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月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
3話.閉鎖生態試験場・嘱託職員、根津源太
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天狐

 大月温泉にはレストランが2つあるが、今日の気分に「おいなりキッチン」は似合わない。ちょっと気取った「観月天狐」の方を予約してあった。ここに来るまでひどい目にあったので、せめて美味しい食事でもしてバランスをとっておきたい。そういう思いで全員一致したのだ。

 いちおうドレスコードのある店だが、浴衣は館内着扱いで入店可能という決まりになっている。そういうところも日本式だ。ウェイターが予約席へ案内した。すべてのテーブルが窓際に沿って配列されているので、食事をしながら地球と月を眺められる。「観月」というのはそういう意味で、店名だけなら「天狐」だ。


 メニューから、ここならではのものを選ぶ。古今船乗りが最も飢えているのは野菜、それも新鮮な野菜だ。そして、人類全体が船乗り状態の月周辺宙域で、それを食べられるのは農業衛星の中しかない。ストレートなものがあったので3つ頼む。


 ■初夏の野菜ランチ■

 ・トマトと10種の野菜サラダ(北米風ナッツソース)

 ・レタスと小エビの中華スープ

 ・ベイクドポテト和風あんかけ

 ・本日のフレッシュデザート(メロン)


 料理が整うまでウェイターと雑談をする。ここでのウェイターとは、単に料理を運ぶ人ではなく接待をする人だ。

 温泉用語でいえば仲居さん。にこやかに話に応じてくれる。


 若い男性だったので「失礼ながら」と年を尋ねると、20歳の大学生だという。あまり表情を変えないカガもさすがに驚いた顔をした。そもそも若い人を宙域で見かけることは少ない。地球から仕事で上がってくるなら、もっと年齢を重ねてから来る。閉鎖環境は若い子が長期間耐えられる場所ではないからだ。金持ちのボンボンが短期旅行で来ることもあるがごくまれだ。まして月生まれなんてさらに少ない。


「密航でもしてきたの?」


 と聞いたカイナガが直後に顔をしかめた。テープルの下でモモカに足を蹴られたらしい。澄ました姿をしていても、やはり中身はモモカのままだ。ウェイターくんは笑いながらインターンなのだと説明した。


 宇宙で仕事をしたいと憧れる人は多い。しかし環境に耐えられず戻っていく人も多い。そこで、お試し期間を実際に過ごさせてみて、適正のある人間だけを残すという制度がインターンだ。無給もしくは薄給だが、旅費・滞在費は会社なり国なりが負担する。

 学生にとっては、成功すれば仕事の道が開けるし、失敗しても無料の宇宙旅行だったと思えば済む。だから応募も殺到するが、どれだけ慎重に選抜しても10人中9人はインターン期間さえまっとうできず地球に帰るのが現実だ。実を伴わない憧れだけでは、芽吹くことさえない。そういう意味で、このウェイターはエリートの玉子というより、すでにヒナくらいまで育っている。


 チン!というベルでキッチンから呼ばれると、ウェイターはいったん戻り、3皿のサラダを器用に運んできた。

 緑鮮やかな葉物野菜をこんもりと盛って、皿の右にトマトをあしらい、中央に白っぽいナッツソースがかけてある。トリコローレカラーでイタリア国旗のようだ。カイナガは「いただきます」もせずにワッシワッシと混ぜ、口に運ぶ。


「うめぇ~!」


 おそらくこいつは食事中にこれしか言わない。カガは呆れつつ、モモカが手を付けるのを待つ──が「……?」と眺めているだけで食べ始めない。


「どうしました?」

「……はじめて見たものがいっぱい」

「……?」


 聞き間違いかと口を開きかけ、直後に意味を理解した。胸を突かれる。努めて明るい口調で食べ方を教えた。


「こうして白いソースと緑の葉っぱをよく混ぜて、一緒に口に入れます」

「赤いのは?」

「赤いトマトはソースをつけてもいいし、それだけで食べても割と美味しいです」

「こうかな……」

「……どうです?」

「葉っぱから水が出てきた」

「ソースを少し多めに口に入れて」

「ガリガリする」

「カリカリ。粒を残したナッツなのでよくかんで」

「甘くなってきた……」

「うんうん」

「……おいしい!」


 ニコニコと食べる。いったん食べはじめれば美味しそうに食べる娘だ。カガも安心して食事を進めるが、どうやらモモカは生野菜をほとんど食べたことがないと気付いている。


 月面は決して月周辺宙域の中心地ではない。たしかに物理的な位置は中心かもしれないが、月周回軌道や各ラグランジュポイントの方が有利なことも多い。たとえば野菜の栽培だ。99%の月面では、昼が14日続いたあと夜が14日続く。とうぜん植物の生長には向いていない。人工灯で工場生産しようにも、夜の間は太陽電池が使えないので同じことだ。3S発電が稼働して以降も、抜本的な解決には至っていない。


 一皿目が片付きそうになるのを確かめて、ウェイターがスープを持ってくる。干しエビで出汁を取り、さらに朝採れエビを香ばしく焼いて散らした、Wエビスープだと説明してくれた。道理でキッチンを出るかでないかのときから香ばしいエビの香りが漂っていたわけだ。


「うめぇ~!」

「モモカさん食べられそうですか?」

「匂いがきつい……」

「あぁ、やっぱり」


 魚介類とくに乾物は、慣れていないと悪臭に近いことを知識として知っていた。カガは金沢、カイナガも浜松で海に囲まれて育ったから、本人たちは気付かない。それどころかWスープの濃さを喜ぶクチだ。

