復讐
パイレーツ船ミラージュのリーダーである"ビグディー"ビグドゥは怒り狂っていた。
完全に追い詰めていた貨客船トパーズを取り逃したこと。
そのとき新船長を名乗ったカイナガが卑劣でハレンチな行為に及んだこと。
カイナガの正体はISS-8で入港事故を起こした未熟者だと知ったこと。
(クズのような男に、オレは負けたのだ)と、ビグドゥは悔恨した。
一方で、神から与えられたこの試練には、義務や因縁めいたものを感じた。
遠い昔、先祖は誇り高きコサック戦士だったと聞いている。果てしない抗争の末にウクライナを追われ、中東の片隅に流れ着いたという。それは個人の力で抗えない運命かもしれない。しかし敗戦の恥は怒りの原動力だ。
きっと一人孤独に牙を研いでいただろう。いつか復讐をと誓いながら。
そして叶わず死んでいった。子孫に仇討ちを託して。
そう、歴代の汚名をそそぐのは、末裔である自分に課された使命だ。
(やってみせよと神が命じている)
その証拠に、敗戦の羽を休めていた我が第二の故郷ノヴォコサキスクへ、憎きトパーズが現れたではないか。のんきにヒマワリの種なんぞを喰らい、観光でもするかのような振る舞い。
そう、神はあえて見せつけたのだ。この程度の船に、おまえは負けたのだと。
しかし、同時に復讐の機会をくださった。
(やってみせよと神が命じている)
偶然にも、月の裏で起こったテロ事件、撒かれた大量のデブリ。
偶然にも、一つだけ余っていた貨物用の大型固体ブースター。
偶然にも、そこに帰ってきた僚船のエンジニアたち三人。
作戦に必要なものが次々と与えられた。三つ重なった偶然は、必然の産物なのだ。
(やってみせよと神が命じている)
準備は万端ととのえた。トパーズがローレルを出港するのはUTCで午前6時、目的地がISS-6ならば選択する航路もわかっている。定時運行であれば、もう出てくるはずだ──。ああ、神よ。仇敵が現れましたぞ。どうか我らに力を。
「いくぞ、マッズ」
「プランAだね、よーしレッツゴー」
ミラージュの直列式イオンスラスター全基にバッと火が灯った。
トパーズを後方から追いかける位置だが、ミラージュはISS-6に降りるつもりがない──つまり減速を考える必要がないため、思い切った全力運転が可能だ。出港したてでノロノロと動いているトパーズとの距離を急速に詰めていく。
「おっと早いね、やつら気付いたみたいだよ」
「構わん。パワーの違いを見せつけてやれ」
「どうやっても逃げられないよっと」
なんとか離脱しようと必死なのだろう。トパーズのイオンスラスターが大きく展開し、激しく明滅しているのが見てとれる。すでに目視できる距離だ。逃げる方向にカウンターをあて、スコープの中心に置き続ける。この程度はマッズにしてみれば余裕の操船だ。細かいリクエストを受け付ける。
「どこにつける?」
「そうだな、腹側にしよう」
「いちおう理由を聞いてもいい?」
「背側は客室らしい」
「さっすが人道主義!」
アハハハハと笑いだしたが、瓶底メガネの奥でニヤつくマッズの目には、鈍い光が浮かんでいる。獲物を追い詰めること自体を楽しむ、サディスティックな目つきだ。右ロールしながら腹側に廻り込む。
「ザムス、そろそろキャプチャアームの準備よろしく」
「任せとけ、一発で決めてやる」
三角錐の船体から二本の「腕」が伸びていく。まるで漆黒の甲殻だ。オペレータに両手を突っ込んで、アームの動作を確認する。最後に片方の爪を開いて「グッド」のサインを送った──遊んでいるのだ。先の戦いで傷ついた(自分の包丁があたった)壮絶な顔面を歪ませて、片頬をあげる笑い方をした。
ニヤリとうなずいたマッズは「ババッバッ」と化学スラスターを連射して、姿勢を制御していく。目視かつ手動でやっているとは、にわかに信じがたいほどの精度だ。圧倒的に早く、まったく無駄を感じない。
「よっし、接触軌道に乗ったよ。チェックメイト!」
「ザムス、遠慮はいらん。握りつぶしても構わんぞ」
「了解、ちょいと手荒くいくぜ」
キュイィィーン……バンッ!
