、その視線は空中にあってカイナガを見ていない。
「もし誰か一人を助けられるなら、誰にしますか?」
なんだその質問は。ギョッと振り返る。
「ちょっとした確認というか、クイズですよ」
「カガ船長、意味わかんねぇぞ」
「こたえて。素直にね」
カイナガに視線を移したカガの目元は笑っていた。
アイは真意をつかみかね、戸惑った顔を向けている。
注目されて仕方なく、考えながらこたえていく。
「え、そりゃまあ……船長は自力でなんとかしろって話だし、ジジババはどうでもいいわな。イクミさんとミサキさんを助けるなら二人セットじゃないと意味ないし? そうすっと、まあ消去法でアイってことになるんじゃねぇか……な」アイの表情が変わったのに気付き、いまさら無駄な一言を付け加える。「たぶん」
微笑していたカガだが、こたえを聞き終わると居住まいを正した。
「それ、約束ですよ」
「おい……クイズじゃねぇのかよ」
「絶対に守ってくださいね」
「だから、なんだって──」
カガはヘッドセットを外した。
「いまローレルから連絡がありました。救難船は合衆国軍A・リンカーン」