命名会議
その日、市ヶ谷の統合幕僚会議は荒れていた。
「XFS-1、一式宙域戦闘機・試作型だ!」
「軍艦あわじ……だ」
「陸軍としては海軍の提案に反対である!」
近日中に打ち上げられる衛星の名称について、意見が割れているのだ。
空軍幕僚長は、型式名で呼ぶことにこだわった。試作を表すX、戦闘機のF、宇宙用でS、そのタイプ1だからXFS-1が合理的だろうという主張だ。
海軍軍令部長は、戦艦とみなして旧国名を付けたがった。「やまと」を提案しなかったのは、さすがに時期尚早と遠慮したつもりだった。
陸軍参謀総長は、提案した「スペースニンジャ」が早々に却下されて憤然としていた。とりあえず、自分の命名センスを嘲笑した海軍の意見に反対し続けることを、自らの存在意義とした。
楕円形のテーブルを囲んでにらみ合いが続く。
その様子を、壁際に置かれたパイプ椅子に座って見ていたのは、防衛省の大臣官房付中尉である七海ちとせだ。あまりの下らなさに表情というものが消えている。もはや無我の境地に達していた。
ちとせが初めて、そして少しだけ防衛省に注目されたのは、防衛大学校の入学試験だ。断トツの高成績に、試験官は「防大には来ないだろう、東大か京大に行くのでは」と思った。
しかし、ちとせは防大を選び、走水で迎えた入校式のときには──式場がざわめくほどに注目された。可憐という言葉がおこがましいほどの美少女だったからだ。しかも、ツンとしたところがなく誰にでも優しい。当然ながら防大のアイドルになった。
彼女が一年次のときに行われた、陸海空による争奪戦はいまでも語り草だ。学生寮では上級生も交えて、連日のように作戦会議が開かれたという。しかし、すべては無駄だった。なにしろ彼女自身はWAVEになると決めていたのだから。
二年次にあがって、要望通り海軍要員に決まったとき──まだ卒業してもいないのに、江田島の海軍士官学校までもが歓喜に包まれた。
すでに防大のアイドルから、防衛省のアイドルとなりつつあったのだ。
会議は、にらみ合いから殴り合い寸前に発展していた。
海軍軍令部長の安い挑発に激昂した空軍幕僚長が、口から飯粒を飛ばし怒号をあげる。弁当箱が飛んでくる。ちとせが首をすくめて避けると、離れた壁にぶつかって散らばった。陸軍参謀総長が誰かに投げつけようとして手元が狂ったのだ。
陸軍が誤射したのは、わざわざ赤坂の料亭から取り寄せた松花堂弁当。価格は一般的な会社員が食べるランチの五倍ほどになる。ちとせは無表情のまま(もったいないな……)と思った。
防大をでて任官したとき、現場の誰もが「これで我が国は安心だ」と思った。飛び抜けて優秀だったから、いつかは実力派提督となり海上防衛の指揮にあたるだろうとまで期待したのだ。
彼女は走水で四年間を過ごすうちに、アイドルからカリスマになっていた。
そこに横ヤリを入れたのは市ヶ谷だった。
優秀な幹部候補の「能力」ではなく、単に「若くてかわいい新人女子」とみなして目をつけ、虎視眈々と狙っていたのだ。強引な人事権を発動し、ちとせを「大臣官房付」という意味不明の役職に付けて本省に奪い取った。トンビに油揚げをさらわれた形の海軍は唖然としたが万事休す。ちとせは、お偉方の接待係のような地位に据え置かれ、優秀な頭脳と国防にかける情熱を発揮する場を失ってしまった。
以来「ちとせちゃん、お茶持ってきて」などという雑務にあたっている。
そもそも、この会議は命名について話し合う場ではない。はじめに背広組がブリーフィングした通り、喫緊の課題は「新規衛星の管掌・権限を、文部科学省から奪取する方策について」だった。
防衛省としては軍事衛星として運用したかった。しかし、文部科学省は管掌の移転を拒んでいた。相手は開発機構を擁しているどころか、すでに打ち上げ準備に入っているだけに一刻の猶予もない。無理難題は承知のうえだった──が、案の定会議は行き詰まった。
休憩を兼ねたランチタイムの最中、茶飲み話として「名前を付けるとしたら何が良いですかねぇ?」と議長が発したうかつな一言。それをきっかけに制御不能の命名会議になってしまったのだ。空は言葉の対艦ミサイルを放ち、海は言葉の対空砲で応射する。高齢の陸軍参謀総長は、もう体力が続かないのか言葉も出ず、ただ肩で息をしている。
ちとせたち壁際のパイプ椅子組は、まだ食事さえとっていない。