合衆国軍A・リンカーン
極東の島国からノロノロと上がってくる宇宙機を、軌道上で忌々しげに眺めていたのは、合衆国大型SUV「エイブラハム・リンカーン」の艦長ロバート・キクチ大佐だ。ここに至る経緯も承知しているだけに、心持ちは穏やかではなかった。
かつてレッツGの開発計画をキャッチした合衆国政府は『共同開発』を持ちかけた。「勝手に武器を作ることは許さない。最新技術は合衆国が管理すべきだ」という意味での共同開発。水面下で打診という生やさしいものではなく、正面ドアをドンドンっと強くノックし、情報共有──という名の情報提供を求めたのだ。ほぼ一方的に守ってやっている上位同盟国として、それは当然の権利だと考えていた。
しかし、カウンターパートである防衛省は提案を断った。その理由がふるっている。なんと「軍の管轄下にない」と言い訳をしたのだ。常識として、国家の防衛装備が軍の預かり知らぬところで開発されることなどありえない。
陪席していたキクチ大佐(当時中佐)は、そのとき肩身の狭い思いをした。もちろん、国民として軍人として合衆国に忠誠を誓っている。一方で、祖父が生まれた国の精神文化を誇りに思っていた。憧れに近い感情を抱いていただけに、その国の高官が姑息な言い逃れをしたことに失望を禁じ得なかった。
主席交渉官は「ファッキ○ジャッ○」と激怒し、経済制裁もちらつかせたが、けっきょく交渉は平行線のままで終わった。いつか障害となることは明白だった。
いま、それが進宙してくる。
強硬派の士官たちはキクチ大佐に即時対応を進言した。いまなら難なく始末できる、証拠を残すこともない、逆に攻撃しないなら何のためのA・リンカーンか、と言い寄ったが、それらはすべて却下した。──撃沈したい気持ちが最も強いのは、SUV艦長である本人だったにもかかわらず。
初期のSUV(スペース・ユーティリティ・バッセル)とは「大型貨客船のカーゴスペースを改造して、各種兵装が搭載できるハードポイントを装着した多目的艦」という、艦種を指す言葉だった。元貨客船ゆえの広いスペース。装備を入れ替えることで、対地、対艦、輸送など目的に合わせた運用ができる自由度。実用的で使い勝手が良かったことから、やがて貨客船を改造した特設船ではなく、はじめからSUVとして設計した艦船が登場する。デザインパーツなども取り入れ、巨大さと姿の良さを追い求めた後期SUVは、まさに宇宙戦艦と呼ぶにふさわしい威容を誇るようになった。合衆国スピリットを象徴するA・リンカーンは、その一隻だ。
新鋭SUVの力を持ってすれば、上昇ステージにある打ち上げ機を無力化することなど容易だ。実はキクチ大佐その人は、すでにレッツGの撃沈許可を艦隊司令に求めていた。移民の子だからこそ、合衆国に忠誠を誓っていることを示したかった。祖父の面影を裏切り、心の尊厳を汚したレッツGなど撃沈して無かったことにしたかった。しかし、艦隊司令部と本国は進言を黙殺した。
けっきょく合衆国はいつまで経ってもヒーローになりたい国なのだ。
だからテロリストのように奇襲攻撃を行うことをためらっている。ただし、それは「リメンバー!リメンバー!」と非難してきた相手国を尊重しているわけでも、整合性をとろうというわけでもない。じっさい理由さえ付けば先制攻撃も辞さないし、経済的に有利だと思えば難癖をつけてでも参戦する。それは建国以来のドクトリンだといっても良い。
恐れているのは、万が一マスコミに嗅ぎつけられでもして、自国の世論に火がついてしまうことだった。民主主義国家を運営するにあたって、最大の障害は自国民──言論の自由、報道の自由を盾に好き勝手をいう人々の群れなのだ。
キクチ大佐は、レッツGを載せた打ち上げ機が通過していくのを、むなしく見送るしかなかった。