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月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
5話.生物学博士、アル・ロジャース
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ローレル

 ノヴォコサキスクから入れ替わりで乗り込んできたロシア人たちは浮足立っていた。トパースのクルーたちは、その理由も察しがついていたが、あえて口にだすことはない。それは公然の秘密だからだ。

 次の寄港地、合衆国領の観光衛星「ローレル」は、船乗りたちの隠語でシカゴとかケンタッキーと呼ばれている。シカゴといえば禁酒法、ケンタッキーといえばバーボンウイスキー。要は酒から連想される合衆国の地名だ。酒がないはずの月周辺宙域で、そう呼ばれているのだから、なにがあるかは誰でもわかるだろう。


 誤解されやすいが、実は禁酒法が施行されているわけではない。

 宙域への持ち込みが固く禁止され、港で厳しく検疫されるのは、酒自体ではなく細菌や微生物──この場合は酒造りに欠かせない酵母菌の方だ。醸造に使う酵母がないから酒は作れない。同じ理由ですべての発酵食品は宙域に存在しない。

 これは各施設の汚染を防ぐためで、仕方のないことだ。もし、閉鎖環境内で細菌やウイルスがばらまかれれば、その施設がまるごとバイオハザード。パニック映画のような状態になってしまう。だから、持たない、作らない、持ち込ませないの三原則が必要なのだ。


 しかし、規制の目をかいくぐろうとする人間は必ずいる。商売目的にしろ個人用にしろ、これまで何人も持ち込みに挑戦してきた。そして、そのたびに逮捕摘発され、送還されてきたのだ。ただ一人、アル・ロジャースと呼ばれる人物を除いては──。彼は生物学博士で、その知識を悪用して密造酒の製造販売に手を染めているというのが、もっぱらのウワサだった。


 *


 ローレルはヴィラ形式の観光衛星だ。

 メインブロックを木の根、真っすぐ伸びたシャフトを木の幹として、枝の先には多数のヴィラ(子衛星)が取り付いている。ある場所には永住者が住みつき、ある場所は貸し別荘としてホテルのように使われ、いまでは権利関係が複雑化してしまって、なにをしているのかわからない場所さえある。


 そういったヴィラの一つに、ボートタイプの小型船が接舷した。個人船に専用港持ち。そういった成り上がりもここでは珍しくないが、降り立った男は富豪の一人とは思えない風体だった。


「プロフェッサー、次の『タル』を受け取りに来ましたぜ」

「下の二つはできてるよ。持っておいき」

「へい、承知しやした」軽く頭を下げた。尻ポケットからクシャクシャになったメモを取り出す。「ジェイの兄貴からの伝言は『デヒト、イリフタ、ナカサンジュウ。ウチヒト、ソトヒト、モトムワゴ』でした」

「あいよ。まったく、いくら作っても足りないねえ」

「そろそろ『ジュース』を多めに仕入れちゃどうです?」

「ジェイがそう言ったのなら、こっちはお断りだと伝えな」

「そうおっしゃると思ってやした」ニヤッとする。「いつもの、品質第一、信用第一、安全第一、儲けは最後、でしょう」

「わかってんならとっととおいき」

「へい、また明日も同じ時間にうかがいやす」


 男はボートを発進させると、ヴィラの下に係留してあった『タル』二つを、意外に器用な操船技術で牽引した。タルと呼ばれていたものは、実際には一抱えもある円筒形コンテナで、長さも3メートルほどある。タルというより短魚雷のサイズ。もし中身が液体なら、おそらく七百五十リットルほど入るだろう。ワインボトルなら千本分だ。


 ボートが飛び去るのを確認すると、『プロフェッサー』は片手を口に当てて「ゴホっ……ゲホゴホっ」と咳き込んだ。頭にかぶっていたベールを乱暴に取り去る。


「あーもー、これ面倒くさいなー」


 先ほどまで出していた老婆の声色とは違う、若い女性の声だった。


 *


 ローレルに入港するや、ロシア人たちは待ちきれない様子で街に飛び出していった。


「明日の出港は早いですから、あまり夜更かししないでくださいね」


 カガに念を押された観光客の七人組は、CAに引率されて宿泊先のヴィラへ向かう。

 クルー二人とアイは取り残された形で港にいた。とくに目的があるわけではなく、完全にノープランだ。とりあえず出入港ゲート付近の土産物店を眺めながらブラブラと歩く。

 馬の蹄につける蹄鉄を置いてある店が多い。もちろん宇宙に馬はいないので実用品ではなく、幸運グッズとして売られているのだ。蹄鉄のU字型は、幸運を逃さないとか幸運を降らすとされている。それは昔からの縁起担ぎだが、ここのものは月の純鉄でできているため「錆びない」のがウリ文句らしい。錆びないから幸運が永遠に続くというセリングストーリーだ。

