宇宙で生きる女
ヴィラに着いて部屋割りが終わると、観光客の七人組は食事について不平を言いはじめた。その主張は味噌や醤油が欲しいといったもので、要は和食が食べたいというのだ。宇宙の生活を体験しに来ているのに、地上と同じ食事を欲しがるなどナンセンスの極みだが、老人たちはワガママなものだ。
もちろん、できるものなら叶えてやりたいが、無いものは無い。なにしろ宙域には、醤油も味噌も存在しない。なぜなら製造に酵母を要する発酵食品だからだ。とうぜん納豆もない。
さらにいえば、同じくダイズを原料とする、豆腐も枝豆もない。これらは発酵を必要としない。それなのにどうしてかというと、実は宙域でダイズが作れない。ダイズに限らずマメ科の植物は栽培できないのだ。
説明しよう。
植物の生長には窒素・リン・カリウムが必要だが、マメは窒素を自力で吸収できない。これは宇宙だからではなく、地上にいてもできない。では、地上のマメはどうやって生きているのか──秘密は根っこで共生する細菌だ。これを根粒菌という。根粒菌が窒素を吸収してマメに与え、マメの方は光合成で得た栄養を根粒菌に与える。切っても切れない関係だが、宇宙に細菌は持ち込めない。たとえ根粒菌でもだ。
「よってマメは宇宙にありません!」
CAのイクミとミサキが、熱演を混じえながら説明した。マメ役はイクミで、根粒菌ちゃんはミサキ。そのため、イクミは両手を大きく広げて植物の生長を表現し、ハーフパンツから伸びた脚には、丸くなったミサキがくっついている。
たいていの客は、ここで「ほう、それは知らなかった」とか「それじゃ仕方ないわね」などと言い、パチパチと拍手の一つもくれるところだ。宇宙に来るくらいだから知的好奇心は高い。そこを刺激すれば、食べ物のことなど忘れてくれる──はずだったが、今日の客はしぶとかった。
「それはわかったから、なんとかしろ」──無茶をいう。
CA二人はうなずきあった。
「では、少し待っててくださいね」と、ミサキがヴィラのキッチンに向かう。ドアを出た陰でクルリと振り返り、右手人差し指で1、左手を広げて5を作り、イクミに合図を送った。「15分かせげ」という意味だ。
イクミはうなずき、部屋をチラッと見回す──が、カラオケセットはないようだ。仕方ない。アカペラでやってやろうじゃないの。
「それではミサキちゃんが帰ってくるまで、わたくしニカイドウ・イクミの歌謡ショウでお楽しみいただきましょう! まずは『青リンゴの山脈』から!」
往年の名曲。ヒットしたのはイクミがまだ生まれていない年だ。しかし仕事柄、懐メロの練習を欠かしたことはない。
♪チャーラーララー、チャチャチャ、ララララーン
七人組が手拍子を打つ。「続いて『わたしの警部はサウスポー』を、どなたかご一緒に!」ヒマワリの老婦人が押し出される。やだねぇと照れつつ見事に踊り切った。「皆様お待ちかね『フェスティバル』は合唱とまいりましょう!」声を合わせて盛り上がる──15分経った。
「お待たせしました~」
手に大きなお盆を持って、ミサキが帰ってきた。
しかし、丸餅のようなものが3つ乗った皿と、澄まし汁のお椀が、それぞれ7セット乗っているだけだ。勝手に豪華和食を期待していた老人たちは、露骨にガッカリした表情をする。
「これは……?」と尋ねる老婦人に、「ヒントはなしです。どうぞ召し上がってみてください」と、グルメ漫画に出てくるアシスタントのような口調でミサキが答えた。まぁせっかく作ってくれたんだしと、渋々ながら手を伸ばし、それぞれ食べはじめる──。
「あら、なんだか懐かしい味だねぇ」
「うん、悪くないじゃないか」
「スープの方もシンプルだが美味いぞ、こりゃ」
丸いものの正体はイモ餅だ。餅といってもモチ米とは一切関係がなく、いもデンプンをマッシュポテトに混ぜたものだ。イモ・オン・イモだが、これだけで餅のような弾力を得られる。バリエーションとして、シンプルに焼いただけのもの、ヒマワリ油で揚げて塩を振ったもの、砂糖を焦がしたカラメルを塗ったものを用意した。
お椀に入ったスープの方は、コンブの出汁を軽く塩で調味して、すりつぶしたエビを仕上げに少しだけかけた。お椀を手に取れば、鼻にはエビの香りがするのに、舌にはコンブのやさしい味。しかし後からエビの風味がきてパンチが加わる。
「シンプルに焼いたイモ餅は、お椀に入れちゃっても合いますよ」と、ミサキは食べ方を解説し「わたし実は北海道の出身で──」と語りはじめた。
寒く寂しい生まれた町、広がるジャガイモ畑、荒れる海、つらく厳しいコンブ漁、いつも優しかったおばあちゃん、炉端で作ってくれたオヤツのイモ餅──。
「思い出してつくってみたんです」エヘヘと笑う。
七人組は聞きながら目を真っ赤にし、なかにはすすり泣いている人もいる。つい先ほどまでワガママを言っていた爺さまが、ミサキの手をとって声を絞り出した。