「ィヤッフーッ!」
ミラージュに特有の甲高い動作音に続いて、キャプチャ成功の衝撃が船体を揺らす。トパーズを捕まえたのだ。ローレルを出港してから、まだ10分も経っていない。
「よし、ここまでは上出来だ。だが二人とも気を抜くなよ。これからが本番だ」
「ああ、誰にケンカを売ったか、わからせてやらねぇとな!」
「後悔させてやるよ! ロケットモーター点火!」
ビィィイイイーン……シュゴゴゴゴゴ─────
動作と動作の間にタイムラグがない。外部に追加装備された固体ブースターがうなりを上げた。リードに続いて本燃焼に入ると「ガンッ」という衝撃とともに強い加速が加わる。ミラージュを操る歴戦パイレーツたちも、シートに強く押し付けられ思わず歯を食いしばるほどだ。
「そっ、想像、以上だ、よっ!」
ガタ、ガタガタ、ガタガタガタ
「クンフー!!」
強烈な振動のなか、格闘家を自認する香港出身のザムスは歓声を上げる。
一瞬で背後から近付き、体を入れ換えてつかみかかり、そして一気に投げ飛ばす。いまミラージュのクルーが見せた一連の流れを、過去のクンフー映画になぞらえているのだ。息をつかせる間もないアクション。なぎ倒される憎き敵。あとは格好良くとどめを刺すだけだ。勝利の瞬間が近付いている。
ガタガタガタ、ガタガタガタガタ
ビグドゥは満足げにうなずいた。
正面ディスプレイには月が大きく映し出されている。遠月点で散ったデブリは、拡散しつつ近月点へ戻ってくる。その軌道へトパーズを押し付けるのだ。毎秒3kmで襲う鉄のシャワーを浴び、後悔しながら墜ちていくがよい。
ガタガタガタ(ミシッ)ガタガタガタガタ
マッズからニヤケ顔が消え、不安げにコクピットを見回した。
妙な音が聞こえた気がする。たしか後付けしたブースターは推力500トン級だった。2隻を押すためとはいえ、耐G無視の無人貨物用だ。有人機に載せるのは、やっぱヤバかったんじゃね。つか、なんだあれ……って、やば!
「正面方向! 船籍不明物体、識別信号なし!」
「どうした! なにが現れた!」
「わかんないけどローレルに向けて進路逆行! あぁダメだ、ウチと接触軌道!」
「光学望遠最大。物体をとらえた──た、短魚雷か!?」
「そんなもの宇宙にあるはずなかろう!」
「だがビグドゥよ」
「あたっちゃうよ! 判断!」
勝利を確信した直後、いきなり出現した妨害者にビグドゥは戸惑った。
安全策なら、アームを放棄してでもトパースから離れ、単独で回避するべきか。しかし、ここまで完璧に追い詰めた敵を手放して撤退するなど、選択肢としてあり得るだろうか。いや、あるわけがない。そもそも我らを阻むあの物体は何者だ。
あぁ神よ。なぜこうも──
「回避不能! 防御姿勢!」
──ビグドゥには、近づく物体がスローモーションで見えた。
全員にとって幸いなことに、その物体がはじめに当たったのは、トパーズの正面装甲だった。しかし、当然それだけでは相対速度を殺しきれず、無圧貨物室の一部まで削り取っていく。入射角が浅く、生命維持ゾーンが無傷で済んだのは──偶然とか奇跡とか、そういった類のなにかだろう。
トパーズ内部からバッと破片が散った。突き抜けた物体がミラージュに向かう。
ズダダンッ!!……カンカン、カカカン!
物体はキャプチャアームを吹き飛ばして、自らも四散した。
つながりを失った両船は、ビリヤード球のように反対方向へ飛ばされる。
飛び散った細かい破片が船体を叩き続けた。
「状況……確認!」ぶつけた頭を押さえてビグドゥが命じる。
「アーム喪失は目視で確認した、固体ブースターも衝撃で外れたようだ」
「トパーズを再発見、9時方向俯角60度で離脱中……いや墜落中?」
トパーズが制御不能の回転をしながら、月へ墜ちていくのが見える。
「……殺ったと思うか?」
「んーいちおう派手に当たったけどねぇ」
衝突現場にはキラキラしたものが浮かんでいた。
それは衝突物体が積んでいたもの──『プロフェッサー』のパイナップルワインだ。醸造が終わり、ローレルに帰港する間際。評判のワインは、すでに買い手もついていた。しかし、飛び散った瞬間に氷の破片となり、しばらく美しく輝いたのち揮発して消えた。