 わざわざここで買う意味はなさそうだが、これだけ置いてあるからには、それなりに売れるのだろう。まあ観光地の土産なんて、そういうものかもしれない。


 土産街を抜けるとフードコートになっている。出港間際のあわただしい時間でも食事ができるよう、ファストフードがメインだ。「UDON」のノボリを立て、和食だと主張している店もある。

 うどんといっても本物の小麦粉ではなく、いもデンプンを練って細く伸ばしたものだから、むしろ葛切りに近い。掲げている写真にも、半透明の麺をスープに浮かべた丼が載っている。

 しかし、このくらいで目くじらを立ててはいけない。その隣りで売っている「ハンバーガー」に至っては、もはやハンバーガーの形をしたなにか、だ。観光衛星とはいえ合衆国領なのだから、食べ物に関して期待する方が間違えている。


 椅子とテーブルを並べた食事スペースには、四台の街頭ビジョンがあり、それぞれTV番組を流していた。

 子供向けアニメ『フォックス&ラビット』の近くには家族連れが集まっている。「空中戦を制したのは──」と解説しているのは『リアル大相撲』の結果を報じるスポーツ番組。イスラム系の際どい漫才も、人気芸人の「センガナ派でんがな!」という決め台詞で観客がドッと受けていた。

 もう一つは普通のニュース番組だ。

 アイは立ち止まって見ていたが、突然「ツヨシくん、たいへん!」と叫び、カイナガの腕を引っ張った。UDONを食べるか真剣に悩んでいたのに、アイが強引にニュースを見せようとする。やっと「なんだよ、うっさいな」と振り返り、そのまま目を奪われた。手だけで傍らのカガを叩く。カガも身体を寄せ、三人は頭を並べてニュース番組に見入った。


【文科省の試験衛星にテロ攻撃!!】というテロップ付きで、二隻の船が四散する様子を繰り返し流している。アナウンサーによれば9時間前──ちょうどトパーズがISS-8を出港したころに起きた事件らしい。インサートされたイメージ図を信じるなら、かなり傾いた楕円軌道の遠月点が遭難現場だ。


「月の裏……だな」

「そう、ですね。例のウワサは、このことだったのでしょうか」

「月周回軌道に入る直前、いちばん遅いところ……まあ狙い目だわな」

「それにしても、この飛散量です。どう思いますか?」


 カガが気にしているのは、すでに起きたことではなく、これからのことだ。事件当初は少し遅かったといえ、仮にも軌道速度を持った破片が月周囲にバラまかれた。明日以降の運行に支障がないか心配するのは、人命を預かる船長として当然だろう。問われたカイナガは、少し考えてから答えはじめる。


「オレは大丈夫だと思う。入りたてのトランスファ軌道で襲われたんだ。たぶんアポジも蹴れてないだろ。こっちの正円軌道と交差する可能性は、ゼロじゃないにしろ、無視レベルじゃねぇかな」

「ふむ……だから警報も退避勧告も出ていない、と」

「オレたちもニュース見るまで気付かないくらいだしな」自嘲気味に笑う。

「モリ大尉、空軍からの情報はありませんか」

「そりゃダメだろ、なぁ?」

「申し訳ありません。ここでは無理です」唇を噛んだ。


 公共回線で軍機情報をやりとりするわけにはいかない。

 そのため、カイナガも軍の常識として知っている通り、移動中は連絡が取れなくなってしまうことが多いのだ。

 遭難現場に比較的近いアイと連絡をとりたいのは、むしろ地上の本国側だろう。しかし、軍用固定回線、せめて暗号化施設のある回線──ローレルの近所ならISS-6──までたどり着かないと、通信することさえできない。規程が仇になり、お互いが最も知りたい情報を得られないというのは、軍人稼業の皮肉かもしれない。


「とにかくトパーズに戻りましょう」

「とりあえず会社に、なんで連絡しねぇのか文句言わねぇとな」

「終わったら通信機貸してよ。伝手で聞いてみるから」

「報道以上の秘密は出ねぇだろ。秘密じゃねぇから報道できる。報道できねぇことは秘密事項だ。よって通信では伝えられねぇってな」

「それはそうかもしれないけど」


 話しながら、三人は港に戻っていく。途中でカイナガがUDONの持ち帰り弁当を買った。本物のうどんと違って、まず伸びることはないから、深夜に小腹が減ったら食べるのだという。今日もゆっくり休めないのかと、カガはため息をついた。

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