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月のアイドル~大気圏突入!  作者: 加農式
3話.閉鎖生態試験場・嘱託職員、根津源太
13/59

大月温泉

 農場の朝は早い。


 早いどころではない。ここL1で縦軸回転している農業衛星では、24時間いつでも、どこかのブロックが朝を迎えている。栽培している植物全体に自然な生長を促すためだ。そのため全体としてみれば、朝も晩もなく一日中働いていることになる。

 しかし、衛星内「閉鎖生態試験場」の嘱託職員である根津源太(68)は、故郷である長野県佐久市が日の出を迎えたら、自分にも朝が来るという決まりを作った。もう十年以上前のことだ。

 この習慣は同僚にも知れ渡っているため、毎月のシフト表には「源さん起床」があらかじめ記入してある。もともとは若い連中のいたずらだったが、いつだったか妙に凝った男がいて、秒単位まで自動計算できるようにした。


 ハンモックから抜け出る。長い睡眠がとれなくなったため、もう目覚ましを使っていない。とっくに起きていて、むしろ朝が来るのをジッと待っていたくらいだ。

 窓に向かうとコインほどの大きさで地球が見える。佐久の上空には雲一つ見あたらない。きっと下は暑くなるだろう。千曲川の鮎を懐かしく思い出す。


 信心深い方ではなかったが、宇宙に上がってから「神もしくは何か」の存在を感じるようになった。地上にいたときあれほど重くのしかかっていた大気は、外から見ればほんの薄皮でしかない。あまりに頼りなく無防備で、青く透き通ったビー玉にもみえる地球は、いまにも壊れてしまいそうだ。しかし、そこで幾億もの生命が育まれている。


 地球の真似をして人類が作ったこの衛星では、野菜一つ作るのに四苦八苦だというのに──。

 同郷だった亡き妻の墓に手を合わせてから、麦わら帽子をギュッとかぶった。


 *


 元の制服に着替えたモモカは、全面ディスプレイに張り付くようにして、近付いてくる寄港地を眺めている。本当はアプローチ中にコクピットにいて欲しくないのだが、あまりにはしゃぐものだから、クルー二人も許していた。


「JS1213Cトパーズ、オオゲツコントロール、クリアトゥアプローチ」

「トパーズ、クリアトゥアプローチ」

「おんっせん! おんっせん!」


 揺れる尻尾が見えるようだ。


 大月温泉。

 本来は農業試験用人工衛星の3号機「オオゲツ」だ。隣接する1号機「トヨウケ」、2号機「ウケモチ」と共に、月周辺に食料を供給する一翼を担っている。主力産品は葉物野菜や果物、淡水エビといったところで珍しくもないが、鮮度と味の面で定評がある。

 しかし、いまでは通称の「オオツキオンセン」の方がメジャーになってしまった。このあたりの経緯は日本らしいといえば日本らしい。

 各国の農業衛星でも、水耕栽培や水産養殖に使う水は衛星内を循環している。その一部は温度調節や殺菌のため太陽光にさらされた熱湯だ。ここまでは、ほぼ変わらない。しかし、日本の技術者だけは目の前にあるお湯を見て我慢できなくなってしまった。


「そうだ、温泉つくろう」


 日本人の風呂好きは異常である。お湯を見かけたら入りたくなる。そのため止めるものは誰もいなかった。配管を改造し、月面から大岩を取り寄せ、風光明媚な浴場を作り上げるのに丸三年。湯質は単純泉で、疲労回復、ストレス解消、健康増進などに効果がある。

 なお、日本神話に出てくる食物の神・オオゲツ姫は大宜都や大気都と表記するが、オオゲツが大きな月の大月に変じ、やがてオオツキと通称されるようになったという。


 アプローチが最終段階に入った。

 今日のトパーズは大月温泉に6時間の寄港を予定している。月面から輸送した資材──主に有機廃棄物を搬入し、替わりに食料品を積載するためだ。作業は港湾職員に任せておけばいいので、その間はフリーになる。正直なところクルーの二人も楽しみにしていた。アルコールこそないが、温泉に入って食事を楽しむのは、宙域航路において無上の快楽なのだ。


200(トゥハンドレッド)