「ありがとう……。うまかったよ」
遠くから見ていたイクミがグッと親指を立て、ミサキはゆっくりと頷いた。
*
『プロフェッサー』がはじめて宇宙に上がったとき、まだ女子大で生物学を学んでいた。専攻は細菌分野で修士課程。インターン制度を活用して宇宙空間の細菌を調べ、修士論文にまとめるのが目的だった。五年前のことだ。
所属したISS-6を中心として、月周辺宙域に点在する施設を回り、空気中に漂う細菌を採取していく。想像以上に細菌や微生物が多いことに驚き、その同定結果から人間由来がほとんどだと知って愕然とした。
人体には多くの寄生生物がいる。腸内細菌など共生関係にあるものも多い。いくら検疫で細菌の持ち込みを規制しても、ヒトが宇宙に上がってくる限り汚染は進む。そう結論付けた。
ここで「人類が汚染の元凶! 消毒だ!」と、活動家やテロリストになる道もあっただろう。しかし、彼女は逆に「ヒトが上がり続けるなら、細菌の防疫は無意味だ」と考えた。有用な細菌は禁止すべきではなく、むしろ積極的に持ち込むべきなのだ、と。事実、同じような考え方を持ち、合法化運動をしている人々は少なくない。そこに合流する道もあった。
しかし、彼女は合法化を待たなかった。有用細菌の持ち込みを計画し、そして実行した──確信犯だ。
身分証として使った女子大の学生証は、計画を実行するにあたって有効に働いた。そもそも偽造ではなく本物の女子大生だ。理系の若い女子、リケジョが悪いことをするはずがないという思い込みを利用した。なにも知らない顔でニコニコしていれば、多くの検疫官がフリーパスで通してくれた。
もちろん、簡単に発見されないようカプセルに入れ、念のため「体内」に隠すくらいはした。この隠し場所も有効だった。ISS-6で勘の鋭い職員に見つかりそうになったときも、「このひとセクハラです!」と叫び、泣いてみせたら──職員の方が連行された。次に行ったら彼はもう検疫所にいなかった。
持ち込んだのは酵母だ。
汎用性の高いワイン用を厳選した。培地で殖やしつつ試験醸造を繰り返す。それは生物学の基礎で手慣れたものだったが、原料探しに苦労した。ブドウは採れないため、宙域で手に入りやすいバナナやイチゴを試みるも、品質に問題があった。不味くて飲めないのだ。
誰かに相談できるわけがない。悩んでいるとき、カフェで目の前に置かれたパイナップルジュース──。なんとバカらしいことか。宙域で最もポピュラーなものが正解だったのだ。半年後、できたてのパイナップルワインを手に、独り祝杯をあげた。
ここで止めておけば、女子大生の大冒険で済んだだろう。表立ってはいえないが「個人的な楽しみ」として密造酒を作るくらいは、とくに珍しいことではない。
ところが彼女は稀にみる起業家だった。
商業化にあたって、最も問題となるのが醸造スペースだ。醸造中の長期にわたって、大量の樽を保持していれば、目立つし怪しまれるに違いない。そこで彼女は宇宙を醸造スペースにすることを思いついた。醸造樽を軌道に打ち出し、酒になって帰ってきたら回収する。軌道を周る三週間で十分な品質を得るため、マセラシオン・カルボニック法も応用した。ボージョレ・ヌーヴォでも使われる、炭酸ガスで新酒を速成する手法だ。ローレルに一部屋を借り「炭酸ガス回収業」の会社登録をしたのは、カモフラージュであり実需でもあった。
フロント企業の設置だけでは心配と、残ったリスクを回避するため分業制とした。
彼女はタンクにパイナップルを詰め、醸造を促進する砂糖と炭酸ガスを加えるだけ。酵母である「魔法の粉」は入っているものの、発酵前なら取り押さえられても「炭酸パイン」だと言い逃れできる。
それを受け取るのは運び屋のブル。彼女の住処を知っているのは彼だけだ。接触するときはベールをかぶり老婆のふりをする。樽を前に怪しい調合をする姿から、魔法使いの婆さんと理解し納得しているようだ。
軌道打ち出しから先はジェイの担当だ。一度も会ったことはなく、商売の進捗もブルを通して暗号でやりとりする。
デヒト、イリフタ、ナカサンジュウ。ウチヒト、ソトヒト、モトムワゴ
ブルは気付いていないが簡単だ。出1、入2、中30。内1、外1、求むは5
出港した樽1、入港した樽2、軌道周回中30。ローレル内の販売実績1、外の販売実績1、引きあいは5──となる。
生物学博士アル・ロジャースという偽名は、密造酒を作っている男の名として自ら広めたものだ。由来はトロントのジャパン・フェアで手に入れたBL同人誌の登場人物。ウケだ。そんなことは合衆国領のローレル警察が知るよしもない。彼らは二次元にしか存在しない男の尻を追いかけているのだ。
「さーて作るかぁ!」
パイナップルジュースに砂糖と酵母を入れて混ぜまぜした。