バイバイ
「JS1213Cトパーズ、エイトコントロール、クリアトゥアプローチ」
「トパーズ、クリアトゥアプローチ」
ISS-8の埠頭にポートサイドを向けて、トパーズがゆっくりと近付いていく。接近速度は毎秒1メートルを少し割るくらい。だいたい人が歩くほどの速さだ。展開したイオンスラスターが明滅して細かく姿勢制御をしている。エアロックのハッチが、太陽光を反射してキラッと光った。
グラッ
なにも問題がないように見えたが、突如トパーズの姿勢が乱れ、左にロールをはじめる。コックピット内に、ポーン・ポーン・ポーンと警告音が鳴った。
「緊急コール、エイト管制塔へ、こちらJS1213Cトパーズ」
「トパーズへ、交信可能」
「スラスターの調子がおかしい。パイレーツと戦ったときに傷めたようだ」
「交戦した話は聞いている。貴艦の希望は」
「磁気アンカーの使用許可をくれ」
「了解した」
「それとショックアブソーバの準備を頼む」
「すぐに展開する」そこまで緊急公務らしい口調。その後は友人口調に変わった。「けどよ、カイナガ、本当にぶつけんなよ?」
トパーズからアンカーが打ち出された。すぐに磁気で引き合い、ラッパ状に広がったキャッチャに収まる。これで、埠頭から離れて漂い出す心配はなくなった。しかし、今度はアンカーを支点に大きく振り子運動をはじめてしまう。
「おいカイナガ、それ止められないのか……って、ぶつかる、ぶつかる!」
「ダメだ。悪りぃ、いったんぶつかるぞ!」
速度が遅いため衝撃は少ない。とはいえ、左にロールしたまま、ショックアブソーバに吸い込まれるような形で「ゴッ……」と衝突したのだから無事でもない。カイナガも左につんのめるように身体が傾く。
同時に──船外で待機していたモモカが、衝突の勢いを利用して飛び出した。
*
空気も壁も重力も、なにもない空間に浮かぶ。わずかに手で細いテザーをつかんでいるだけだ。とたんに心細くなる。距離感がわからない。どちらに進んでいるのかわからない。ドキドキドキドキと自分の鼓動が聞こえる。早く、短く、鳴り続ける警報のようだ。心臓が飛び出してきそう──こわい。
「……モカさん、モモカさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫だいじょーぶ。思ったよりへーき!」モモカは強がった。
「もうすぐテザーが伸び切ります。気をつけ……あっ」
「おっけー……て、きゃ!」
伸び切ったテザーがビンっと張る。
その衝撃は思ったより強く、手がテザーから離れた。
「モモカ!」カガが叫ぶ。
宇宙空間に投げ出された。
マズい、マズい、マズい。
頭が真っ白になる。身体がクルクルとまわる。
衛星と地球と月が、左から右、下から上へと流れていくのが見える。
傾いたトパーズも見える。あの中にカガとカイナガがいる。たすけて。
足になにかが当たった。
目の前に、下から細いものが漂ってくる……なんだっけこれ。
「ヒモつかんだ!」
「気をつけてください、モモカさん!!」
「へへへ、ごめんこめん」
「……ふぅ。外壁が近付いています。エアロックが見えますか?」
「んと……あるある。下のほう!」
「こちらでも見てますが、場所を教えてくださいね」
カガはディスプレイを最大望遠にして様子を見守った。手元には、元「ファランクス」の操作パネルが広げてある。テザーの根元をファランクスの基部に残ったモーターに巻き付けてあるのだ。これを使えば多少の操縦ができる。モモカがテザーに触れていれば有線通信も可能だ。
「んー、ちょっと引っ張ってもらったほうがいいかも」
カガがモーターを回してテザーを少し巻き取る。トパーズの計算ではピッタリの位置に着くはずだったが、一度手を離したのでズレたのかもしれない。