「コンティニュー」

「100、50、30、15、5」

「トパーズ、オオゲツコントロール、ナウキャプチャード」

「スラスターオフ、ゲートスタンバイ、トゥオープン」


 貨物港に到着すると、最前列に陣取っていたモモカが振り返り、少し不安げに聞く。


「本当に降りても大丈夫よね?」

「大丈夫だろ。観光地みたいなもんだし、いつもチェックは甘いぜ」

「有効な身分証さえ携帯していれば、とがめられることはないはずです」


 それを聞いて安心し、近付いてくるドッキングゲートに向き直った。


 *


 源太は手早く朝食を済ませると、さっそく仕事場に向かった。

 今日の担当はイチゴの圃場だ。太陽に当てておけば勝手に育つ葉物野菜と違い、果実を実らせるには受粉が欠かせない。地上ならミツバチやチョウの仕事だが、宇宙において生きた虫は基本的に禁止だ。代わりに作業する小型ドローンは精度に欠け、けっきょく手作業で手伝うことになる。毛先の広がった筆を手に、トントンと花を叩いていく様子は寡黙な老農夫そのものだ。


 皮肉なものだと思う。


 源太の実家は決して豊かとは言えないソバ農家だった。品質が良いと評判で、小諸や軽井沢の人気店でも使われていたのに、売価が安く収入につながらなかった。結果アルバイトさえ雇えないので、収穫時期に限らず畑仕事を手伝わされる。そんな時いつも目に入るのが臼田の巨大アンテナ──宇宙空間観測所だった。自然と宇宙に憧れ、必死で勉強し、大学に進み、宇宙飛行士の選抜試験を受け、そして三次試験で落ちた。まだ若すぎて閉鎖環境で他人と暮らす協調性に欠けていたからだ。

 卒業後は国家公務員として環境省へ入り、幼なじみと結婚して子供も3人つくった。幸せに暮らしていたが、そのころ日本初となる農業衛星の乗員を募集すると政府が発表した。「妻という他人と暮らし協調性は身についた」と言うと彼女は微かに笑った。応募には、反対しなかった。

 環境省から唯一選抜され、何度も講演会や壮行会が開かれ、地元では英雄扱いされて宇宙に上がった。妻が死んだとき、1号トヨウケで訓練中だった。涙は流れなかった。なぜなら無重力下では、丸い水滴となって浮いたから。


 農家を嫌って家を飛び出し、宇宙飛行士になった男は、イチゴの花を叩いている。


 *


「ァヒャーッハハハ、ファハハハ、やめェエッヘハハ、やめてぇ!」


 自分では止められない笑いに、モモカは身をよじった。

 大月温泉の浴場には洗い場がない。後付けで無理やり作ったのでスペースが足りないのだ。代わりに置いてあるのが「洗体機くん」で、家庭用洗濯機の人間版だと思って間違いない。中に入ると泡洗剤とブラシが出てきて、自動的に身体を洗ってくれる。ただブラシの毛先が柔らかすぎて、人によってはくすぐったさに悶絶する。


「だめ、ちょ…ぅヒャハハハ、ァアーハハ……ぅフフヒ……ハ……」


 慣れていない人は特に注意しなければならない。思わぬところにブラシが来たと感じることがあり、敏感な体質だと息が止まるほどだ。


「ヒャ……ん!……ぁぁぁ……あ、ダメダメダメ……ぃゃぁぁあん!」


 なまいきにAIが搭載されており、もうイイかなと判断すると自動的に止まる。


「…………はぁはぁはぁ……はぁ……はぁ……ふぅぅ」


 身体を上手に洗われてモモカも気持ちよさそうだ。上気した顔で浴室に向かう。カラッと引き戸を開けて──息を呑んだ。


「っ……すっごーい!」


 これが大月温泉自慢の「宇宙風呂」だ。構造的に可能な限界まで、透明素材で建築してある。外に突き出した半球や浴槽は完全に透明。しかも、お湯を片側にためておく遠心力と、入浴したときの浮力が釣り合う疑似的な無重力感覚。まさに宇宙に浮かびながら入浴している気分が味わえる人類未体験ゾーンだ。

 当然みんな憧れの施設だが、残念ながら実際に入湯できる人は少ない。今日も、先客が出ていくと貸切状態になった。ちょうど衛星自身の裏に地球が隠れ、逆側から月が浮かんでくるところだ。おずおずと入っていき湯船に浸かる。


「……きれい」


 月育ちのモモカにとって宇宙に浮かぶ地球は見慣れている。それは地球人が月を見て感じる日常と変わりない。いまうっとりと眺めているのは、生まれ故郷である月だ。


 *


 今日の作業を終えた源太は腰を伸ばしてトントンと叩いた。


 低重力で身体は楽だが、それに慣れすぎてしまった。骨格も筋力も衰えリハビリをする気もない。もう地球に降りるのは無理だろう。このまま宇宙で死ぬのもいいかもなと思っている。いや、そう決めていた。


