決断
星の配置は不規則で、それぞれ自由気ままに光っているだけだ。
しかし、太古の昔から、人は星に想像を乗せ神話を重ね、星座として意味付けをした。さらに、大海原へ乗り出すようになると航海の道標ともした。
そして、いま人類は、そのなかに人工の星を付け加えている。
人工の星──人工衛星が放つ光を、肉眼で見分けるのは難しい。距離感のない宇宙では、はるか輝く恒星と、近くで光る灯の区別がつかないからだ。しょせん人の目など、主観で見ることしかできない曖昧なもの。確かなことなどなにもない。
それでも、意図された規則性を手がかりに、人工物を発見することは可能だ。たとえば、規則的に灯火が配置されたもの。規則的に明滅するもの。それは、明らかに人の手が加わった証だ。
ISS-8が見えてきた。
L1を中心として楕円形のハロー軌道を周る、国際宇宙ステーション8号機。地球と月を結ぶ航路にある中継港だ。
先ほどまで一点の光だったが、もう十分に近付いた。直線や円で構成された幾何学模様に沿って、灯火が並んでいるのがわかる。出船、入船が放つ両舷灯が、無彩色の世界に赤と緑の彩りを加え、無音の世界に光の音を与える。無人貨物機が列をなして往くさまは、ターミナル駅を出た貨物列車のようだ。
港を目にしたとき、地球で海をわたる船乗りも同じような感慨を抱くのだろう。天の星空、黒い海、延々と広がる水平線。それだけを見続ける長い航海。やがて水平線に灯りが見えたとき、それが遠い異国の港であっても、きっと「帰ってきた」と思うに違いない──実は船底に揺れる波があり、故郷「地球」から離れてさえいないのに。
コクピットの中をランドセルが漂っていく。
ここは上下のない世界だ。上下逆になっても頭上には星空。船底もなければ波もない。距離感がないから前に進んでいるのかさえわからない。自我を保つ強い精神力が求められ、退屈な日常が続く世界。
その日常に飛び込んできたのがモモカだ。
コリンズを発ってから、わずかな時間しか経っていない。だが、トパーズのクルー二人は、もう何週間も一緒にいるような錯覚を起こしていた。もしくは、生まれたときから知っている友人の娘を、ただドライブで送り届けているような感覚。そのくらい一気に溶け込み、当たり前のような顔をしてカイナガと話している。
ランドセルのリングに付いている御守は、モモカが大月温泉で買ったものだ。
*
「天狐」を出るとき、見送ってくれたウェイターは、そう言えばと忠告した。
「ここのところパイレーツの目撃が相次いでいるらしいですよ」
「あはは……なんですかそれ」さっき戦ったとも言えず、カガは適当に答えた。
「いえいえ、冗談ではなく急に何隻も出没してるそうです」
「何隻も、って別に警報なんて出てねぇだろ?」
「あくまでも非公式情報なんです。立ち寄った船乗りが口々に言うので、根も葉もないウワサというわけではないようですが……」
「どういう話なんですか?」
「みなさんバラバラの話なんですが、結論は同じで『月の裏に向かっていた』とおっしゃるんです。ウチの詳しいものが言うには、一斉に何かを目指しているんじゃないか、と」
カガとカイナガは顔を見合わせた。
二人はロディが言っていた「裏側にいるって話だったんだけどなぁ」という言葉を思い出す。モモカは少しブルッとして、浴衣の裾に手をあてた。その仕草にカイナガが目ざとく気付いてニヤつく。
「かわいそうに、トラウマなんだな」
「!」
カッと赤面して、ウェイターに見えない角度からモモカ・パンチ。絵面にふさわしくないスミレの香りが漂った。カイナガが背中を押さえてのけぞる。
「当面の目的地は月の裏とは離れているので大丈夫かもしれません」
「それならば安心しました」と言いつつ、ウェイターは通路の奥を指す。「いちおう艦内神社がありますので、もし神頼みをするならご利用ください」
「神社!?」
「あれ。モモカさんは神社を参拝したことがありませんか?」
「ない!」ブンブンと首を横に振る。
「では着替える前に行ってみましょうか」
「うん!」ブンブンと首を縦に振る。
「ぜひどうぞ。ご利益ありますよ」
「ウェイターくん、やけに押すじゃねぇか」
復活したカイナガがいぶかしむと、ウェイターは胸を張って言い切った。
「グループ企業ですから」
「なんだそりゃ」
「行ってみればわかります」
モモカは早くも通路の奥に向かってトコトコと歩きだしている。
「おい、迷子になるぞ」
カイナガが走って追いかけ、カガはウェイターに一礼してからゆっくりと後を追う。ウェイターは三人が神社に向かうものと確信して、満足げに店へ戻る。
神社に向かう通路は、千本鳥居になっていた。周囲を竹に囲まれ、地面は苔が覆っている。立ち並ぶ鳥居の赤と、香り立つ植物の緑が奏でるコントラストが目に鮮やかだ。遠景に白い石垣が見え、どこからか鹿威しの「ッカーン」という音が小さく聞こえる。──もっとも、すべてバーチャル映像にすぎなかったが、雰囲気は出ていた。よく見れば、遠くに行くほど通路が狭くなっていて、遠近法によって少しでも長い道に見せようという工夫が施されている。