「もうちょい、もうちょい」
「本当ですか?」
さらに巻き取る。ディスプレイ上で、モモカとエアロックは目と鼻の先だ。
「届きそう、いけそう……あ、あれ!?」
「どうしました」
「通り過ぎちゃった!」
モモカがエアロックの手前を通過していく。円運動の目測を誤り、引っ張りすぎたのだ。テザーは引っ張ることはできても、押し出すことはできない。
「あー……」
「作戦失敗です! 撤収するからつかまって!」
「……待って!」
「もう元には戻せません!」
「待って!!」
ディスプレイに映るモモカは、なにかを狙っているように見える──。「ラッタルだ」とカガは理解した。エアロックから出た人が作業しやすいよう、周辺には梯子が付いている。それをつかもうということだろう。しかし、ラッタルはエアロックより小さい。
「モモカさん、弾かれたら終わりですからね」
「作用と反作用」
「そう、ワンチャンスです」
手が届かない所をラッタルが通過していくのを、モモカは見送る。
次……。ギリギリ届く。でも失敗したら弾かれて終わり。やめておく。
次……。いけそう。でも、この次ならもっといいかも。完璧を期す。
次……。あ……これ近付きすぎたってことね。あはははひゃあぁぁ
ベチャ
ラッタルをつかむというより、顔からぶつかった。
ジタバタしながら、なんとかしがみつく。
「着いた!」
「それ……大丈夫なんですか、モモカさん?」
「ちょっとぶつけた」
「ほらもう……まずフックかけて。絶対に離さないように」
「うん。できた」
「この後はわかりますね。あわてずゆっくり」
「だいじょぶ大丈夫!」
「それから、エアロック開けるときは飛ばされないようにし……」
「……ありがとね、カガ船長」
「ああ、こちらこ……そ?」
「バイバイ!」
プツっと通信が切れた。
モモカがトパーズとつながるテザーを離したのだ。
「あ、ちょっと……」
なにかを期待していたわけではないが、モモカのあっさりした別れように、カガは少し拍子抜けした。ヘッドセットを外してディスプレイを見つめる。
(ありがとねって、それだけですか)
画面にいるモモカは、うんしょうんしょとラッタルを登っていた。
(キミがいるあいだ、けっこう大変でしたけど……まあいいでしょう)
エアロック脇の開放スイッチを押した。言いつけ通りすぐに頭を引っ込める。
(そうそう、エアに飛ばされないように)
ハンドルを回そうと踏ん張るが、重さに苦労しているようだ。
(がんばれ、がんばれ、あと少し)
なんとか開けて身体を飛び込ませる。
いったん消えたあと、ひょっこり出てきてブンブン手を振り、また消えた。
(……バイバイ、モモカ)
*
「おーい、カガ船長」
カイナガの声で我に返る。
「はい、なんでしょう」
「そっち終わったのか」
「ええ、無事にエアロックに入れたようです。手を振ってました」
「なんだそりゃ。まあいいや、それならテザー巻き取っちゃってよ」
「了解です。すぐに」元ファランクスのモーター音が響く。
「おし、じゃあ行くか。トパーズ、通常運行に戻してくれ」
「承知しまシタ。割り込みプログラム解除。入港モードに移行しマス」
カイナガがISS-8の管制と通信を回復させる。
「悪りぃわりぃ、通信機までいかれちまって」
「だから、ぶつけんなって言ったろうに!」
「いやぁすまん。だが災い転じてなんとやら。代わりにスラスターが直ったぜ」
「お前の船は叩いたら直る電化製品か!」
「まーまあ。いったん離れるからナビよろしく」
「ったく、しゃーねーなぁ」
カイナガとISS-8管制官の、もはや管制とは思えないやり取りを聞きながら、カガは「ふぅ……」と息をつく。シートにもたれかかると、ヒヤッと冷たい。それではじめて、自分の背中が冷汗でビッショリ濡れていることに気が付いた。