 ウェイターを呼んでコショウを頼む。どの農業衛星でも栽培できていないから正真正銘の地球産だ。大航海時代以来の高級品になっているが、嫌な顔ひとつせずに持ってきてくれる。ミルをひねってカリッとかけてやると、うまい具合に中和されたようだ。おいしいとは言わなかったが、きちんと食べきった。エビ自体は宙域どこでも主要タンパク源だから知らないわけがない。ただWスープが極端だっただけだ。


 一息入る。なぜかキッチンのほうが騒がしい。天狐にしては珍しいことだ。


 しばらくして、メインである『ベイクドポテト和風あんかけ』が運ばれてきた。ウェイターは何も説明せず無言で引き下がり、カガも心得ていると黙礼を返す。よほどのことがない限り、メインとして肉や魚が出ることはない。どこで食べても『ジャガイモ&標準食』もしくは、そのアレンジなのが普通だ。生きるために食べるもの。味は二の次、三の次。そしておそらくモモカがずっと食べてきたもの。


「うめぇ~!」──本気で言ってるのか?


 ジャガイモは宇宙に暮らす人類すべての主食だ。イネ科に属する麦・米・トウモロコシも細々と栽培しているが、コストが高すぎて庶民の口に入ることはまずない。もちろん多少の不満はあるが、ジャガイモが嫌いという人は少ないので、なんとかなっている。

 問題は主菜となる『標準食』の方だ。

 ジャガイモだけでは不足する、タンパク質・脂質・ビタミン・ミネラル等の栄養素を、練り羊羹……いやレンガのように固めてある。原材料はユーグレナをはじめ「いちおう食べ物」のはずだが、完成品は「食べ物とは違うなにか」としか言いようがない。これを半強制的に食べさせられる。栄養不足で体調を崩すと面倒だからだ。宙域では気軽に病院へ行けない。地上でいうなら毎回ドクターヘリを呼ぶようなもので、行政コストがかさむのだ。

 それより、とにかく軍用レーションより不味いものを、どうごまかして食べるかが問題だ。細かく刻んでトロッとしたものに入れる手法はよく使われる。おそらく今日の『和風あんかけ』もそういう趣旨だろう。トパーズに常備されているブリトーや餃子の餡がトロトロなのも同じ理由だ。


 実質的に義務なので口に運ぶ。


「……!」

「……あまっ!!」


 カガが目をみはった。モモカは信じられないという顔をする。いつも食べているだけに違いがわかる。あんかけは想像通りだが、ジャガイモが甘くてサツマイモみたいだ。ナイフとフォークが止まらない。無言で一気に食べきってしまう。なんだこれは。


 ウェイターくんが微笑みながら近付いてきた。手にはデザートのメロンを持ってきている。


「気が付かれましたか?」

「いつものと、ぜんぜん違う!」

「これは……なんですか?」


 普段は出していない特別製のジャガイモで、独自に品種改良したものだという。


「なぜ、そんな特別なものを私たちに?」

「詳しくは存じ上げませんが、源さ……職員がどうしてもお出ししたいと」


 そう言いながらメロンを置いていく。待ちきれないカイナガは配り終える前からスプーンを入れ「うめぇ~!」と叫ぶ。行儀悪いと横目でにらみつつ、カガは職員に礼を伝えるよう頼んだ。


 特別なジャガイモはうれしい誤算だが、このメロンはもともと特別だ。大月温泉でもめったに味わえない最高級品とされている。わずかに黄色のサシが入った、若く瑞々しい緑色。断面から染み出る蜜は、天井の照明をキラキラと反射して神々しい。今日のランチのなかで真のメインはこれだろう。しかし、モモカを見ると、案の定「……?」とメロンを眺めている。早くも自分のメロンを食べ尽くしたカイナガが狙う。


「やべぇぞ……このメロンは月育ちには毒だ。オレが代わりに食っといてやる」

「さっき『うめぇ~!』って言ったじゃないか」

「地球人にとっては、だよ。月星人(つきせいじん)にとっては毒物だ」

「とても美味しいという意味らしいです。モモカさん召し上がれ」


 促されて、おずおずと手を伸ばす。


 サクっ……。サク……サクっ……。サクサクサクサクっ!


 スプーンが止まらなくなっている。


「あーっ、もう。汁が飛んでる……汁が!」


 見かねたカイナガがナプキンで拭いてやる。


 それほど夢中で食べているのを見て、カガは微笑ましく思った。モモカは食べているときに、ほとんど声を出さない。せいぜい「おいしい!」と言うくらいだ。でもそれでいい。旅番組のレポーターじゃないんだから解説なんてしなくていい。

 そもそも食に関する語彙がないのだ。月で生まれて以来ろくな食品を食べていないのだろう。ジャガイモと標準食ばかりで、野菜はフリーズドライ、果実もせいぜいドライフルーツ。肉や魚は見たことさえないかもしれない。いま思えばブリトーを不思議そうに見たのは「本物じゃない」ではなく「標準食じゃない」からなのだ。

 食事はただ栄養を摂れば良いというものではない。身体だけではなく心も満たすには美味しさが必要だ。しかしモモカの味覚は、やっと開きはじめたところ。もっといろいろ食べさせてやりたい。可能ならいつか金沢で獲れた日本海の魚だって食べさせたい。どんな顔をするだろうか。


 カガは自分がモモカに魚の食べ方を教える姿を想像しておかしくなった。

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