(凝りすぎだ……)とカガは苦笑したが、モモカは大喜びで弾むように進んでいく。その後に振りまかれた香りがいかにも和風で、遠い日に存在したであろう「ニッポンの夏」を感じさせた。
鳥居を抜ける。
ふと音が止み、気温が少し下がってヒンヤリとした。心なしか湿度も感じる。演出なのだろうが、山深くにある神聖な神社の境内に、朝早く訪れた気分になる。いつも猫背のカイナガさえ、思わず背筋を伸ばしてしまうほどだ。床には掃き清められた玉砂利が敷かれている。
しかし、両側にいる狐の狛犬から先は入れない。さらに奥には『月見稲荷神社』という額がかかった小さな社が見えるが、この距離から参拝しなさいということらしい。多用される遠近法に呆れそうだが、狭いスペースでそれなりの荘厳さを印象付けるには仕方ないのかもしれない。
「……えーと。なにをするところ?」
「う~ん……要するに『お願い』をするところです。まず、将来の夢とか希望とか、叶えたいものを考えてください」
「決まった!」
「はやっ」
「それでは順番に真似してくださいね。まず神様を呼びます」
ガランガランと鈴を鳴らす。
「神様ん家の呼び鈴ね!」
「……まぁそうです。次にお賽銭を入れます」
コインを持っていない二人にはカガが渡してやり、それぞれチャリンと入れさせる。
「お願いの報酬は先払いなのね!」
「おまえ、そのうちバチがあたるぞ」
「カイナガの口からバチあたりという言葉を聞くとは思いませんでしたが……。二礼二拍手一礼して、お願いをします──そうそう。口に出さないで、心に願うだけで良いですからね」
「二礼二はく……え?」
カガが先に見本を示す。慣れているのか堂々とした所作で二礼二拍手一礼をこなし両手を合わせる。見よう見まねでモモカが続く。
ペコペコ・パンパン・ペコ
両目をギュッとつぶり、なにごとか熱心に祈ったが、すぐに手を解いた。
「なに頼んだんだよ」
カイナガが聞いたが、答えなど期待していなかった。「ないしょ」とか「もう!カイナガこそ」とか言わせて楽しもうと、からかい半分で聞いただけなのだ。しかし、モモカは即答した。
「地球に行きたい!」
真っ直ぐな瞳で神社を見つめ、大きな声で繰り返した。
「地球に行きたいって!」
──カガは天を仰ぎ、カイナガはうつむいて床の玉砂利を見つめた。
聞いてはいけないことだった。叶うはずのない、いや叶えようとしてはいけないモモカの願い。それを再び聞かされてしまった。願えば実現すると信じて疑わない、その無邪気な瞳を直視できなかった──。
そのまま黙っている二人の様子に気付かないのか、モモカは無人販売所を見つけてトコトコと寄っていく。さっそく「わぁ」とか「かわいー!」と言いながら、手にとって確かめている。カイナガは、一度カガの肩に手を触れてから、モモカの方に向かった。「悪い」という意味なのか、「後の判断は任せた」という意味なのか、いずれにしろ無責任だ。「どれどれ」などと声をかけるカイナガに、モモカがあれこれ見せているのを、カガは恨めしく見た。
悩みに悩んだうえで、けっきょくモモカは「かわいい方のきつね」を選んだ。人の姿をした女神が狐に乗っているリアル系と、擬人化されて三角耳が生えている狐娘系があって、後者が「かわいい方の」だ。
販売所の値札に「御守」と書いてあったきつねを、無法にもクルクルと振り回しながら元気に歩いていく。その後ろをトパーズのクルー二人が並んでついていく形になった。
「グループ企業ね」とカガがつぶやく。
「なんだっけそれ」
「『天狐』のウェイターが言っていたでしょ」
「ああ、そう言えばそうだったな」
「きつね様つながりなんでしょうね。『稲荷神社』の使者はきつね、ついでに『おいなりキッチン』も」
「チェーン店ってやつ?」
「さぁ?」
けっきょく意味はわからない。モモカの後ろ姿を眺めながらトパーズに帰っていく。
*
ISS-8は、いよいよ近付いている。もう決断しなければならない。カガは意を決した表情になった。
「決めます……決めました!」
パイロット席の傍らに浮いて、意味なくスイッチをいじっていたモモカが、なにごとかと振り返る。カイナガは、もうお任せしていますからといわんばかりのトボケ顔を向けたが、心の中では結論を出していた。おそらくカガの最終回答は、自分と同じだろうと思っている。
「モモカさんを……ISS-8に降ろします」
「了解、船長」表情が引き締まる。
「!?」
モモカだけが狐につままれたような顔で目をパチクリする。連れていってもらえるものと、とっくに信じていたし、二人の葛藤など知る由もない。ただ、なにかしらの決断がなされたらしいと察して「わーい……?」と、口先だけで言った。
きつねの御守はニッコリ笑った顔をして、三人の間を漂っている。