 考えているのはその先だ。遺灰として地球に戻され、妻と同じ墓に葬られるのが世間の常識だろう。しかし、自分の身体を──身体を構成する成分を、宇宙に残すのも一手だ。きっと妻も賛成してくれる。最後の交信をしたとき病院のベッドで「世間のために働け、戻ってくるな」と、信州人らしく言ったのだから。

 宙域の現実問題として、人体の構成要素でもある炭素は慢性的に不足し、窒素・リン・カリウムも植物の生長に必要だ。材料が元・人体でも分子としての違いはない。処理プラントに突っ込んで遠慮なくリサイクルすればいい。オオゲツ姫も自らの屍体から五穀を生じたではないか。

 まだ正解はわからない。しかし「私を取り込め」と同僚に言ったら「生食はイヤですねぇ」と返された。思い出して苦笑いをする。いずれにしろ先の話だ。


 一日の終りは風呂と決めていた。今日の男湯は岩石風呂の番だ。地上の露天風呂に似せた内装で、宇宙風呂よりよっぽど落ち着くというファンも多い。暖簾をくぐろうとすると、若い連中二人が出てきた。互いに会釈してすれ違う。桃がどうのと話をしていたようだ。しかし、まだ桃は作れない。木になる果実というより木そのものが栽培できない。

 どことなく悔しそうな顔で振り返り、二人の後ろ姿を見送る。


「やるべきことは山積みだ!」


 根津源太(68)、まだまだ長生きするに違いない。


 *


 風呂の後は食事をしようと、緋毛氈(ひもうせん)を敷いた東屋風の休憩所で待ち合せしていた。身振り手振りをまじえたカイナガの与太話を、傍に立ったカガが微笑しながら黙って聞いている。見た目や口調といった外面は対照的な二人だが、内面の性格は似ているので初めからから気が合った。トパーズで一緒になったのは、カイナガが会社に入ってすぐだったから、それ以来三年ほどの付き合いになる。

 くわえた煙草にカイナガが火を点けようとしたとき、ふとスミレの香りが漂った。小柄でおとなしそうな女性が両手をあわせて佇んでいる。古風な香りが控えめな和の雰囲気によく似合っていた。


「おまたせ……」


 まだ火を点けていない煙草が口元を離れ、ゆっくり床に落ちていく。

 声を聞くまで誰だかわからなかった。


「も……モモカ!?」


 湯上がりのせいで、もともとピンクがかった肌が紅に染まっている。頬が美しい。髪をハーフアップに編みなおし、浴衣の襟を少しだけ引いているから、うなじのラインが印象的だ。

 大人の女性らしい艶っぽさを感じさせるが、それでいて幼さが残っている。

 小柄だから指先の半分近くまで袖が余ってしまっていた。胸の前で両手を合わせているのは、それを隠そうとしているらしい。大きな朝顔を散らした裾のデザインも、子供がお祭りに行くみたいだ。

 だが、少女と大人の間にいる女性に特有の、危ういバランスが魅力的だった。

 しかも、本人が意識しているかは知らないが、口調まで違っている。イメージ通りなら「おまたせ!」と叫びながら、ドーンと突っ込んでくるところだろう。

 カイナガは(かわいい……)と思ってしまった自分に気付き、煙草を拾うふりで目をそらした。


 一方で、モモカもドギマギしていた。


 カガに浴衣が似合うのは想像通りだった。ほぼヨーロッパ顔のくせに実家は金沢の旧家で、帰省した時は和服を着ていると事前情報で聞いていた。そのときに想像した姿が目の前にあるだけだから衝撃は少ない。

 意外だったのは、カイナガまで一変していることだ。無精ヒゲを剃り落として髪を整えただけなのに、黙っていれば青年将校のような快活さがある。じっさい元空軍大尉なのだ。

 やや着崩しているため、煙草を拾おうとした襟元から鎖骨がのぞく。いつもは青年というかガキんちょのようなのに、ふとした仕草に大人のセクシーさが垣間みえる。

 モモカは(かっこいい……)と思ってしまった自分に気付き、袖を直すふりで目をそらした。


「どーもどーも」

「えへへ」

「では行きましょうか」


 初めて花火デートに行く高校生のような初々しさだ。

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